心眼編3
「まったくもって、バカバカしいな」
それが大宰相ネドイルと手合わせをするアーシェアの率直な感想だった。
魔法帝国アーク・ルーンの第十三軍団の副軍団長の地位にあるアーシェアは、本来ならば公私に渡って忙しいはずであった。
公務である副軍団長の職務は、一通りアーク・ルーン軍に関する資料と機密に目を通し、関係各署へのあいさつを終え、後は軍団長であるラインザードと第十三軍団の運用についての話し合うとなるはずだったのだが、オクスタン侯爵領、上官の領地で反乱が起きたせいでそれどころではなくなった。
では、一足先に現地に赴任して第十三軍団の編制作業に加わろうとも考えたが、それには軍部から待ったがかかった。
魔法帝国アーク・ルーンが誇る良将も精兵も皆、遠征に出ている。それでも兵士は近隣からかき集めれば数だけは揃うが、それを指揮できる者となると、なかり心もとない。
だから、反乱鎮圧に出向けるよう、アーシェアに帝都に留まってもらっているのだ。
現地における第十三軍団の編制で何かしらの問題があれば、アーシェアを強引に引き止めなかったかも知れないが、もう一人の副軍団長、ムーヴィルがそつなく編制作業を進めている。
こうしてオクスタン侯爵領での反乱が治まるまで、これといった仕事がなくなったアーシェアは、その間に私事を片づけようと思ったのだが、これも彼女がすべきことはほとんどない。
アーク・ルーンから屋敷を提供されているとはいえ、そのリフォーム工事の依頼も含め、使用人や家具の手配など、ほとんどヴァンフォールがやってくれたので、アーシェアはそれらの最終チェックのみという
状況だ。
ちなみに、そうした雑事をやってくれたヴァンフォールにアーシェアは感謝こそすれ、好意を抱くことはなかった。
良くも悪くも、ネドイルに似た気質のヴァンフォールは、相手の才幹を重んじ、外見を軽んじる。なので、アーシェアが美人だから親切なのではなく、優れた人物という理由はまだいい。
ただ、下心も計算高さもないヴァンフォールは、アーシェアの能力を素直に称賛する反面、レミネイラやベルギアットの方がより優れていると素直に口にするので、一人の女性としてどうしてもげんなりしてしまうのだ。
ともあれ、公私に渡って手持ちぶさたなので、アーシェアはフレオールを介したネドイルの打診に応じ、訓練前に大宰相の腕前を計るため、両者は軽く手合わせをしている。
あくまで軽い手合わせなので、二人は防具を身に着けぬ軽装で、手にするのもネドイルは練習用の木剣、アーシェアも棒、練習用の槍を、ただし二本、両手で繰り出している。
双槍、本来、両手で使う槍を二本、同時に操るという、珍しい戦闘スタイルをアーシェアは取っている。
アーシェア、イリアッシュ、ウィルトニアの武術の師は双剣の魔竜なのだが、ドラゴンだけあってレイドは弟子に技術的な指導をしなかった結果、三人は師に対抗するための得物を自ら選んで手にした。
格闘戦を得意とするウィルトニアが大剣を選んだのは、素手でつかみかかるため、間合いを詰めるきっかけを生み出すためだ。
技術的に師と天地の差があるのを痛感し、力任せに振るえる大剣をチョイスしたのだが、彼女の剛撃は双剣に軽くさばかれ、ウィルトニアの両手は未だレイドに届かずにいる。
遠距離戦を得意とするイリアッシュは、レイドに間合いを詰められた際、双剣をしのぐために、取り回しが良く守りに適したトンファーを選んだ。
実際、イリアッシュはレイドに接近を許しても、二つのトンファーで双剣による連撃をけっこう防いでのけるが、一方でそれで精一杯となり、再び間合いを取ることができず、じり貧状態になって敗北する。
アーシェアの得物の選択も、基本的にはイリアッシュと似ている。元々、槍を使っていたのだが、一本ではレイドの双剣に対応できないので、双槍というスタイルへと移行したのだ。
槍を片手で一本ずつ持つ点は、竜騎士のパワーでどうにでもなるが、アーシェアが今のスタイルを確立するのに最も手こずったのは、バランスである。
力ずくで二本の槍を同時に振るえても、それは力でアンバランスさを抑えているにすぎず、強引な動きには無駄が多かったが、そうした点を少しずつ修正していき、アーシェアは二本の槍を淀みなく操れようになった。
それでもなお届かぬのがレイドという存在だが、彼女は師の本気の打ち込みを百合前後までしのいでのけられる。
その最強の竜騎士が振るい、繰り出す双槍を、しかしネドイルは見切り、かわしてのける。
アーシェアが両手で同時に繰り出す連続突きは、フレオールよりも速さと鋭さでやや劣る。ただし、それは一槍のみに限った話で、フレオールにわずかに劣る程度の突きが二つ同時に繰り出されるのだ。
そして、アーシェアが片手で、一槍のみに絞った連続突きは、フレオールのそれを上回るが、アーシェアの槍はどちらもネドイルにかすめることさえなかった。
もっとも、アーシェアの双槍による激しい攻めは、レイドの接近をカンタンに許さぬほどであり、ネドイルはそれらをかわせこそすれ、間合いを詰められるものではないが、ネドイルはまったく剣を振るっていないわけではない。
無論、剣と槍では間合いの長さが違い、槍の間合いにある間は剣をいくら振るおうが、相手に届くことはないが、槍を打つことはできる。
ネドイルはアーシェアの槍を防ぐために剣で打ち払うだけではなく、そこからアーシェアの攻めと姿勢を崩そうと計る。
ネドイルの剣撃は速いが軽い。だから、アーシェアの鋭く速く、そして力強い一撃一撃に軽く弾かれるとはならない。
弱くともスピードとタイミング、何より力を加えるポイント次第で、相手の体勢を崩すことはできる。実際、レイドに軽いが巧妙なタイミングとポイントを双剣で打たれ、アーシェアはどんどん苦しい姿勢に追い込まれて敗北する。
レイドの剣撃は正に神技であり、ネドイルの剣撃はその真似事の域にあるが、真似事であるにすぎない。
レイドに劣り、またこの戦法はレイドによって慣れていたのもあり、アーシェアはネドイルの巧妙な一撃をどちらかの槍に受ける度に、姿勢を修正して攻勢を維持する。
アーシェアの槍はどちらかもネドイルに当たらない一方、ネドイルの攻めもアーシェアを崩すに至らない。
互いに決め手の欠く両者の戦いは、しかしこのまま推移すれば、アーシェアの辛勝となるだろう。
力強い連続攻撃を繰り出しているアーシェアに比べて、ネドイルの動きは軽く力みが少ないので、体力の損耗は大宰相の方が小さい。だが、竜騎士であるアーシェアは、乗竜の無尽蔵とも言えるスタミナを用いることができるので、どれだけ無駄を省こうが、魔法戦士の体力の方が先に尽きる。
だが、技術的にどちらが上かは明白であり、ネドイルに比べれば稚拙な自分が、武人として高みにある相手を鍛える相手を務めるなど、アーシェアからすれば「バカバカしい」と自嘲の念を抱かずにいられない。
が、バカバカしくとも、アーシェアは己の武をネドイルの鍛練に提供するつもりだ。
立場的なものはいる。しかし、一人の武人として、人の身が双剣の魔竜の域に至る可能性と場面を確かめたいという想いは抑え切れるものではない。
だからこそ、レイドにしかかわされたことのない技を、アーシェアは試したくなった。
攻め切れぬアーシェアは、間合いを詰め切れぬネドイルに対して、右手一本で連続突きを繰り出すが、フレオールは元よりスラックスさえ上回る間断ない突きは、それらを見切っているネドイルは的確に木剣で打ち払い、あるいは紙一重でかわしてのけるが、ここまではアーシェアの計算の内。
彼女はこれまで片手突きの際はもう一本の槍で攻撃せずにいたが、それはできないことを意味しない。
右手の槍を少しずつ足元へと狙いを移し、ネドイルの視点と意識を下へと向けた途端、左手の槍を大きく弧を描いて振るい、頭上への一撃を繰り出す。
虚を突くというのは戦いで最も有効的なものだ。視界の外から認識できない攻撃、普通ならば食らって当然の一撃を、しかしネドイルはレイドと同様、何か感じた風な反応を見せた途端、足元を狙った槍をかわしつつ体をひねって、頭上からの槍も空を切らせる。
「……参りました」
他にも技はないでもないが、相手の知覚の異常さを思えば、通じないことは明白であり、アーシェアは体力勝負での決着を望まぬことを告げる。
ネドイルも望んでいるのは武の優劣を決することではないので、アーシェアが双槍を引くと同時に木剣を下げる。
「……強くなったと思ったが、まだまだであることを教えてもらい、感謝する。そして、武人であるそなたには悪いが、オレは強くなりたいわけではなく、至りたいだけだ。それでも、アーシェア殿はその槍と力を貸してくれるか?」
「喜んで。我が武と槍を閣下が高みに至る使わせてください。武術の到達点の一つ、心眼へと至るために」




