心眼編2
「ハッ」
「ふんっ」
フレオールの突き出した棒、訓練用の槍を、ネドイルが紙一重、皮一枚の差でかわしてのける。
大宰相はいつもの衣冠ではなく、上半身は裸になって動き易いズボンをはいている以上、いかに異母弟の突きが鋭いものであっても、ネドイルほどの魔法戦士ならばそれくらいの回避ができる、とはならない。
何しろ、ネドイルの左脇腹にはいくつも青アザがあり、ようやくフレオールの突きをかわすことができたのだが、おそらく、これだけの回避はアーシェアですら無理だろう。
アーク・ルーン皇宮に数ヵ所ある室内訓練所の一つで、今、ネドイルは武人としての高みを一つ上がった。
いかにフレオールの腕が立つとはいえ、いささか大げさな表現ではない。ただ、フレオールの突きをかわすだけなら、何人もが可能であろうが、密着状態、ゼロ距離からの回避となれば、これだけの芸当ができるものは双剣の魔竜レイドぐらいなものだ。
相手が槍を突き出すと同時に回避行動を取り、紙一重でかわす。言うは易しだが、並の使い手でもやってのけるのは難しい。ましてや、並とはほど遠いフレオールの鋭く速い突きを密着状態でかわすとなれば、回避動作にわずかな無駄も許されないだけではなく、その初動、突き出さんと槍に力が伝わった瞬間を感じ取り、それと刹那の狂いもなく同時に動いて成立する回避であった。
無論、そこに至るまでの道のりは並大抵のことではなく、この場には何本ものヒーリング・ポーションの小ビンが空となって転がっている。
正に荒行の果てに体得した知覚であり、レイドぐらいしかここまでできぬとはいえ、
「……ダメだな。この程度では」
それで双剣の魔竜の域に達したとはならず、数多の失敗と痛みを経て得た成果に、ネドイルは納得とはほど遠い表情を見せる。
「とはいえ、突きの速さと鋭さに関しては父上と大差ないからな。だからといって、スラックスを呼ぶわけにもいかん」
ロストゥルとスラックスはアーク・ルーンにおいては、一、二を争う槍の使い手だ。
フレオールとてかなりの使い手なのだが、単純な槍の速さや鋭さ、さらに精密さにおいてはスラックスに劣り、戦い全体の組み立て方や巧妙さは父親に劣る。
無論、まだ十七なのだから、鍛練を積めばスラックスの域に、場数を踏めばロストゥルの域に届き、追い越すかも知れないが、ネドイルが今、欲しているのは異母弟の将来性ではない。
「竜騎士の中で、オマエ以上の突きを繰り出せる者はおらんのか?」
乗竜の力の一部を自らの身に体現できる竜騎士たちは、単純な身体能力なら常人をはるかに上回る。
そして、クラウディアを除く元七竜姫の面々は、パワーやスピードならフレオールを上回っている。中でもティリエランは打棒、ナターシャは矛を得物としているので、だからネドイルの練習相手が務まるとはならない。
力が強いだけでは鋭い突きは放てない。それを活かすだけの技量がなければ、ただの力任せの一撃となってしまう。
ティリエランやナターシャは武人としてはかなりの腕前ではあるが、あくまで「かなり」のでしかなく、
武の最高峰に届かね力量でしかない。
イリアッシュの場合、技量以前に得物としているトンファーは刺突に不向きゆえ、
「アーシェア殿ぐらいだよ。スラックス将軍以上の槍の使い手であるし」
「オレは他におらんか、という意味で聞いたのだぞ」
最強の竜騎士ならば実力と得物的には問題ないどころか、特訓のパートナーとしてはこれ以上ない存在だ。
だが、これといった仕事をしていない他の竜騎士たちと違い、アーシェアには第十三軍団の副軍団長としての軍務があり、何よりラインザードのお守りを頼んだネドイルとしては、これ以上、無理を言うのは気がひけるというもの。
「しかし、自惚れじゃなく、オレ以上の槍の使い手となると、アーシェア殿かスラックス将軍しか思いつかんよ」
「ああ、オレもだよ。しかし、天は人に二物を与えずと言うが、あれはウソだな。役立たずはどこまでいっても役立たずか」
アーク・ルーンの最高権力者に登り詰めただけではなく、今やアーク・ルーン最強の魔法戦士となったネドイルが毒づく。
正直、大宰相の目的を考えればこの辺りで諦めるべきとフレオールは思うのだが、
「フレオールよ。オレから言えば強要めいたものとなろう。オマエからそれとなく時間があるか、聞いてくれんか?」
良くも悪くも、ほどほどということができない性格ゆえにとことん登り詰めた男は、別の道の頂に至らんがために、異母弟にパシリを頼んだ。




