帝都編26
「…………」
「それでもう一つの相談とはなんだ?」
最も下の異母弟が二つめの相談を飲み込もうとする気配を察し、ネドイルがそう言って水を向ける。
「いや、これも第十三軍団の、何よりアーシェア殿に先に話すべき話だった」
「ということは、私の妹のことか」
アーシェアの妹、ワイズの第二王女ウィルトニアがコノートに亡命していることは、すでにフレオールが報告を挙げているし、その情報はアーシェアも知るところである。
妹のことが気にならない、と言えばウソになる。だが、妹の性格を知る姉は、ウィルトニアが死ぬまで戦う道しか選ばぬと確信しているので、その命はもはや諦めている。
ウィルトニアとその乗竜たる双剣の魔竜レイドは、現在、コノート王国に対する私掠行為を働く竜騎士たちを、一騎一騎、仕留めて戦果を挙げてはいる。
しかし、それもアーク・ルーン軍が本格的に動き出すまでの活躍でしかないだろう。
ドゴランをも殺す毒に加え、アーク・ルーン軍の練度を思えば、アーシェアとしては妹と師匠の命を絶望視するしかないというもの。実際に、あれだけの強さを誇るレイドもウィルトニアも、ヅガートによって一度、討ち取られかけている。
いかに双剣の魔竜が強かろうが、魔道戦艦につるべ打ちされるか、毒矢の雨でも降らされたら、それまでだ。当然、ウィルトニアを討つなど、アーク・ルーン軍からすれば、もっと容易い。
「これは気が回らなかったな。ただ、アーシェア殿には申し訳ないが、コノートを内から崩すのは難しい。ベルギアットすらさじを投げているのだ」
フレオールの報告の中には、アーシェアに加えてモニカの名前があったので、ネドイルはすでに魔竜参謀に内密に指示して、コノートの手でモニカを捕らえさせ、差し出させるように仕向けようとはした。
モニカのことを無理に諦めているマードックらの心情に配慮してのことであったが、
「コノート王は甘言にたぶらかされる人物ではなく、その家臣団もしっかりとしている。何より、ジルトなる軍師は戦場の計略のみならず、こちらのからめ手に対する予防にも余念がありません。七竜連合の時みたいに下準備に十年もらえればともかく、一、二年でこの国を内から乱すのは無理。コノートに関しては、正攻法で攻めるより手立てはないですね」
という分析結果が弾き出されている。
アーシェアとしては複雑な心境だが、それはアーク・ルーンの策動で妹が助からぬことではない。自分が望んでも得られなかった、アーク・ルーンと真っ向から戦える機会を妹が得た点だ。
アーシェアとて祖国が滅びるにしても、マトモに戦っての結果ならば諦めもつくし、戦死したとしても自分の力が及ばなかったと納得ができる。だが、アーク・ルーンの場合、それすらも敗者に許さない。
ワイズ王国を含めて、大半の国が策略や謀略によって滅亡に追い込まれている。謀略で相手国をマトモに戦えない状態にしておいてから、十万以上の精兵を繰り出して来るのだから、侵略される側からすればたまったものではない。
その内から乱して外より討つというアーク・ルーンの基本戦略が、コノート王国には通じない、正確にはつけ入る隙がないとなれば、アーク・ルーン側はマトモに戦ってコノートを征服せねばならないとなる。
無論、国力、人材、兵力などなど、アーク・ルーンの方が圧倒的であり、コノート王国がどれだけ抵抗しようが奮戦しようが勝ち目などまったくない。しかし、勝てなくともとも、真っ向から戦っての敗北と滅亡ならば、まだ納得はできるというもの。
少なくとも、マトモに戦えずに敗れるよりはマシなはずだ。
「どうなるかわからんが、リムディーヌ殿に相談してみるのもよかろう。実際に相対している者ならば、何かうまい手があるかも知れんしな」
「では、お言葉に甘えまして、そうさせていただきます」
ネドイルの提案に応じたのは妹を助けたいからではない。妹のことを思えば、武人として戦場で己を全うすることを認めるしかないのだ。
だから、リムディーヌに会って余計な手加減は不用とそれとなく伝えておくのもあるが、アーシェア自身も、アーク・ルーンの優れた将軍たちに色々と教えを乞いたいという思いもある。
特に、ワイズの地で決戦を挑み、自分をかんぷなきまでに叩きのめしたヅガートがどのような人物なのかには、並々ならぬ興味を抱いている。
「オレもアーシェア殿の妹御が助ける手立てがあるならば、助力を惜しまぬつもりだ。なに、遠慮はいらぬぞ。アーシェア殿の妹御ならば、さぞかし美人であろうからな。オレも一人の男として、一目、見たいだけだ」
帝都に流れ着いてより、大宰相が好色であるとか、美女を漁っているとか耳にしたこともなければ、自分を寝所に誘ったこともない相手の言葉を、アーシェアは額面どおりに受け取ることはない。
両親と弟の時のように、アーシェアの身内を心配してのことで、ウィルトニアに別段、興味はないのは、
「大兄。大兄は一度、ウィルトニアに会っているんだが?」
嘆息するフレオールのセリフが何よりも明白に物語っていた。
元ワイズの第二王女が大宰相と既知であることに、元ワイズの第一王女もオクスタン侯爵も軽く目を見開いて驚くが、
「何だと! いつ会ったというのだ!」
ネドイル自身が最も愕然となる。
「マードック卿らと初めて会った時にだよ」
「あの時か! だが、いたか?」
呆れたように言うフレオールの言葉に、しかしネドイルは首を傾げたままというありさま。
ネドイルは別段、記憶力が悪いわけではない。有能な部下たちのことはもちろん、陳情など接した民の名や顔もきちんと覚えている一方、
「まあ、覚えていないというより、覚えようとしない相手だから仕方ないか」
「フレオール。この兄を見くびるでないぞ。ウィルトニアなる者のこと、今、しかと思い出したぞ」
「つまり、顔とかも思い出した、と」
「う、うむ。そのウィルトニアなる者、たしか目と耳が二つずつあり、鼻と口が一つずつあったはずだ」
大宰相の挙げた特徴に、フレオール、アーシェア、ラインザードは何とも言えない表情となる。
そもそも、ウィルトニアの特徴で、頬の傷に言及しない時点で、まったく覚えていないと自白したような
ものだが、
「顔以外の特徴も挙げれば、胴体の下に腰があり、そこから足が二本、伸びていたはずだ。さらに両肩からは両腕が伸びていたであろう」
もし、ネドイルの発言に過ちがあったならば、アーシェアの妹は人間でないということになる。
たちまち微妙な空気となった大宰相の執務室に、
「大変でございます、大宰相閣下! 反乱が起こりましたぞ!」
「落ち着け、サクロス。先日もカシャーン領で起きたばかりであろう。慌てず、今度はどこの話だ」
慌てふためいて報告に訪れた老宦官に、ネドイルが泰然としているのも当然だろう。
積極拡大政策を採るアーク・ルーンで、反乱など珍しくない。ルヴィエラの知人親族も反乱を起こして征伐されたし、旧タスタル貴族の一部も挙兵してナターシャたちに討たれている。
現在、カシャーン領、旧カシャーン公国で、カシャーンの元将軍グォントが旧カシャーン兵を率いて決起したが、スラックスは配下の一個師団を差し向けて対応していて、大事になる気配はない。
領地や財産を奪われた貴族の、あるいは自国の敗北と滅亡を認められぬ将軍の反乱など、数え切れぬほど耳にしているネドイルだが、
「で、ですが、閣下。反乱は、此度の反乱は、オクスタン侯爵領にて発生したものですぞ!」
「それはどういうことだっ!」
その内容に泰然と大宰相の態度は吹き飛んだが、それ以上に驚愕したのは、オクスタン侯爵領を治めるラインザードであったのは言うまでもないだろう。




