帝都編25
ラインザード・フォン・オクスタンは、銀髪を短く刈り込んだ彫りの深い顔立ちをしており、長身で鍛え上げられた肉体は四十四の今もさしたる衰えは見えないどこか、その武勇は円熟の域にある。
フレオールが及ばず、ロストゥルを越えしラインザードの強さは、アーク・ルーンでも少し前まで一、二を争う強さを誇っていた。
もっとも、アーシェアが降った今では、ラインザードの武勇は二番手以下となってしまったが。
さらにラインザードがアーシェアに及ばないのは強さだけではなく、軍才においても劣る。その点はロストゥルを未だ越えられないどころか、フレオールに追い越された程度のものだが、まったくの無能というわけではなく、第一軍団において師団長を無難に務め上げた実績を有している。
ただ、師団長を無難に務める程度の軍才で軍団長に抜擢しようとする人事には、フレオールは身内の出世を喜ぶよりも先に、その身内びいきに呆れ気味なのが正直なところだ。
とはいえ、ネドイルの身内びいきであろうが、吏部大臣であるファリファースが我、関せずとばかりにこの人事を認めた以上、自分の師団を後任に任せたラインザードは、転位の魔法で帝都まで送ってもらい、その足で異母兄の元に向かい、副官となる同母弟と久しぶりに顔を合わせ、副軍団長になるアーシェアと引き合わされた。
もっとも、その場というか、フレオールの両隣にはシィルエールとミリアーナがおり、二人の元王女の事情と精神状態を聞いたラインザードは、痛ましげな表情を浮かべたので、
「悪い人ではないようだ」
もう一人の元王女は、自分の上官となる人物にそのような印象を抱く。
加えて、ラインザードの所作からかなりの武人である点も見抜いた。
人柄が良く、武勇に優れていることは、そうでないよりもいい。だが、軍事とはいかに敵を一方的に叩き潰し、欺いて罠をはめるかの方が重要だ。武術にも心術にも優れるナターシャの指揮と、極悪非道なザゴンの指揮、どちらが戦場で役に立つかなど言うまでもない。
身内とはいえ、まったくの無能な者を重用しないのがアーク・ルーンだ。実際にネドイルの血縁で要職にあるのはかなり少なく、無能な王族や大貴族が幅を利かせていたワイズで育ったアーシェアからすれば、異常なほどの健全さと言える。
もっとも、だからといって、ラインザードに充分な軍才があると見るのは、早計だ。アーシェアとしては、上官の力量を見定め、単なる補佐役に徹するか、軍団の指揮に介入していくか、自分の役割を決める上で、こうした場を設けてもらったのは、実にありがたい。
大宰相の執務室で、大宰相の臨席の元、第十三軍団の新たな軍団長と副軍団長と副官と特務兵士二名は互いのカンタンな自己紹介の後、今後のことについての話を始める。
第十三軍団の任地、戦場は言うまでもなく、東部戦線の中でマヴァル帝国の攻略担当であり、シィルエールとミリアーナを除いた四人は、機密を含めた東部戦線の現状と侵攻計画についての情報を頭に叩き込んでこの場に臨んでいる。
「天災の影響で、マヴァルと本格的に戦端を開くのは再来年の春となるだろう。つまり、来年一杯で軍団の編成と準備を終えてもらいたい。とりあえず、現地にはもう一人の副軍団長であるムーヴィル卿と、何人かの師団長がすでに兵を集めて鍛練を始めている。実務は現地の彼らと協議にせねばならぬだろうが、せっかく、このような場を設けたのだ。あいさつのみで終わらず、互いに言いたいことがあれば言えばいい。無論、オレを含めて、だ」
そう水を差し向けても、ラインザードとフレオールとアーシェアは現地で実務を扱う段階ならともかく、この場では互いに言うべきことを中々に見出だせず、
「では、兄者、いえ、大宰相閣下。軍団長としての経験のない私が、マヴァルほどの国を攻めるのはどうでしょうか。スラックス殿かリムディーヌ殿にマヴァル攻めを担当してもらい、私はマグかコノートの攻略を行うのが順当ではないか?」
次男であるラインザードにとって兄となるのはネドイルだけなので、フレオールらのように他の兄と区別する必要がなく、彼だけは大兄と呼ばない。
それはともかく、ラインザードの言うとおり、アーク・ルーン軍の東方においての作戦行動は、マグ王国に第五軍団が、マヴァル帝国に第十三軍団が、コノート王国に第十二軍団が攻め込むという配置を予定している。
マヴァル帝国の国力、兵力は、コノート王国とマグ王国を大きく上回る。対して、三つの軍団はどれも十万を数えるが、新設の第十三軍団は第五、第十二軍団に比べて経験という点で大きく劣る。
マヴァルに対するのは高い実戦力が証明されている第五、第十二軍団が順当、第十三軍団は試運転がてらコノートやマグのような小国を相手とするべきというラインザードの意見は、一見、正しいように思われるが、
「ライ、いや、ラインザード将軍はこう言っているが、アーシェア殿はどう思われる?」
「あくまで私見ですが、作戦内容を拝見した限り、マヴァルは謀略によって大乱に陥り、再来年のマヴァルは大国であっても額面どおりの国力はないでしょう。仮に、マヴァルにまだ余力があり、それに我が軍団がふさがれたとしても、それはそれで良いと思われます。そうして我らがマヴァルの主力を引き受けている間に、第五、第十二軍団の作戦が成功すれば、主力を欠くマヴァルは南北から両軍団に攻められることになります」
ネドイルに話を振られ、アーシェアはいささかためらいつつも、上官の見解の甘さを指摘する。
「フレオール。アーシェア殿の意見に捕捉すべき点はあるか?」
「何点か。マグ攻略は実戦よりも謀略が要となり、これを成すにはシダンス殿の采配が必要だ。それとコノートにはジルトという曲者がおり、その国も乱れ難い政情にある。オレたちの当面の敵でここが最も厄介だろうから、リムディーヌ殿に受け持ってもらった方がいい。むしろ、乱れを突くのみのマヴァルが最も与し易いと思う」
アーク・ルーンに降って日の浅いアーシェアは、紙面や人づてでしか知識や情報がない。フレオールのようにリムディーヌやシダンスと接したことがなく、またジルトの采配を直に経験したことがないので、その点が彼女の見通しをいささか甘いものとした。
無論、それも帝都のみならず、最前線にもあいさつ回りをして、リムディーヌやシダンスと会いでもすれば解決する問題だ。
充分に面識があっても、そこまで思考が回らないラインザードと違って。
師団長としていくつもの軍功を挙げているラインザードなのだが、それも局地戦で奮闘した結果でしかない。
ただ、師団長の大半は戦場で巧妙果敢に戦える者ばかりで、戦争全体を見渡せる者がほとんどおらず、それゆえに彼らは師団長の地位にあり、軍団長の地位にないと言える。
アーシェアは一国の王女として、生まれた時から上に立つ者として全体を見る経験を小さい頃から積んだゆえに、ラインザードがそうしたことができないのは仕方ない、とはならない。
ヅガートやフィアナートなど、アーク・ルーンの将軍にはラインザードより社会的地位で劣り、下層出身の者は何人かいる。
イライセンやファリファースのような例もあるが、メドリオーにしても下級貴族の出身であるから、全体を見渡せるセンスは、先天的な資質によるところが大きいのだろう。これは、ティリエランやシィルエールなどの体たらくを見れば、資質のない者が上に立つほど悲惨なことはないというのが理解できる。
ラインザードは面目なさげに顔を伏せるが、これは資質のない者を将軍に据えたネドイルが悪い。
ただ、ちゃんと指摘をしたアーシェアを逆恨みせずに、恥じ入る態度を見せている。当人が大局的な判断ができずとも、アーシェアのような補佐役の意見を受け入れる度量があれば、第十三軍団が大きなポカをおかすことはないだろう。
そして、ラインザードは他者の意見を押しのけ、自分の考えに固執し、強引に押し通すタイプではないのが、フレオールを始め、誰もが今回の人事に強く反対しなかった理由である。
「ところで、大兄。二つほど相談したいのだが?」
「何だ、フレオール。この場で切り出すとは、第十三軍団についてか」
この辺りはネドイルも察しが良く、フレオールは一つうなずいてから、
「ああ。師団長のヴォーパル男爵について相談というか、頼みたいことがある」
「ヴォーパル? たしか、元ゼラント貴族であったな。若いが、見所のある武人と報告を受けているが、まさか年齢を理由に不適格とか言うまい」
「それを言い出したら、オレも辞任せんといかん」
フレオールの返答に、アーシェアも苦笑を浮かべる。
ヴォーパル男爵はまだ二十歳前と若いが、当然、フレオールの方が若いし、アーシェアとてまだ二十二である。さらに、第十三軍団にはロックという、ヴォーパル男爵より若い師団長がいるのだ。
無論、ネドイルが年齢のことを持ち出したのは単なるジョークなのだが、
「ヴォーパル男爵の父親はゼラント王に処刑されている。その恨みの矛先がミリィに向かぬよう協力してほしい」
当のフレオールの心境はシャレですむものではない。
ゼラント貴族であったヴォーパル男爵父子は、昨年の大寒波を乗り切るために、マードックらから、つまりアーク・ルーンからの食料や物質の供給を受けた。
そのおかげで、ヴォーパル男爵領の民は一人も凍死や餓死しなかったが、何人がゼラント王に処刑されている。
そして、アーク・ルーンに内通したと見なされて殺された中に、ゼラント王国最後のヴォーパル男爵がいた。
が、彼は自分の死を見越していたらしく、息子をマードックの元に逃がしており、その息子は才幹や人柄を認められ、アーク・ルーン貴族としてヴォーパル男爵位を授けられ、父親の領地を受け継ぐように取り計らってもらった上、第十三軍団の師団長にまで任命された。
当然、ヴォーパル男爵は大恩を受けたマードックらに深く感謝している。そのマードックらは、自分たちを高く評価しているネドイルに深く感謝している。
つまり、フレオールはネドイルに口添えしてもらい、マードックらの口からヴォーパル男爵をなだめてほしいと言っているのだ。
最も下の異母弟の頼みに、
「ふむ。フレオールよ、オマエはヴォーパル男爵と面識はあるのか?」
「いや、ないが……」
「ならば、先走りしすぎだ。ヴォーパル男爵に自制心がないと決めつけるべきではない。オマエが副官として接する戦友の一人なのだ。最初から偏見を以て接しては変にこじれることもあるぞ」
「…………」
ゾランガやイライセンという例を見て、自分が神経質になっていることに、これで気づく。
「それに相談相手を間違えている。これはラインザードやアーシェア殿、ムーヴィル卿やメリクルス卿と話し合い、第十三軍団の内々ですませる話だ。それでどうにもならなくなってから、オレに持って来る話だ」
ムーヴィルは第十三軍団の副軍団長として、メリクルスは師団長として任命されている。他にも、第十三軍団には様々な者がいるのだ。
第十三軍団で起きた問題は、まず彼らと話し合って解決を計るべきなのだ。それをせずにいきなりネドイルに頼っていては、フレオールは言外に戦友が頼みにならないと述べているようなものである。
これから第十三軍団で大小いくつもの問題が起きるのは明白だ。その度に外部に頼っていては、いつまで経っても一軍としてまとまることができない。
「たしかに大兄の言うとおりだ。前言を撤回させてくれ」
まだ十七の未熟な副官は長兄に頭を垂れ、その正しさと自らの不明を認めた。




