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過去編2-7

 まだ二十代のトンベクレ大公と、夫とそう変わらぬ年の大公妃、さらにまだ幼い公太子と公女の処刑は、サムの手で執行されることとなったが、これはアーク・ルーンに命じられてのことではなく、自ら望んでのものであった。


 故郷を、何より妻と息子を失ってからのサムは、常に暗い表情と瞳をしているが、このような表面的な変化など、まだ大したものではない。


 先のトンベクレ軍を大破したやり用も、地形を利用した戦い方はこれまでと同じだが、勝つためにここまで凄惨な方法を行うなど、以前のサムからは考えられぬものだ。しかも、倒した、否、この世の地獄に叩き

込んだ相手は、同じトンベクレの者なのだ。


 さらにそうして一万五千もの同胞を殺しただけではなく、弱り果てて降った一万五千人を治療もせずに強制的に前に立たせて行軍させた。


 吐血しても休むことは許さず、倒れて歩けなくなったトンベクレ兵を見せしめに殺す苛烈さに、トーマスや何人もの民兵がさすがに注意や苦言を口にし、シュライナーも降兵は他に使い途があると遠回しに再考を促したが、サムは聞く耳を持たなかった。


 正確には、何を言われても無反応であったのだ。


 サムのことはすでにネドイルの元まで報告がいっている。シュライナーを破ったほどの将才の持ち主に、サムを捕らえたという報告を受けたネドイルは、すぐにサムに会いに行こうとしたが、さすがに大宰相が最前線に赴くのは周りが止めた。


 それで一時保留としたが、代わりにサムについての詳細な報告を行うように命じたので、トンベクレ公国南東部における悲劇を伝え聞いたネドイルは、


「それは不憫な。おそらく、サムとやらは今、己の感情と狂気を持て余しているのだろう。しばし好きなように振る舞わせてやるがいい。人間、やり場のない想いを抱えた時、それとの折り合いがつくまで、サンドバッグを与えてやるしかないだからな」


 こうして大宰相のお墨付きもありというより、それを理由にその心情を思いやって今のサムに強く言えないシュライナーとトーマスが半ば黙認した結果が、四万のトンベクレ兵への凄惨な罠であり、苛酷な処置となっていったが、当の本人にはまだ内に渦巻く憎悪と狂気をぶつけるサンドバッグを必要とした。


 トンベクレ公宮の中庭の一角を柵で囲い、そこに大公一家四人を入れ、さらに飢えた野犬数頭も入れて、凄惨を極める処刑が始まった。


 柵の周りで処刑の様を眺めるのはサムはもちろん、立場上、立ち合わなければいけないシュライナーとその部下、一部のアーク・ルーン兵、トーマスと一部の民兵、そして軍監を筆頭とした裏切り者たちである。


 生きたまま野犬に食い殺される残忍な処刑法に、平然というより、ありふれた風景を見るように眺めるのはサムだけで、アーク・ルーンの者も民兵らのみならず、軍監ら裏切り者一堂でさえも顔を背ける。


 シュライナーとトーマスはその一部始終から目を背けなかったが、不快な表情となるのは避けようもなかった。


 特に、大公が息子に、大公妃は娘に覆い被さり、野犬らに背中を食い破られ、激痛に悲鳴を上げて泣きわめこうが、子供たちを守ろうとする姿勢を死ぬまで保ち続けたゆえ、シュライナーやトーマスの胸中には不快感と共にやるせなさがこみ上げる。


 公太子も公女もまだ幼かったゆえ、自分の上で息絶えた両親を押しのけられたのは、野犬らが満腹になっ

た頃合いで、背中から食い散らかされた父と母の下から二人が這い出た時、野犬は柵の外へと歩き去っていた。


 公太子も公女も無残な両親の骸の側でかなりの間、泣き続け、そのまま泣き疲れて寝てしまったが、目を覚ました二人を待っていたのは、悪夢よりタチの悪い現実だった。


 公太子や公女が起きるまで待っておられず、サム以外の者は柵の前から立ち去って行ったが、柵の中から立ち去ることはもちろん、柵の中にパン一切れ、水一滴も入れることもサムは許可しなかった。


 公太子と公女はたちまちは渇きと飢えに苦しみ、泣いて助けを求め続けたが、サムは冷然と幼児たちを見据えるだけで何の反応も示さなかったゆえ、やがて二人の幼児は泣くこともできないほど身も命も痩せ細っていき、そして動かなくなった。


 食い殺された大公と大公妃、両親に守られた命を、飲まず食わずで苦しんで失っていった公太子と公女の最期を、飲まず食わずで一睡もせずに未だ眺めているサムに、


「……腹が空いただろう。そなたには一軍を率いてもらいたいオレとしては、その才を失って欲しくはないのだが」


 ついに声をかけるのもためらい、少し離れた所で佇むだけのシュライナーやトーマスに代わりに、ネドイルが歩み寄ってスープを差し出す。


 この頃のネドイル政権はそれほど人材が充実していない。実際にこの後に滅ぶミベルティン帝国の領域の混乱を収め、統治できるだけの人材は、当時はネドイルぐらいしかいなかった。


 ただ、さすがにトンベクレくらいの小国を治められる程度の人材は何人もおり、もしサムがいなければ大宰相がわざわざ出張ることはなかっただろう。


 だが、故郷を、何よりも妻と子、失ってはならぬもの失い、その悲しみをトンベクレ兵を倒し、大公一家を殺すことでごまかしてきたが、これ以上、自らをごまかす術を知らぬサムは、アーク・ルーンの実質的な最高権力者の言葉や差し出すスープにも、何の反応も示さない。


 無反応なそのサムの様子をしばし眺めてから、


「……南東部の被害状況は聞き知っている。瘴気による汚染はそうカンタンに戻るものではない。自然の回復に任せていれば、我らが死んだ後も何十年、度合いによっては百年以上は癒えぬだろう。だが、魔道によって起きた痛手は、魔道によって治していくことも可能なのだ。すぐには無理だが、魔道による回復手段をこうじれば、あの地は数十年で元に戻る見込みが出てくる」


「……元に戻る……」


 ネドイルの言葉に、ようやくサムの意識と濁った瞳が動く。


「カンタンな調査結果だから、我らが生きている間に戻るとは言えん。また、莫大な予算がかかることなので、そなたに将軍として働いてもらうことを条件とさせてもらう。無論、そなたの功績によっては、予算を増額もさせ、少しでも早く故郷が元に戻るようにも努めよう」


「……元に戻るんだ……ああ、ああ……」


 そして、ネドイルの言葉に、否、示した無意味な希望に、サムの意識が、否、狂気が反応して、その頬を大粒の涙がつたう。


 少し考えればわかることだ。何をどうしても死んだ人間は返ってこない。サムの故郷が復興を成し遂げたところで、それは形ばかりのことでしかなく、本当に大事なものは戻ってこないのは明白だ。


 だが、形だけが元に戻る現実にしかすがるものがないサムの狂気は、思考を止めて手を動かし、ネドイルの手にする冷めたスープを飲みほしただけではない。


 腰に下げていた斧で柵の一部を打ち壊し、処刑場の中に踏みいって行くと、サムは四つの亡骸の側にしゃがみ込み、


「……これを売れば、予算が増えるだかか?」


 はぎ取った衣服を持ったその言葉には、否定しようがないほどの狂気がにじんでいた。


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