帝都編23
「まったく、オマエが余計なことをしてくれたおかげで、オレたち大臣が何人も振り回された挙げ句、金貨二万枚もの支出だ。女に甘いのもいいが、ちゃんと国益というものは考えてくれよ、はあっ」
盛大にため息をつきながら、魔法帝国アーク・ルーンの財務大臣ヴァンフォールは、呼び出した四つ下の異母弟フレオールに対して、説教をしつつぐちをこぼす。
サリッサが保護したルヴィエラに端を発した、アーク・ルーンの暗部に関する問題は、何人かを巻き込みはしたものの、それに気づいて動いたトイラックによって収束し、水面下ではすでに決着しており、後はその結果を公式に処理する段階に移っている。
もう「答え」が出たので、何を言っても無駄なのは今回の件のみ。ベフナムが絡まねば、ルヴィエラは薬に蝕まれた余命を空費して、何事も起こらずにすんだというのに、フレオールが何とかしようとした動いた結果、アーク・ルーンの国庫から金貨二万枚が減ることとなった。
サムを納得させ、ベフナムのメンツを保てる代価であるなら、金貨二万枚くらい安いものではある。が、空前の大帝国とはいえ、金貨二万枚の支出は小さくなく、フレオールがルヴィエラを司法大臣の元に連れていかねば、払わずにすんだ経費なのだ。
フレオールの行動は、ルヴィエラにとっては最善のものではあるが、アーク・ルーンにとってはそうではないので、ヴァンフォールは異母弟に説教をしているのである。
四つの上の異母兄には元王女たちの件で無理を言っているので、その呼び出しを断れるものではなく、フレオールは二人の元王女、シィルエールとミリアーナの同席について断りを入れ、ヴァンフォールと向き合って素直に詫びを入れるということはなかった。
「ヴァン兄の言いたいことはわかる。たしかに国益とか言われたら反論のしようがない。ただ、こんな結果と支出になるとは想像できなかったんだよ。ベフナム閣下に頼っても、無駄に終わるか、多少の妥協を引き出せるだけと思っていたんだ」
「オレもそうするつもりだったよ。トイラックがこんな風に動くなんて想像できなかったのも、同じだ。トイラックの大才を見せつけられる度に、我が身の凡才を嘆かずにいられないが、才に乏しい身であろうが、大臣の要職にある以上、凡才なりにネドイルの大兄の役に立たねばならん」
意気込みは立派だが、そのとばっちりで説教を食らっている異母弟からすれば、ありがたくない意気込みというもの。
別段、ヴァンフォールの、ベフナムに気を遣わず、サムに金を使わない対応は最善ではなくとも、充分にベターなものである。
財務大臣の要職を問題なく務めているヴァンフォールが凡才などとんでもなく、単にトイラックがソツの無さが異常なだけだ。
ただ、ネドイルはアバウトなところがあるので、その下にトイラックのような細部にこだわる人物がいた方がいいのは今回の一件で証明されたが、ヴァンフォールでは才と気配りの点で、どうしてもトイラックに及ばない。
「だが、今回の一件はケガの功名というか、いかに自分が、いや、自分たちが未熟かを認識する良い機会にもなった。トイラックが帝都にいなくても何とかなっていたが、こういう不測の事態にはトイラックほどの才幹があった方がいいのが良くわかった」
トイラックがおらねば回らぬほど、アーク・ルーンの人材は乏しくない。実際にトイラックが東方に赴任して不在の間、帝都および帝国の日常業務が滞ることはなかった。
だが、それは日常業務を無難にこなすだけで、不測の事態に際しても無難にこなすだけでしかないのが露呈した。
アーク・ルーンほどの大帝国の大臣職をこなし、優れた官僚たちを幾人も使いこなす才幹は並大抵のものではない。だからこそ、そうした大臣たちをまとめ上げるネドイルやトイラックの才幹が異常であるのだ。
また、一部署と全体とを司るのでは、必要とする才幹の量だけではなく質も異なる。
例えば、ヴァンフォールは経済や財政に関しての才は、ネドイルやトイラックを上回る。一方で、行政全般、軍事、謀才といったいくつもの分野では劣り、オールマイティーな点でネドイルやトイラックに勝る者がそもそもいない。
一分野においては劣るが、総合力で勝るからこそ、ネドイルは大宰相の地位にあり、トイラックが次期大宰相と目されるのだ。
もちろん、オールマイティーさでネドイルやトイラックに比肩するイライセンのような例外もいるが、軍務大臣の場合、一地方のみを見て全体を見ないという欠点がある。
上に立つネドイルはネドイルとして、組織としては大臣の中に大臣たちのまとめ役となる大臣がいた方がいいのだが、それができるイライセンはやろうとせず、帝都にいないトイラックにはそれができない。
ベフナムやヴァンフォールでは、やろうとしてもやれるだけの力量がない。
だから、財務大臣は盛大にため息をつくしかなかった。
「だが、地方をまとめるのにも、トイラックほどの才幹が必要なのも事実だ。できれば、トイラックがあと四、五人いてもらいもんだ」
トイラックの代わりが務められないヴァンフォールの言葉は、急激な拡大によるアーク・ルーンの空洞化を示すものだ。
一挙に十七ヵ国を得た東の新領土の統治体制が速やかに整い、しかも大いに安定しているのは、トイラックがまとめ役や調整役を務めた点が大きい。北、南、西の新領土は未だ軍の占領地政策下にあるが、普通は統治体制が整うまでに何年かかかるものなのだ。だから、東部に匹敵する広大な北の新領土を治めるのに、サムが強引な支配体制を用いているのも黙認されているのである。
もし、北の新領土にサムを抑えられるだけの文官が派遣できていたなら、ルヴィエラたちの不幸も起こることはいなかっただろう。
「無論、無いものねだりしても仕方ない。オレたちは現在の手札で、現体制の維持しなくてはならない。それができなくなれば、オレたちが滅びて終わるだけですまなくなるからな」
「わかっているよ。オレとて、民衆が争乱に巻き込まれるのを望んでいるわけじゃない」
ヴァンフォールはそうではないが、フレオールはアーク・ルーンの拡大政策を、侵略戦争を肯定しているわけではない。
侵略戦争に否定的な者は高官にもおり、その筆頭はベフナムやリムディーヌだが、聡明な者ほどネドイルを支えねばならぬことが理解でき、それゆえに逆らえないのだ。
魔法帝国アーク・ルーンの、ネドイルの支配体制が瓦解すれば、未曾有の大混乱が生じる。アーク・ルーンの領土が広大なだけに、混乱による戦火はどこまで燃え広がり、飛び火するかわからない。
リムディーヌの故郷は、アーク・ルーンの領土の一部だ。ネドイルが倒れれば、その混乱に否応なしに巻き込まれる。
ベフナムも争乱が生じれば、多くの民が苦しむことになるのがわかるからこそ、ネドイルに与しているのだ。
ティリエランやナターシャなど、奪われた者たちは奪った者が倒れれば、奪われた物を取り戻せると考えているようだが、元凶であるネドイルが倒れ、それを受け継げるトイラックのような者がいなければ、後にくるのは群雄割拠の時代だ。しかも、世界規模の。
ティリエランやナターシャが元王女であろうが、祖国を実力で奪い返し、それを維持する実力がなければ、再び敗者となるだけのことでしかない。
「そうだ。我が帝国に能力の無い者や納税書の無い者は不要。我らが守るべき者を履き違えるな」
能力も納税書もないルヴィエラのようなやからよりも気にせねばならぬ者がいくらでもいる。異母兄が暗に言いたいことは、フレオールとてわからぬわけではない。
ティリエランやルヴィエラからすれば言いたいことはあるだろうが、アーク・ルーンの統治と法が世の中を実際に安定させているのだ。敗者のたわ言などを気にしていては、その安定を乱すことになるだけ。体制側である自分たちは、その維持と発展のために働く者たち、何よりも税金を納める者たちのことを考えねばならない。
体制側の論理としては、ヴァンフォールの方が正しい。フレオールは敗者を踏みにじった者の一人であるのは間違いないのだ。それなのに、踏みにじった者を憐れみ、同情するのは偽善でしかないのも、当人とてわかってはいるのだ。
だが、頭でわかっていても、自分の両隣に座る相手をいざという時、突き放せない自分も理解しているフレオールは、四つ上の異母兄の言葉に首肯することはできなかった。
迷いの色を見せるだけで、首を縦にも横にも振らない異母弟の反応を見て、ヴァンフォールは何度目かの盛大なため息をついてから、フレオールに「わかった、もういい」と告げ、不毛な会話を打ち切った。
何やらイヤな予感を覚えつつ。




