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過去編2-5

 アーク・ルーン軍に降り、シュライナーの協力要請に応じたサムは、縄を打たれることになった。


 否、サムだけではなく、数百人の民兵が縄に縛られて自由を奪われているが、降伏した義勇軍が皆、そうなったわけではない。


 サムを降した後、シュライナーはトンベクレ公国の公都ではなく、南東部に兵を進めた。


 軍略的には間違っている。多くの兵を失ったとはいえ、トンベクレ軍は無力化したわけではない。時を置けば置くほど、トンベクレ公国の軍備は回復していき、公都の守りは強化される。


 その程度のことはシュライナーも承知しており、サムという障害を取り除いた今、全戦力で速やかに公都

を突くのが正しいことも理解してなお、南東部に兵を進めたのは、それほどにかの地が想像を絶する惨状にあったからだ。


 魔法帝国アーク・ルーンの将軍とはいえ、亡命者であり魔術師ではないシュライナーには、禁術の危険性や威力というものがわからない。従軍している魔術師たちが口を揃えてその恐ろしさを訴えたのだが、やはりぴんっとこない。


 だから、当初はトンベクレの公都に八万の兵を差し向け、自身は残余の兵を率いてサムと共に南東部に向かった。無論、これは禁術を重く見たからではなく、自分を負かしたサムの手腕を見るためである。


 数万も兵をあずければ、トンベクレの公都攻略は部下に任せて大丈夫ということもあり、サムたちの先導で行軍していたシュライナーの顔色が変わるのに、さしたる時は必要としなかった。


 顔色が変わったのは同行するアーク・ルーン軍の面々のみならず、サムたち義勇軍の面々も愕然となったが、所々、土や水が闇色に染まる光景を目にすれば当然であろう。


 が、いつまでも驚いていられず、シュライナーは従軍している魔術師に詳しい説明を求めた。


「おそらく、地獄炉を作ろうとしたのでしょう。小さな村ほどの規模ですが、擬似的な魔界を形成して、そこから暗黒エネルギーを汲み出すシステムです。成功すれば、膨大な暗黒エネルギーを擬似魔界を維持していればいくらでも得られ、悪魔の軍団の召喚したり、大量の武器や兵器、キメラにも闇の力を与えて強化もできますが、あくまで形成と維持ができればです。シャムシール侯爵一門でさえ、形成に一度のみ成功しただけで、維持までには至っていません。それを門外漢が行えば、失敗は、いえ、この惨状は当たり前の結果である」


 シャムシール侯爵一門は、アーク・ルーンで最も悪魔学と悪魔召喚に長けた一族である。


 ネドイルとブラジオン侯爵の内戦において、シャムシール侯爵は中立を保ち、ネドイルがアーク・ルーンの実権を握った後は、新たな最高権力者に従っているので、シャムシール侯爵一門で他国に亡命した魔術師はほとんどいない。


 トンベクレ公国に亡命した魔術師たちは、門外漢にも関わらず、地獄炉の力のみに注目したのだろう。ネドイル政権下の、アーク・ルーン軍の精強さを思えば、地獄炉の一つも作らねば対抗できるものではないが、


「形成や維持の段階で暴走の兆候が感じられれば、即座に中止するのが地獄炉製作のセオリーです。それさえ守れば、失敗の影響は小さくすみますが、セオリーを守らずに暴走を許せば、いくつもの都市を滅ぼすほどの暗黒エネルギーが噴き出すでしょう」


 これでシュライナーは完全に認識を改め、自らが進軍を停止するのみならず、公都に向かう部下の進軍も停止させただけではない。


 トンベクレ軍への牽制に一万五千を残して、六万五千の兵を南東部に転進させて合流し、生き地獄の処理を優先することにしたが、その際にサムを含む一部の民兵の協力を得られなかった。


 魔術師たちの愚挙に故郷を無茶苦茶にされ、魔法帝国アーク・ルーンを憎むようになったわけではない。目の前の光景に我を忘れ、故郷と家族の元に向かおうとしたからだ。


 故郷や家族を心配する気持ちはトーマスたちも同じだが、この状況で帰郷するのは自殺行為である点を辛うじて理解はしている。あるいは、サムたちが先に軽挙に走ったがゆえ、踏み留まれたのかも知れない。


 トーマスたちからすれば、サムたちを止めるのは当然であり、アーク・ルーン兵がそれに手を貸すのも当然であった。


 同胞と侵略者に取り押さえられたサムたちは、それでも故郷や家族の元に行こうとするのを止めなかったので、ついには縄を打たねばならなくなったのだ。


 そうしてサムたちを拘束したまま、六万五千の味方と合流したシュライナーだが、トーマスたちを案内役にすぐに南東部に踏み込むことはなかった。


 従軍している魔術師たちの進言で、地獄炉の暴走によって発生した瘴気が、拡散して薄れないと自分たちも瘴気にやられるからだ。


 また、南東部が瘴気に毒された以上、現地の食べ物はもちろん、水も口にするのも危険であり、飲み水も運ばねばならないので、その準備も終えてから、シュライナーは進軍を命じたが、その枕詞に慎重をつけているのは言うまでもない。


 バディン王国の王都ベッペルでの攻防を例に見ればわかるが、瘴気が厄介なのは生物の命を奪うだけですまない点だ。


 土や水、空気は瘴気に汚染されるだけですむが、瘴気を浴びた人間や動物は死ぬだけではなく、ゾンビとなって生者に襲いかかる。


 ただ、知能や統率のないゾンビは、警戒して不意を打たれなければ、さほど怖い相手ではない。また、トンベクレ公国の南東部、一地方が丸ごと瘴気に呑まれていたなら、一個軍団で対応できる規模でもなかったが、亡命していた魔術師たちの失敗のツケは南東部のごく一部を壊滅させたにすぎない。


 後に判明したことだが、地獄炉の暴走によって発生した瘴気は三つの町と十の村に及んでおり、シュライナーは改めて禁術の危険性を思い知らされたが、同時にこの規模なら十万に満たぬ兵でも対処が可能であった。


 無論、そうした範囲や被害がわかるのは後のことであり、事態の当初は手探り状態で事に当たらねばならず、しかもサムたち一部の者の手を縛らねばならなかったが。


 時を置き、瘴気が薄れてからの進軍だが、それは被害が拡大する時を放置した一面もある。


 瘴気が届かなかった町や村も、瘴気に呑まれて死にゾンビとなった人や動物が押し寄せる時が生じたからだ。


 それでも大量発生したが統率のないゾンビは、整然としたアーク・ルーン兵の敵ではなかった。特に、シュライナーは瘴気に呑まれた町や村、そして森林に火を放って焼き尽くすように命じたので、アーク・ルーン軍の損害も少なくすみ、事態も急速に収束して言った。


 正面から向かって来るゾンビは、さして怖くない。飛び道具や槍ぶすまでその手が届く前に一方的に損壊するなど、対処は難しいものではない。だが、町や村、森や林などを探索中に不意を打たれれば、アーク・ルーン兵でも不覚を取りかねないので、そうした場所をシュライナーは焼き払ったのだ。


 焼き払うことで探索などに時間を費やさずにすみ、かつ瘴気を浴びて毒素を吐くほどに変質した一部の植物の処理もできるので、合理的ではあるが、黒く染まった故郷が跡形もなくなる光景は、民兵たちの一部を号泣させた。


 が、民兵の多くの瘴気が届かずにすんだ故郷が、瘴気によって発生したゾンビの群れが押し寄せている現状を思えば、慎重と安全に配慮しつつも、合理的で迅速な行動を取らねば、ゾンビがゾンビを生むネズミ算式の事態を招き、故郷を失って号泣する民兵を増やしかねなかった。


 後にトーマスはシュライナーの指示と行動に対しては、あの時はあれ以上の対応ができるものではなかったと自身を納得させたが、それも後の話でしかない。


 何もない小さな村ではあったが、焼き払われて何もなくなった故郷を前に、トーマスは号泣するサムの傍らで呆然と立ち尽くすより他なかった。


 生まれ育った家、精根こめて耕した畑、そして愛する妻と息子が黒く染まり、炎の中で消えていき、焦げ跡さえ判然としない瘴気に蝕まれた大地しか残らない光景は、サムを号泣させるに留まらなかった。


 泣き叫ぶサムや呆然となるトーマス、さらに同郷の者なのであろう、嗚咽をもらす数人の民兵たちを、シュライナーやアーク・ルーン兵が痛ましげに見守っていると、


「……シュライナー閣下! トンベクレ軍が公都より出撃し、我が軍の背後を襲おうとしております!」


「ほう、そうか」


 伝令のもたらした急報は、別段、慌てふためくべきものではなかった。


 南東部の惨状に対する処理は終わっており、兵を集結して反転させれば、トンベクレ軍など対処に困ることはない。むしろ、公都から出てくれてありがたいくらいだ。


 惨状の後片付けに一万ほどをサムたちに協力させ、残る軍勢でトンベクレ軍を迎え討たんとシュライナーが考えた矢先、


「……シュライナー将軍……オラに先鋒を任せてくれぬか。オラはこんなことを命じた連中を許せないべ」


 不意にサムが立ち上がり、祖国を滅ぼす協力を申し出る。


 幽鬼のような表情を涙で濡らし、双眸に爛々と狂気の光を宿して。


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