帝都編22
「なるほど。ヴァンフォール様は反対であり、ベダイル様はそれに倣われますか」
二人の方針を聞いたトイラックは、表面では苦笑を浮かべているが、その内心はやや引きつり気味であった。
皇宮にある一室にて、トイラック、ヴァンフォール、ベダイルが人払いをしてまで話し合うは、ルヴィエラの件である。
正確には、ルヴィエラの件での協力を求めに来たフレオールを、ヴァンフォールがあっさりと拒否したという話を耳にしたトイラックが、財務大臣にそのことで話があると伝えたのだ。
ちょうどは同じ件でベダイルからも相談したいと言われていたので、ヴァンフォールはこうして時間を作って場を設けた。
「この度は妹が厄介事を持ち込んでしまい、申し訳ありません」
まずは恐縮してトイラックが頭を下げ、三者の話し合いは始まった。
トイラックが謝罪したとおり、事の発端はサリッサにある点にある。彼女がルヴィエラに構わなければ、かわいそうな女が一人、野垂れ死にするだけで終わり、今回のような大事にならなかっただろう。
無論、サリッサとは知らぬ仲ではないので、その性格も知っていれば、政治的な判断ができない点も知っている。何より、大事になった要因はフュリーとフレオールが関わった点にあるのだから、彼女ばかりを非難できるものではない。
それに非難してもベフナムが関わり、乗り出した事態が変わるわけではないのだ。
先に表明したとおり、ヴァンフォールはサムの非を鳴らすつもりはなく、ベダイルもそれに倣うつもりでいる。
ルヴィエラの境遇を不憫に思わぬではないし、同じ閣僚たるベフナムと対立したいわけではないが、
「サム将軍のやり様はたしかによろしくなく、いくらかの罪はあると思う。だが、それも功績の巨大さを思えば、何らかの処分が必要なほどではない。いや、財務を任されている者として、サム将軍を処罰することで、国の経済が混乱させたくないというのが、正直なところだ」
「やはり、貨幣不足は深刻ですか」
「ああ。北から送られて来る金銀銅が止まる可能性があるなら、多少は目をつむるのもやむ無しといった心境だよ」
アーク・ルーンは民が豊かに暮らせる国であるが、豊かなならば豊かで民の生活に問題が生じ、その一つが貨幣不足だ。
皇族貴族にかかる費用を抑え、税を安くして民の手元になるべく金が残るようにし、その購買力を高めて経済の活性化を計る。ネドイルのこの方針は間違っておらず、魔法帝国アーク・ルーンは大宰相の就任から今日まで好景気が続いているが、ヴァンフォールから見ると細部に甘い点がある。
皇族貴族の買い物は高額であることが多いため、主に買い掛けや為替で決済され、日常的なものでも金貨や銀貨が使われていた。
が、庶民の買い物に買い掛けや為替が使われることはなく、常に大量の貨幣、銅貨や銀貨を流通させねばならなくなる。
皮肉にも、民の生活が豊かになるほど、必要となる銅貨や銀貨の総量は増えていき、アーク・ルーンの慢性的な貨幣不足は今も解消されていない。
この貨幣不足が深刻な社会問題ならなかったのは、庶民からすれば嬉しい悲鳴であり、景気が良いこともあって、困るが金が本当にないよりマシという風に群集の思考と心理が働いたからにすぎない。
だが、貨幣不足による陳情は後をたたず、しかも第二次侵攻で領土が増えているのだ。
新領土でもアーク・ルーンの税制度が導入されていけば、そこでも貨幣不足が起きることが目に見えている。
北の地は鉱物資源が豊富で、アーク・ルーン軍が捕虜を鉱山で強制労働させ、大量の金銀銅を採掘している現在、貨幣不足は何とか小康状態を保っている。財務大臣としては、北の新領土で無用な騒ぎが生じて、貨幣の原材料の流入が止まって欲しくないのだ。
「これに関しては、私の不手際もあるので、何とも申し開きのしようがありません」
「いや、自然が相手だから、予定が狂ったとしても、仕方がないと考えるしかないだろう」
東の地、特に旧七竜連合の領土には良質の鉱山が多いのだが、今年の鉱物資源の採掘量は例年よりずっと少ない。
採掘量が少ない理由は言うまでもなく、大寒波の影響だ。平野部より山間部の方が雪が溶けるのが遅く、夏になってようやく鉱山に入れたという所もあったほどだ。
その大寒波も去り、来年からは採掘量が回復するということもないのだ。いや、採掘量のみならず、あらゆる生産力がワイズ領を除く旧七竜連合の地で激減している。
大寒波によって、旧ワイズ王国以外の地で、数十万の死者が出ている。タスタルに至っては百万に届くほどだ。これだけ人口が減少すれば、生産量に影響が出ない方がおかしい。
これは旧七竜連合のみならず、その北のカシャーンなどの国々も同様で、東の地で得た新領土の約三分の二が、大寒波で酷く傷んでいる。
旧七竜連合には手つかずの鉱脈がかなりある。昨年にタスタル兵の捕虜で鉱山開発しようとしたが、結果は大寒波で約二万五千人もが山中で凍死ないし餓死するというものであった。アーク・ルーンというより、トイラックの当初の計画、鉱山開発で東の新領土を潤し、貨幣不足も解消する予定は完全に頓挫したため、今は北の新領土からの流入する鉱物のみが頼みの綱である。
ともあれ、東の新領土から予定していた採掘量が得られるまで、北の新領土の採掘量を予定より大幅に増やさねばならず、捕虜や罪人に対する過酷な強制労働は不可欠なものであり、ノルマ以上のことをやっているサムの非を鳴らすわけにはいかない。
想像を絶する強制労働を強いていても、だ。
だから、ヴァンフォールの仕方がないから黙認というスタンス、間違いを見逃す間違いは決して間違っていない。他の大臣も、アーク・ルーン全体のことを考え、ヴァンフォールと同じに結論に至るだろう。
ベフナムも北の新領土やアーク・ルーン全体の安定を損ねてまで、サムをどうこうするつもりはない。ただ、功の前に何事もなく処理される罪だとしても、知り得た罪を放置できぬだけなのだ。
「ともあれ、サム将軍を罪に問うべきと考える理由、それを教えてもらえないか?」
自分の方針を聞いて話があると言ってきた以上、トイラックが再考を求めに来たという以外の解釈が成り立つものではない。
ルヴィエラに同情してネドイルに不利益になるマネをするトイラックではない。ならば、自分の判断に甘い点があると言われたも同然なヴァンフォールは、しかし反発する風もなく神妙な顔で、その言葉と指摘に耳を傾ける。
遠からず東の地に戻り、役職的に今度は帝都にこれまでのように戻れぬトイラックとしては、指摘せずにヴァンフォールに気づいてほしかったが、気づかなかった以上は指摘しておかねばならないというもの。
放置してもネドイルが裁定時に修正するだろうが、その場合、ヘタをすればベフナムとヴァンフォールとの対立を招きかねない。
そうした可能性を排除するには、事前に大臣間の根回しをしておかねばならないが、ネドイルがそれをやっては自分の意見をゴリ押ししているととられかれない。
イライセンは気づいてもいても、東部の不安定と無関係ならそのような調整役はやらないし、他の大臣が気づかない以上、今は大臣ではないトイラックが動くより他なかった。
「事が表面化していなければ、サム将軍が罪人の一部を私的に流用している点くらい、役得として黙認しても問題はありませんが、ベフナム閣下によって事が公になった以上、サム将軍を処罰しておかねばなりません。建前上、ベフナム閣下の方が正しいですし、何よりも司法大臣としてのメンツを潰すわけにはいきませんから」
罪状が明らかであるのに、ベフナムの訴えを不当に却下すれば司法大臣を軽んじると取られかれないし、また情勢によってを法をねじ曲げるのもやむ無しという前例を作ることになる。
サムが違法行為を犯している以上、ベフナムの訴えを是としつつ、その処罰を現状に悪影響が出ない程度に留めるのが政治というものだ。
「言いたいことはわかる。だが、それでサム将軍が不満を抱いた場合を考えれば……」
「そのような場合は考える必要はありません。サム将軍が感情的になることはありませんから。むしろ、気にすべきはベフナム閣下に感情的なしこりが残る方でしょう。ベフナム閣下は出来た方ですから、現状を踏まえれば訴えを却下される理不尽を理解はするでしょうが、心から納得はされないはずです」
職務上のつき合いだけとはいえ、ベフナムの人柄をそれなりに知るヴァンフォールには、なるほどとうなずける指摘だ。
相応に年を取り、大臣として一国の政治の裏側を見てきているから、世の濁りを飲み下す必要性はわかっているが、わかっているだけで納得などしないからこそ、ベフナムは司法大臣としてアーク・ルーンを支えて、改革してこれたのだ。
法は人を苦しめるためにあるのではない。その信条ひとつで祖国の理不尽と闘い続けた人物なのである。今は年を取って落ち着いたように見えても、若い頃に抱いた信条は変わることなく内にあるだろうから、そのようなベフナムの心情に配慮すれば、ルヴィエラのような罪人とて正しく裁くべきなのだが、
「ベフナム卿に気を遣うというべきなのはわかった。だが、それでサム将軍に気を遣わなくてもいいという話にはならないと思うが?」
「いえ、サム将軍には金を使えばいいだけです。そうですね、金貨の二万枚も恩賞として与えれば、手打ちとしては充分でしょう。そちらはイライセン閣下に打診しておきますが」
トイラックの返答と構想はどこまでも明瞭であった。
ルヴィエラたちの罪をきちんと裁くということは、サムの副業を邪魔するということだが、それも「金貨二万枚でカンベンしてね」ですむ。
いくら金を積もうがベフナムは自分をごまかせる人間ではない。一方、サムはいくら気遣おうが、実利がなければ納得しない。
サムの功績を思えば、恩賞を出す名目などいくらでもこさえられる。イライセンを抱き込み、軍務大臣からの要請に財務大臣であるヴァンフォールが応じれば、金貨二万枚の手打ち金はあっさりと支払われる。
「金貨二万枚はサム将軍が右から左という感じすぐになくなるでしょう。その後に、今回の処罰として全財産の没収という風にすれば、他の者にとっては良い見せしめになるでしょう。その点の提案は、ネドイル閣下とベフナム閣下に内々にしておきますよ」
権限はないが、大宰相、司法大臣、軍務大臣、財務大臣を組ませたサムへの対応も、トイラックの能力と人脈ならば実現は難しくない。
処罰の内容も、サムにとっては痛くもかゆくもないが、他の者にとっては築き上げた物を全て失ったと見える巧妙さだ。
「それでトイ兄、オレらはフレオールのクソが言ったとおりに協力すればいいのか?」
「いえ、絶対に協力しないでください。恩賞の通達と共に密使を走らせて脚本を渡せば、ベフナム閣下の訴えをサム将軍は自らの罪をお認めになるはずですから」
ベフナムの訴えにサムが進んで罪を認めれば、それは自首となって温情や情状酌量の材料となるだけではない。
司法大臣に対してサムが頭を垂れたことになり、ベフナムの面目は大いに立つ。
メンツにこだわらないサムは、なんぼかになるなら頭くらいいくらでも下げるだろうから、この筋書きに異をはさむことはないだろう。
こうして整えられた舞台に、確たる物証というものは野暮なだけなので、ヴァンフォールやベダイルに余計なマネをしないように釘を刺しておく必要がある。
「後はルヴィエラなる女性たちの裁きをベフナム閣下にお任せすれば、今回の一件は落着となるでしょう」
ルヴィエラたちに対してサムが行った凄惨なボロ儲けを思えば、ベフナムとしても彼女たちを罪人として改めて裁くのは後味が悪いだろう。
だが、法で全てを解決できぬ苦さを味わうことは、ベフナムにとっては悪いことでないのは、ヴァンフォールにも理解でき、だからこそ決したと言えよう。
今回の騒動の顛末が、この小部屋の中で。




