帝都編21
フレオールのすぐ上の異母兄であるベダイルは、険のある顔立ちをしていて愛想も少ないので、いつも不機嫌そうにしているように見え、何かと誤解され易いのだが、今、彼が浮かべる不機嫌そうな表情は誤解の産物ではなく、本当に不機嫌だから不機嫌な表情となっているのだ。
もっとも、この場で不機嫌なのはベダイルだけではなく、フレオールもすぐ上の異母兄に劣らぬほど不機嫌な表情をしている。
武門の家であるためか、ロストゥル、ネドイル、ラインザード、ヴァンフォール、フレオールと、オクスタン侯爵家に生まれた者たちは魔法戦士となる者が多いが、魔術師となる者も当然ながらおり、ベダイルもその内の一人である。
単純な魔力量、術者としての力量において、フュリーの方がベダイルよりも上である。が、魔道戦艦を壊せることと、魔道戦艦を作製できることは根本的に違う。
フレオールがとことん仲の悪いすぐ上の異母兄の元をイヤイヤながら訪ねたのは、ルヴィエラの身体検査を依頼するためである。
フュリーは最高位の魔法を使えるが、ルヴィエラに用いられた薬物がいかなる物かを割り出せる術があれば、フレオールは母親を頼っただろうが、そうした術がないのだから仕方ない。
ただ、そうした魔法はなくとも、魔道技術で生物の生体情報を調べることができる。元来は合成生物を作る際、複数の生物を一つにする前に対象の状態を調査するために編み出された魔道技術で、医療などにも転用が可能だ。
アーク・ルーンでは幅広く使われている魔道技術なので、修得している魔術師はいくらでもいる。ただ、ルヴィエラの身体検査はベフナムやサムが絡む政治的にデリケートなものなので、政治や権力に無関心な者の方が望ましく、フレオールの知己でその二つの案件を満たすのはベダイルしかいなかった。
無位無官の身とはいえ、魔道戦艦や魔甲獣の開発者であるベダイルは、本来ならアーク・ルーンの魔道を総括する地位にあってもおかしくない魔術師なのだ。嫌っているとはいえ、ベダイルの方が発言力とコネでは上なのを認めざる得ず、フレオールはこの場にティリエラン、ナターシャ、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナに加え、サリッサも連れて来ている。
大宰相に溺愛されるサリッサは、ナターシャらのような気苦労とは無縁だが、それとは別の気苦労がある。
今回のルヴィエラの件はサリッサが持ち込んだようなものであり、その点を気にしていないわけにもいかず、同行したというのもある。が、それ以上に気をもまねばならないことが彼女の目の前にあるのだ。
ネドイルに拾われた後、オクスタン侯爵邸の別館、つまりはフュリーの元で育ったサリッサは、当然、ヴァンフォール、ベダイル、フレオールとも暮らしている。
それまでの路上生活とは正に天と地の差、ひもじさや苦しさと無縁な生活であり、共に暮らすフュリーやフレオールたちからはイヤなことをされることなどもなく、突如として訪れた幸運にサリッサは大いに戸惑ったものだが、彼女を戸惑わせたのはそれだけではない。
一つ上のベダイルは魔術で何かを創り出すのに没頭し、一つ下のフレオールは体を鍛えるのに没頭し、正反対の嗜好と生き方をしていたが、それで両者が反目し合うということはなく、サリッサが共に暮らし始めてから数年は、すこぶる仲の良い兄弟だった。
それがある日を境に兄弟ゲンカの毎日になり、サリッサはそれをヴァンフォールやトイラックと共に何とかしようとしたが、結局は共にさじを投げるに至った。
それでもサリッサがいる前では多少は自制心が働くのか、不機嫌そうに睨み合うだけで互いに手を出すのをひかえている。
ベダイルの傍らには当然のようにマルガレッタとリナルティエがおり、フレオールらを含めると計十一人となる。ベダイルの研究所には一応は応接間はあるものの、一応程度のそれにこの人数は狭いので、とことん気に食わない異母弟と、ベダイルは研究スペースで向き合っている。
もし、サリッサが同行していなければ、何人も引き連れて押しかけて来た異母弟を門前払いしたかも知れない。
言うまでもなく、頼み事はおろか、口もききたくない相手である。サリッサが同行したこともあり、元王女ら自己紹介の後、ベダイルへの事情の説明は彼女に任せ、フレオールは隣でふてくされている。
そっぽを向きたいのはベダイルも同様だが、サリッサを相手にそうもできず、ルヴィエラの事情について耳を傾け、
「ったく、どうして厄介事はこうも続くのか。ネドイルの大兄から小動物に変身できる魔甲獣を作れと言われたばかりだというのに」
「すいません。では、そのような重要な案件を抱えているなら、無理ですね」
「いや、こっちの話の方が下らんから、それはいい。それよりも一つ確認するが、そのルヴィエラとやらは牢屋にいるんだろ? 調べろと言われても、どうしようもないんじゃないか?」
「それは大丈夫です。ただ、牢から出せないので、ベダイル様にはご足労を願うことになりますが」
「つまり、牢で測定しろということか」
「すいませんが、そうしていただくより他ありませんので……」
機材が揃っている研究所にルヴィエラが来てもらうのと、牢屋に必要な機材を運び込むのでは、かかる手間が大きく違う。
ベダイルが面倒と言わんばかりの反応を見せ、サリッサはひたすら恐縮するしかなかった。
何で研究とは無関係な女を手間をかけて調べねばならないと思わなくはないが、ルヴィエラの事情を聞いて突き放せるほど無人情でもなければ、サリッサの頼みを無下にできないので、
「そもそも、何で被害を訴えたルヴィエラとやらが投獄されたんだ? 正直、政争に巻き込まれたくはないんだ。その点さえ大丈夫なら、協力してもいいが?」
魔道には精通していても、ヴァンフォールやフレオールのように政治がわからないベダイルには、ルヴィエラを投獄したベフナムの意図を理解できるものではない。
トイラックの妹と思えぬほど政治がわからないサリッサだが、彼女は同じ疑問をすでにフレオールにぶつけているので、
「あっ、はい。それはですね、ルヴィエラさんがアーク・ルーンの法に逆らったのは事実ですから、訴えとは別に罪人として扱わねば、足元をすくわれることになりかねないからだそうです」
サムのやり方がどれだけ酷かろうが、ルヴィエラがアーク・ルーンに逆らった点には変わらない。
告発は告発として、罪は罪として別個に扱うべきなのだ。
ルヴィエラを被害者として扱い、罪人として扱わねば、アーク・ルーンの法を軽んじたとのそしりを受けかねず、司法大臣としての発言力と説得力の低下を招きかねない。
バカバカしくとも、政治の世界に身を置く以上、脇や足元への注意を怠らず、低レベルな中傷につけ入る隙も見せるわけにはいかないのだ。
「なるほど、と答えられんな。ハッキリ言ってよくわからん」
そう答えられると、あくまでフレオールのレクチャーの受け売りを口にしていて、理解が追いついていないサリッサには、これ以上の説明はできない。
「まあ、ちゃんとした判断はちゃんと政治がわかる、トイ兄やヴァン兄あたりにでも聞くよ。協力するしないの返事はそれからだ」
「……わかりました」
困ったサリッサがフレオールに助けを求めるより先に、ベダイルにそう言われたのでは引き下がるしかないというもの。
フレオールも政治的な判断ができないわけではないが、トイラックやヴァンフォールに比べれば劣ると言わざる得ない。
この二人の名を出すことで、フレオールにしゃべる余地をなくさせ、しゃらくさい口を叩かせないようにしたのだが、フレオールの方もベダイルとしゃべらずにすむなら、それに越したことはない。
これで用事がすんだと、フレオールがイス代わりの機材から腰を上げようとした矢先、
「そうだ。良い機会だから、サリッサ、そこのクラウディアなる女性に協力してもらいたいことがあると伝えてくれないか? 先日までベッペルの方で調査を行ってきたのだが、その結果をバディンの竜騎士か、元竜騎士に見て欲しいんだ」
バディン王国の王都ベッペルを攻め落とす際、バディン竜騎士の一騎と数体の悪魔を合成させ、アーク・ルーン軍に対抗しようとした。
結局はこの合成生物、キメラは暴走して竜騎士とアーク・ルーン軍に討たれたが、その遺骸は残り、それを調査したのがベダイルである。
調査も遺骸の処理も終わったが、調査結果そのものにすべきところはなくとも、合成前の竜騎士についてのデータは皆無なので、変化後との比較ができないという問題が残っている。
バディン王国の竜騎士はアーク・ルーン軍の戦いでほぼ死に絶え、生き残りはマヴァル帝国に亡命した第二王子ガーランドと、乗竜を失った第一王女のクラウディアのみ。
無論、敵国に身を置くガーランドに聞き取り調査などできるものではないが、クラウディアの方は目の前にいる。
が、クラウディアはフレオールの所有物のような扱いなのだが、異母弟に頼み事はおろか、しゃべりたくないベダイルは、サリッサに仲介を頼んでいるのだ。
さじを投げるほど、ベダイルとフレオールの仲の悪さを理解しているサリッサは、内心でため息をつきつつ、フレオールの耳に届いているであろうベダイルの頼み事を復唱した。




