ワイズ騒乱編7-4
「もっと具体的に言わせてもらえば、我々は早期の決戦を望んでいます。ただ、そのためには、ワイズ、フリカ、タスタルの現状は望ましくない」
呆気に取られている亡国の王女をよそに、トイラックは説明を始めていく。
「今のままではこの三国が足を引っ張る形で、決戦が先延ばしになっていくでしょう。それでも、フリカとタスタルは再び安定へと向かっていますが、ワイズは何もしなければ、どんどん酷くなってしまう」
「何を言う。我らが、タスタルとフリカがこのようなことになったのは、全てキサマらの策略であろうが」
加害者の被害者ヅラに腹が立ったか、気を取り直して猛然と抗議する姫。
トイラックはやや困った表情で、
「その辺りに誤解があるようですから、その点を含めて説明させてもらってよろしいですか?」
「ほう、どのような言い訳をしてくれるのだ?」
「五十万の兵を食わすには、一日百五十万食がいりますが、それをワイズ領内のみで補おうとすれば、この地の食料事情は悪化していき、それは物価の値上がりを招き、安定し始めたこの地が再び乱れることとなりましょう」
「それはありがたい話だ。ワイズの代わりに、タスタルとフリカの治安を乱してくれたわけか」
「そうなりますね」
二ヵ国を経済的混乱に陥れた男は、王女の皮肉にも悪びれず答える。
「ただ、言い訳をさせてもらえば、私の目的はあくまでワイズの安定にあります。輸送費がかかり、割高になろうとも、他から大量の物資を集めるのは、ワイズの市場を混乱させないためのこと。だから、私はそのために、最悪の事態を想定して手を打ちましたが、相手が最悪の行動に出る点は、どうしようもありません」
フリカ王やタスタル王と同様、経済について門外漢なお姫様の反応を見て、もっと内容を噛み砕く。
「フリカやタスタルが経済封鎖に出る可能性があったので、そうなっても困らないだけの手を打ちました。両国の商人は密輸も同然に物資を届けてくれますし、物資が届かなくても、違約金で損しないようにしてあります。だから、経済封鎖は無意味なのですが、両王はその無意味なマネで、自国の市場を混乱させたんですよ。経済を統制すれば、反発と支障が出るくらいわからないとは」
早期の決戦を望み、七竜連合の混乱を望まないトイラックは、深々と嘆息する。
敵に自国の物資を渡したくないだろうが、アーク・ルーンとの契約書を見れば、それが無理なことは明白だ。物資の流出を止められない以上、フリカやタスタルは流出による混乱の鎮静化を最優先としなければならなかったのだが、不可能な流出の防止を強行し、両国かえって大きな混乱を自ら招いた。
トイラックは有能ゆえ、アーク・ルーンにとって最善手を打ってはする。が、無能なフリカ王やタスタル王が悪手を打つことはどうにもできない。アーク・ルーンに関する権限はあっても、フリカやタスタルに関する権限がないのだから、関与しようがないのだ。
「それでも、フリカやタスタルは安定した国家です。同盟国からの支援があり、国内でも経済統制の撤回を求める動きが起きており、一時の混乱からもう立ち直り出しています。が、ワイズの方にはそうした気配がない」
フリカ王やタスタル王が経済について無知でも、家臣の中には専門知識を有した人物が何人もいる。彼らを中心に自浄作用が働き出せば、両国は元から安定した国家があるだけに、民心や市場は落ち着きを取り戻すだろう。
が、ワイズの亡命政権は違う。元は安定した国家だったが、そうしたものは全てアーク・ルーンに奪われ、その権力基盤は脆弱で不安定なものと化している。
ワイズ王にもウィルトニアにも、不安定な自分たちの勢力を支え、まとめ上げるだけの力量はない。家臣の数も質も一国であった頃とは比べものとならないほど低下しており、何よりもアンバランスな点が致命的だろう。
ワイズ軍の残存兵力が主体を成す勢力ゆえ、竜騎士らが全ての権限を有している。バディンら同盟国からの援助金を運用するのも竜騎士なら、バディンら同盟国との折衝も竜騎士が担当する。亡命政権に参加したワイズ貴族の中には、財務や外交に関する知識や経験をのある者もいるが、竜騎士らが幅を効かせている現状では、彼らの知識や経験を活かすことができない。
「アーシェア姫がおられたなら、私などが気をもむ必要はないのですが、失踪していない以上、こちらからフォローしないと、ワイズが足を引っ張って、七竜連合が連合軍を結成できそうにないので」
腹立たしいが、姉がいれば竜騎士らは唯々諾々と従うのも、自分には派閥争いにふける家臣らをまとめることができないのも、ワイズの亡命政権の現状が七竜連合の足かせになっているのも、どれも事実なので反論の余地などないが、
「キサマらが早期の決戦を望んでいるなら、その意図にこちらが応じるなど、愚かしい限りだ。そうとわかっていて、私がキサマの意に従うと思っているのか?」
「それなら構いませんが、このまま何もしなければ、ワイズ貴族の方はバディンの地で全滅しますよ? 冬は何かと物入りですから」
「……っ!」
この指摘に、国も金もない王女は絶句する。
冬場の戦をなるべく避けるのは、軍事の常識だ。他の季節に比べて、防寒具を用意しなければらならないし、燃料も多く必要となる。食料も手に入り難くなり、何より行軍中に大雪に見舞われたら、進むことも退くこともできなくなって、戦わずに全滅すらしかねない。
だから、普通、冬場は暗黙の了解の内に休戦状態となる。優れた将軍ほど、自然の猛威がどうにもならないのがわかっているから、軍事行動を自粛して冬をやりすごす。
つまり、決戦が先延ばしになり、冬が間近となれば、アーク・ルーンと七竜連合との決着は、来年の春以降となる。そして、現状ではワイズ貴族がどれだけ凍死するかわからない経済状況にある。
去年の冬は、亡命政権に参加した際の一時金と、祖国を脱する時に持ち出した家財があり、バディンの地で凍死したワイズ貴族の数は少なくすんだ。
が、日々の生活費に困るようになったワイズ貴族に、越冬するだけのたくわえはない。その点を見越して、トイラックは暗に、
「同胞が冬と世間の厳しさでたくさん死にますよ」
と言い、さらに追い打ちをかける。
「決戦が春以降となれば、その分だけ経費がかさみます。逆に秋くらいまでに決着がつけば、無駄に金を使わずにすみますが、まあ、それだけの話です。早期決戦が実現できず、経費に無駄を出すことは、納税者たる民衆にすまないと思いますが」
アーク・ルーンは無駄な支出を避けたいだけだが、ワイズには本当に金がない。トイラックは金さえ気にしなければ、五十万の将兵に充分な冬対策が施せるが、ウィルトニアには凍てつき倒れる同胞を見殺しにするしかないのだ。
元から、両者の手札には、マトモな勝負にならないほどの開きがあり、トイラックはたたみかけるように、切り札をまた一枚、出す。
「重ねて言わしてもらいますが、我々は七竜連合の混乱を望んでいません。これも誤解されていると思いますが、家族の手紙をバディンにいるワイズ兵に届けたのも、彼らの恨みを少しでも和らげるためです。無論、脱走兵が出る点も、バディン側がそれに対して何かすることも予想していましたが、正直、それを私にはどうにもできません。家族の手紙を焼かれたら、相手がどう思うか、考えなかったのでしょうか」
呆れた風な感想は、実のところウィルトニアも同感だった。
ワイズの民の中で、最もアーク・ルーンを恨んでいるのは、言うまでもなくワイズ兵とその家族だ。だから、トイラックはワイズ兵の負傷と戦死に対して、アーク・ルーン兵のそれと同じ扱いを取るなど、彼らが心の刃を捨てるよう、様々な手を打った。
家族の手紙をバディンにいるワイズ兵に届けたのもその一つで、ワイズの民心の更なる安定という点には、大きな成果を挙げた。
反面、それがワイズの亡命政権の混乱につながり、それをウィルトニアとバディン王に収める力量がない以上、トイラックがフォローするより他ない。
「やはり、繰り返しますが、あなた方の混乱を当方は望んでいません。こうして姫と会い、それが発覚すれば、より大きな混乱となるので、この話し合い自体、双方にとって望ましいものではない。そちらが自力で解決できるのが、双方にとって望ましいものの、それは難しいというのが私の見解です。姫のお考えはいかに?」
「……そうして、私がキサマの提案に乗ることが、捕虜を返還するための条件か?」
屈伏。姉がおらず、自分ではどうにもできず、味方に期待できない以上、同胞をマシな状態にもっていくには、危険な賭けに出る他なかった。
「いえいえ、それにはフレオール様と戦ってもらいます」
苦渋に満ちたウィルトニアの決断に対して、トイラックはさも当然といった口調で、当事者たちに理解できないことを言い出し、一端、腰を上げると、自分のデスクから大きなルビーのついた首飾りを取り出して戻って来ると、
「姫にこれをお返ししましょう」
その首飾りが似合う美しい顔が苦り切るのも無理はないだろう。
ネドイルから贈られた品なのだから。
「おい、それを私が受け取ると思うのか?」
「受け取ってもらい、フレオール様に叩きつけて、決闘を挑んでもらうのが、捕虜の件に必要なことです」
「なるほど。その手があるが……」
シナリオの全容がわかったフレオールは得心して渋い顔となり、
「で、私はわざと負ければいいのか?」
「いえ、全力で戦ってください。勝っても負けても、捕虜の件もワイズのゴタゴタも解決しますから。ただ、決闘は何日か日を置いてからとしてください」
「わからんな。なぜ、それで私の抱える問題が片づく?」
「そうですね。少し詳しく話すと、姫がそうした行動を取られたら、他の方はどうされるか。そこが肝です」
「あっ、そういうことか」
遅まきながら気づきいた亡国の王女も、やはり渋面となる。
「トイ兄。つまりはオレに、ヅガート将軍のひんしゅくを買え、と?」
「フレオール様は昨年、ワイズ侵攻の総司令官であらせられました。ヅガート将軍に捕虜を解放せよ。そう命じて、何の問題がありますか?」
正確には、問題ではなく、文句だ。
トイラックの言は、形式的には問題ない。去年、ヅガートはフレオールの指揮下にあり、その間に得た捕虜のことなら、フレオールにどうこうできる権限はある。
が、現実的には問題がありまくりだ。フレオールはあくまでお飾りとして、司令官に据えられたにすぎない。元からヅガートに嫌われていることもあり、ネドイルの異母弟は初陣において、敵よりも味方に気を配らねばならないほどであった。
だから、名門出の少年貴族は、元傭兵を刺激するようなマネはしたくないゆえ、それが負けた時の不利益となるのだ。
一方で、ウィルトニアは負けたら、不名誉と共に手に入る大金は、死んでも受け取りたくない類いのものである。
勝てばいいが、負けた場合、ただの不名誉ですまない戦いとなるが、フレオールもウィルトニアも武人であるのを自認するなら、負ければ不利益だからと言って、戦いを避けるマネはできない。また、敗北に際して見苦しき態度を取れば、それもまた武人として恥ずべき有り様だ。
その心算がいかなるものであっても、武人としてのツボを押さえられた以上、ウィルトニアもフレオールも、トイラックの手のひらで踊るより他なかった。
「相変わらず、打つ手に隙がないな」
フレオールが内心で舌を巻くが、その用意周到さからすれば当然だろう。
ワイズ王のブリーフまで二束三文で叩き売るクセに、ワイズ王家にネドイルが贈った、一個金貨数百枚はするプレゼントは、その政略的な意味を考えて全て確保していたのだ。それも確と使い道がないまま。その一事だけでも、非凡であると言えるだろう。
が、トイラックを小さい頃より知っている魔法戦士に比べ、
「……姉上も年の割りに思慮深い方だったが、この男はケタが違う。考えてみれば、こやつは私と同じ年の頃に、アーク・ルーン、あの大帝国を手のひらで踊らしたのだ。その器量を思えば、安心して任せるしかないな」
竜騎士見習いの心中で、ただ激しくそうした思いが渦巻く。
ウィルトニアの方が圧倒的に不利な立場にある。その点を押さえ、選択肢を削る一方で、フレオールとの対等な決闘を用意し、相手を追い込みすぎないようにすることで、さらに選択の余地をなくす。
敵の手のひらで踊ることがわかっていても、そこ以外に、自分にも味方にもステージすら用意できないのだから、唯一の舞台で敵の台本を手に、せめて相手役たるフレオールに勝って、マシな幕引きを計るしかない。
ここまで個人と個人で大差、器量が違いすぎる点が、ウィルトニアに強い信頼感を抱かせた。
「この男なら、裏切ることもだますこともあるまい。ただ、こちらが悔しい思いなど抱かぬほど、完全無欠なまでに、私たちを踏みにじってくれるだろう。一片たろうとも、希望を残すようなマネは絶対にすまい」
激しい動揺が去り、奇妙な形であったが、全面的な信頼が亡国の王女の心を占めた。
幼き日、最強の竜騎士たる姉に抱いたものと似て非なる想いを感じ、
「で、トイラック殿よ。無粋な念押しとなるが、私は勝っても良いのだな?」
「はい。そうですね、むしろ姫が勝ってくれた方が助かりますが、気にせずに全力で戦ってください」
この時、かなり余計なことを言ったのだが、当人はまったく気づいていない。
「では、勝敗に関係なく、二通りの方策を用意してお待ちしています」
「無用だ。私が勝った時だけの用意をしておけ」
愛想のいい年上の男性に、無愛想に応じた王女が、腰を上げて背を向け、扉へと歩いて行き、それに無言でフレオールが続く。
そして、扉の前に立ち、それを開ける前に、乗竜の能力で顔と性別を変えようとするウィルトニアは、横にまで来たフレオールにしか聞こえぬような小声で、
「ところで、他意があってたずねるわけではないが、トイラック殿には、その、もう奥方はいるのか?」
上着を羽織ったままの問いが、相手の目を点にした。