帝都編15
魔法帝国アーク・ルーンの吏部大臣であるファリアースは、十年以上前にアーク・ルーンに攻め滅ぼされた祖国ルブラシアにおいても吏部大臣を務めていた経歴を持つ。
ルブラシア王国の大貴族の一人であったファリアースは、地位や身分だけではなく、広大な屋敷と田地、巨額の資産を有する大富豪でもあった。
その富でルブラシアでも一、二を争う豪奢な生活を送っていたファリアースは、そのためにルブラシア王に睨まれることになる。
実質的なルブラシア王国の最後の王は、名君ではあった。
名君にも色んなタイプがいるが、ルブラシア王は内政の充実に努める型の名君で、実際にルブラシアの民は豊かで平穏な生活を享受していた。
ただ、名君も人間であるので欠点はある。ルブラシア王の欠点は、やたらとケチであったことだろう。
自分自身が質素倹約に努めるだけならいいが、それを家族や家臣に強いるところがあったので、ファリアースとは当然、仲が悪かった。
それでも、嫌いという理由で有力な廷臣を害するようなことはしない程度の分別が王にはあったが、息子の方はある日、しかもアーク・ルーン軍の侵攻を受けている情勢下で、王太子が小遣いの少なさを理由に父
王を弑逆した。
王太子は直ちに即位したが、父殺しの新王を誰もが認めず、他の王子たちも次々と即位して、ルブラシアは八人の王が並び立つ、分裂・内戦状態に陥った。
ここでファリアースは身分と財産の保全を条件に、瓦解していく祖国を見限ってアーク・ルーンに降った。
ルブラシアにおいて侯爵であったファリアースは、アーク・ルーンでも侯爵位を賜り、祖国と同じ規模の屋敷を帝都に用意され、多額の資産も銅貨一枚とて欠けることはなかった。
所領はむしろ増えて一万八千戸と、大臣ではイライセンに次ぐほどの大領主であるが、これほど厚遇の理由は大臣職を務められるほどの才幹の持ち主だからに他ならない。
ファリアースは多彩な趣味の持ち主で、酒好き女好きな一方、働くのは嫌いときており、その手元には働かずに遊んで暮らせるだけの資産がある。
にも関わらず、ルブラシアでもアーク・ルーンでも多忙な大臣職に就いているのは、処世術も持ち合わせているからである。
職務で充分な実績を示さねば、自分が排斥される立場なくらい理解している。亡きルブラシア王には有能さを示して贅沢を黙認させ、ネドイルからも厚遇を引き出している。
そのファリアースとのアポイントメントを取りつけたフレオールは、現在、帝都にある劇場の一つに来ている。
異母兄ヴァンフォールとの実りのない会談を終えた後、皇宮で昼まで適当に時間を潰してから、フレオールが馬車を走らせてティリエランらをこの劇場に来たのは、ここにアーク・ルーンの吏部大臣ファリアースがいるからだ。
魔法帝国アーク・ルーンの人事を統括する吏部大臣の職務に、演劇観賞はまったく関係ない。単に、仕事を終えて趣味の一つを見に来ているだけである。
イライセンやヴァンフォールでも残業が珍しくないほどの仕事量を昼前後には片づけ、それでいて誤ることがないほどの、驚異的な事務処理能力の持ち主であるファリアースは、人当たりの良い顔立ち、見事に整えた口髭、洗練された服装の、恰幅のいい中年男性で、親しみ易い外見の中にも大貴族としての気品や風格が感じられた。
当然、大臣閣下の観賞となれば一般客と違い、舞台を見下ろせる貴賓室にファリアースはいるが、当たり前ながら独りではない。
周りに六人の美女を侍らせているだけではなく、護衛として貴賓室の前に立つ二人も女戦士という徹底ぶりだ。
すでに指示してあるのだろう。フレオールがティリエランら六人を連れて劇場を訪ねると、劇場の人間が貴賓室まで案内してくれ、その前に立つ護衛も無言で扉を開け、中にいた六人の美女も一礼してから、十人以上ではかなり手狭となる貴賓室を出ていく。
大宰相の執務室より上等なソファーに腰をかけるファリアースにフレオールは、
「本日は……」
「堅苦しいあいさつは抜きだ」
そう言われては、一同は無言で一礼するだけに留め、ティリエランとナターシャはやや緊張した面持ちで吏部大臣の両隣に、クラウディアとフォーリスは適当に、シィルエールとミリアーナはフレオールに身を寄せたまま腰を下ろしていく。
まだ上演の途中である。眼下の舞台に視線を向けるファリアースは自然な動作でティリエランとナターシャの肩に手を回し、二人は少し身を固くするが、ぎこちない笑顔でそれを甘受せねばならぬ立場なのもわきまえている。
もちろん、ティリエランとナターシャはただ座って耐えているだけではなく、ぎこちない動作で空になった杯に酒を注いだり、元王女は誰もできないため、フレオールが剥いて切り分けた果物を、ファリアースに食べさせるなど、接待に努めることに必死で、眼下の光景を見ている余裕はないが、それはある意味で幸いと言えるだろう。
単なる偶然なのだろうが、上演されている演目は亡国の王女を題材にしたものであった。
隣国の侵略を受けた王女が逃亡中に別の隣国の王子と出会い、恋に落ち、侵略者を倒すという、現実の亡国の王女には皮肉以外のなにものでもない内容だ。
やがて、ハッピーエンドで舞台に幕が下りると、観客たち、ファリアースも含めて拍手している以上、ティリエランらも心中がどうあれ手を叩かないわけにいかなかった。
侵略者を叩き砕くお芝居と違い、侵略者のために手を叩いて現実を生き延びていくために。




