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帝都編14

「それではお聞かせください。アーシェア嬢、あなたの表情をくもらせる理由を! このヴァンフォール、あなたの笑顔となるならば、全身全霊を以ていかなる難題にも挑みましょう」


 大仰な若き財務大臣の立ち振る舞いに、アーシェアは苦笑を浮かべてティリエランらの方に、数瞬、視線を向ける。


 ワイズ王国が健在なりし頃、パーティーなどでこの手の道化めいた振る舞いで、女性を口説く男を数人は見かけた。


 視線の先にいるティリエランら六人が、この手のやからに口説かれている場面を見たこともあれば、自分

も道化めいたアプローチを何度も経験していた。


 かつては不快感で震える拳を隠して微笑んでいたアーシェアも今は受け流せるようになり、省みて自分も成長したなという感慨にふける。


 余談だが、彼女の妹はこの手のやからがとことん嫌いなため、このようなアプローチを受けると銀の杯を握り潰して追い払っていた。


「オマエらも大変だったな」


 ヴァンフォールの性格も先程までの態度も知らぬアーシェアは、無言でそう旧知の面々に語りかけたので、ティリエランとナターシャを秘かに嘆息させた。


 相手の才幹次第で態度を大きく変える四つ上の異母兄に、フレオールも秘かに深く嘆息する。


 フレオールのようにヴァンフォールをよく知っているならば、苦笑いして流せるし、実際に財務官僚たちは「またか」と言わんばかりの態度だが、アーシェアやティリエランらはひたすら戸惑うしかない。


 もっとも、わかっていてもヴァンフォールの振る舞いに一喜一憂したり、深く傷ついていたサリッサのような例もあるが。


 ともあれ、積極的にアプローチされ、悩みを問われるアーシェアだが、


「金がない」


 としか答えようがないのが、現在の偽りのない懐事情である。


 晴れてアーク・ルーンの高級軍人となったアーシェアだが、まだ初任給ももらってもいない。


 それでも、独り身ならどうにでもなるのだが、殺すはずだった両親と弟が助かったことで、扶養家族を三人も抱えることになった。


 地位も国も失った闘病中の父に、妻と子どころか自分自身さえ養えるものではなく、アーシェアが引き取るしかないのだが、帝都でずっと住み込みで働いていた彼女に持ち家はない。


 ただ、アーク・ルーンの高級士官と迎えられるにあたり、アーシェアには屋敷が一軒、支給されるが、それで解決とはならない。


 アーシェアに提供される屋敷はアーク・ルーン貴族の、しかもさる男爵のものであるので、ワイズ王宮とは比べものにならないとしても、それなりに広く立派な屋敷ではあるのだ。


 ただし、十五年ほど前、その男爵一家が処刑されるまでは。


 十五年も放置すれば、どれだけ立派な屋敷でもお化け屋敷のようなありさまになる。加えて、前の所有者が処刑された際、家財道具はアーク・ルーンに没収されて、屋敷の中は空に等しい。


 リフォーム工事にいくらかかるかわからぬし、最低限の家具を買い揃えるだけでもかなりの出費だ。さらに屋敷を維持していくには、少なくとも十数人の人手が必要となってくる。


 帝都にたどり着いてから真面目にコツコツ働いて貯めた小銭では、内装の一つも整えることもできない。アーシェアの今の格好は、下町ではそれなりのものだが、この皇宮においては使用人にも間違われないみすぼらしいものだ。


 マトモな服の一つも買えない手持ちでは、新生活を整える準備に着手できないゆえ、アーシェアは支度金を早急に求めているのである。


 とはいえ、さすがに「金がない」とストレートに告げられるものではないから、


「支度金の支給を求めたところ、まだ準備ができてないと言われた。何とかしてもらうために、ここに来たのだが、何とかなるだろうか?」


「それは辞令が出ていないということでよろしいでしょうか?」


「ああ、そうだ」


 支度金の支給は辞令が出てからのことになる。


 辞令が出ていて支度金が支給されないのは、単なる事務ミスなので、会計局の部内で何とかなる話だが、

辞令が出てない段階での支度金の支給は、担当の財務官僚の判断が必要となってくる。


「では、上申書を書いてもらい、内示を証明する書類と共に提出してください。そうしていただけたなら、会計局で支度金が支給されます」


「いや、叔父、軍務大臣閣下からは何も言われていない。大宰相閣下からお言葉いただいただけだ」


「なるほど。内々示の段階ですか」


 上官であるイライセンから第十三軍団の副軍団長の就任を告げられれば、それは内示とされるが、上官以外から告げられれば内々示として扱われる。


 そして、内々示の段階ではいかなる理由があろうと、支度金を支給されることはないので、


「では、どうして支度金が必要となるか、その点を上申書にしたためてください」


「お待ちあれ、ヴァンフォール閣下。勝手に規則を歪めないでいただきたい」


 支度金というより、会計局の案件を管轄する財務官僚が、財務大臣に苦言を呈する。


 大宰相の内々示があろうと、財務大臣が便宜を計ろうと、規則は規則であり、それを上の者が破っていては下の者が守るはずがない。


 当たり前のことなのだが、往々にして当たり前のことほど守られないものである。祖国ワイズで、貴族や官吏が規則を歪めていたという話をイヤになるほど耳にしてきたアーシェアとしては、自分に不利益な発言をする財務官僚の振る舞いに感心していた。


 部下の苦言に対して財務大臣は、


「ここでは上申書を書いてもらうだけだ。その後、イライセン殿に内示をいただき、会計局に行ってもらえば問題はあるまい」


 支度金の早期支給に必要なのは、内示と上申書の二点。


 普通は内示をもらい、上申書を提出するのだが、この手順は別段、規則として定められているわけではない。


 上申書を提出してから内示をもらっても、支度金の支給要件は満たしているのだ。


「前例のないことだから、事前に会計局に連絡しておおかねばならないがな」


 手順が逆なだけで問題はないやり方に、その財務官僚は一礼して引き下がる。


「では、今、用紙とお茶などを用意しますから、しばらくお持ちください」


「ご厚意に甘えさせてもらいます。ヴァンフォール閣下のおかげで、本当に助かりました。何と礼を述べればよろしいことか」


「いえいえ、麗しき乙女の憂いが晴れたのならば、私にとってこれ以上の喜びはございません。もし、まだ晴れぬ憂いがあるのでしたら、このヴァンフォール、全身全霊を以て、アーシェア殿が笑顔となれるように努めましょう」


 もちろん、アーシェアが困っていることなどいくらでもある。


 支度金があれば、たしかにリフォーム工事も家具の新調も使用人の雇用もできる、わけではないのだ。


 帝都で二年近く暮らしたとはいえ、それは下町でのこと。帝都で屋敷を構えるにあたり、土建屋にも家具屋にも口入れ屋にも、コネやツテはない。


 そういう手探り状態なのもあるが、三日でリフォーム工事が終わるわけがないので、両親と弟は当面、叔父の屋敷であずかってもらうことになっている。


 が、ずっとあずかってもらうにもいかないので、なるべく早く家族を引き取るためにも、屋敷を住める状態にせぬばならない。


 それにヴァンフォールの力というよりも、知識と人脈が有効であるのは言うまでもない。リフォーム業者に工事を依頼するにしても、その際に財務大臣からの紹介状があるとないとでは、対応が大きく違ってくるだろう。


 だが、それよりも重要なのは使用人の方だ。


 一時的にあずかってもらうとはいえ、今の叔父にとても家族を任せられるものではないが、アーシェア自身、遠からず祖国より東に赴任することになるので、切実なまでに信用できる使用人が雇いたい。


 両親と弟だけで最低限の生活ができるとも思えず、さりとて良質な使用人のあてのないアーシェアは、帝都に残す家族のためにも、


「……それでは、図々しいことながら、ヴァンフォール閣下のご厚意に再び甘えさせていただきます。相談させていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「ああ、遠慮はいりませんよ、アーシェア殿! 麗しきあなたのお役に立てるならば、それはこのヴァンフォールにとって、この上ない喜びというもの。あなたの憂いが晴れるよう、このヴァンフォールに何なりとご用命ください」


「ありがとうございます、ヴァンフォール閣下」


 大仰な身振り手振りと共に、歌うような調子で快諾する財務大臣に深々と頭を下げる。


 内心で「うざい」と思いながら。



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