帝都編12
ネドイルの絶対権力には遠く及ばないものの、フレオールの曾祖父の時代には、エストック侯爵家とオクスタン侯爵家は権勢を誇っていた。
手を組んでアーク・ルーンの実権を握っていた両家は、その結びつきを強めるために互いの孫、ロストゥルとフュリーを婚姻させようとし、実際に両者は後に結婚するのだが、その時にはそれを計った当人は死去しており、権勢もブラジオン侯爵家へと移っていた。
そのブラジオン侯爵家の権勢は二十年以上の長きに渡ったが、オクスタン侯爵家の庶子であるネドイルによって、権勢の座から引きずり下ろされただけではなく、そこをさんざんに足蹴にされて、ブラジオン侯爵家は名前だけの侯爵家と化した。
庶子とはいえオクスタン侯爵家の出身だが、ネドイルの台頭によってオクスタン侯爵家一門が返り咲くということはなく、それはフュリーの実家たるエストック侯爵家も同様である。
もっとも、ロストゥルもフュリーも祖父と異なって権力欲は薄い。
血のつながりはないが、子供の時分に面倒を見てもらったフュリーは、ネドイルが最も頭の上がらない人物である。ネドイルは何かと実家というより、フュリーに気を遣っているものの、それで権力者面をするような恥知らずではない。
ロストゥルは将軍職にあるが、これは当人が求めてのものではない。
元々、向上心や功名心に乏しく、祖父が失脚した後は、窓際業務に追いやられても不満をもらすことはなかった。
息子の挙兵にも他人ごとのように振る舞っていたのだが、ネドイルがアーク・ルーンの実権を握るとそうもいかなくなった。
父親の優秀さを知るネドイルによって、しかるべき地位につかされたロストゥルは、安穏な生活から一転して激務に明け暮れるようになったので、ネドイルとロストゥルの親子関係はそう良くない。
ロストゥルは長男に対するぐちをよくこぼすし、ネドイルも子供の頃、イタズラが度がすぎて父親に木から吊るされたことを根に持っている。
ネドイルの権勢のおこぼれにあずかるようなマネをせず、フュリーはマイペースにアーク・ルーン貴族としてスタンダードな毎日を送っているが、当人は魔術師としてスタンダードな存在ではなかった。
「私が年を取れなくなったのは、魔力量がバカみたいに多いから。そういうケースは私だけじゃないけど、十人といない珍しいことではあるのよね、これが」
クリスタやフレオール、そしてティリエランら五人と共に、食堂で遅めの夕食をすませた御年六十のフュリーが、一同に若さの秘訣を語る。
客人たちの中で思考と精神がマトモなのはティリエランだけなので、その点に奇異な反応を見せているのも彼女だけだが、他の四人にも言葉が届いていないわけではない。
「つまり、魔力が高いから、年を取らなくなったというわけですか?」
ちらりっとフレオールと、それにミリアーナと共にべったりとくっついているシィルエールを見てから、そう問うティリエランだが、当然、どういう原理でそうなるかかなど彼女はまったくわからない。
ロペス王国の王女であり、ライディアン竜騎士学園で教官を務めていたティリエランは、学識が豊かななのだが、それでも魔術は門外漢であるので、魔法の基礎的なことすら理解できていない。
だが、祖国が滅んで魔法帝国アーク・ルーンに帰属した以上、わからないですませるわけにはいかない。魔術を習得しているシィルエールと相談できれば一番なのだが、思考力の低下した今の彼女は頼みにできるものではなかった。
そもそも、唯一、マトモに相談できる元王女はナターシャだけなのに、その彼女がここにいないのだ。
それでも素人なりに考え、シィルエールとフレオールの魔力量が多いことを思い出したティリエランに、
「そのとおりだが、母上とオレやシィルでは、魔力量の次元が違う。オレやシィルは、たしかに並の魔術師より魔力の量で大きく上回る。だが、そんなものは母上の足元にも及ばない。ドラゴンは並の生物とはケタ違いの存在だからこそ、並の生物、そして人間より長く生きられる」
フレオールの説明はわかりやすく、門外漢である竜騎士でもうなずけるものであった。
超生物であるドラゴンは、生命力のみならず魔力もケタ外れに保有しているので、数百、数千の時を生きても当然と思え、誰もが首を傾げることはないだろう。
「ドラゴニアンは人の姿になれるが、あくまでドラゴンだ。だが、母上は人であり、成長と共に魔力の量が増えただけのことだから、人の域を超えていても、中身は人のままだ」
「なんか、バケモノみたいな言いようね、実の母親に対して」
「いや、一軍を軽く撃退する相手をどう呼べ、と?」
「一軍を撃退!」
「まあ、昔のアーク・ルーン軍だけどね」
驚くティリエランの言葉を、フュリーは否定することはなかった。
「挙兵したネドイルの大兄に連戦連敗した面々は、父上と母上を人質に取ろうとして、かえって命数を縮めたそうだ」
「いやね、殺さずにちゃんと無力化したわよ」
ネドイルに敗れ続け、劣勢に追い込まれたブラジオン侯爵は、ロストゥルらを捕らえて起死回生を計り、自らの死期を早めることとなった。
憲兵の一隊なら、魔槍一本でロストゥルなら追い払える。
だが、いかにロストゥルが強くとも、一人で一軍を相手にするのは不可能だから、女房に追い払ってもらったのだ。
もっとも、正確にはフュリーは撃退したのではなく、一軍を石化したり、亜空間に閉じ込めたり、錯乱させて撃破したので、ブラジオン侯爵は敗北を重ねて少なくなった兵をさらに失うことになった。
いかにドラゴンが強くとも、一頭で一軍をどうにかできるものではない。しかも、相手は旧式とはいえ、魔道兵器を保有するアーク・ルーン軍なのだ。
フュリーの寿命が魔力でドラゴン並に延びているからといって、ドラゴン程度の強さとは限らないのだ。
そもそも、ドラゴンにも母親にも魔力で劣るフレオールは、何頭ものドラゴンを倒している。
「もしかして、ネドイル閣下の覇業にフュリー殿が力を貸していたのですか?」
「全然。母親として応援していただけよ。ネド君、ファイトって」
フュリーの異常な魔力と強さがネドイルの覇業の秘訣との推測を、当人はあっさりと否定し、その息子は内心で呆れ返る。
あれだけの敗北を、軍事的にも政治的にも被りながら、まだアーク・ルーンの真の恐ろしさが理解できていない点に、フレオールは本気で心配になってくる。
ヘタな考え休むに似たりと言うが、心が壊れて思考が停止させ、その実例を五つに増えすわけにもいかない。
そうでなくとも、四人を一人も何とかできずにいるのだ。
それでも、クラウディアやシィルエールのように、完全に思考を放棄しているなら、手間はかかるが危険性に乏しいのだが、
「……それだけの力を持ちながら、ネドイル閣下に力を貸さなかったということは、ネドイル閣下の覇業に肯定できないところがあるということですわね?」
そう目を輝かせて尋ねるフォーリスの意図は明白で、一軍に匹敵する魔女をネドイルに敵対させようとしているのだろうが、その発言はフレオールとティリエランの顔をしかめさせた。
他人に、ネドイルに含むところがあるかを聞くということは、自分も含むところがあると言っているようなものである。
理論を優先させて現実を軽んじる傾向のあるフォーリスだが、以前はそれでも慎重さや熟考が見られた。それが今やバランス感覚を完全に欠いて、危うい発言もカンタンに口にするありさまだ。
思いつきと策略は違う。
ちょっとしたアイディアを元に、策略らしきものを考えるのは誰でもできる。だが、策略を実現させて情勢を現実的に変化させるのは容易なことではない。
思考や心理が偏っているフォーリスが、思いつきを実現可能な策略と混同し、ネドイルへの反抗をフュリーにけしかけたのだが、
「たしかに、まあ、あの子の拡大政策には、あまり賛成じゃないかな。色々と理由はあるのだろうけど、親としては危ないことはせず、もっと安全な生き方をしてもらいたいとは思う。けど、何か求めて、あえて危険な道を進んでいるなら、余計なことを言わず、見守ってあげるのも親ってもんよ。口やかましいとうっとうしがるのが子供ってもんだしね」
けしかけられた方は、あっけらかんと理解ある態度を見せる。
「大宰相ネドイルの覇業は多くの者を不幸にしておりますわ。それを止めるのを余計なことと言われますの?」
あまりに危険なこの批判に、ティリエランは聞こえないふりをするが、内心では今まで味わってきた辛酸を思い出し、心の中ではうなずいている。
「そうかしら? 私は昔のアーク・ルーンより今のアーク・ルーンの方が好きよ。貴族だ、魔術師だって威張り散らす連中がいなくなったから。戦をしている時、終わった直後は色々と混乱したけど、落ち着いてからは、ネド君をほめる声、そして昔より今がいいって声を聞いている。ともあれ、ネド君がいいか悪いかは、何年か後、あなたたちの国だった場所で聞くしかわからないことよ」
「何年と待たずとも、私たちがどのような目にあったかが、全てを物語っていますわ」
「さすがに、全ての人を幸福にしなさい、なんて無理は、ネド君に言う気はないな」
自分が不幸だから世界中が不幸というフォーリスの考え方が伝わり、フュリーは苦笑を浮かべる。
ネドイルの施政の良い点も悪い点も考えず、自分の絶対正義を全肯定するやからに、何を言っても無駄である。
かつてのアーク・ルーンに支配者よりはだいぶマシとはいえ、選民思想寄りの考え方の元王女たちは、アーク・ルーンに負けたことは認めようが、自分たちの間違いを認めることはないだろう。
七竜連合は善政を敷いていたが、それも王族や貴族の既得権益に配慮した上での善政であり、そうした既得権益のシワ寄せは民へといっていた。
対して、ネドイルの政治は民の権利や保護を強化して、民の待遇を良くしたシワ寄せを貴族などにいっている。
この違いがわからぬからこそ、フレオールの気苦労が絶えず、フュリーは議論しても無駄と悟ったか、
「ネド君は我が子も同然だから、もしもの時は助けちゃうな。あなたたちも何人か産んだら、自分の子は可愛いって気持ちはわかると思うわよ」




