帝都編11
魔法帝国アーク・ルーンに限らないが、一国の高官となれば複数の邸宅を所有しているものである。
様々な理由で別宅、別荘を両手の指に余るほど所有している者もいるが、公務上、複数の邸宅を所有しているケースがある。
トイラックも帝都、領地、任地と三つの邸宅を所有しているが、これは個人的に購入したわけではない。
領地を賜った際に屋敷も一緒についてきており、帝都の邸宅も公職ついた時に、ベッペルの邸宅も赴任した時に国から提供された物である。
魔法帝国アーク・ルーン、否、ネドイルの世になってより、滅びた皇族、王族、貴族は星の数ほどおり、それだけの屋敷が空き家になっていて、トイラックのような例がいくつかあろうが、アーク・ルーンの空き家率は高いままだ。
そうした背景があるので、身元がしっかりしていて資金さえあれば、主のいない国家所有の屋敷を買うのは難しくないが、フレオールは帝都に邸宅を所有していない。
フレオールが領地に屋敷があるだけなのは、それで特段、不便を感じないからだ。
実のところ、フレオールはほとんど領地におらず、先の任地であった七竜連合の地でライディアン竜騎士学園が崩壊した後は、味方の陣地で天幕を拝借して野営するか、占領地の適当な空き部屋で寝泊まりしていた。
帝都に来た場合は、適当な宿に泊まるのではなく、身内や知り合いの屋敷を泊まり歩いてすましている。
何しろ、ネドイルやトイラックなど、帝都で屋敷を構える身内や知り合いは何人もおり、そもそも実家であるオクスタン侯爵邸は帝都にあるのだ。
オクスタン侯爵家は魔法帝国アーク・ルーンでも名門中の名門であり、その屋敷はそれにふさわしく広壮で、本館の他に二つの別館があるのだが、その別館だけで普通のお屋敷とタメを張るほどなのだ。
現在のオクスタン侯爵家の当主は、フレオールの同母兄であるラインザードである。父親はフレオールも、ベダイルも、ヴァンフォールも産まれる前に家督を譲り、家督を譲ると同時に前当主が別館の一つに移るのがオクスタン侯爵家の慣習である。
それゆえ、フレオール、ベダイル、ヴァンフォール、さらにトイラックやサリッサもオクスタン侯爵家の別館で育っている。
だから、ティリエランらを連れたフレオールは生まれ育った、母たちのいる別館の方を訪ねて帝都滞在中の宿とした。
フレオールの兄たちは独立し、姉たちも皆、嫁いでいるので、別館にいるのはフレオールの母とフレオール以外の母親たちが二人、それと十数人の使用人となる。
ロストゥルには八人の側室がいた。その内の二人は病で死に、一人が息子の屋敷で暮らすので出ていった一方、ネドイルの母親のように息子に監禁されている者が一人。
ラティエもロストゥルの側にいるので、三人では広すぎる別館には空き部屋がいくつもある。
もっとも、別館よりも大きい本館にはラインザードの妻しかいないが、こちらはどれだけ空き部屋があろうと、フレオールはこの兄嫁とソリが合わないので顔を合わせる気もない。
自宅が帝都にあるイリアッシュと、皇宮の弟妹の元で泊まることにしたナターシャ以外の面々、ティリエラン、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナくらい対応できる程度の客間は、オクスタン侯爵邸の別館の一つにあるが、さすがにフレオールも連絡なしにこれだけの人数を連れて行くようなマネはしない。
自分の領地に着いた日に、母親の元に使者を出しているので、ナターシャやアーシェア、イリアッシュを含めた人数、その全員が女性でイリアッシュ以外が元王女であることも伝わっている。
それゆえ、皇宮から退去して馬車を走らせるフレオールたちがオクスタン侯爵邸に着いた時、もう日が沈んでだいぶ経っていたにも関わらず、数人の使用人の出迎えを受けた。
どの使用人も何年もオクスタン侯爵家というより、母の元で働いており、ベテランな上にフレオールとは全員、顔見知りなので、手際よく馬車をあずかり、一同を別館の方へと案内する。
もっとも、馬車からフレオールに続き、シィルエール、ミリアーナ、フォーリス、クラウディア、ティリエランが降りた際は、使用人たちはその美しさに息を飲み、数瞬、呆けたが。
が、数瞬は呆けたものの、主人の息子やその客人たちの出迎えや案内に使用人たちがすぐに取りかかれた
のも、ティリエランらのような美人に身近に仕える経験があるからかも知れない。
面の皮の造形美ならば、アーク・ルーンにもシャムシール侯爵夫人を筆頭に、ティリエランらにひけを取らない美人は何人もいるのだ。
使用人とフレオールに先導され、別館の玄関ホールに入ったティリエランらは、そこで二人の女性、自分たちと同じくらいの娘と自分たちの母親くらいの年代の中年女性に「はじめまして」とあいさつを受ける。
クラウディア以外が反射的にあいさつを返す中、
「オレの母とクリスタ殿だ。信じ難いだろうが、若く見える方が我が母親だ」
数瞬後、その意味を理解したクラウディア以外の元王女らは一様に驚く。
ベダイルの生母クリスタは、年相応の落ち着いた物腰とシワがいくらか見られるので、自分たちと同じ年頃の息子がいると言われても違和感はない。
だが、そのクリスタより二十は年上のフレオールの生母フュリーが、自分たちと同じ年頃に見えることは異様と言わざるえない。
腰まで届く白金色の髪とエメラルド・グリーンの綺麗な瞳、処女雪のように白い滑らかな肌とほっそりとした華奢な体、その容貌はシワや老いと無縁どころか、若く瑞々しくかなり美しいが、やはり柔和な笑みの中にも深みが感じられるのは、どれだけ若く見えようが六十の齢を重ねているからかも知れない。
「驚かせてごめんなさいね。十八、九の頃からどうも外見が変わらなくなって。髪や爪とかは普通に伸びるだけど。まあ、玄関で立ち話もなんだから、奥にどうぞ」
娘たちの反応に苦笑しながら、フュリーは気さくに客人たちを招く。
事前連絡がいっているので、食事や客間の準備は万端だが、当然、先にティリエランらは使用人の案内で客間に向かう。
連絡よりも三人ほど少ないので、用意していた客間が三つ無駄になったということはなく、結局は四つの客間が無駄になることになった。
フレオールに依存し、ベッタリとはいえ、ミリアーナはさすがに四六時中、一緒にいないとダメというほどではないので、一時的にフレオールの元から離れて使用人についていき、自分のために用意された部屋へと向かった。
客間に通されるのを断固として拒否したのは、シィルエールである。
息子から耳打ちされたフュリーは、使用人たちを仕事に戻らせ、クリスタも遠慮して去る。
フレオールの側というか、密着しているのがシィルエールだけになると、
「こういう娘に気にかけるトコは、あの人に似たのかしら」
彼女が嘆息するのも無理はないだろう。何しろ、夫の側室の一人が、精神を病んでいるのだから。
今より四十年以上も前、ロストゥルは職務で保護した女性の中に、子供のような言動と振る舞いの娘がいた。
身元がまるでわからず、成り行き上、その娘を連れ帰ったロストゥルは、なつかれ、好かれて、そういう関係になって一児を設け、今もこの館にいる。
病んだ心は今も戻っていないが、ロストゥルに保護されてからは穏やかな毎日を送っている。ただ、出産直後から体調が崩れ始め、およそ五十代後半という年齢もあり、最近は床に伏していることが多い。
当然、フレオールも面識があるどころか、共に遊んだり、お見舞いにいったこともあるが、いくつになっても無邪気な笑みを浮かべる姿が最も印象深く、
「正直、シィルのことを父上ほどうまくやる自信はないな」
自分に体を密着させる心の病んだ娘を見て、フレオールは嘆息する。
「何を言っているの。私たちだって最初は手探りで、どうにかこうにか今までやってきただけにすぎないのよ。うまくやれたように見えるのは、あくまで結果論なだけよ」
母親の気の滅入る言葉に、フレオールは眉間にシワを寄せる。
さすがにシィルエールを実家に押しつける気はないが、知恵や手を貸してもらうくらには頼りにしていた。
「レオ、もしかして、あの人に倣って、あの娘たち全員、面倒を見る気なの?」
「手助けくらいはするつもりだ。まっ、突き放せないのが何人かいるけど」
「懐かしいセリフだわ。四十何年か前にも、あの人が同じようなことを言っていたわよ」
苦笑する母親の言葉に、フレオールは再び渋面になる。
父親のことを尊敬しているフレオールだが、父親を全肯定しているわけではない。
ロストゥルはアーク・ルーンにおいて三指に入る槍の使い手であり、その点においてフレオールは数歩、父親に及ばない。その技量には敬服する反面、それだけに父がもっと武に打ち込んでいれば、と考える息子は、元王女らの世話を焼く自分が同じ徹を踏んでいるのでは、と考えずにいられないというもの。
とはいえ、シィルエールやミリアーナは突き放せる状態ではないし、他の面々も手を離せるものではない上、自分の性分的に世話を焼かずにいられないのも自覚している。
無邪気な笑みを浮かべるシィルエールに抱きつかれたまま、渋い表情のフレオールは実家の自室に着き、
「まっ、がんばりなさい。こっちは孫が何人いてもいいからね」
すでにひ孫までいる母のエールに、息子はため息をついた。




