帝都編10
「いや、お取り込み中のところを申し訳ない。しかし、間に合って良かった」
政治的な価値などない父たちにもう利用価値などなく、今さら用があるとは思えなかったが、アーク・ルーンを計り切れなかったゆえに敗れた身として、家族の殺害を中断して来訪者を招き入れる。
「お初にお目にかかるというには妙ですが、バディンの地で代官を務めるトイラックと申します。以後、お見知りおきを」
軽く頭を下げてあいさつをするトイラックとアーシェアは、初対面というわけではない。
互いに正体を隠し、一方は飯屋で働き、もう一方はその飯屋に客としてやって来ていた。
互いの正体を知らずに雑談を交わしたこともあるが、トイラックは今のアーシェアの姿を見るのは初めてである。
飯屋で働いていた時は、乗竜の能力を用いていたからだ。
「こちらこそ新参の身ゆえ、トイラック様には何かとご指導をお願いしたい。特に我が任地は東であるがゆえ、トイラック様には何かと指示を仰ぐことになりましょうから」
アーク・ルーンの内情にまだ詳しくないが、トイラックの名は先ほどネドイルの口から聞き知っている。
実質的にアーク・ルーンの東域を仕切る人物ともなれば、粗略な対応など以ての他、アーシェアも丁重な礼で応じる。
兄妹そろって大宰相の寵愛を受けているが、客として来ていた時は人当たりの良い好青年という印象を受けており、それは本来の立場で見えている今も変わるところはなく、ネドイルの威を借りるような傲慢さとは無縁な態度であった。
無論、この時点では人柄にしても能力にしても判断のしようがない。アーシェアが考えるべきは、トイラックは何用があって、家族の緊迫した空気の中に足を踏み込んできたか、である。
トイラックの「間に合った」というセリフは、両親と弟が生存していたことを指すのだろう。それ以外に考えようがない。
次に考察すべきは、なぜ、今さら三人を生かそうとするかだが、これは二つ可能性が考えられる。
ワイズ王らに政治的な利用価値が再び出てきたか、ネドイルに頼まれて自分のフォローに来たか。
前者は七竜連合が滅びた今、父たちに再利用の余地があるとは思えず、後者の方が妥当という考察そのものは間違っていないが、正解は異なっていた。
「英明なアーシェア殿に私などが指導できるとは思えませんが、その点は現地で話すといたしまして、今はお伝えせねばならないのは、イライセン閣下にお願いしまして、アーシェア殿のご両親と弟君のご助命について了承をいただきました点です。あと、同時に三人を人質から解放する点も同意してもらえましたので、三日以内にここを引き払って引き取ってください」
「…………」
当たり前のように身元引受人に指定された元王女は、愕然となってとっさに反応ができない。
今生の決別のつもりで接していた家族と、今さら共に暮らせるものではないが、殺さずにすむならこれほどありがたいことはないものの、
「……心遣いは感謝します。本当に。ですが、そのご厚情はワイズの民のためにお使いいただきたい」
ネドイルの時と同じように謝絶する。
だが、トイラックはその謝絶に首を左右に振り、
「勘違いなされているようですが、これはネドイル閣下の指示でもなければ、私の公務の一環というわけではありません。これは私が個人的にお願いして、それにイライセン殿がうなずかれただけなのです。こちらとしては、ちょっとした頼みごとをしただけなのですがね」
だからこそ、イライセンはうなずいたのであろう。
今のイライセンはワイズ王たちを義兄と義姉と甥と認識しておらず、害虫三匹くらいにしか思っていない。
ワイズの民の害となる者を、親類という理由で害虫の駆除をためらうイライセンでない上、姪にその駆除をさせて心理的な退路を断ち、より都合のいい手駒にしようとした計算も、トイラックの頼み事で修正を余儀なくされた。
公的なものとしてではなく、トイラックは私的な理由でアーシェアへの配慮を行った。これに応じれば、トイラックに個人的な借りを作ることができる。
害虫三匹を見逃す程度で、トイラックにちょっとした借りを作れるなら安いもの。特に、今後、東域全体を管理し、その中にワイズの地が含まれる以上、アーシェアを助けようとするトイラックの頼みを無下にして、関係を悪くするわけにはいかない。
ネドイルの時と異なり、アーシェアに感謝させるための私的な頼み事ゆえ、イライセンもそれに応じたのだが、
「……でも、なぜ、なのです? なぜ、私のためにそうしてくれるのですか?」
自分のために個人的に動いてくれる理由がわからずに、トイラックをまっすぐに見詰めて問う。
そのストレートな視線と疑問からトイラックは、
「まあ、いいじゃありませんか」
目をそらしながらごまかすのは、後ろ暗い計算があるからだ。
どう考えても言えるものではないのだ。
「いやあ、あなたとあなたの妹さんの服と下着が売り払ったもので」
などと。
家族の命を助けたのだから、服と下着の件を大目に見てもらえたらいいなあ、というのがトイラックの狙いであり、
「……ああ、ああ、ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……」
両親と弟を殺さずにすんだ元王女は、大粒の涙を止めどなくあふれさせ、何度も何度もお礼の言葉を繰り返す。
それだけではなく、己の心を強引に押さえつけていた覚悟と決意がゆるむと同時に、体から力が抜けたアーシェアを、
「危ない」
とっさにトイラックは受け止め、支える。
「……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……」
終わることなく繰り返される同じ言葉と、胸をぬらす涙の量によって、自分がどれだけ感謝されているかを知ったトイラックは、
「……後ろめたい……超後ろめたい……」
一人の娘の真情に対して、自分のこすい打算に大きな引け目を感じ続けた。




