帝都編9
魔法帝国アーク・ルーンの、重要ではない人質のぞんざいな扱いは、亡国タスタルの王太子と第二王女の様を見れば明白であろう。
子供ふたりを小部屋に押し込め、メシを与えて掃除くらいはするが、専属の世話係りを用意するような手間と経費をかけずにすます。皇宮に連れて来られた当初、ノースリスもニネアも一日中、泣き喚いていたが、それでも使用人がやって来るのはメシと掃除の時だけであった。
その扱いは二人より一年以上も先に人質とされていた亡国ワイズの王妃と王太子も同様であり、母子の小部屋での幽閉生活は二年近く続き、昨今では三人暮らしとなっている。
バディン王国の王都ベッペルが陥落した際、捕らえられた者の中にワイズ王がいた。
酒毒によって起きることもできず、意識も混濁気味の状態であり、放置すればワイズ王は確実に死んでいたが、イライセンの指示で治療を受け、帝都へと運び込まれて、今も病床にある。
義兄ゆえに助けたという人間らしさなど、イライセンには残っていない。もし、アーシェアの死亡が確認されていたなら、親子三人はとっくに処刑されていただろう。
肉親の情などないのはその扱いからも明白で、ワイズ王は妻と息子と同じ部屋に突っ込まれている。たった一つのベッドは重病人に占拠され、王妃と王太子はソファーで横になることを余儀なくされている。
一応、日に一度、魔法医が訪ねてくるようになったが、その魔法医には治せではなく、死なせるなという指示が出されている。
それでも、アーク・ルーンでも一流の魔法医が診察して魔法薬を出し、酒を一滴も飲めない環境で家族に励まされる日々を送る内にワイズ王の容態は少しずつ良くなってきたある日の夕刻すぎ、ワイズ王よりも顔色の悪いアーシェアの訪問を受けた。
王も王妃も王太子も驚き、喜んだが、当然、それが一段落すると、母親は娘に事情を問い、
「……叔父、いえ、イライセン閣下の命を受け、父上と母上、そしてエクターンの処刑に参りました」
三人とも、最初、アーシェアが何を言っているかわからなかったが、ワイズ王よりも生気のない顔を見ている内に、次第に冗談を言っているのでないのを理解し、三人の顔に恐怖と驚愕の色が張りつく。
「あ、あ、あ、姉上、どういうことなのですか?」
上の姉の半分ほどしか生きていないワイズの王太子エクターンは、声のみならず、全身を震わせながら問う。
国が滅びる際にイライセンやイリアッシュに裏切られた三人だが、
「私はアーク・ルーンに降ることにしました。その条件、アーク・ルーンと叔父の信用を得るために、両親と弟を斬るように命じられました」
それ以上の悪夢のような現実はキッパリと告げる。
アーシェアの返答は不正確なものであったが、ちゃんと説明しても理解できないだろうし、どのみち自分が父殺し、母殺し、弟殺しの大罪を背負う点は変わることはない。
「……アーシェア……私たちはいい……でも、エクターンはまだ十一なのですよ! せめて、この子だけでも助けて上げてっ!」
「ダメなのです、母上。いくつであろうと、ワイズの民の害となる者を、叔父上は許すことはありません」
「我らを裏切り、ワイズに害を成したのは、イライセンの方ではありませんかっ!」
母親の発した金切り声は、娘の予想したものであり、家族が民を第一に考えていないことを露呈するものであった。
父も母も悪辣な為政者というわけではなく、むしろ善良な人物であり、進んで民を労りこそすれ、害することはなかったので、ワイズの民には慕われていた。
ただ、それも平時の話でしかない。
ワイズ王であった父は、バディン王国に亡命した後、ワイズの民を煽動してアーク・ルーン軍に歯向かわせる企てに加わっている。
自らの地位と国を取り戻すのに、民を犠牲することを選び、しかもその所業に何の疑問も抱いていない。自分の正統性を信じ、民が自分に従うのが当然という考えは、王族にとっても貴族にとっても疑問の余地のないのである。
王侯貴族の口にする「民のために」という言葉などは、有事の際にはあっさりとはげ落ちる薄化粧のようなもので、いざという時に「自分のために」民を犠牲するのが当たり前のことなのだ。
その王侯貴族にとっての「当たり前」が、民にとっては「たまったものじゃない」と理解できるアーシェアは少数派であり、本当に「民のために」全てを投げ出せるイライセンともなれば、正に異端というべき存在となる。
イライセンはワイズの民を守るアーク・ルーンに降った。その結果、ワイズの地はアーク・ルーン軍に守られ、戦乱の苦しみから早々に解放されたのに加え、アーク・ルーンの統治によって、大寒波の際の犠牲者が奇跡的なまでに少なくすんでいる。
だが、民の平穏など自分たちの平穏の二の次と考える、大部分の王侯貴族の一員である両親に、その事をいくら説いても無駄な以上、アーシェアも両親と弟の命を諦めるしかない。
無意識で無自覚であるがゆえに、自分たちがイライセンから害虫と見なされていることに気づかぬのだ。駆除される理由がわからぬ以上、駆除から逃れる手立てはない。
あるいはワイズが滅びた時、逃げずに叔父に従っていれば、害虫三匹くらいはアーシェアが管理と隔離することでお目こぼししてもらえたかも知れないが、もはや過去に戻る術も、家族を助ける術もアーシェアにはなかった。
「叔父上が裏切らずとも、ワイズは滅びました。アーク・ルーンは私たちの勝てる相手ではなかったのです。そのことに気づかずに戦い続けたのは、私たち全員の落ち度なのです」
正確には、最善を尽くす叔父を父たちが足を引っ張り続けたため、負けずにすむはずの戦いで負けたのだが、戦が総力戦である以上、味方のバカさ加減をフォローできなかった落ち度は全員の責と考えるしかない。
「ならば、アーク・ルーンが全ての悪いのでありませんか! そのアーク・ルーンにおめおめと仕えるなど、イライセンもあなたもどうしたというのですかっ!」
「ワイズが滅び、アーク・ルーンが勝ったならば、アーク・ルーンの法に従うしかありません。敗者は勝者に従うしかないのです」
「そんなに自分だけ生き残りたいのですかっ!」
「生き残らぬばできぬことがあるのです。そのために死んでください……いえ、私はこの手を汚すために、父上や母上、エクターンの前に来たのです」
ワイズの王女という肩書きが無意味となり、ワイズ王国は何も残らず滅びたが、アーク・ルーンの部将という肩書きならば、ワイズの民を守るために、魔法帝国アーク・ルーンの強大な力を用いることができる。
イライセンの生き方に倣い、その助けとなる。
ワイズの民を守る責、それを一臣下に押しつけずに自分もそれに尽力すること。ワイズの王族として生まれた自分の生き方と覚悟を決めたアーシェアは、
「……姉さま、姉さま、助けて……死にたくないよお……」
「アーシェア……何とか、何とかエクターンだけは……」
「……ハアッ、ハアッ……アーシェ……ハアッ、ハアッ……」
泣きじゃくって命乞いをする弟、息子の助命を必死に頼む母、何かを訴えようにも病床で喘ぐことしかできない父を前に、奥歯を噛み締めて右の手刀を振り上げる。
「……ハアアアッ!」
ドラゴニック・オーラを発現させ、家族の殺害準備に取りかかった時、
「すいません。私はトイラックと申しますが、ここを開けてもらえませんか?」
軽いノック音と共に、扉越しにバディン代国官が来訪を告げた。




