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帝都編7

「……申し訳ありません! 大宰相閣下に対する暴言、どうか、この身、この命で納めてください! お願いいたします!」


 声を荒げた数瞬後、ロペスの元王女は自分の発言と糾弾に蒼白となり、即座にその場でひざまずき、必死になって許しを乞うた。


 国が滅んだ側の堪忍袋の緒が切れようが何も為すことはできないが、国を滅ぼした側の機嫌を損ねれば、一族郎党の首が斬り落とされる。


 イライセン、サム、ゾランガの不興を買い、バディン、シャーウ、フリカの王族がどうなったかなど言うまでもない。ロペスの王族はタスタルの王族などに比べれば優遇されているが、そんなものは大宰相の機嫌ひとつであっさりと吹き飛ぶ。


 ひざまずくティリエランに負けぬほど、その隣でタスタルの元王女も青ざめているが、ロペスの元王女が両膝を突いて床に伏せた途端、ネドイルが明らかに眉間にシワを寄せたのだから、これから起きる悲劇を想像しての反応だろう。


 彼女もちょっとしたことで自分たちの首が飛ぶことを思い知らされている。同時に、自分たちの無力さも思い知らされているので、ティリエランと共に頭を下げるようなマネはしない。


 アーク・ルーンが許さないと決めれば、いくら頭を下げようが無駄である。ヘタにティリエランの不始末に巻き込まれたら家族の首が飛びかねず、不人情でも突き放すしかないのだ。


 この場で蒼白となっているのはティリエランとナターシャのみだが、心の死んでいるイリアッシュ、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナは、マトモな反応ができる状態にない。


 フレオールとアーシェアは泰然としているが、


「おいおい。そんな所に座ったら、せっかくのドレスが汚れるであろう。イスを用意したのだ、そこに座らんか。サクロス、すまんが、何か拭く物を持ってきてくれ」


 タオルなどを持って来るように命じ、自分に対する糾弾をあっさりと流す。


 フレオールとアーシェアとサクロス以外は思ってもいなかった反応に、ティリエランとナターシャは大いに戸惑い、


「……大宰相閣下、私の暴言に対する処罰は……?」


 おそるおそるロペスの元王女は自分たち一族の行く末を問う。


「負け犬の遠吠えをイチイチ気にしていたら、首が足らんよ。オマエらが負けたってことは、オレたちがケンカに勝ったってことだ。ならば、オレたちは誇るべきことを誇るだけだ。それより、立ち話をさせてすまなかったな。適当に、イスやソファーに座るがいい」


 客人に席を勧めるのは招いた側の勤めだ。


 その非礼を率直に詫び、改めて席を勧めるのも当然の振る舞いだ。


 ティリエランからすれば不問に付すと暗に言われているのだから、否はない。サクロスの持ってきたタオルでドレスの汚れを拭いてから、他の面々に遅れてイスに腰をかける。


 ちなみに、ソファーに座ったフレオールの両隣を、シィルエールとミリアーナが陣取ったのは言うまでもない。


「さて、全員への頼みだが、その前に今後の東の地に置ける方針の概略を伝えておく。東方全体を統括する太守を設けることに定まった」


 一同を見渡しながら告げる新制度は、納得のできるものであった。


 東部戦線は二、三十万の兵が展開する他の三戦線に比べて、その倍か三倍の兵が運用され、残り十といくつかの国の征服に取りかかっている。帝都からの距離を思えば、大軍団を統制して広大な新領土を統括する現地の総責任者を置くのは当然であろう。


「東域太守には皇太子を就任させるが、これは飾りだけのもんだ。その秘書官となるトイラックが全てを采配する」


 フレオールにはこれで、実質的な東域太守たるトイラックの構想が理解できた。


 東方の情勢はスラックスら諸将による軍事面も、ゾランガら代国官による行政面も順調であり、特に問題はないがそれだけでは万全ではない。


 前線と後方を有機的に連結させ、全体の一体化と命令系統の一本化が成されれば、東部戦線はより効率化され、万全の態勢を整えることができる。


 無論、それには前線と後方の間に入って双方をつなげ、全体を見渡せる人物が必要だが、トイラックならばその大任を充分に果たせるというより、トイラックでなければ果たせない、難しい役どころだ。


 そして、トイラックは困難な大任をただ果たすのみならず、その視野は後々の後継者問題にも及んでいるので、皇太子の存在と名義を必要としたのだ。


 若いトイラックでは、スラックスやゾランガなどを従わせるのに、皇太子の名がいるということはない。スラックスやゾランガなど、若年であるからとトイラックを侮るどころか、その才幹に全幅の信頼を寄せているので、皇太子の名義があろうがなかろうが、トイラックの指示に反発することはないだろう。


 ただし、皇太子の名義で命令を下せば、功績は全て皇太子のものという方便が使える。


 東域での功績が全て皇太子のものになろうがなるまいが、次期アーク・ルーン皇帝の地位はネドイルの意向と都合によるので、大した意味はない。だが、功績が全てトイラックのものにならなければ、次期大宰相の地位を争うヴァンフォールに差をつけずにすむ。


 ネドイルの異母弟であるヴァンフォールを次の大宰相と考える、その最大の対抗馬としては、功績を立てぬように気を配らねばならなかった。


 財務大臣であるヴァンフォール、異母兄の優秀さは理解しているが、トイラックがより優秀なのを理解しているのはフレオールだけではなく、ネドイルも当のヴァンフォールも承知している。


 後継者争いに敗れようとするトイラックの思惑は無駄なように思えるが、あるいは皇太子の補佐役を務めることで、将来、ヴァンフォールの補佐役になっても問題ないとアピールするつもりかも知れない。


「さて、そこでその方らへの頼みだが、トイラックの身辺をそれとなく探ってもらいたい」


 娘ひとりひとりに強く見据えながら、ネドイルが口にした頼みごとに、ティリエランとナターシャは生唾を飲んで喉を鳴らし、


「つまり、トイラックはアーク・ルーンからの独立を企んでいるわけですのね」


「はあ? 何を言ってるんだ、オマエ。そんなわけないだろうが」


 異様なまでに目を輝かせるフォーリスの推測を、言下に否定する。


 ティリエランもナターシャもフォーリスに近いことを考えたからこそ、緊張のあまり唾を飲んだのだが、


「実質的に東域の責任者となるなら、あやつもこれまでのようにこちらに戻れまい」


 東部での内容をまとめ、定期的に報告に来る役割は、自然とトイラックがこなしていたので、東部に赴任してからも何度も帝都にやって来て、その度に当然だがネドイルと顔を合わせている。


 だが、これからは仕事柄、カンタンに東部から動けないから、トイラックの様子を知るのにネドイルがアーシェアたち女性陣を選んだ理由は、


「あやつももう二十二だ。向こうに好いた娘がいてもおかしくあるまい。年頃の娘は恋愛事に鋭敏であるあと聞く。そなたらなら、オレが気づかなかったことに気づくだろう」


 偏見と私情に満ちたものであった。


 サリッサほどでないにしても、異母兄がトイラックに対して、親が息子を心配するのに近い感情を抱いていることを、フレオールは知っている。


 一方で、フレオールはトイラックの異母兄に対する恩義と忠節を知っているので、


「大兄。例えトイ兄に好いた相手がいても、それに何の意味もないよ。トイ兄が結婚する相手は、好いた惚れたじゃなく、大兄の世界征服事業に貢献できるからで選ぶだろうか……」


「事の軽重をわきまえろ、フレオール! たかが世界征服ごときで、トイラックの結婚が、いや、人生がメチャクチャになったらどうするつもりだ! キサマには人を思いやる心がないのかっ!」


 目に怒りの色を走らせるネドイルの怒号に対して、たかが世界征服ごときで祖国も家族も人生もメチャクチャにされた娘たちの忍耐は、正に見上げたものであろう。


 もっとも、その内の五人はこの程度の理不尽なぞ、今さら心に響く精神状態ではなく、


「いいか、フレオールよ。どれだけ多くのものを得ようが、人間、身近な人間の幸せを考え、願えなくなればおしまいではないか。本当に大切なものは遠くに手を伸ばすのではなく、側にあるものをちゃんと見るだけで得られるものなのだぞ」


 残る三人も大宰相のご高説に耐えた。


 異母弟は呆れつつも、ネドイルが大真面目に思うところを述べているのを知っている。


 それが口先だけではなく、当人が身近と認識する相手の幸せを考え、願う心が偽りでないのも知っている。


 同時に、認識していない人間のことは、本当に何も考えていなければ、心底、何とも思っていないことも知っている。


 そして、何も言っても無駄なのを知っているフレオールも、何も知らない他の者も何も言えるものではないので、


「以上がオレの用件だ。何か聞きたいことがあるならば、手短に頼む。部下とのメシの約束に遅れそうなのでな」


 ティリエランとナターシャはこらえ切れぬ怒りをこらえるのに必死でそれどころではない。


「何もなさそうだから、これでオレは失礼させてもらう。頼み事をし、また向こうで弟も世話になっただろうから、何か困った事があるなら何でも言うがいい」


「なら、ならば、わたくしたちの国を返してください!」


 ついに激情を抑えられなくなり、ナターシャは心中にある切なるものを叫ぶ。


 タスタルの元王女の訴えに、大宰相が怒りの色を見せることはなかったが、


「はあ? そんなの無理に決まってるじゃん。オマエ、バッカじゃないの?」


 素でバカにしきった口調で応じる。


 そして、悲哀を受け入れた娘と、悲哀に翻弄されている娘と、悲哀に思考と心理がマヒしてしまった娘たちの前で、


「まったく。最近の若い娘は常識を知らんから困る」


 大宰相ネドイルは憂いるようにつぶやき、物悲しげ表情を浮かべた。


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