帝都編6
サクロスは礼節や儀礼を重んじるミベルティン帝国で、宦官として皇帝や皇族の側近くで何十年と働いた身である。それが主たるネドイルに来客を告げず、また許可も得ずに扉を開けるという初歩的なミスを犯すとは考え難い。
何より、フレオールは何度も、イリアッシュは一度だか、大宰相の執務室に足を運んでいるので、扉の開けた正面にソファーが移動しており、何個かイスが追加されている点に気づくと、主から礼儀を無視した演出をするように言われていたのがうかがえる。
異母兄の奇行に慣れているフレオールも、あまりに奇抜な格好ゆえ、とっさに反応できない。他の八人ともなれば呆然となるか、困惑するかしかなく、
「……うむ。想定以上にウケが悪いな。やはり、若い娘の感性というのは、一筋縄ではいかないようだ」
ブツブツとつぶやきながら被り物を取って現れたのは、紛れもなく大宰相ネドイルその人であった。
「広場でこの格好した際は、子供に囲まれて大はしゃぎであったが、十代後半以降の女子は中々に難しい」
もちろん、その子供たちが、うさぎさんの中身が大宰相と知らなかったのは言うまでもない。
アーシェアらは呆気に取られるばかりで、いち早くネドイルの意図に気づき、頭痛を覚えたのは異母弟であった。
トイラックの妹サリッサが、うさぎが大好きなのをフレオールは知っている。そして、ネドイルがそのサリッサを溺愛しているのは、周知の事実である。
ネドイルはサリッサを喜ばせるために、ピンクのうさぎの着ぐるみを作成したが、同時にスベることも恐れたがゆえ、アーシェアたちにいきなり着ぐるみを見せ、年頃の娘たちにウケるか否かを計ったのだ。
あまりにアホらしい理由だが、これが初犯というわけではない。フレオールを含めた何人かは、以前にウサ耳をつけたネドイルを目にし、総出で外させたことがある。
今回、着ぐるみですんで幸運であっただろう。大宰相はサリッサが喜ぶと勘違いしたなら、バニーガールの格好してもおかしくない男なのだ。
「まあいい。遠路よりご苦労であった。本日、そなたらを呼んだ理由は三つ。正しくは、アーシェア殿には三つの用事があり、その他大勢への用件は二つだ。その内の一つはさっきすんだんだが、何でウケなかったんだろう」
うさぎの被り物を見詰めながら未練がましくつぶやく。
考えるまでもなく、どれだけファンシーな格好をしようが、今の彼女たちは「キャ~ッ、カワイイ」とはしゃげる立場と心境にない。
「残念ではあるが、いつまでもスベったことを嘆いても仕方ない。この後、部下とメシの約束があるんで、さくっと用事をすまさんとならんしな」
傍若無人な言い種だが、アーシェア、イリアッシュ、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナはそのようなことを気にする精神状態ではないし、ティリエランとナターシャは初対面の際に毒気を抜かれてしまっている。
「さて、アーシェア殿への頼みだが、第十三軍団を成立することにした。面識がないかも知れんが、ムーヴィルと共に副軍団長となり、師団長たちと協力して東の地の兵をまとめ、一軍を形成してもらいたい。第十三軍団は他の軍団に比べ、魔術師や魔道兵器が少ないが、竜騎士は全騎、第十三軍団の所属とする。あっ、ついでにフレオール、オマエ、副官な」
「謹んで拝命させていただきます、大宰相閣下」
ソファーに座る頭部以外がピンクのうさぎの着ぐるみに対して、片膝を突いて頭を垂れる、元ワイズ王国の第一王女。
ちなみに、七竜連合の第一次連合軍にゼラントからの援軍の一部としてムーヴィルは参加していたのだが、三百人を率いる程度の立場であったので、アーシェアは直にやり取りしたことはない。
一方で、第十三軍団の人事にフレオールがいぶかしく思ったのは、アーク・ルーンの軍組織についての知識があるからだ。
十二個の軍団は、軍団長の下に参謀長と副官を置いて補佐させるという構成だ。だから、自分を副官に据えるのに疑問はないが、副軍団長なるものを二人も置くというのは異例なことで、その点に引っかかるものを感じずにいられない。
だいたい、アーシェアを軍団長、ムーヴィルを副軍団長という人事で一個軍団を十全に動かせるはずなので、
「オレも否はないけど、軍団長は誰なんだ、大兄?」
「……ラインザードだ」
「大兄、それは……」
「オマエの言いたいことはわかる。だから、言う必要はない」
歯切れ悪く異母弟の発言と抗議を封じる。
ラインザード・フォン・オクスタン侯爵。フレオールの同母兄であり、ネドイルのすぐ下の異母弟である。
長子であるが側室の子であるネドイルは、次男であるが正室の子であるラインザードに、後継者争いに敗れた形となり、オクスタン侯爵家の家督は弟が継ぐこととなったが、両者の仲は悪いということはない。
ラインザードは偉大な兄を尊敬しているし、ネドイルにしても、まっすぐだが視野の狭いところのある、すぐ下の異母弟を小さい頃から気にかけ、何かと面倒を見ている。
そのラインザードはネドイルの意向で、第一軍団の師団長を務めている。優れた魔法戦士であるのもあるが、最も信頼する宿将メドリオーに武将として鍛えてもらいたいという意図があってのことだろう。実際、メドリオーと話す機会がある度、ネドイルはラインザードの近況を必ず聞く。
実力主義のアーク・ルーンにおいても、実力以外で高い地位に置かねばならないケースはある。
軍に限っても、第二、第三、第八軍団の軍団長は、政治的な配慮でその地位にあるのだ。
ただ、その三人の軍団長は、十万の兵を采配する力量はなくとも、師団長くらいは務まる程度の才幹は有しており、まったくの無能というわけではない。
ラインザードも師団長が務まる軍才はあり、アーシェアとムーヴィルが補佐するのであれば、軍組織としては問題ない。問題なのは、第二軍団などの政治的な配慮が理由ではなく、ネドイルの身内びいきが理由な
点だ。
もっとも、深刻な問題というわけではない。五個軍団で東部戦線は戦力的に充分な上、トイラックなどもいて後方支援も充実している。そこに新たな軍団の成立をしても、現地で多少の手間が増えるだろうが、新設の軍団、つまりはラインザードがいくらか手柄を立てて終わると踏んでいるからのワガママとも言える。
政治的にも軍事的にも致命的な身内びいきでない点を思えば、フレオールもそう強く反対できるものではない。ラインザードにしても、一軍の将たる力量にいくらか欠けるだけで、無能でも無分別でもないのだ。
ラインザードに関してより深刻なのはその息子の行状で、次期オクスタン侯爵という境遇と、大宰相の父親に対する配慮の余波の影響か、無能なだけではなく無分別で、ネドイルの威光を笠にきて威張り散らすのみならず、ネドイルの後継者を自認する正真正銘のバカだ。
自分の母親や妻すら容赦なく切り捨てるネドイルだが、ラインザードへの配慮と遠慮のせいか、そのバカ息子を処罰することができず、地方に飛ばすに留めているが、そこでも行状が改まったとは聞かない。
ネドイル自身、今回の人事にバツの悪さを自覚しているのか、
「ムーヴィルと相談してもらうことになるが、東部に関してはアーシェア殿の方が詳しかろう。軍の編成はこちらの意を気にせずに自己の裁量でやってもらって構わない」
「かしこまりました」
「まあ、弟が、我が身内が何かと迷惑をかけるかも知れないが、よろしくお願いする。ところで、アーシェア殿は、身内に関して何かないかな?」
「……ッ……」
救済の手を差し伸べられ、アーシェアは息を飲む。
頭を垂れただけで、姪だからと言って、無条件で信じるほど、今のイライセンは人間味を残していない。ちょうど踏み絵に最適な、ワイズの元国王と元王妃と元王太子がいるので、アーシェアに両親と弟を斬らせて、忠誠心を試すというよりも、心理的な退路や逃げ道をふさごうとしているほどだ。
新たな部下の境遇と心情をおもんばかり、ネドイルはイライセンから踏み絵を取り上げるよ、と申し出ているのである。
軍務大臣だろうが大宰相の物言いには従うしかない。ネドイルとしては、異母弟のことで迷惑をかける借りを、アーシェアの家族を助けることで返そうとしているのだ。
迷いがなかったどころか、短いが激しい葛藤の末、
「……ご配慮、ありがとうございます。ですが、私はすべきことを、叔父は成してくれました。私はその叔父に従おうと思っております」
大宰相に借りを作っておけば、後日、ワイズの地で何かあった時に無理を言い易くなり、それをイライセンは望んでいる。両親や弟を助けられるものなら助けたいが、叔父への大きな負債を背負うアーシェアは、家族のために自らの功績を使うことはできない。
加えて、直に大宰相ネドイルと接したアーシェアは、その器量に救われる恐ろしさを察している。
今、ネドイルの恩情に助けられたなら、多くの高官のように忠臣となりかねない。ネドイルの差し出す救いの手は、同時に急所をえぐる一手でもあるのだ。
狡猾な打算を以て、ネドイルが恩情を示しているなら、何も怖くはない。純粋に、部下の窮状を何とかしてやりたいと思っての行動ゆえ、アーク・ルーンの高官たち、一流の人材たちがその真情に心を打たれ、奪われるのだ。
ネドイルに心服している者には、アーシェアを上回る才の持ち主もいる。大宰相の器量と真っ向から接して、己の心を保つ自信がアーシェアにはなかった。
心に甲冑をまとう新たな部下から、不意にネドイルは視線をそらし、
「オレはここまで来るまでに、何人もの部下を失った。こんな生き方をしていれば、当然のことだ。やつらがいなくなるのを考えていなかったわけじゃないが、実際に失ってみると、想像していたのとは比べものにならないくらいにこたえた。人の想像力など、たかが知れている。本当に失うことを想像なんてできるものではない。だから、失わずにすむなら、ヘタに考えずにそのチャンスをつかむべきだ。失えば、耐えるか変わるかしかないのだからな」
遠い目で語る内容は、漠然とだが多少は理解できる。
その端的な例は、クラウディアだろう。
自己と自国の正義を信じ、無道に屈せぬと覚悟を決めていたであろうが、敗れて全てを失った時、耐えられずに変わり果てた。
アーシェア自身、戦いに敗れてイライセンを失った時、耐えられずに逃げているが、
「……ネドイル閣下のご厚情には、感謝の念に絶えません。たしかにこの後、私は失い、それに耐えられなければ変わることになりましょう。しかし、それがどのような変化でも、甘受したいと思います。全てを失った叔父ほどに変われぬかも知れませんが、それで叔父の味あわねばならなかったものを少しでも理解できるなら、そうしたいと思います」
「そうか」
悲壮な決意をここまで示されれば、ネドイルとて手を引っ込めるしかない。
アーシェアの苦汁を渋々だがネドイルが納得した途端、
「何を言っているのですか、アーシェ先輩! 私たちが失ってはならないものを失ったのは、全てその男のせいではありませんかっ!」
到底、納得のできぬ思いが頂点に達し、ティリエランは大宰相に糾弾の声を上げた。




