帝都編5
世界最大の人口を誇る魔法帝国アーク・ルーンの帝都は、基本的に治安は良いのだが、巨大都市ゆえに訳ありの人間も流れ込んで来る。
そして、一端、都市の内部に入り込んでしまえば、その膨大な人口と巨大さゆえに、鳴りをひそめてしまえば訳ありの人間も当局に見つけられることはまずなく、アーシェアらは二年近く訳ありの流れ者として、帝都で暮らしてこられた。
アーク・ルーンの拡大政策によって、没落貴族が珍しくない点も、アーシェアたちの潜伏に有利な点であった。
没落貴族の大半は社会の底辺に流れ着き、身を売るか物乞いとなる者ばかりではない。一部はマトモな職を得て平民として再スタートしており、アーシェアたちがその一例と周りから思われたのも、正体がバレずに今までやってこれた一因だ。
無論、これまで見つからずにきた最たる要因は、アーシェアの用心深さにある。
戦場から着のみ着のままで逃走した彼女は、ワイズ軍が放棄した砦の一つに身を隠し、そこで旅に使えそうな物や売れば路銀になりそうな物をかき集めると、身の回りの物を人里から離れていない山中に捨てた。
王族の所持品など、売ればアシのつく高価で珍しい物ばかりである。もっとも、それは捜査の撹乱にも使えるので、人里から離れていない場所に捨てたのだ。
ワイズの第一王女の持ち物を拾ったワイズの民は、それを売り払った結果、後日、アーク・ルーン兵に尋問を受けることとなった間に、アーシェアはワイズの密偵のために用意されていた通行証を使い、祖国を出てクラングナ領に入り、西へ西へと旅を続けた。
レイラに人の姿を取らせているので、女の二人旅と周りから見えるゆえか、ナンパが多くてしつこかったが、アーク・ルーンにおいて主要街道を進んでいれば野盗に襲われることはなく、一人と一頭は無事に帝都にたどり着いて住み込みの働き口を見つけた。
「うちの情報部はアーシェア殿を、アーシェア殿と知らずにマークしていたそうだ」
皇宮に向かう途上、馬車の中でフレオールから、飯屋に雇われた前後から当局に目をつけられていた事実を伝えられる。
もっとも、情報部は行方不明のワイズの王女をマークしていたのではなく、只者ではなさそうな二人組の女として目をつけていた。
帝都の規模を思えば、完全な監視網を敷けるものではないが、それでも情報部は危険人物の侵入に目を光らせねばならず、その監視体制にアーシェアが引っかかってしまったのだ。
ネドイルがフィアナートに殺されかけた失態も記憶に新しく、神経質になっている情報部はアーシェアが武芸にかなり精通していることに気づくと、密かに調査して白に近い灰色という判定を下した。
暗殺者や工作員のセオリーやイロハを無視した行動を何度かアーシェアが取ると、情報部はその危険性は低いと判断したのだ。
実際にアーシェアにはアーク・ルーンに害を成す意思はなかったので、その点では情報部の見解は正しく、他の工作員とおぼしき者たちへと労力を振り向けたのも効率的にも正しい。
結論として、怪しい動きがないか定期的に様子を見るだけとし、アーシェアも飯屋の看板娘としての日々を送ったので、情報部がその正体に気づくことはなかった。
まさか、行方不明のワイズの第一王女が帝都の飯屋で働いているだけなど想像できるものではなく、アーシェアの正体が浮上したのは、偶然と偶然が重なったためである。
アーシェアが働いていた飯屋の常連客の一人に、トイラックがいた。ただ、ワイズの第一王女と面識がないので、その正体に気づくことはなく、美人な店員くらいにしか思っておらず、後で正体を知ったトイラックは驚いたほどだ。
第二王女とは面識があるので、レイラの姿を取り込んでおらねば、ウィルトニアと似てるくらいは思っただろう。ただ、トイラックがレイラの姿を見たため、イライセンが姪の存在に気づくことになった。
イライセンはトイラックが帝都に来る度に、東域の情勢を聞きたがる。正確にはワイズの地に異常がないか、確認してくるのである。
もっとも、より正確には、ワイズのことを聞くことで、暗にワイズの地が乱れぬように、と釘を刺してきたので、トイラックは自分がよく行く飯屋に美人な店員がいることを話したのだ。
ワイズ以外はどうでもいいというイライセンに対して、雑談にかこつけて遠回しに「他も見てください」と注意したのだが、この際、レイラの容姿について語ったことが、叔父と姪の感動の再会へとつながった。
アーシェアとしては不運な偶然にため息しか出ないが、見つかった以上は覚悟を決めるしかない。
「しかし、ドラゴニアンの変身能力ってのは、体臭にまで及ぶんだな」
「私も祖国を出て、初めて気づいた」
湯浴みをせず、香水もたっぷりと使っていないアーシェア以前に、ドラゴンであるレイラが七竜連合以外の都市で普通に暮らせているのは、ドラゴニアンの変身能力が見た目のみならず、体臭などにも及んでいることを意味する。
もし、ドラゴニアンの変身能力が表面的なものに留まるなら、ドラゴンの臭いが自然なものではない七竜連合以外の地域で動物が騒ぎまくり、アーシェアは帝都までたどり着くことはできなかっただろう。
竜騎士の装備を捨て、人の姿のドラゴニアンとずっと接してきたアーシェアも、自然とドラゴンの臭いが薄れ、馬車に同乗しても運行に支障がない状態になっている。
ちなみにアーシェアもレイラもそこらの平民と変わらぬ普段着で、おめかしをしていないが問題はない。ドラゴンたるレイラは人間に媚びる必要はないし、その主は枕営業せずともアーク・ルーンでのし上がって
いくだけの実力を有している。
ただ、舞踏会にそのまま出られるような、ドレス姿のティリエランらに比べてみすぼらしい格好のアーシェアは、
「ちゃんとした服はないが、しかしこの服装でネドイル閣下の前に出て大丈夫なのか?」
「その点を気にする人じゃないよ、ネドイルの大兄は。むしろ、これ以上、遅れる方がマズイ。たしか、何人かの部下と夕食を取る予定と聞いているからな」
「なるほど。私たちはもてなす必要のない客というわけか」
夕刻に近い時刻であり、普通ならば遠方からの客人たちと食事を共にするものだが、呼びつけて用事がすめば後はご自由にと言わんばかりの態度で、亡国の王女たちをどう思っているかがよくわかるというもの。
「まあ、私は用事がすんだ後、すぐに叔父上の元に出頭せねばならないからな。それを思えば、どんな山海の珍味を出されても、喉を通らないだろう」
「アーシェア殿に用事がなければ、大兄も予定を変更しただろうし、ついでにオレたちもご相伴にあずかれたんだがね」
ネドイル個人としてはアーシェアやフレオールのような中身のある人間とだけ会食したいのだが、大宰相
という立場上、皇帝や皇族、大貴族などの、中身のない連中との会食は避けて通れないのだ。
主君らとの食事だけでもうんざりしているネドイルからすれば、いかに外見が綺麗でも、ティリエランらと実りのない話をしたいとは思わない。せいぜい、アーシェアの添え物として食事に誘うくらいであろう。
そんな風に、ティリエランらのことを本気でゴミ程度にしか考えていない異母兄が、わざわざ目障りで不毛な存在を呼ぶ理由、それがフレオールにはどうにもわからず、そしてわからないままブリガンディ男爵名義の馬車は皇宮の宮門をくぐった。
さすがに宮門では呼び止められ、衛兵といくつかのやり取りをしてから中へと通され、敷地の隅にあるパーキング・エリアで馬車を停め、八人は徒歩で皇宮の中へと向かい、御者とレイラはその場で待機する。
もっとも、フレオールの先導で進む一同は、すぐに先行していたイリアッシュと合流したので、綺麗所の数はすぐに元に戻る。
これまで泰然としていたアーシェアだが、イリアッシュの笑顔を前にした途端、その表情は一気にくもった。
退職した職場から皇宮まで馬車で同乗していたので、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナが壊れているに気づいて憐れにこそ思ったが、
それについて自責の念を感じていない。当人が壊れたのは当人の判断、例え身内の不始末に巻き込まれたものであっても、その身内を正すことができなかった責任は当人のものである。
だからこそ、イライセンとイリアッシュにツケを押しつけた、自分が成すべき責任、不始末を壊れてまで正してくれた二人から、二度と目をそらせるものではないのだ。
フレオールは気を遣って会うのを先延ばしたが、避けられぬのがわかっていたアーシェアは、顔を強張らせながらも従妹と共に先に向かう足を止めなかった。
アーシェア、イリアッシュ、ティリエラン、ナターシャ、クラウディア、フォーリス、シィルエール、ミリアーナ、これだけのメンツが揃っているのだ。当然、多くの視線、主に男性のそれを集めつつも、フレオールの先導もあって、スムーズに一同は大宰相の執務室の前へと至る。
部屋の前で待機する、専任の世話係りである老宦官のサクロスに来訪の旨を告げると、
「お待ちしておりました。ネドイル様はすでに準備を整えられ、中で待っておられます」
そう答えて一礼するや、ネドイルにお伺いを立てることなく、いきなり執務室の扉を開けたので、初対面の元王女たちは心の準備を整える間もなく、魔法帝国アーク・ルーン最大にして絶対の権力者のその姿を目にすることとなった。
ピンクのうさぎの着ぐるみをまとった姿を。




