帝都編2
ブリガンディ領の領主の舘から帝都まで二日の距離であり、途上、町で宿に泊まるとしても、大宰相と対面し、その後は高官たちの元にあいさつ回りをするイリアッシュらは体調を整えておく必要がある。
どれだけ美しく着飾っても顔色が悪ければ台無しだからだ。
寝不足など以ての他であるにも関わらず、舘の客間のベッドではなく、その裏手でミリアーナは座り込み、夜空をぼんやりと見上げていた。
賢い彼女は自分が美容に気をつけねばならない立場なのは百も承知だが、寝つけないものはしょうがない。
「どうした、ミリィ?」
「あっ、来てくれたんだ」
歩み寄って隣に腰を下ろすフレオールに答えるミリアーナの声音と笑みは弱々しいものであった。
「シィルがいるから、こうならないかと思った」
「シィルはもうぐっすりと寝ている。だから、夜回りくらいはする」
舘の裏手にいるミリアーナの元にフレオールが訪れたのは、いくつもの偶然が重なった結果だ。
依存状態にあるシィルエールは、当然、フレオールと同じ部屋で寝ている。なので、シィルエールが熟睡してから、フレオールは念のために夜回りをして、他の王女たちもちゃんと寝ているか確認していたのだが、ミリアーナの部屋だけドアが開いており、ベッドの上が空であった。
もっとも、そこは抜かりのないミリアーナ、机の上にメモを残し、舘の裏手で夜風に当たって来る旨を記して、騒ぎにならないようにしている。
今日はシィルエールの寝つきが良かったのもあろうが、他の元王女たちが気になって夜回りを行い、もぬけの殻だったミリアーナの部屋で見つけたメモで安心せず、ここまで足を運んでくれたからこそ、
「……ボクたち、これからどうなるんだろう……」
素直に不安と弱音を吐露することができた。
「……昼間も言ったが、ネドイルの大兄は少なくとも、女性に酷いことをする人じゃない。そして、うちの高官連中で、ザゴンのようなのは少数派だ」
第九軍団の副官であるザゴンは、他者をいたぶることを好む残忍な人物で、その嗜好はナターシャらタスタル王家を大いに苦しめた。
正直、味方の中ではフレオールが最も毛嫌いしている人物だが、こういう連中でも有能であるなら高い地位につけるのがネドイルの方針なので、少数とはいえアーク・ルーンにいるのだが、
「そのザゴンって人の悪評は聞いてるよ。でも、ボクからすれば、ゾランガって人みたいなタイプの方がずっと恐ろしい」
このミリアーナの分析は正しい。
ザゴンは残忍だが同時に狡猾な人物である。また、狙った獲物は逃さないというタイプでもなく、いたぶれれば誰でもいいというスタンスだ。
実際、まだまだいたぶれたナターシャら一家を前に、リムディーヌやコハントともめるのを避け、手を引いている。
無論、リムディーヌらの目の届かない所で新たな獲物を調達しているのだろうが、これはザゴンに目をつけられたとしても、最悪、別の素材を提供すれば、自分たちは難を逃れることができるのを意味する。
妥協や交渉が成り立つのだから、まだザゴンのような手合いは怖くない。真に恐ろしいのは、ゾランガのような復讐鬼だ。
元来、ゾランガは善良な人物であり、代国官としても善政を敷き、旧フリカの民からの評判も上々だ。だが、そうした残忍さとは無縁な者ほど、残忍さに手慣れていない分、とことんまでいってしまうことがある。
特に、元が家族想いなために家族を奪われた反動の凄まじさは、フリカ王家の惨状が何よりも雄弁に物語っていた。
ザゴンは面白半分でいたぶってくる程度だが、ゾランガは己の全てを賭して全力でいたぶってくるのだから、目をつけられたらどちらがヤバイかは言うまでもないというもの。
もちろん、ゾランガのようなケースは特殊すぎるとしても、ミリアーナとしては自分たちがいかに無力か痛感せざるえない。
「……今更、どうしようもない話だけど、父や兄たちは使用人とかをいっぱい殴っているし、家臣に不当な処罰したことがある。もし、その中にゾランガのような人がいたら、ボクたちはおしまいだよね」
ゼラント王家に恨みを抱く者が能力を認められ、アーク・ルーンの中で出世すれば、フリカ王家の不幸と惨状をミリアーナも味わうことになるだろう。
「それはネガティブに考えすぎだ。クラウディアとかのことは極端なもんだ。今のままでも何とかなる。ただ、何かあるかわからないから、あいさつ回りをしておいた方がいいってだけだ」
「どっちにしろ、家族の尻ぬぐいをしないといけないんだよね、ボクは」
ある意味で最も問題のある家族を抱え、支えているのがミリアーナだ。
父親は情勢をわきまえずにアーク・ルーンと敵対しており、二人の兄は立場をわきまえずに横暴な振る舞いを続け、母親は精神を病んでいる。
身内に頼れる者がおらず、その尻ぬぐいと世話を一身にこなすミリアーナの心身が疲弊するのも当然であろう。
フレオールの提案は身の安全を計ると共に、そうした苦労から解放される効能もあり、その点を賢明なミリアーナは理解していてなお、
「……シィルみたいに楽になったらいけないかな……ううん、違う。楽になるとかじゃなくて、思ったよりフレオールのことが好きみたいなんだ。だから、それ以外の相手ってのは、どうにもイヤだ」
その想いを告げ、隣に座る相手に身をあずける。
その体と想いを受け止めるということは、同時に今後も受け止めることを意味する。が、心の弱り切った相手を突き放せるものではなく、フレオールはすがるような視線を向け、くちびるを突き出すミリアーナに、自らのくちびるを重ねた。




