帝都編1
登場人物
ネドイル……アーク・ルーンの大宰相であり、実質的な支配者。四十五歳。
イライセン……アーク・ルーンの軍務大臣。元ワイズ王国の国務大臣。四十一歳。
ベフナム……アーク・ルーンの司法大臣。ネドイルと同期の魔法戦士。四十五歳。
ファリアース……アーク・ルーンの吏部大臣。大貴族にして大富豪。三十七歳。
ヴァンフォール…………アーク・ルーンの財務大臣。ネドイルの異母弟。二十一歳。
ヤギル………アーク・ルーンの総参謀長。変態軍師の異名を持つ。四十三歳。
ベルギアット……アーク・ルーンの情報局長。魔道のドラゴン。魔竜参謀。
メドリオー……第一軍団の軍団長。西の神聖帝国と交戦中。亡命者。六十歳。
シャムシール侯爵夫人……第二軍団の軍団長。悪魔召喚に長けた魔女。二十二歳。
メガラガ……第三軍団の軍団長。南の精霊国家群を征圧中。歴戦の魔法戦士。五十歳。
サム……第四軍団の軍団長。北の巨人大同盟を滅ぼす。元農夫。三十六歳。
スラックス……第五軍団の軍団長。東方軍の総司令官。元宦官。二十八歳。
レミネイラ……第六軍団の軍団長。南の精霊国家群を征圧中。先史文明の遺産を所有。元王女。二十二歳。
シュライナー……第七軍団の軍団長。西の神聖帝国と交戦中。亡命者。元メドリオーの副官。四十四歳。
インブリス……第八軍団の軍団長。南の精霊国家群を征圧中。目端の利く魔術師。四十二歳。
フィアナート……第九軍団の軍団長。元暗殺者。年齢不詳。
ロストゥル……第十軍団の軍団長。魔法戦士。ネドイル、ヴァンフォール、ベダイル、フレオールの父親。六十二歳。
ヅガート……第十一軍団の軍団長。元傭兵。三十三歳。
リムディーヌ……第十二軍団の軍団長。元ミペルティンの女将軍。四十七歳。
マードック……東方軍の後方総監。六十三歳。
ゾランガ……フリカ代国官。フリカ王国の元官吏。三十九歳。
ミストール……ゼラント代国官。ゼラント王国の元弱小貴族。四十三歳。
マフキン……タスタル代国官。元タスタル貴族。四十歳。
アーシェア……ワイズ王国の元王女。二十二歳。
ムーヴィル……ミストールの息子。二十二歳。
シダンス……スラックスの副官。宦官。五十五歳。
ザゴン……フィアナートの副官。元凶賊。三十五歳。
ラティエ……ロストゥルの副官。ヴァンフォールの母親。四十一歳。
クロック……ヅガートの副官。平民出身の魔術師。二十六歳。
コハント……リムディーヌの副官。元ミベルティンの官吏。四十四歳。
フレオール……大宰相の異母弟。魔法戦士。十七歳。
メリクルス……ミストールの弟。四十歳。
ロック……ロぺス領の国境守備隊長。十八歳。
グォント……元カシャーン公国の将軍。三十歳。
ラインザード……オクスタン侯爵。フレオールの同母兄。四十四歳。
イリアッシュ……軍務大臣の令嬢。竜騎士見習い。二十歳。
クラウディア……アーク・ルーン帝国の事務員。十九歳。
フォーリス……シャーウ男爵令嬢。アーク・ルーン軍の特務兵。十八歳。
ティリエラン……ロペス子爵令嬢。アーク・ルーン軍の特務兵。二十歳。
ナターシャ……タスタル男爵令嬢。アーク・ルーン軍の特務兵。十九歳。
シィルエール……フリカ男爵の妹。アーク・ルーン軍の特務兵。十七歳。
ミリアーナ……アーク・ルーン軍の特務兵。十七歳。
カーヅ……マヴァル帝国の大将軍。二十八歳。
ジルト……コノート王国の若き天才軍師。十七歳。
ウィルトニア……亡国ワイズの第二王女。十八歳。
レイド……ウィルトニアの乗竜。ドラゴニアン。双剣の魔竜の異名を持つ。
フレオールの所領であるブリガンディ男爵領は、魔法帝国アーク・ルーンの帝都より二日ほどの距離にある。
アーク・ルーンの東の新領土より帝都までは急いでも何十日とかかる。大宰相ネドイルの召喚を受けたイリアッシュ、クラウディア、フォーリス、ティリエラン、ナターシャ、シィルエール、ミリアーナの、案内役を務めるフレオールは、ゆったりとした旅を選ばずに転移の魔法を用い、皇宮までの旅程を一気に詰めた。
ここで馬に乗って駆ければ、その日の内に帝都に着けるかも知れないが、フレオールは使用人たちに馬車と客間と湯浴みと食事の用意を命じて、出発は明日の朝とした理由は二つ。
イリアッシュたちに入念に湯浴みをしてもらい、香水などをたっぷりと使ってもらわねば、馬車を使うことさえ難しいからだ。
ドラゴンを連れて来ていないが、イリアッシュたちには乗竜の臭いが染みついている。人間ならば、匂い袋の一つで誤魔化せるが、動物の嗅覚はそうはいかない。
元来、馬は臆病な動物であり、戦場で駆るにはそのための特殊な調教が必要となってくる。さらにドラゴンの側で運用するには、その臭いに慣れさせなければならない。
七竜連合やその周辺諸国では当たり前に行われていることであり、アーク・ルーンにもドラゴンに怯えぬように調教した軍馬が何万頭もいるが、それらは全頭、東の地にいて帝都近辺では調達できぬので、イリアッシュたちには普通の馬に乗れる体になってもらうしかないのだ。
加えて、湯浴みのみで終わらせず、彼女たちには持参させた衣装で身支度を整えさせ、ドレスアップさせる時間も必要なのも、強行軍のできぬ理由の一つである。
彼女たちに着飾るように指示したのは、フレオールの独断に近い。
一行の中で武器を携帯しているのは、フレオールとイリアッシュのみである。元王女たちが丸腰なのは、ネドイルを前にして凶行に走らせぬための予防措置であり、着飾らせるのもその一環という意味もある。
クラウディアは竜騎士でなくなったとはいえ、他の面々は素手でも充分に強いので、動き難いドレス姿になるように仕向けたのだが、フレオールの意図はそれだけではなく、引き取り先を見つけるという狙いもあった。
亡国の王女たちの行く末を案じ、色々と気を回しているが、フレオール一人ではフォローも権限も及ばないことが多々ある。
アーク・ルーンの敗戦国に対する処置の苛烈さもあるが、敗れた側も自分たちの危機的な状況を理解していないので、フレオールとしては他に救いを求めるしかなかった。
大宰相の異母弟とはいえ、フレオールよりも高位にある者はいくらでもいる。見目美しい元王女が皇宮の高官の目にとまれば、当人もその一族も強い後ろ楯を得ることになる。
当人のたかが知れた能力で功績も立てようとするより、能力の優れた高官にアプローチをかけて取り入る方が効率的だし、何よりフレオールの肩の荷を他人が受け持ってくれることになる。
少なくとも、元王女たちがアーク・ルーンの高官の知己を得て、人脈が広がって頼る先が増えるだけでも、充分に意味があるというもの。
ただ、これからネドイルに対面するという状況で着飾るように言えば、当たり前だがあらぬ誤解を受けるのは当然で、ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナの表情は硬い。
笑顔なのはイリアッシュとシィルエールのみだが、別段、二人はネドイルに抱かれる可能性を喜んでいるわけではない。
イリアッシュはかつてアーク・ルーンの皇宮で絶望に沈み、自分が無価値という価値観を受け入れ、ゴミを捨てないでくれることだけで、喜び、笑えるように壊れている。
シィルエールは、フレオールに完全に依存してしまい、今、側にいられるというのが笑顔の理由だ。
無論、少し考えれば、ネドイルに差し出される可能性に気づき、不安を覚えそうなものだが、すでに思考を放棄しているのか、その笑顔にわずかのくもりもない。おそらく、彼女はフレオールに売り渡される直前まで笑っているだろう。
対照的なのはクラウディアで、その表情はずっと暗いが、これからの自分の運命に悲観してのことではない。
考えることに加え、気力も失った彼女は、目に意志の光はなく、言われるがままに動く人形のようになってしまっている。もし、フレオールが誰それに抱かれてこいと指示したならば、おとなしくというより、ただ従って指示をこなすだろう。
そのクラウディアと同様、家族親類を皆殺しにされたフォーリスは笑顔を浮かべてはいるが、その笑みはイリアッシュやシィルエールのように無邪気なものではなく、暗くよどんでいる。
イリアッシュ、クラウディア、シィルエールという実例を目にしているフォーリスは、絶望と無力さに打ちのめされ、心がへし折れながらも、ああはなるまいと踏ん張った結果というより、歪みが今の彼女のありさまだ。
アーク・ルーンに逆らう恐怖を身に染みてわからされているにも関わらず、その理不尽さに屈して諦めた答えを知るがゆえ、復讐心や憎悪やらで己と気力を保とうとしたため、フォーリスは三人とは別の壊れ方をした。
ただでさえ、家族親類を根絶やしにされて弱っている心や精神で、アーク・ルーンへの報復を考え、その恐怖と真っ向から向き合ったのだ。当人は気丈に振る舞っているつもりでも、無理に無理を重ねた心は少しずつ軋んでいき、当人の気づかぬ内にマトモな形でなくなって、その屈折した心理は内に留まらず、暗い笑みとなって表面化している。
ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナの表情が硬いのは、理由もわからずネドイルに呼ばれただけが理由ではない。イリアッシュたちの今の姿が未来の自分たちの姿となりかねなく、四人の壊れ方が他人事ではないからだ。
アーク・ルーンの意向と理不尽さに従い続けねばならない自分たちの今後に、ティリエランらは当然、不安を抱いており、いっそ何もかも諦めてしまって楽になりたいと思わなくもないのだ。
必死に耐えて頑張ろうとも、そんな忍耐や努力は上に一睨みされればおしまいなのは、シィルエールやフォーリスで実証されている。そして、ゾランガやサムあたりの高官に睨まれたら、フレオールでは頼りにならないのも証明された。
あるいは、ネドイルに抱かれたなら、アーク・ルーンで最大の庇護を得られることになり、今回の対面は一族を安泰とする最大のチャンスではあった。それを思えばフレオールが言った着飾るという指示は正しく、ティリエランたちはこの指示に積極的に協力すべきなのだが、
「まっ、ネドイルの大兄があんたらを相手に酒池肉林にふけるってわかり易い人なら、ここでそうした覚悟を決めてもらうってだけですむ話なんだが、 正直、何を考えているかわからん人だからな。ただ、どんな用件かわからないが、女性に酷いことをする人じゃないから、その点は安心していい」
絶大な権力を有する異母兄が、その権力を背景に女性に肉体関係を強要する人物でないことを、弟は一同に告げておく。
数多の権力者と異なり、ネドイルはそうした点を自制ができるというより、極めて淡白で、時折、高級娼婦を呼ぶ程度だ。かつてのベルギアットとの愛人関係も、大切に思う村人らを人質に強引に迫られたからではなく、ベルギアットの想いに応じてのものである。
暗に、ネドイルが求めて来ることはまずないし、求められて拒否しても不利益はないと伝えられ、ティリエランら三人は安堵すると共に複雑な心中となる。
こうした機会に積極的に色目を使わねばならないのが、三人の立場と現状なのだ。
「大兄との対面で何事もなければ、その後に高官たちの元にあいさつ回りする予定だ」
これも暗にその意図を悟って、ティリエランら三人は表情をいっそう硬くする。
ゾランガやサムといったアーク・ルーンの高官に対して、元王女や大宰相の異母弟という肩書きが無力なのは明白だ。アーク・ルーンの高官に睨まれた際の有効な対抗手段はただ一つ、アーク・ルーンの高官の庇護を受けることである。
大宰相といかずとも、あいさつ回りの際、大臣の誰かにでも見初められ、その愛人にでもおさまれば、フリカやシャーウ王家の二の舞いは防げる。ティリエランらに実力主義のアーク・ルーンの中でのしあがっていく実力がない以上、実力者に枕営業を仕掛けるしかないのだ。
もちろん、フレオールも枕営業を積極的に勧めているわけではない。イリアッシュの件での経験から、クラウディアらを何とかしようと思ったが、結局は自分の実績や発言力が大したものではないのを再確認しただけに終わった。
彼の立場や功績でできたのは、クラウディア、シィルエール、フォーリスの一身を庇護するだけで、とてもその一族にまで手も権限も及ばなかった。
クラウディア、シィルエール、フォーリスももう手遅れだが、ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナには枕営業という可能性を示し、選択権を与えようと思ったのだ。
ただ、可能性は他にもあり、
「ネドイルの大兄は女性に酷いことをする人じゃないが、同時に女性に気を遣う人じゃないから、充分に気をつけるというより、我慢してもらうしかない。言うまでもないが」
大臣は高官中の高官だが、大宰相の部下でしかない。ネドイルの逆鱗に触れれば、どれだけ大臣に枕券を配布しようが無益にしかならない。
ネドイルは気の短いところがあり、しかも激怒する手がつけられない一面がある。
先の皇太子はトイラックの妹、溺愛するサリッサを小バカにした結果、ネドイルを大いに怒らせ、飛び蹴りを食らった挙げ句、反逆の罪をでっち上げられて処刑されているのだ。
皇太子でさえ怒ればためらいなく処分されるのだ。ティリエランらが逆鱗に触れれば、フォーリス程度の不運ではすまず、クラウディアと同じ体験をしかねないのだから。




