ワイズ騒乱編7-1
ワイズ王国の王都タランド。
魔法帝国アーク・ルーンの支配下にある今、正確には、元王都と言うべきだろう。
暖かい日射しの下、タランドの大通りに面した、一軒のオープンテラス式の喫茶店で、私服姿のフレオールは一人の若い男性と少し早めの昼食を共にしていた。
やや大きめなシャツとズボンという格好で、浅黒い肌とくすんだ金髪の、凛々しき顔立ちの人物こそ、この地を去年の前半まで支配していた、ワイズ王国の第二王女ウィルトニアである。
「しかし、便利だね。竜騎士はドラゴンの能力を借りられる。なるほど、ドラゴニアンの人に化ける能力を使えば、別人になれるわけか」
「言うほど、便利ではないな。実戦の役には立たないし、何よりキサマに化けられるわけでもない」
声帯も男性というより、レイドのそれとなっているが、普段から男言葉なので、今のウィルトニアは見て、女性だとも、オカマだとも思う者はいないだろう。
「レイドの人の姿は一つだけ。その姿をいくらか自分に取り込めるが、レイド自体にも化けられん」
今のウィルトニアを見て、ワイズの第二王女とはわからないが、レイドと誤解されることもない。
女性と男性体という違いもあるだろうが、ウィルトニアはレイドに特徴を取り込んだ姿になれても、レイドそっくりにはなれない。
レイド自身がクラウディアやナターシャに化けられない以上、ウィルトニアできるのは、ウィルトニアであることをごまかせる姿になることだけだ。
「しかし、トイラックとやらが私に会う条件が、私とわからぬ姿で来ることだけとはな。まあ、私がここにいるのがバレれば、大騒ぎとなるだろうが」
王都制圧後、すぐにネドイルの元に戻ったフレオールと違い、ウィルトニアの顔を見知っている民はいくらでもいる。
それゆえ、レイドの能力を借りていなければ、大騒ぎとなるのが明白ではあるが、
「まっ、それだけじゃあ、ないけど。しかし、なるほど。これなら、アーシェア殿が見つからないのも道理だ」
「……あっ!」
妹は己の浅はかさに気づき、姉を窮地に立たせたことに、忸怩たる思いを抱く。
アーク・ルーンはアーシェアに千金の賞金をかけて探しているが、未だ見つからない。そして、アーシェアの乗竜はレイドの妹竜に当たり、つまりはドラゴニアンだ。
ドラゴニアンの能力を用い、顔を変えているアーシェア自身を見つけるのは不可能だろう。が、アーシェアの側にいるだろう、人の姿をしているドラゴニアンから、最強の竜騎士を追うことは可能である。
「いや、たぶん、いずれ誰か気づくだろうから、遅いか早いかの違いだろ。それに、気づくのが遅すぎたかも知れん。これだけ時間が経つと、再追跡は困難だ。世界というのは、想像以上に広いからな。物理的に、帝国内の全てに手配書を配布するのは無理だし、うちの国にいないなら、探しようがない」
己の軽率さを悔いるウィルトニアに、フレオールは一応、フォローするが、よほどの不運か偶然がない限り、アーシェアを探し出すのは不可能なのだ。
的外れな捜索をしている間に、アーシェアが七竜連合より東に逃げていたら、もうアーク・ルーンの手が届くものではない。
あくまで賞金をかけて探しているだけであって、別段、アーク・ルーンは総力を挙げてアーシェアを追っているわけでもないのだ。
「それに、仮に見つけたとして、どう捕まえるんだ? 魔甲獣を何体か動員するとして、あんなデカイもんを動かしたら、相手に気づかれるぞ」
「それもそうか」
姉を力ずくどうにかするのが、いかに困難か知る妹は、あっさりと落ち着く。
何しろ、アーシェアの側は逃げていればいいのだから、その武勇と合わせて、捕まえる側が例え十万の兵で囲んでも、力ずくで突破される公算の方が高い。
「何より、私に姉上の心配をする余裕などないか。しかし、こんなにも早く会えるとは思わなかったな。無論、こちらとしても、故郷に戻ろうとする兵が増え続けている現状では、早いに越したことはないが」
ワイズ王国が滅びて半年以上、望郷の念にワイズ兵らが駆られ出しているのもあるが、何より上の派閥争いに呆れ、嫌気がさして、戦う前に二千の兵がいなくなっている。
脱走兵は増加の一途をたどり、何もしなければ、五千、一万と兵が減り、ワイズ軍の陣容は弱体化していくのは明白ゆえ、敵の知恵にすがる、バカバカしい行動に出たのだ。
無論、一方的に敵に弱味を握られているのは不愉快なので、ウィルトニアは敵の焦る理由を探ろうとしたが、
「まあ、今のトイ兄は前より仕事量が減っているからな。一国の面倒を見ながら、五十万の後方支援もこなす。普通は一人でできることじゃないが、少し前まで我が国の内政全般を取り仕切っていたんだ。あの膨大な仕事量に比べれば、手の空く時間も格段に違うだろう」
トイラックの前職は内務大臣である。つまりは、世界の四割以上に及ぶ、アーク・ルーンの広大な国内の民政を担当していたのだ。それがワイズの一国、仕事のスケールが何十分かの一に減ったのだ。前職に比れば、謀略に手を出せるほど、仕事量に余裕があるのだろう。
「こちらの都合も考えてくれたのだろうが、昼一で会ってもらえれば、夕方前には学園に帰れるだろう」
「魔術とは便利だな。一瞬で、学園からタランドまで来れるのだからな」
「移動用の魔法陣を設置してある場所に限られるがな。まあ、少人数に限られるし、それにたぶん、シィルエール姫なら、これくらいの術は使えるぞ」
二つの移動用魔法陣の間、理論的には世界の両端であっても、一瞬で移動できる『マジカル・テレポート』は高度な魔法である。これをフレオールとシィルエールが使えるのは、単に二人が魔術師として優れているからにすぎない。
「ともかく、なるべく早くに戻るに越したことはないだろう。これがバレたら、学園レベルの騒ぎではすまんからな」
言うまでもなく、ウィルトニアがタランドにおり、これからトイラックと密談することを、七竜連合側で知る者は一人もいない。発覚すれば、ウィルトニアもイリアッシュと同類に見られるだろう。
それゆえ、ウィルトニアとフレオールは学園を出る際、いくつかの小細工を施している。
ウィルトニアは昨夜の内にレイドを駆って学園を出ており、一夜、野宿してから、外でフレオールと合流して、人気のない場所から、魔法でタランドまで移動している。
念のため、レイドには人目につくように山中に入ってもらった。もし、追及でもされた場合、レイドと山の中で修行していたと言い訳できるようにしておくためだ。ただ、実際、オフとなったレイドは、山中で座禅を組み、イメージトレーニングに没頭しているだろうが。
一方、明け方に学生寮を抜け出したフレオールは、念のために魔法で小鳥に化けて、ウィルトニアと合流している。
自室でずっと自習するというスタンスで不在をごまかす予定だが、クラウディアなどが様子を見に来ることも考慮して、イリアッシュに半裸で対応するよう指示してある。
これでクラウディアらはフレオールらの部屋に近づこうとしないだろう。もちろん、ベルギアットが部屋を異界化して、ダメ押しもする。
ただし、この時、フレオールは予想もしていなかっただろう。イリアッシュが気を効かせ、推測の通り朝からクラウディアが部屋を訪ねて来た際、半裸なだけではなく、口元に乳液を垂らす小細工までしたことを。
トイラックとの約束の時間は昼すぎだが、二人は合流してすぐにタランドに転移している。
向こうにいて、万が一にも、誰かに目撃されたらマズイし、何よりウィルトニアが、アーク・ルーンの支配下にある祖国の様子を早く目にしたがり、二人はタランドに移動してすぐ、王都の歩き回った。
「で、久しぶりの王都を見た感想はどうだ?」
「どうもこうもない。市場には活気があるし、広場では屋台と大道芸で、人々は楽しんでいる。路地では駆け回る子供たちの姿を見た。店は普通に商売をしており、働く人々も労役させられている風でもない。一度だけ目にしたアーク・ルーン兵らの姿がなければ、本当に昔のままの光景だ」
答える亡国の王女の口調と表情が、実に複雑なものとなるのも当然だろう。
敵の支配下にあるのだ。ワイズの民が虐げられ、アーク・ルーン兵が我が物顔でのし歩いている光景を想像していたのに、現実は彼女を大いに裏切った。
民の生活はこれまで通りの生活を送っており、歩いて見た限りだが、アーク・ルーン兵に酷い目にあわされている以前に、アーク・ルーン兵の姿がほとんどないのだ。
無論、アーク・ルーン兵の姿がまったくないどころではなく、ウィルトニアの視線の先には三十人ほどのアーク・ルーン兵がおり、彼らは総出で何軒もの民家を打ち壊している。
ウィルトニアがその喫茶店のオープンテラスで昼食を取ることにしたのも、陽当たりがいいからではなく、アーク・ルーン兵らが何か横暴な振る舞いに及ばないかを見張るためだ。
だが、現実は亡国の王女にとって、どこまでも残酷だった。
民家を壊し、そのガレキを運ぶアーク・ルーン兵らに対し、ワイズの民は怯えて避けるどころか、平然と側を通りすぎ、中には会釈をしたり、軽くあいさつをする者すらいる。
「ここの大通りと向こうの大通りをつなげて、都市の利便性を高める公共工事だな。空き家はいくらでもあるから、代わりの家は用意し、引っ越し代も色をつけて渡して、住人は立ち退きに承諾させているはずだ。まあ、信じる信じないはそちらの自由だが」
もちろん、帰国してから数時間の王女に、公共工事の合法性を判断できるわけがないが、市民の反応から強引な立ち退きをさせたとも思い難い。
民の苦しむ姿を目の当たりせずにすんだことには安堵しているが、同時にアーク・ルーンの統治を受け入れている姿に、ウィルトニアは憮然とせずにいられなかった。
民が少しでも辛い目にあってないように願っていたが、逆に普段どおりに暮らす姿を見ると、自分たち以外の統治を肯定されているようで、彼女は強い葛藤に苛まれずにいられなかったが、
「さっき、空き家がたくさんあると言ったな。それは貴族たちの家のことか?」
アーク・ルーンに支配されたタランドの風景は、やはり前と異なる部分があり、最大の変化点はワイズ貴族らの館の、約五割が空き家となり、約三割が新たな住人と変わった点だろう。
ちなみに、残りは内通やら何やらでうまく立ち回り、アーク・ルーンに再雇用されて家と財産を保った者たちである。
こちらは前と同じ生活をしている姿に、葛藤なく殺意を抱いたが。
「言っておくが、たしかに処刑した貴族もいるが、家と財産と領地を取り上げてすました方が多いぞ。まあ、その後、どれだけ自活できて、野垂れ死んでいるかは知らんがな」
この空き家の持ち主の中には、バディン王国まで走り、亡命政権に参加している者も少なくない。
が、命を絶たれずとも、収入を絶たれた貴族がどうなるかを、ウィルトニアはバディンにまで馳せ参じた家臣らによって、目を背けたくなるほど教えてもらっている。
国からの特権と先祖代々の財産を失った貴族で、人並みに暮らせている者など、数えるほどしかいない。野垂れ死にした者、妻や娘に肉体労働させて日々をしのいで者の方が多いが、それよりずっと多いのが、行方のわからなくなった者だ。
実のところ、アーク・ルーンに命以外を奪われたワイズ貴族は、まだかなりの数が生き残っている。彼らはこのタランドか、バディンの王都にある貧民街に流れ着き、わりかししぶとく生きている。
ウィルトニアがそうした貴族の存在に気づけないのは、その高貴な生まれゆえに仕方ない反面がある。そもそも、彼女は世の中に貧民街などがあることすら知らないのだ。
タランドに住む民は皆、こ洒落たオープンテラスの喫茶店から見えるような、清潔で整理された場所で暮らしていると、彼女は本気で思っている。
「ネドイルの大兄いわく、国家の基は納税者である。税を納めぬ者を一人でも多く減らし、税を納める者の食卓に一品でも多くおかずがつくようにする、だそうだ。言っておくが、うちの国の税は、ワイズの、七竜連合のどこよりも安いぞ」
「なっ! バカなっ!」
「ウソだと思うなら、調べればいい。まあ、ワイズが重税を課していたとは言わんが、七竜連合の納税額は、うちは元より、周りの国々を見渡しても、やや高めだぞ」
「そんなはずはない。民が税に不満を抱き、騒ぎを起こしたことはないぞ」
「だから、重税だったとは言ってない。少し高い程度だ。別に、民からしぼり取っていたわけじゃない」
「つまりは、キサマたちの方が、少し税が安い。そう自慢したいのだろう」
「それもあるが、なぜ、百二十万もの遠征軍だけで、巨額の軍事費がいる我が国が、七竜連合より安い税でやっていけると思う?」
「キサマの国が我が国よりもはるかに大きいからだろう」
「それもあるし、細かな点は色々とあるが、根本的なところは違う。貴族の数がずっと少ないんだ」
「いや、そんなことはない。それこそ、偽りだ」
「ああ、単純な数だけなら、うちの国の方がはるかに多い。が、貴族と平民の割合は、うちの国の方がずっと少ないということになる。ざっとした計算で、五倍。つまり、国民ひとり当たりの、貴族による負担額に五倍の違いが出るわけだ」
「ウソだ」
そう言いたいウィルトニアだが、彼女は実際に空き家だらけの、貴族の居住区を目にしている。また、時に度を越す、貴族らの贅沢ぶりを知るゆえ、フレオールというより、アーク・ルーンの方針を否定できなかった。
「まあ、単純に貴族の数を減らせばいいというものではないが、減った貴族の分、権限を与えた平民で穴埋めした場合、驚くほど経費が安くすむんだ。例えば、あんたもドレスを何着を持っているだろうが、その一着に何十人分の税金を必要とするか。その点が理解できれば、巨額の軍事費をまかなってなお、納税者に減税などで返還できる我が国のやり方が、いくらかは理解できると思うがな」
パーティーなどの社交の場が嫌いなウィルトニアだが、それでもドレスを何着かドレスを持っているが、それがいくらするものか、考えたことはない。
何より、パーティーにかかる費用と民からの税金、その二つをつなげて考えたこともなければ、民の税がどうすれば安くなるかということも考えたことはなかった。
そんな物思いに沈む王女の前で、幸福な光景が展開する。
お昼になったからであろう、アーク・ルーン兵が手を止め、各自が昼食を取ろうとする中、工事現場にやってきた三人の娘が、三人の敵兵に手にするバスケットを手渡す。
おそらく、三人の娘はタランドの、この地の生まれで、そのアーク・ルーン兵三人と何らかのきっかけで恋人となり、今日は、あるいは毎日か、彼氏のために手作りの昼食を持ってきいるのだろう。
はにかむ三人の娘と、照れくさそうにする三人の兵士に対し、残るアーク・ルーン兵はその六人を取り囲むや、はやし立てたり、口笛を吹いて、交際半年未満のカップルらをからかう。
あまりにありきたりな幸せから、ウィルトニアが目をそらしたのを見計らったように、
「さて、そろそろ行くか」
昼食代をテーブルに置いたフレオールが席を立ち、本日のメインディッシュに向かって歩き出すと、ウィルトニアも無言でそれに続いた。
工事現場から目をそらしたまま。