入学編1-2
ロペス王国の領内にあるためか、ライディアン竜騎士学園の学園長はロペスの王族出身の竜騎士が務めるのが慣習になっている。
現在のライディアン竜騎士学園の学園長ターナリィも、ロペス王の妹の一人で、在学中から優秀な竜騎士と評判であり、学園を卒業後、そのまま教官として残り、二十代半ばで学園長に就任、それから五年、その職務を何事もなくこなしてきたが、六年目の入学式で早々に、トラブルと直面することになる。
正確には、五年目の終わりにまかれたトラブルのタネが、今日、予想した通りに発芽したと言うべきか。
七竜連合は魔法帝国アーク・ルーンと戦争状態にあり、ワイズ王国がすでに滅ぼされてしまった。その憎むべきアーク・ルーンから新入生を迎えるなど、タチの悪い冗談でしかない。
が、アーク・ルーンはいかなる魔法か、政治手腕を用いたのか、そんな悪質なジョークを成立させてしまい、ターナリィは笑うとは対極の心境にあった。
とはいえ、学園長である彼女はトラブルを処理し、責任を取らねばならない立場にある。
あらかじめ指示していた通りに、七竜姫によって騒乱を抑えさせ、生徒会長に隔離してもらうと、来賓らとの対応を副学園長と教官らに任せ、ターナリィは自分の執務室でトラブルの元凶、フレオールとイリアッシュと向かい合う。
フレオールとは初対面だが、イリアッシュとは面識がある。何しろ、今年十九のイリアッシュは、去年までライディアン竜騎士学園の生徒であり、しかも生徒会の会計を務めていた。
が、祖国ワイズがアーク・ルーンの侵略を受けると、彼女は休学届けを出し、自らのドラゴンと共にワイズ王国に戻り、父イライセンと力を合わせて、侵略者を手引きし、その滅亡に多大な貢献を成した。
会計に就任するほどだから、イリアッシュは生徒のみならず、教官らからも大いに信頼されていた。同じ学年にロペスの王女がいなければ、生徒会長になっていてもおかしくないほどに。
だから、当初は誰もイリアッシュが裏切ったことを信じなかった。が、いくつもの続報が彼女の裏切りを確定すると、信頼した分の反動が大きかったか、ライディアン竜騎士学園はイリアッシュの学籍を末梢していたので、アーク・ルーン帝国から戻ってきた彼女は、また一年からやり直すハメになった。
自分の執務机につくターナリィの傍らには、彼女に似た、淡い色彩の長い髪を軽く束ねて右肩に垂らす、知的な風貌の、真新しい教官の制服をまとう、見るからに新米といった、イリアッシュと同じ年の美しい女性がいる。
その新米教官、順当にいけば次の学園長となるロペス王国の王女、ティリエランは、去年までライディアン竜騎士学園の生徒だっただけではなく、生徒会長も務めており、当然、会計として生徒会に所属していたイリアッシュと面識があるどころか、親友であったがゆえ、彼女の裏切りを最後まで信じず、最後まで親友の学籍の末梢に反対した。
裏切り者となった親友と相対するティリエランの表情は沈痛そのものであり、ターナリィにしてもにこやかとは言い難い表情を浮かべている。
その叱る側とは対照的に、フレオールはふてぶてしい態度で、イリアッシュは朗らかに微笑んでいて、反省や恐縮の色がカケラも見られない。
三十とまだ若い学園長は、こみ上げる怒りを抑えながら、
「さて、私としては正直なところ、あなた方を退学にして、万事を安直にすませたいのが本音です。が、理由も聞かずにそうするわけにはいきません。なぜ、あのようなマネをしたか、理由を述べなさい」
「つまり、アーク・ルーンについての情報を流せば、不問に付すってことだろ。で、情報源として価値が無くても、人質として使えるって考えているってわけだろ」
ふてぶてしい、自分の半分ほどしか生きていない少年の言葉に、ターナリィの顔色が目に見えて変わる。
アーク・ルーン帝国から新入生を受け入れれば、トラブルが起きるなど、誰にもわかることだ。面倒が起きるのがわかりきっていて、それでもフレオールらを手元に確保した点に、様々な思惑はあるだろうが、その利用価値の最たるは情報源と人質であろう。
教育者たるターナリィは、祖国だけではなく、七竜連合の総意として、スパイのマネ事をしなければならない。そして、姪のティリエランのみならず、クラウディアたちもスパイの手先として、フレオールからアーク・ルーンの情報を引き出すよう仕向けねばならない立場にある。
「肉屋に魚を売らせる。そんな警句があったな」
知識のない者、不向きな者にやらせたところで、大した成果が得られるわけがない。考えるまでもないことであり、七竜連合がそこまで愚かなはずはなく、フレオールとてそこまで舐めきっていなかった。
「イリア、オマエがいた頃に比べて、下働きの人間が増えたり、新顔になっていたらわかるか?」
「はい、それなりに。なるほど、その人たちの中に諜報員がいるわけですね」
「そんなとこだろ。オマエが見たことのない人間は、全員、スパイの類いと思った方がいいな」
この部屋で最年少の読みに、ロペスの王族ふたりは、目を白黒させて驚く。
竜騎士として優秀だから、スパイとしても優秀とはならない。不慣れな者に情報収集などやらしても、しょせんは素人、うまくいくわけがないが、やらせる方はそれでいいのだろう。
ターナリィらが不自然な動きを見せれば見せるほど、フレオールの注意はそちらに向き、本当のスパイが動き易くなるのだから。
おそらく、本当のスパイの存在を、ターナリィらも教えてもらっていないのだろう。その方が、自然に不自然な態度となるゆえ。
無論、素で驚いているように見えるターナリィとティリエランの態度が、実は演技である可能性はあるが、
「フレオール様、この二人は根っからのマジメ人間、腹芸なんてとてもできません」
イリアッシュがそう耳打ちして、裏の裏の可能性を否定する。
「本当に、あなたたちを退学させたくなりました。学園が、次世代の竜騎士を指導する神聖な学びやが、諜報活動の場になっているなど、不快でなりません」
純粋に教育者として生きることに、十二年の月日と結婚適齢期をなげうってきた女性は、強い憤りを見せる。
「けど、それはできない。むしろ、どんなトラブルを起こそうが、周りをなだめて、オレらが学園に居られるようにしなければならない。退学にしていなくなれば、いざという時、人質にしたりできないからな。まっ、安心してくれ。どうせ罰せられないからと、好き勝手に振る舞うほど、節度がない人間じゃないつもりだ」
「入学式であんなマネをした者の言葉、とてもうなずけません」
「騒ぎを起こしたのは悪いと思っているぞ。が、あんたらの末路がどんだけ最悪か、何となく想像がつくんで、言わずにいられなかったんだよ。滅びるにしても、マシな滅び方ってのがあるだろ。う〜ん、そうだな、あんた、妹がいるだろ、たしか二人」
「ええ、います」
いきなり話を振られ、ティリエランは戸惑いながらも、その通りなのでうなずく。
「下の方は七歳だったか。母親が違うとはいえ、徹底抗戦すれば、そんな幼い命が失われるかも知れないんだぞ。親や姉の愚かな選択によって」
異母妹のことを愛するティリエランは、脅迫めいた物言いに、むしろフレオールを睨みつけ、
「まだ七つの妹、貴国はそんな幼い命も奪うというのか!」
「情勢によってはそうなるかも知れないって話だよ。うちの将軍連中はだいたいはマトモだから、女子供は殺さない。が、だいたいは甘くもないから、戦況によっては、それが有効な手立てであるなら、赤子でも殺す時は殺す。先のことなんて誰にもわからないんだから、最悪の未来を想定しておいた方がいいんじゃない。最悪の事態に直面してからじゃあ、妹を逃す手配ができないかも知れない。事前の準備は大事だよ」
「……言うことに一理はある。万が一を考えておこう」
遠回しな忠告ととれなくはないので、、ロペスの王女は糾弾を一応は引っ込める。
「フレオール、あなたは祖国のことを、赤子でも殺す時は殺す、と言いました。そんな非道な行為に正義があると思っているのですか?」
「いや、ないよ。そもそも、うちの国の最近の戦争は全て、アーク・ルーンとしての戦いじゃなく、ネドイルの大兄が、己個人の欲望を満たすためだけの私戦だからね。正義だの大義だの理想だの、そんな御大層なものはチリほどもない」
姪との会話の中で、フレオールが兄の方針を全肯定しているわけではないと察したターナリィは、予想よりもずっと批判的な回答を得る。
ちなみに、フレオールがネドイルのことを大兄と呼ぶのは、庶子、側室の子ではあるが、一番上の兄、長男だからだ。
「このライディアン竜騎士学園は、あなたにとって危険な敵地。そんな場所に大宰相ネドイルは、弟であるあなたを送り込んだ。その点について思うところはないのですか?」
ライディアン竜騎士学園というより、七竜連合がアーク・ルーンからの新入生という、あり得ない状況を受け入れたのは、情報源、人質の他に、フレオールを取り込もうという意図があってのことだろう。
フレオール自身は、先年は一軍の指揮官ではあったが、今は無役の学生であり、ブリガンディ男爵領を有する貴族の一人にしかすぎない。
が、彼の父はオクスタン侯爵家、母はエストック侯爵家に通じる身。その点を含めれば、決して小さな存在ではない。
自分を敵国に内通させようとする学園長に、むしろフレオールは哀れむような表情で、
「まあ、オレがネドイルの大兄にうとまれ、ライディアン竜騎士学園に入学させられた、と思っているわけね。たしかに、オレがここにいるのは、大兄の策略の結果だから、常識的に考えれば、そういう結論になるんだと思うけどさ。でも、常人と同じハカリが、誰にでも通じるものじゃないよ。オレとしては、その件の真相を知ろうとするのは、おススメしない。同じ滅ぶにしても、強大な独裁者が相手と思う方が、四十四のオッサンが相手と思うより、ナンボかマシだろう」
皇帝を操り人形も同じとし、魔法帝国アーク・ルーンに絶対権力者として君臨する大宰相ネドイルは、今、四十四歳である。
「フレオール、あなたが兄君を高く評価しているのはわかりました。そして、昨年、私たちはアーク・ルーンに負けている。しかし、竜騎士に勝ったから、そちらの勝利が確定したような物言いはいただけませんね。私たちはドラゴン族と盟約を結んでいるのですから」
さすがに表情を険しくして、ターナリィが挑むような口調で言い放つと、フレオールの顔はますます哀れみの色が濃くなる。
「なあ、学園長、あんたも人にものを教える立場の人間なら、もっと実戦を想定したカリキュラムを組むべきだぞ。誰も彼もが、アーシェア殿みたいに例外に育つわけじゃないんだ。あんたの教え方がヘタな分、戦場で転がる教え子の死体が増えると心得た方がいいぞ」
「キサマッ!」
「落ち着いて下さい、叔母上」
顔を真っ赤にして、イスを倒して立ち上がるほど、激しく憤るターナリィは、もしティリエランがとっさに止めていなければ、フレオールにつかみかかっていただろう。
「フレオール様、言っても無駄ですよ。バカと言われて、バカと気づけるバカもいますが、バカと言われてもバカとわからない、どうしようもないバカもいますから。どうしようもないバカは、いくら注意しても理解できないから、どうしようもないバカなんですよ」
イリアッシュの発言は、ロペスの王族らを怒らせるのに充分であり、叔母を抑えるティリエランも、鋭い視線を二人に向ける。
「イリア、私は、私は、オマエは父親の命令で、仕方なく裏切った、今までそう思っていた。信じていた。が、今の発言、いや、悪びれもしない今の態度でわからなくなった。いったい、何を思って、裏切ったというんだ?」
「戦争しているのに、負ける陣営にいても仕方ないじゃありませんか。まあ、あなた方が弱いおかげで、父は軍務大臣になれて、金貨二十万枚の褒美がもらえて、領地が二万戸に増えました。あと、皇族の方と再婚することにもなっているので、アーク・ルーン皇室に名を連ねる予定なんです。本当にありがとうございました」
にこやかな表情で、莫大な恩賞の数々、裏切りの代価を口にする。
イリアッシュの家はワイズ王国でも、王の妹を妻と迎え、王家と縁戚となり、大臣の要職につけるほどの名門中の名門であり、三千戸の領地を所有していた。が、そんな過去の栄光がかすむほどの取り引き材料を、大宰相ネドイルは用意した。
特に、遠征軍、侵略のためだけでも約百二十万の軍勢を数えるアーク・ルーン帝国で、軍事の責任者である軍務大臣をネドイルより任されたのだ。その意味するところは大きいと言わざる得ない。
いかなる魔法か、それとも裏切りの代価がそうさせたのか、一年前とは別人になったとしか思えぬ親友の変わりように、ティリエランは数瞬、呆然となったが、やがて御し切れないほど膨大な怒りが沸きだし、
「バカはオマエだ! 親も親なら、娘も娘だったわけか! 恥知らずが! オマエのようなクズを親友と思っていたとは、我ながら情けない!」
「ティリー、あなたがクズと言っても、何の意味もないんですよ。全ての価値はネドイル閣下が定められるんです。そして、ネドイル閣下からすれば、私もあなた方もゴミクズでしかありません。私などは父のおかげで、遠慮してもらえるゴミクズですが、あなた方は遠慮していないと、処分されちゃうゴミクズなんですよ。身の程をわきまえないと、ロペス王族の血が絶えちゃうんだから、気をつけないと。生きている価値も意味もないゴミクズが、邪魔に思われたら、処分されるだけなんですから」
ティリエランのみならず、怒りで立場を忘れたか、ターナリィすらも、全身からドラゴニック・オーラを放ち始める。
「ハアアアッ」
そして、全身にまとった膨大なドラゴニック・オーラに、二人を明らかに気圧される。
「学園長、ティリー、よく考えて下さい。多勢に無勢ですから、私ひとりでは殺されちゃいますが、その多勢が私ひとりを殺す間に、何人、殺されるか、を。あなた方ふたりがかりで、私に勝てると考えるほど、救いようのないバカじゃありませんよね?」
単純なドラゴニック・オーラの量だけなら、最強の竜騎士たる従姉を上回っているイリアッシュとの実力差に、先に湧いた怒りを後に湧いた恐怖で打ち消される形で、恥辱に顔を赤らめながらもうつむいてしまい、教え子の脅しに屈する。
「では、学園長、今後はあのような騒動を起こさぬよう気をつけますので、本日のところはこれでよろしいでしょうか?」
フレオールと違って、入学式で何をしたわけでもないイリアッシュが、表面上は礼儀正しく退室の許可を求め、ターナリィが呻くように「……え、ええ」とあいまいな返答を得るや、騒動の元ふたりは、そそくさと学園長室から退室する。
これから、どれほどの騒動が起きるか、不安げなロペス王族ふたりを残して。