落竜編3
「マヴァル軍は、いや、レヴァン殿は、動かぬことを選んだか。いや、選べないから、動かないでいるのか」
マヴァル軍がアーク・ルーン軍の動向を見張っているように、アーク・ルーン軍もマヴァル軍の動向を探り、それがすぐに伝わるように手配している。
マヴァル軍、動かずの報を受け、苦笑を浮かべていられるのは、敵の反応が予想を出ないものだからだ。
もし、マヴァル軍が出撃していたら、フレオールも泰然としていられなかっただろう。
もっとも、それはマヴァル軍が打って出る可能性を全否定していたわけではない。フレオールはイリアッシュ、ティリエラン、シィルエール、アース・ドラゴンを駆る二人の竜騎士、計五騎と共にいるのは、マヴァル軍が出撃した際に備えてのことだ。
マヴァル軍が動かなければ、フレオールらも動かずにいるだけだが、マヴァル軍が動いたとしても、ロックの部隊と連携して対処するだけである。
マヴァル軍への憎悪にたぎるロックは、敵軍の出撃を望んでいただろうが、さりとて城塞に立てこもる敵を強攻するほど愚かでもない。
マヴァル軍が動く可能性も想定していたからこそ、フレオールはイリアッシュらと共におり、マヴァル軍が動こうが動くまいが対応できる作戦だからこそ、スラックスも承認したのだ。
「まっ、このまま動かないままってのもあり得るが、まずマヴァル軍は動くだろう。憎悪を叩きつけるのが早いか遅いかでしかないのも、ロックも心得ているだろうから、そちらは安心だな。注意はしとかないといけんが」
フレオールからすれば、レヴァンの采配よりもロックの暴走の方が注意するべき事項だ。
異常な復讐の念がどれだけ危険なものか、ゾランガの振る舞いを見ていれば、嫌でもわかるというもの。レヴァンの方は軍人として良識的にこちらを殺そうと計ってくる分、まだ安心ができた。
「被害を受けた以上、マヴァル軍は何らかの報復的な行動に出るでるしかないでしょう」
フレオールの作戦の概要くらいは知っているティリエランは、マヴァル帝国が動くのを確信している。
敵の作戦行動で損害が生じた以上、マヴァル帝国はそれを放置するわけにはいかない。放置すれば、マヴァル帝国の威信は低下する。元王族であるだけに、ティリエランはマヴァル帝国が国の威信を回復するため、何らかの形で軍を動かす点は確信しているが、問題はどういう形で軍を動かすかである。
分散して飛び回る竜騎士を捕捉して討ち取るなど、不可能に等しい。仮に、マヴァル軍が竜騎士一騎に対抗するには一千の兵がいるとして、一千の兵を竜騎士と同じように動かすなど、物理的に不可能だ。ドラゴン族の中では足の遅いアース・ドラゴンやアイス・ドラゴンとて、騎兵でならともかく、歩兵の足では追いつけるものではない。
正直なところ、フレオールの考案した竜騎士による遊撃戦術の有効性を思えば、ティリエランなどはなぜ、先年、この戦法を思いつくことができなかったのか、本気で後悔の念を覚えている。
何しろ、竜騎士の遊撃戦術そのものには対処法がないのだ。
もっとも、フレオールにしても、ワイズ王国での攻防に際して、アーシェアが竜騎士による編隊を組み、軍事基地や補給部隊を空襲したことに、この戦法の着想を得ている。
アーシェアの空襲にアーク・ルーン軍が対処できた最大の要因は、空襲の標的を絞ってきた点にある。その点を踏まえて、フレオールは襲撃目標が広範囲に及ぶように計ったのである。
おそらく、早晩、竜騎士による遊撃・襲撃に対する方法、守りようがないことに気づいたマヴァル帝国は、攻めに転じるだろう。
攻勢、否、強攻に出て、アーク・ルーンから、竜騎士から攻める余裕を奪おうとするとのフレオールの予測を聞いているので、ティリエランは不安を抱かずにいられないのだ。
マヴァル帝国が強攻に出るとすれば、ゼラント領、ロペス領、モルガール領のいずれか。言うまでもなく、ロペスの地はティリエランの故郷であり、そこにマヴァル軍が襲う、いや、猛襲にかけてくると思うと、平静でいられない。
今、ロペス方面の国境を守っているのは、ティリエランら竜騎士五騎と魔法戦士一名、民兵三千だけである。しかも、先にマヴァル軍に国境を突破された際、守りの要となる城は全て焼かれており、砦がいくつか残っている程度だ。
ロペス領にアーク・ルーン軍の軍団の一つでも駐屯しているならともかく、フレオールから対抗策を聞いていないのはティリエランだけではなく、
「しかし、フレオール様。私たちだけでマヴァル軍に勝てるでしょうか?」
「単純に、レヴァン将軍の軍勢だけでも六倍の数なんだぞ。それで一気呵成に攻められたら、勝つどころか、守ることもできんさ。オレやロックからすれば、レヴァン将軍は厄介な敵だ」
「では、わざと負けて、敵軍をロペス領に深く誘い込む策か何かなのですか?」
「そんな作戦、ロックが承知せんよ」
マヴァル軍の行儀の悪さは、この一帯の住民たるロックとその手勢が熟知している。作戦とはいえ、攻め入ったマヴァル軍が村や町に何をするかなどわかり切っており、ロックは命令を無視してでも、マヴァル軍の進出を死守しようとするだろう。
「それに、こちらが敗れたように見せかけたところで、そんなものはレヴァン将軍に見破られるだけだ」
「逆に、その策でロペスの竜騎士が一騎、レヴァンに討たれたと、子供の頃に聞いています」
竜騎士を討ち取った一事だけで、レヴァンの手腕がわかろうというもの。
もっとも、その竜騎士を五十数騎にまで減らした帝国の魔法戦士は苦笑を浮かべて、
「オレやロックでは、たぶん同じ兵力では、レヴァン将軍と互角に渡り合うのが精々だろう。つまりはレヴァンなる将はその程度、オレやロック程度には厄介でも、トイ兄やスラックス将軍にとっては大した敵じゃない。もし、我が軍がレヴァン程度に苦戦したなら、イライセン殿やアーシェア殿に申し訳ないというもの」
国としてはワイズよりマヴァルの方がずっと大きいが、敵としては大きく劣る。
マヴァル帝国では数万の兵を率いる器であろうが、アーク・ルーン帝国に降って来た場合は、五千の兵をあずけるだけの人材でしかない。
「で、イリア以外にはピンッと来ないだろうが、我が国が誇る戦の天才、ヅガート将軍は、イライセン殿の築いた堅陣を独力で突破できなかった。アーシェア殿とて経験で劣るくらいで、地の利を得て戦っていれば、負けることはなかっただろう。しかし、ワイズは滅びた。それは戦争が総力戦であり、その勝敗は軍の優劣ではなく国の優劣で決まるからだ」
ティリエランからすれば、ロペスが劣った国だったと言われたも同然だが、同時にアーク・ルーンと戦い、敗れた身としては、戦場以外でも勝敗が決すると言われれば、苦い記憶と共に思い当たることが多々あった。
国の優劣はともかく、アーク・ルーンが謀略に長けていることは否定しようがない。謀略で国内を乱され、不安定な足場でアーク・ルーン軍と戦い続けたロペス王国、否、七竜連合の将兵からすれば、マトモに戦いさえすればとの思いは抱かずにいられない。
レヴァンがどれだけ優れた将軍であっても、マヴァルにおいては一将軍にすぎない。戦場の外でアーク・ルーンが暗躍しても、それに気づかぬだろうし、気づいたとしても、それをどうこうできる権限はないのだ。
「まあ、生粋の武人たるレヴァン将軍には気の毒だが、我が国は勝つだけの策を用意してから戦う。レヴァン将軍がオレたちに勝つには、その策を戦場で噛み破るより他ないが、まあ、ドラゴンの牙でも無理だったんだ。老将の歯で噛みついたところで、自らの歯を傷めるだけだろう」
フレオールの言葉というより、アーク・ルーンの戦略に、実際にドラゴンの牙を以ても歯が立たなかった面々は、首肯するより他なかった。




