落竜編バディン2
アーク・ルーンの道理と論理を心得ているフレオールの作戦案は、却下されることはなかったが、全肯定されることもなかった。
作戦の基本部分は肯定されたが、フレオールをロペス領に派遣させるなど、変更点もあれば追加事項を、トイラックやスラックスからいくつか指摘され、よりアーク・ルーンの実入りが大きいものとされることとなった。
もちろん、アーク・ルーンの実入りが多くなった分、竜騎士らの取り分を減らすような非情なマネはしない。単純に、トイラックとスラックスの監修を経て、フレオールの作戦案がマヴァルの損失がさらに大きくなるように改善されただけである。
両者から作戦案にいくつかの指摘を受けたフレオールは、自分の甘さを痛感したというより、良くそこまで容赦のないことを考えられるなというのが、正直な感想だ。
当初より苛烈な内容に修正されたとはいえ、作戦の根幹は手を加えられることなく承認され、フレオールはホッと安堵の息をつくが、これで抱えている悩みが一つ減っただけにすぎないので、すぐに渋い表情となる。
「トイ兄。クラウディアの様子はどう?」
「相変わらずですよ。与えた仕事はそつなくこなしますが、表情は暗いままで、元気どころか、生きる気力もない点は変わっていません」
元バディン王国の王女クラウディアは、捕虜となった際にフレオールの所有物となったが、現在は彼の手元におらず、トイラックの下で事務員として働いている。
ただし、所有権がトイラックに移ったわけではなく、クラウディアの心情を気遣っての処置である。
血族を全て売却されるか、廃棄処分されたのだ。クラウディアの表情も心中も、そうカンタンに晴れやかになろうはずがない。
最善かどうかはわからないが、フレオールは彼女を生まれ育った場所で暮らせるよう、トイラックに身柄をあずかってもらっているのだ。
何しろ、これから竜騎士らを用いた作戦を主導するのだ。クラウディアを側に置いたままだと、必然的にナターシャらと顔を合わせることになる。
命じられてのこととはいえ、クラウディアの身内を手にかけたのだ。ナターシャらの方も罪の意識に苛まれることになり、互いの辛い記憶を再確認するだけの結果にしかならないだろう。
ドラゴンを失っても、七竜姫の一人だったクラウディアである。言われた書類仕事をこなすくらいはできるし、トイラックの方も一応は気を遣って仕事をやらせているが、
「ただ、生きる気力がない反面、自ら命を絶つだけの気力もないみたいですから、心配はいりません。こちらが気をつけている限り、惰性で生きていかれるでしょう」
あくまでも一応のものでしかなく、しかもその気遣いはフレオールへの義理の域を出ない。
祖国が滅びる際の在庫一掃処分は、亡国の王女の心を砕くに充分なものであった。今のクラウディアは気力を失っているのみならず、希望を捨て、考えるのを止めることで、食事・睡眠・仕事を淡々とこなすだけの、生きる屍として生存している。
トイラックに任せれば、そつなく生きる屍の管理をしてくれるだろうが、一方でそれ以上は踏み込んだマネをすることもないだろう。
「ともあれ、生きていれば、いずれ時間なり何なりが解決してくれるでしょう。彼女の身に起きた不幸を思えば、明るい笑顔なんてものは、そうカンタンにいくものではありませんよ。焦ってヘタな刺激を与えては、状態を悪化させることにもなりません。気長に、まず様子を見ることです」
トイラックの見解と処置に、フレオールも首肯するしかない。
絶望のあまり、自ら生きることを放棄した結果、他人に言われるままに生きているという、クラウディアの精神はかなり微妙な状態にあり、いかなる細工物よりも取り扱いが難しいほどの脆さの上で生存している。
おそらく、彼女の心の傷は完治することはないだろうが、症状を軽くするための手段がない以上、ヘタな刺激や療治は状態を悪化させるどころか、最悪の事態を招きかねない。
「じゃあ、顔を見るのもひかえた方がいいか。正直、会ってもどうすればいいか、さっぱりわからんしな」
「その辺りは、フレオール様の判断でよろしいと思いますよ。私の言葉や推察は、しょせんは素人のものでしかありませんから」
医学や心理学の素人なのは、フレオールも同様である。そして、自分の洞察とトイラックの洞察、どちらを重んじるかなど、考えるまでもない。
「ヘタな刺激を与えぬよう、顔を合わせぬ点には反対しませんが、こうして訪れたのですから、今後のことを考え、何日か様子を見られるのはどうですか? いえ、フレオール卿の作戦を実施するにあたり、こちらも裏から色々と手を回す必要があり、何日かいただけるとありがたいということもありますので、ぜひ、お願いします」
頭を下げてまで頼むスラックスだが、その真の目的が見え見えなので、フレオールは憮然となり、トイラックは苦笑を浮かべる。
トイラックが赴任してくるまで、スラックスがベッペルでやっていたのは、ガレキの撤去だけではない。
先の激しい攻防で数多と転がった死骸も、一部を除いて処理を終えているが、何体かは調査のために残してある。
強引に数体の悪魔と合成された竜騎士、その怪物が発した障気を浴び、異常な腐り方をしたドラゴンや魔甲獣など、魔術的に調べておくべきものはいくつもあるので、大宰相ネドイルは近日中に、バディン領のベッペルに調査団ではなく、一人の魔術師を派遣しようとしている。
異母弟にして、魔道戦艦の製作者たるベダイルである。
言うまでもなく、フレオールとベダイルはとことん仲が悪い。何年も一緒に暮らしてきたトイラックは、とっくにサジを投げているが、傍目でしかそれを見ていないスラックスが密かに画策した、兄弟仲直りさせるための作戦案は、
「あいにくだが、とっととリムディーヌ将軍の元に行かせてもらう。クラウディアの方は放置した方がいいが、シィルエールの方は逆だからな」
フレオールはこのベッペルに、イリアッシュの駆るギガではなく、シィルエールの駆るスカイブローで来ているのは、前者に比べて後者の方がずっと飛行速度に勝るからだけではない。
バディン王国の最終日に行われた処刑において、シィルエールは母親を失った。しかも、母が首を斬り落とされた理由、自分がグズグズしていたからということに、彼女は耐えられなかった。
親しいミリアーナらも、自ら手を汚した心理的な衝撃に、自らの精神的な葛藤と向き合うのに手一杯で、シィルエールのフォローをする余裕などなく、フレオールが何かと気遣った結果、彼女は慰めてくれた男にべったりと依存するようになってしまった。
精神に多大な衝撃と負荷を受け、自ら考えて生きることを放棄した点は、クラウディアに似ていると言えるだろう。
ただ、バディンの元王女に比べ、フリカの元王女は他人に頼る性格をしていた土台が、他者依存へと悪化したのものの、皮肉にもそれが最悪の結果を回避することにつながった。
フレオールに強く側にいるように求められたのもあるが、クラウディアと違い、シィルエールには兄や妹と暮らす選択肢はある。ただ、自分のせいで母親が死んだという負い目のあるため、兄や妹と会い辛い心理が働き、無意識に距離を置いたおかげで、彼女だけゾランガの魔手を逃れることができたのだ。
無論、フレオールがシィルエールを側にいさせるのも、彼女の心理状態を気遣ってのものだが、それ以上にゾランガの狂気的な心理状態を危惧してのものである。
「フレオール様。いっそ、シィルエール嬢を家族と共に暮らせるように取り計らってはいかがですか?」
暗に、シィルエールをゾランガに引き渡すことを提案するトイラック。
「そんなことができるわけないだろう、トイ兄」
「でも、クラウディア嬢と違い、いつまでも面倒を見ていられるわけじゃない。その点はご理解していますよね」
「…………」
トイラックの指摘する難点を言外に理解できぬフレオールではなく、それゆえ反論も否定の言葉も出てこないのだ。
イライセンとゾランガ、共に狂気に突き動かされつつ、目的のために冷徹な計算ができる点は同じだが、両者には決定的に異なる点がある。
バディン王家を惨たらしく処刑したのも、アーク・ルーンの軍務大臣として職務に精励するのも、全て旧ワイズの民を守るためである。イライセンは今後の自分の実績と人生を、全て旧ワイズの民を守るために用いるであろう。
クラウディアを見逃したのも、彼女を殺すより生かしてフレオールに貸しを作った方が、旧ワイズの民を守るに際してその方が良いと計算した結果だ。バディン王家の多くを処刑したのも、生かしても何の役には立たないが、殺せば見せしめの効果があるからであって、クラウディアやバディン王に深刻な憎悪を抱いていたわけではない。
否、例え深刻な憎悪を抱いている相手でも、旧ワイズの民を守るためなら、イライセンは憎悪だろうが何だろうがあっさりと捨てるだろう。
これに対して、家族を失ったゾランガには守るべきものは何もなく、全てにおいて己の憎悪を優先させるというより、今のゾランガにはもう憎悪しかないのだ。
「疲弊がいちじるしく、治めるのが難しいフリカの地を統治されているゾランガ殿の才幹は言うまでもないでしょうが、それよりも瞠目すべきは、彼の御仁にはもう復讐しかないということです。今、復讐を完遂するのに力が足りないなら、復讐を遂げられるだけの地位や権勢を得ようとするはず」
今はいいが、代国官として実績を重ね、その褒賞してシィルエールの身柄を求めてきたらどうするか、というよりも、どう対抗するか。
ゾランガの功労や出世と同じくらいに、祖国に貢献できればいいが、
「ゾランガ殿の才幹にあの異常な復讐心が加わるとなれば、我が国としては喜ばしいことに、何年か先、万民に慕われる大臣を得ることになるでしょう。元々、民のことを思いやって投獄された方ですからね」
ゾランガの才幹にフレオールは及ぶものではなく、ネドイルやトイラックがフレオールに肩入れにするにしても限界がある。
自己の才幹を異様な復讐心で研ぎ澄まし、フレオールを蹴散らし、ネドイルやトイラックさえも譲らせ、シィルエールを復讐の刃で一突き、いや、メッタ刺しにする。今のゾランガにはそれ以外に目的がなく、そのためならいくらでも善政に貢献し、名臣となるだろう。
ネドイルからすれば、小娘をいたぶり殺すために国家の柱石に至った心情と狂気を理解してやらないわけにはいかないし、何よりシィルエールなど元より小石程度の価値しかない。
当たり前だが、そんな怪物、フレオールの手腕でどうにかできるものではないし、
「ともあれ、ゾランガ殿が正道に立ち戻るためには、一度、精算する必要があり、これは不可避なものです。シィルエール嬢にどこまで肩入れされるかはフレオール様の自由ですが、覚悟が必要なことは覚えておいてください」
トイラックという怪物の洞察がどこまでも正しいことを熟知しており、不愉快でも暗然とうなずくしかなかった。
どのような結末を迎えようが、関わった以上、そこから目を背けることはできないのだから。




