落竜編フリカ1
被害者は自分にされた仕打ちを忘れぬものだが、加害者は自分のした仕打ちを、なぜか忘れるか、あるいは軽視する傾向がある。
滅びた祖国が自分にした仕打ちを、被害者は忘れても許してもいないどころか、その内では狂わんばかりの怒りと憎悪が常にたぎっているが、それを表に出す愚をおかさなかった理由は二つ。
無計画な復讐では失敗に終わる公算が高く、まずは足場をしっかりと固め、強権を速やかに振るえる土台を築いておく必要があったからだ。
そして、復讐心をおくびに出さずにいることで、被害者たちを油断させ、計画を一気呵成に実行する際、相手に逃げられる危険性を下げられ、完璧に遂行できる可能性が高まるからだ。
イライセンもそうだが、狂いつつも冷徹な計算ができるからこそ、魔法帝国アーク・ルーンのフリカ領は着実に復興を遂げており、人々の暮らしは少しずつ楽になっていき、そしてゾランガの前には掘り起こされた、フリカ王の棺が置かれていた。
フリカ王宮の中庭、そこにはフリカ王の棺の前に立つフリカ代国官ゾランガの他に、二十人ばかりの旧フリカ兵と、五十人ほどのアーク・ルーン貴族となった、旧フリカの王族や貴族がいた。
この場にいる者のほとんどがイヤイヤ集まって来たのだが、それが自ら望んでこの場にいるたった一人、ゾランガの意向である以上、それにはフリカ男爵となったサクリファーンも逆らえず、息子と旧臣たちは辛うじて原型を留めているフリカ王の腐乱死体と対面することとなった。
棺を暴き、王の腐った死体を人目に晒すだけでも、フリカ王家からすれば耐え難い恥辱であるというのに、
「これなるはアーク・ルーンに逆らい、死んだフリカの王の骸である。貴殿らに故国フリカに心が残っておらず、アーク・ルーンの忠実なる臣となった証を示してもらうため、この死体を一人につき十、ムチで打つことを命じる。では、サクリファーン卿、貴殿からやられよ」
死体にムチ打つことを強要し、しかもそのトップバッターに息子を指名する。
いかにアーク・ルーンの命に従わぬ危険性を教え込まれたとはいえ、さすがに子として進んでムチを手にすることなどできようはずもなく、
「いい加減にせんか、ゾランガがっ!」
ためらい、立ち尽くすサクリファーンの背後に佇む、ゾランガと同世代の男が、十年来の親友を一喝する。
タスタル男爵やシャーウ男爵にあくまでつき従う忠臣がいたように、フリカ随一の忠義者と呼ばれた男は、十年に渡って家族ぐるみのつき合いのある親友に取り入るようなマネはせず、
「そなたの妻子の件は真に不憫に思うし、亡き陛下をお恨みする気持ちもわからぬではない。だが、だとしても、陛下の亡骸を辱しめ、サクリファーン殿下にこのような無体を働くのは、どう考えてもやりすぎであろう。一時の迷妄より覚め、今からでもかつての忠道に立ち戻れ」
ゾランガも伊達に十年来のつき合いではなく、親友の説得の言葉など、想定内のものだ。
「反逆者を討て」
その命令に対して、兵士が少しためらっただけで従ったのは、事前に言い含められていたからである。
数人の兵士に槍を突き立てられ、愕然となって倒れゆく、否、死んでいく親友の姿を、淡々と眺めるゾランガの想定内の対処はこれで終わりではない。
「反逆者の家族をただちに捕らえ、処刑しておけ」
その指示が出された塗炭、事前の打ち合わせのとおり五人の兵がこの場より去り、
「それと、フリカ男爵、いや、サクリファーンにも反逆の意志が見られる。捕らえて、適当な一室に監禁しておけ」
命令にというより、ゾランガの異常性に突き動かされるように、二人の兵士が元王太子の病弱な体を押さえつける。
アーク・ルーンの容赦の無さも充分に知っていれば、ようやくゾランガの狂気に気づいたサクリファーンだったが、それでも自らが助かるために父の遺体を損壊できようはずはなく、復讐者の想定とシナリオ通りの反応を見せる。
無論、ゾランガの復讐とシナリオはこれで終わりという甘いものではない。
「サクリファーンの偽りの忠誠は明らかになった。そなたらの真偽はいかに?」
「も、もちろん、アーク・ルーンの忠誠を尽くす所存です」
そう言って、こびた笑みを浮かべて進み出たゼネコ伯爵の人柄は、ためらうことなくムチを手にし、生前、こびていた死体に、二十回、ムチを振るった行動でうかがい知れるというもの。
だが、復讐の小道具として必要なのは、殺した親友のような高潔な性格ではなく、ゼネコ伯爵のような下劣さだ。
「伯爵閣下の忠義、しかと見せてもらった。その忠義を見込んで頼みがあるのだが、サリーア殿のあずかってもらえぬかな。聞いていると思うが、彼女はちと精神を病んでしまってな」
元フリカ王国の第二王女サリーアは、サクリファーンとシィルエールの妹で、まだ十二歳な上、ゾランガが言うとおり心の病にかかったのも無理はなかろう。
先年よりの過酷な情勢と祖国の滅亡で、ただでさえ心が弱っていたところに、バディン王国の終焉の日、彼女は間近で母親の首を斬り落とされた直後、自分も殺されかけ、これで正気を失ってしまった。
気がふれた十二の子供が一人で暮らせるわけがないが、こうして兄が拘束された以上、誰かがサリーアの面倒を見なければならないが、問題はその人選だ。
正気を失っているということは、マトモな証言能力を失っているということだ。つまり、ゼネコ伯爵がナニをしようが、被害者の証言が信用に値しないからこそ、ゾランガは問題のある人選をしたと言えよう。
そして、この誤った人選に誤りがないのを証明するかのように、ゼネコ伯爵はよだれを垂らさんばかりの表情で、
「サリーア殿の件、このゼネコがたしかに承りました。しかし、それならば、シィルエール殿もそれがしが面倒を見てもよろしゅうございますが?」
「シィルエール殿は、フレオール卿、ネドイル閣下の弟君の元で軍務についておられる。心配は無用だ」
本音を言えば、妹だけではなく、姉の方もこういうクズに投げ与えてやりたかいのだが、そちらはフレオールが噛んでいる以上、忌々しくとも今は保留と様子見に徹するしかない。
イライセンにしても、本当はクラウディアを母親などと同じように処理し、見せしめの効果を少しでも高めたかったが、フレオールがそれに横槍を入れた以上、退かざる得なかった。
フレオールが大宰相の異母弟というのもあるが、それよりもイライセンは個人的に、アーク・ルーンの東部戦線の作戦変更について助言をもらっており、その借りを返す形でクラウディアの件は妥協したのだ。
組織の大小に関わらず、それを運営するのは人だ。だから、協調や義理を欠く姿勢を見せれば、組織の中で信用を失い、他者や他部署とうまく連携を取れなくなり、運営に支障をきたして結局は己の不利益を招くだけだ。
組織の論理や個人のつながりを軽視し、あくまで我を張り続ければ、孤立することがわかっているからこそ、ゾランガも牢から助け出してもらった借りに報いる形で、シィルエールの件で一時的に妥協したのである。
ただし、シィルエールの件のみであり、フレオールも恩をかさに妥協点を見誤る愚をおかさなかったので、
「ゾランガ! いえ、ゾランガ様! どうか、聞いて下さい! 父のしたことは謝ります! また、許してもらおうとも思っておりません! ただ、ただ、父の罪はこの身でおさめ、妹に手を出すだけはお止めください!」
二人の兵士に取り押さえられているサクリファーンの、怨みこそあれ借りのない相手の必死の懇願に耳を貸すことはなかった。
「ゼネコ伯爵は忠誠を示したぞ。そなたらはどうするのだ?」
ただでさえ死体にムチ打つなどイヤな行為だというのに、それが先年まで仕えていた王なのである。ゼネコ伯爵のような一部の厚顔無恥を除いて、他の者はためらうの当然の反応だろう。
だが、ゾランガが望んでいるのは旧主への義理立てや良識ではなく、フリカの元国王代理の苦しむ光景であり、フリカの旧臣がそれに協力することである。
そして、そのために親友とその家族さえ、あっさりと殺してのける狂気を暗に感じたのであろうか、この場にいる者たちはゾランガに殺されずにすむ選択をし、サクリファーンは絶望の涙を流させる選択をした。
「……すいません、父上……」
腐乱死体に五百回以上のムチが振るわれる光景に、サクリファーンは何度も何度も謝罪を繰り返す。
父の亡骸が損壊させられるのをどうすることもできない息子には、泣くことと謝ることしかできないのだから。




