落竜編タスタル5
「では、アーク・ルーン貴族の義務として、タスタル男爵閣下かお身内の誰か、最低、どなたかお一人は魔術を習得してください。我が国は魔法帝国ですので」
「しかし、突然、そのようなことを言われても……」
マフキンの心が重くなる話の一つを切り出されたタスタル男爵は、困惑してそう答えるしかなかった。
今は魔法帝国アーク・ルーンの貴族の一人とはいえ、先日まで魔法とは無縁な暮らしをしていたのだ。それで魔術を習得しろと告げられても、にわかに首肯できるものではなかった。
「安心してください。何も今日明日にでも、魔術師となれと申しているのではありません。例えば、近年中にお子の誰かを魔法学園にを通わせれば良いだけですよ。貴族としての義務を果たす姿勢を見せていれば、うるさいことを言わぬそうです。もっとも、義務を果たす意思なしと見なされれば、貴族位を剥奪されますがね」
アーク・ルーン貴族でもなければ、タスタル貴族でもなくなった代国官は気軽に言う。
ちなみに、トイラックも貴族ではないので、身内に魔術師がいなくとも問題ないが、代わりに納税の義務が生じる。
イライセンの場合は、貴族どころか、皇族となるが、後妻が魔術師なので、イリアッシュを魔法学園に通わせる必要はない。
また、爵位と共に、ネドイルの働きかけで、皇帝から魔術師の杖を賜っているマードックらも、身内を魔法学園に通わせずとも良かった。
アーク・ルーン貴族としての義務を免除する、魔術師の杖は実質的にネドイルのみが与えられる特権だが、当然、誰彼と構わずにバラまいているものではない。
下らない決まりに固執し、せっかくの才幹が十全に機能しないのを恐れての特例的な処置であり、ネドイルはマードックらくらいの有為な人材しか与えることはしない。
逆に言えば、下らない人材は下らない決まりを活用することで魔術師の供給先とし、せめて魔道兵器の生産や運用に使えるようにすることで、才無きアーク・ルーン貴族の手当てが無駄とならぬようにしているのだ。
「まあ、次の春か、その次の春までにどうするか決めれば良いことですから、ゆっくりとお考えくださいな」
「わかりました。考えさせてもらいます」
突然の話とはいえ、骨のずいまでアーク・ルーンに逆らえぬことを叩き込まれている負け犬は、反論に吠えることなく、強者のルールに従う。
もっとも、応じる意思を意思を示したからといって、実際に応じられるとは限らない。
タスタル男爵家が魔術師を育成を計るとすれば、子供の誰かを魔法学園に通わせるしかないが、ナターシャは竜騎士として軍役につかねばならず、ネブラースは行方不明となっており、下の息子と娘は帝都にいるが拘束中の身の上だ。
もちろん、ナターシャ以外の子供の現状を父親は正しく認識していないので、その点でも側にいる娘にとっては頭の痛い問題ではあるが、これよりマフキンが切り出す真の難問は、その程度の頭痛のタネではなかった。
「では、近年中に入学費用が必要なのをご理解されたみたいなので、さらに金策が必要なことを話させてもらいますか。このタスタル領もようやく情勢が落ち着いて来たからか、先日より王宮に出入りしていた御用商人たちから請求書が届いていましてね。どうやら、タスタル王国の時代の末期、未払いとなっているものがあるようなのですよ」
別段、不思議な話ではない。王宮における取引に限らないが、納められた商品はその場で現金になるわけではなく、買掛金という形で処理され、三十日や十五日という期間で締め、その期間にたまった買掛金をまとめて払うという形は、店同士でも良く見られる取引形態だ。
一度の取引の際にいちいち現金を用意するより、何度かの取引分をまとめて払う方が手間がかからないからだが、当然、この形態だと納入業者に取りはぐれの危険が大きくなる。
実際、天災や戦乱による混乱で、タスタル王宮に出入りしていた御用商人らは、納めた商品の代金を支払ってもらえる情勢ではなくなった。
ただ、タスタル王国は支払い能力を失い、そのまま滅亡してしまったが、生き残った御用商人たちの手元にある売掛債権まで消滅したわけではない。彼らはダメ元でアーク・ルーンに請求書を出し、マフキンは善処を約束して、一端、御用商人らを引き下がらせた。
「わたくしたちにそれを支払えということですか?」
「公的な部分においては、こちらで支払いますよ。ただ、私的な部分はそちらで支払ってもらいたい、ということです」
基本的に王宮は、中央行政府と王族の生活空間とが併存している。
無論、まだ役割ごとに細分化できるが、大別すれば公的と私的の二つに分類される。
例えば行政などに用いる紙やペンは公的支出となるが、王族の食事などは私的支出に分類されるだろう。
ただ、こうした支出は区別されていることの方が希だ。
紙やペンは王族も用いるので、いちいち、公用と私用を分けることもなければ、官吏が王宮で口にする食事の食材も、王族のためのそれと一緒に納入され、会計を別々にすることはない。
これは一見、支払いを別々にする手間を省いているように見えるが、その実、公私混同の温床としての弊害の方が大きい。
王族は国庫をいくらでも私的流用できるし、官吏の方も会計があいまいであるほど私腹を肥やし易い。
何より、タスタル男爵やナターシャのような良識的な人物でさえ、子供の頃から公金を自分のために使っていれば、それが当たり前になって公私の区別がどうしても甘くなってしまう。
無論、ネドイルはそうした認識を改め、会計も物品も徹底して公私の区別をつけさせている。その厳格さは、公用の酒をくすねた皇族の首をはねるほどだ。
「まっ、そちらの請求額は算出しておきますので、男爵閣下らは金策の方をお願いします。けっこうな金額になりそうなので、一括払いでなくてもいいですが、その際は返済計画を立ててください」
突然の高額請求に、父娘は困っていることには困っているが、二人の困り方は王族独特のものであろう。
何しろ、二人は金勘定をしたことがなく、そうしたことは家臣や執事が全てやってきたのだ。
タスタル男爵に限らないが、現在、負け犬たちの多くはアーク・ルーンに没収されずにすんだ身の回りの品を売って暮らす竹の子生活を送っているが、不思議なことに彼らは危機感というものをさして抱いていない。
金があるのが当たり前の人生を送ってきた王侯貴族には、金欠というものが想像できず、あって当たり前のものはいつまでもあると考える傾向にある。
だから、金策をしろと言われても、どうすればいいのかわからない元国王と元王女は途方に暮れるしかないが、さりとてアーク・ルーンの請求書を無視するなどという恐いこともできない。
「このような場合は、領地からの税収で支払うことになるのでしょうか」
小首を傾げながらナターシャが口にする、現実性のない返済計画に、マフキンは心の中で苦笑する。
三百戸程度から徴収できる税で返そうとすれば、何十年とかかるか、徴税の実務に関わっていないナターシャにはまったくわからないのだろう。それどころか、普段から自分たちが口にし、あるいは用いている物の値段も、何ひとつとして把握していないようだ。
「言うておきますが、もし、領民を困窮するほどの税を徴収した場合、護民法に抵触し、領地没収となりますので、そのおつもりで」
何人ものバカ貴族を見てきた元タスタル貴族は、普通なら言わなくてもいいことを、あえて忠告しておく。
実際、自分の贅沢のために領民を飢えさせたバカを何人か聞き知っているので、マフキンはかつての主君とその領民が互いに不幸にならぬよう、理非の明白なことを言わずにいられなかったのだ。
「あと、言うておきますが、アーク・ルーンには平民向けの金融機関はありますが、貴族向けの金融機関はありませんので」
ついでに忠告しておく。
アーク・ルーンにも、昔は貴族向けの国営の金融機関があったが、これは大なり小なりどの国にもあるものだ。
だが、その実態は様々な名目をうたっているものの、実質的には貴族たちの浪費を公金で合法的に支えるための存在で、貸し金の大半が不良債権と化していた。
ネドイルは国の実権を握った際、貴族向けの金融機関を廃止し、新たに平民限定で低利で生活資金を貸しつける金融機関『平民金庫』を設立した。
平民金庫は一度に多くの貸しつけは禁止されているし、当然、タスタル男爵のような貴族階級には利用できない。
タスタル王国にかつてあった国営の金融機関ならば、タスタル男爵に大金を信用貸ししただろうが、今のタスタルの地で元国王に金を貸してくれるのは民間の高利貸しくらいなものだろう。
もちろん、その手のやからはタスタル男爵が無知と見れば、金利を高利から暴利に換え、徴税権を担保に押さえるどころか、ナターシャも差し押さえしようとするのは明白だ。
「いきなりの話で戸惑われているのはわかりますが、これも債務整理をせずに国をコカした結果とお思いください。当方としては返済さえしてもらえれば、とやかく言うつもりはございません。ただ、アーク・ルーンの法は利息を制限しており、高利を無効として、元金返済のみで良いと定めております」
マフキンというより、アーク・ルーンの側は金さえ払えば文句はなく、別段、タスタル男爵やナターシャをどうこうするつもりはない。
だから、マフキンは、高利貸しに借りまくった金でアーク・ルーンに支払いをすませた後、アーク・ルーンの利息制限法を持ち出せば元金返済のみですむ、と暗に教えているのだ。
もっとも、世事にもアーク・ルーンの法にもうとい、元タスタル王と王女はピンッときてないようだが。
だが、金策できようができまいが、アーク・ルーンがタスタルの宮廷費の未払い分の一部支払いを命じる点に変わりはなく、タスタル男爵は唯々諾々と金策に奔走するしかないのが現実だ。
まだ正確な請求額が出ていないこともあり、この日はタスタル男爵が提出する和解文書をマフキンが受け取り、獄中にある家臣らの釈放の手続きが行われ、二人は牢から出された家臣らと共にタスタル王宮から立ち去っていった。
近々、訪れる借金地獄に頭を悩ませながら。
端役補足マフキンについて
元タスタル貴族で次男坊。人畜無害で凡庸な外見をしており、中身もそうだと思われていたのは祖国が滅びるまで。部下は気遣うが、上の人間には皮肉を言わずにいられない、ひねくれ者となっしまい、家族と友人一同を困惑させている。それが国が滅びて心境が変化してのことか、隠していた本性が表面化したのかは不明。
トイラックをして「有能だが使い辛い」と言わしめる人物。




