ワイズ騒乱編2-2
「ふざけたことを抜かすなっ! その売女めのガキが、兄の子であるという証拠もないだろうにっ! どうせ、兄の死を知って、我が家に入り込もうとしているだけだ! そもそも、兄の亡き後、家督はこの私のものと定まったのだ! 身分の卑しい女の産んだ子に出番などない!」
怒声を叩きつけ、その男子生徒が立ち去って行くと、その場に残ったフレオールとウィルトニアは、無言で軽く肩をすくめる。
別段、珍しい話ではない。オドリーグという竜騎士が、女官と関係を持ち、子を孕ませた、というだけの話だ。
この良くある話がややこやしくなったのは、ワイズ王国が滅びた際、竜騎士オドリーグが生死不明となり、国が滅びた後も王宮で働いていたその女官の存在と妊娠に、トイラックが気づいたせいであろう。
ワイズの王宮に執務室を置くトイラックは、その女官に声をかけ、身の上相談に乗り、その事情を手紙にしたため、フレオールを介して亡国の姫に手渡したのが昨日の話。
トイラックとしても、あくまで個人的に女官とオドリーグの遺児を引き取る意志があるか否か、その点を問い合わせているだけであって、オドリーグの家が母子の身柄を引き取っても、トイラック個人として感謝するのみで、公人として何らかの取り引き材料を用意する気はさらさらない。
同じく、オドリーグの家が受け取りを拒否した場合も、職権を濫用して何とかする気もさらさらなく、私生児を抱えたその女官に対して、一個人としてのアドバイスするだけである。
フレオールはその点を明言し、ウィルトニアもトイラックとの交渉の取っかかりになればラッキーという程度の腹積もりで、竜騎士オドリーグの下の世話をする気はないし、そんな余裕もないのが彼女の現状だ。
とにかく、風聞の悪い話ゆえ、フレオールとウィルトニアがいるのは、人気のない校舎裏であり、イリアッシュやクラウディアにも離れた所にいてもらっている。
「すまんな。こういう結果となった。無論、私も一応は王女ゆえ、無理強いをさせられんこともないが、そこまですることを求められていなかったからな。何よりオドリーグの妻子が家から追い出されたことを思えば、強引な手立てはその母子をより不幸とするだけだろう」
自嘲気味に小さく笑うウィルトニアに、察しのいいフレオールは呆れ果てて、
「領地どころか、国を失ってなお、家督争いか」
「返す言葉もないな」
敵の推測を亡国の王女は肯定する。
そして、一つ嘆息をもらしてから、
「オドリーグの婚約者は、同じ竜騎士の家の娘だったそうだ。が、ある騎士の家の娘に手をつけ、子供をこさえてしまい、婚約は破棄され、一介の騎士の娘を妻にすることになったらしい」
オドリーグの秘密というより、恥をもらすウィルトニアだが、彼女としては別に隠す必要を感じていない。
「ゴシップやスキャンダルに興味を持てとは言いませんが、王女である以上、もっと王宮での出来事に感心を向けねばいけませんよ」
かつてウィルトニアは、そうイリアッシュに説教されたことがあるのだ。ゆえに、ワイズ貴族の裏事情で、ウィルトニアが知っているレベルなら、イリアッシュも知っているのである。
裏切り者の口を封じる手立てがないなら、隠しても意味がないし、何より今のワイズの内情を思えば、こんなことを恥辱としていては、とても生きていけない。
「で、それでこりもせず、女官に手を出しているわけか」
王宮勤めの女官ともなれば、身元がしっかりした者しか採用されず、たいていは貴族や名士の娘らがその職を独占している。つまり、平民の娘よりはるかに泣き寝入りさせ難く、オドリーグの学習能力に疑念を抱かざる得ない。
「その女官の不幸は、この際は置いておいてくれ。肝心なのは、オドリーグの細君の父が、貴国の捕虜となっていることだ。そのようなワイズ騎士は、二十七人を数える」
「しかし、何でその二十七人だけが捕虜となったままか、その理由はそちらもわかっているだろ?」
「ああ、わかっている。身代金を払ってないからだ」
昨年、七竜連合は大敗し、三万人以上がアーク・ルーン軍の捕虜となったが、二十七名のワイズ騎士を除き、その年の内に解放されている。
歴戦のヅガート率いる第十一軍団は、精強なだけではなく、交渉にも長け、三万人以上の捕虜の九割九分九厘以上を身代金に変え、十万人の将兵の恩賞となった。
捕虜は戦利品として扱われるのが常である。その内の騎士たちは、各々の実家に請求書を出し、身代金をせしめた。
兵士たちも、その祖国と交渉し、代金を受け取ると、返品した。ただ、ワイズ兵に関しては、国が滅んで支払い能力がないのに加え、ワイズの民の心証を良くするため、アーク・ルーンに逆らわないことを誓約させ、後日、一人につき銀貨一枚を払えばいいことにして、全員、解放している。
七竜連合の将兵と殺し合った第十一軍団だが、戦での遺恨などないかのように、ビジネスに徹して捕虜を扱っている。それゆえ、二十七人のワイズ騎士が捕虜のままなのは、単純にビジネスとしてまだ成立していないからである。
ヅガートらは当然、ワイズ騎士それぞれの家に身代金を要求したが、ワイズ王国そのものが滅亡しているので、ワイズ貴族たちの家はアーク・ルーンのものとなっている。
資産の大半や領地を侵略者に奪われたワイズ貴族たちだが、それでも手元に残った資産や、ツテを頼って金策に走り、半数以上のワイズ騎士が自由となったが、二十七人だけが不良在庫と化してしまった。
ワイズ貴族の中には、身代金の支払い能力どころか、生活費にも困り、野垂れ死にしている者もいるほどだ。
最強の竜騎士アーシェアを破ったヅガートだが、無い袖は振れないという現実と貧困の前には、為す術がなかった。
「オドリーグの妻は義理の両親に身代金を出してもらい、父親を助けようとしたそうだが……」
「むしろ、父親が捕虜となった不名誉を理由に、息子の嫁どころか、自分たちの孫すら、家から追い出したってところだろう。出来ちゃった結婚で、嫁いできた相手だ。さぞ、舅や姑と仲が悪かったんだろうな」
領地や資産を失っても、竜騎士を輩出するほどの名家ならば、バディン王国も粗略には扱わず、手厚く保護してくれるが、一介の騎士家ではどこもマトモに相手してくれず、あっさりと没落する。
義理の両親と弟によって、幼子を抱えて家から追い出された未亡人は、バディンの色町で働いて、日々、食べていくのでやっとなので、とても身代金など払えるわけがなかった。
そして、娼婦や物乞いとなったワイズの没落貴族は少なくない。
ちなみに、ウィルトニアが、イリアッシュ、クラウディアに場を外してもらったのは、あまりにワイズ王国の現状が恥ずかしいからだ。
裏切り者にここまで落ちぶれた様を見られたくもなければ、バディンの王女に亡命政権の実状を知られ、これ以上の迷惑をかけたくもなかった。
「さて、ここからが、私にとっては本題だが、連休の際、父の元にいる時、そちらから預かり先変更通知なる書状が届いた。我が国の残る捕虜は、トイラックの元にいるそうだな」
「ああ、そうなるか。せっかくの戦利品が不良品となって、部下から突き上げを食らったヅガート将軍が、困ったのもあるが、面倒になって、トイ兄に押しつけられたんだろ。人がいいからなあ、トイ兄は」
あまりにも情けない現状に、ウィルトニアもさすがにげんなりした反応を見せるが、現実はさらに容赦なかった。
「察するに、食費も管理費もタダではないから、ヅガート将軍もトイ兄も、ワイズ騎士らを解放して、厄介払いしたいが、戦利品として分配した部下の手前、ある程度の現金にしないといけんからなあ、立場的に。だから、払うものを払って、さっさと引き取ってもらいたいが、さりとて恩賞が減るから、ムチャな値引きもできん。そんなところだろう」
暗に、何とか金策できない?と言われ、ウィルトニアは顔をしかめ、
「捕虜の身代金だけではなく、貴族たちの手当てや兵らの給金も、かなりの問題となっている。そもそも、我が国は昨年の戦の恩賞すら出してさえいないのだ」
ワイズ王国は大敗したが、ワイズ軍が命がけで戦い、アーク・ルーン軍に少ないが損害を与えているのは事実だ。勝ち戦に比べて少なくなるとしても、まったく恩賞を出さないのでは、ワイズの騎士や兵士がろくに戦わなくなる。
国を滅んだ直後は、そのようなことを気にする者はいなかったが、半年も経つと不満を口にする者が出始め、これが最近のワイズ兵の脱走の一因となっている。
もちろん、身代金も手当ても給金も恩賞も、出したくとも出せないから、支払っていないのだ。ワイズ王国の財産も財源も、アーク・ルーンのものとなってしまったのだから、五十万の敵軍を破って祖国を奪還するまで待ってもらうしかない。
が、国が健在な六ヵ国からの支援が、ワイズ王と上流貴族、竜騎士らの生活費に使われ、下の方にほとんど回ってこないのだから、これで騎士や兵士に文句を言うなという方が無理である。
「私とて、バディンの貴族や商人らに出資を頼んでみたのだが、話し合いの席で、肩に手を回されてな。なぜか、相手の顔面に裏拳を叩き込んだら、金を出してもらえなくなった」
亡国の王女の金策に、フレオールは生温かい表情となる。
「それはそうだろ」
「手加減はしたぞ。昔と違って、顔面を叩き割っておらん」
「怖いよ、あんた」
言うまでもなく、純然な恐怖による感想ではなく、呆れた気分でそう評する。
「まっ、そちらに不用品を引き取る意志があることはありがたい。オドリーグ卿のことがなくても、トイ兄は協力を惜しまないだろう」
「こちらとしても、それはありがたい。金銭面で協力してもらえれば、もっとありがたいが」
「いくらかの値引きには応じてくれるが、それ以上は無理だ」
「ふん、こちらとしては、それがネックなのだがな」
「命がけで戦った兵のことを思えば、安易な値引きなどできるもんじゃない」
兵の恩賞で頭を悩ませる王女としては、こう言われてはムチャな値引きを要求できるものではなかった。
「それに、一つ忠告させてもらえば、身代金を払った後のことも考えるべきだ。もし、捕虜が解放されたら、オドリーグ卿の両親も死ぬことになりかねんぞ」
「なぜ、そうなる?」
「自分の娘がどういう目にあわされたか。それを思えば殺意を抱くほど怒るのが、むしろ自然だろう」
それならば、オドリーグの家の問題だけではない。二十七人の捕虜たちの家族は、生活費に困り、野垂れ死にするような者ばかりだ。命がけで逃げることなく戦って捕らえられ、半年以上も虜囚として苦しみ、ようやく生還して目にするのが、困窮して苦しむか、死ぬかした家族の姿である。
果たして、二十七人の中で、平静でいられる者が何人いるか。そう想像するだけで、ウィルトニアは暗然とした気分となる。
「こちらとしては、まあ、身代金を払ってもらえればいいだけだから、余計なお世話であるなら、黙る。だが、そう言われん限りは言わしてもらうぞ。あんたらの問題はもう、金で解決できるレベルではなくなったんだよ」
例えば、ウィルトニアが亡命政権の諸問題を解決できるだけの大金を手に入れ、それで負債を全て弁済しても、単に借金問題が片づくだけだ。給金を未払いにしたという一事のみで、ワイズ兵らには不信を抱かれ、信用問題をどうするか考えねばならない。
そして、信用というものは、金を積めば得られるものではない。長い間、取り決めを誠実に守って得られるものだ。
金もなく、信も失いつつあるのが、ワイズの亡命政権の実状である。このまま状態が続けば、ワイズ王国の権威は失墜し、形だけの国家すら維持できなくなるだろう。
「問題が表面化してから対処しようとしている時点で、遅い。まあ、それも結局は、資金がなければ、どのみち、避けられないことであったろうし、悪いのはあんたの父親たちであろうからな」
ライディアン竜騎士学園にいるウィルトニアに、亡命政権の実態はリアルタイムで伝わらず、連休などの機会がなければ、直に状況を把握できるものではない。
加えて、亡命政権のトップはワイズ王であり、その実務を担当するのはワイズの竜騎士たちである。学生である王女は、実務に関わる立場でなかったので、ワイズ軍の抱える問題が表面化しないと、気づくことができなかったのだ。
つまりは、問題が大きくなってから、父王たちの不始末を、学業兼任でどうにかせねばならないのが、ウィルトニアの現状である。
だが、何よりも、亡命政権の最大の問題は、ウィルトニアがいかに立て直しを計ろうが、味方に頼みとできる者がいない点だろう。
「どうやら、キサマの容赦ない物言いからして、我がワイズの恥ずべきこと、全て筒抜けのようだな」
「あんたの父親が酒に溺れ、ワイズの竜騎士らによる派閥争いのことだろう。オレなどには、苦しい状況でまだ内輪もめできるのが不思議に思えてならないが、トイ兄とかの話だと、国は末期になればなるほど、分裂していくそうだ」
本当に容赦なく、性格のきついフォーリスすらはばかる、ウィルトニアの心痛の原因を口にする。
フレオールが口にしたことこそ、ワイズの亡命政権が現在のような、どうしようもない状態となった、根本的な原因と言えるだろう。
ワイズ王国が滅び、ワイズ王がバディン王国まで逃れ、七竜連合の支援の元、亡命政権を樹立すると、そこにワイズの竜騎士、騎士、兵士だけで三万に達する人とドラゴンが集った。
さらに、大臣、文官、貴族と、それらの家族を合わせると、祖国を取り戻すために祖国より脱した者は五万を越えた。
予想を越える数がワイズ王の元に集い、七竜連合は大喜びしたが、その喜びもすぐにかげることとなる。
五万人の生活費、それは大変な額だが、それ以上に負担となったのは、貴族らの金銭感覚だった。
浪費に慣れた貴族たちは、一人で兵士数十人分の経費を欲し、七竜連合がワイズの亡命政権のために用意した準備金をたちまち食い潰して、亡命政権の財政面を圧迫した。
その上、軍事面でも、亡命政権はごたつき出す。
三万の兵は、そのままでは敗残兵の寄せ集めにすぎない。再編成しなければ、一個の軍隊として機能しないので、ワイズの竜騎士らは自軍の再編成に着手し、そこで頓挫する。
最初は竜騎士らによる、方針や意見の食い違いだったのが、感情や利害の対立へと発展し、ついには竜騎士たちの主導権争いになってしまい、ワイズ軍三万は編成途中の部隊ばかりとなってしまう。
一応、ワイズ軍は三つの派閥にまとまったが、そこからは妥協なき内輪もめの連続で、アーク・ルーンと戦う以前の状態にある。
そして、ワイズ王は軍の派閥抗争に巻き込まれ、竜騎士らにやいのやいのと言われ、貴族たちには金がないことでやいのやいのと言われ、そうした亡命政権の現状に、バディンを初めとする六ヵ国の王からもやいのやいのと言われ、現実の苦しさに耐えられなくなって、酒の量が増えていき、今では酒を浴びるように飲まねば眠れない身となった。
「気の弱いところはあるが、父はあのような人ではなかった。バディンで落ち延びた父と会った時も、必ず母と弟を助けると言い、私を安心にさせようとしてくれた。行方不明になった姉上のことを、何より心配していた。決して強い人ではないが、家族想いの良き父であった。私が後悔するは、励ますつもりで、立ち直ってもらうつもりで、話し合い、結果、父をますます追い込んでしまったことだ」
当然、酒に溺れていく主君を快く思う臣下はいない。とはいえ、家臣の身で主君に意見は言い難いので、娘に説得役をお願いし、見事に失敗した。
土台、当時十六歳のウィルトニア、いくら竜騎士として優れていようが、人生経験の浅い彼女に、父親の心情を理解するなどできるわけがなく、頑張れない人間に「ガンバレ」と言い続け、事態と父の肝臓を悪化させる結果を招いて、終わった。
第一連休の際、クラウディアと共にバディンにいたウィルトニアだが、仕事で忙しかったティリエランと同様、休みの間、父親と会うことなく過ごしている。
「平時にはマトモに見えても、苦境に立たされると、一変する。別に珍しい話じゃない。メッキがはがれれば、単なるクズだった。あんたの父親もその一人だっただけだろう」
「何だとっ! 父を愚弄するかっ!」
「愚弄? 正当な評価だと思うぞ。去年、苦しい戦いの中、最後まで戦い抜いたワイズの騎士は何人もいた。立派な男たちだった。苦境にこそ、人の真価はハッキリする。故郷と家族を捨て、馳せ参じた三万の将兵の想い、それを踏みにじった男に、オレは称賛の言葉などないな」
父親を立派な人物と強弁できない亡国の王女は、沈黙するしかなかった。
クズとまでいかなくとも、彼女も父を情けなく思っているのだから。
「オレが哀れに思うのは、ワイズの兵たちよ。どれだけ祖国を取り戻したいと思っても、王も竜騎士もこの有り様なのだ。戦場で命を張る彼らの心意気に報いてやれる器量の持ち主が上におらぬでは、このままでは犬死にだ」
実際に部下や兵をまとめるだけの力量が、自分にも父にもないのを痛感しているので、ウィルトニアはこれにも反論ができない。
「まっ、捕虜を何とかするだけなら、カンタンな話だ。こっちは払うものさえ払ってもらえれば、その日の内にでも解放しよう。その金も、イリアにでも頭を下げれば、用意がつく金額だ。何しろ、軍務大臣のご令嬢であり、アーク・ルーン皇室の一員だからな。が、それ以上となると、トイ兄に相談し、知恵を借りるより他ない。無論、あんたの陣営か知り合いに、それだけの知恵者がいれば、そちらを頼ればいいがな」
味方に有り余る金と、優れた智謀の持ち主がいれば、こんな苦労などしない。
裏切り者に頭を下げるか、敵の知恵を借りるか。
国を失った姫は、家臣と兵たちにとっての最良の選択は何かに、大いに迷い、とりあえずは即答を避け、苦悩を持ち帰る選択をした。