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落竜編タスタル4

 魔法帝国アーク・ルーンのタスタル代国官マフキンは、元はタスタル貴族であるが、タスタル王や王女とは面識はない。


 爵位こそないが、そこそこの家柄の次男坊として生まれたマフキンは、領地と財産の大半は兄が相続したので、当人は実家のコネで地元で官吏となり、そこで地方官として平凡な人生を送っていたのは、四十までの話だ。


 周囲からは凡庸な人物と見られていたマフキンだが、昨年の争乱と天災に際して目を見張るほどの指導力を発揮し、祖国が機能不全を起こした中、その危機を見事に乗り切った。


 その評判を聞きつけたトイラックがマフキンを呼び、その才幹を見極めて自分の後任としたのだ。


 タスタル男爵らが領民と暴力沙汰を起こした際、マフキンは報告を受けて指示を出しただけで、直に対処したわけではない。


 ただ、タスタル男爵が娘と共に和解文書を提出しに来た際は、マフキンは両者を自分の執務室に呼び、床に片膝を突いて出迎えた。


「陛下。ここには人目がないゆえ、敢えてそう呼ばせていただきます」


 うやうやしいマフキンの、かつての家臣の態度に、タスタル男爵とナターシャは戸惑いを見せると共に、警戒の色もにじませる。


 頭を下げられてふんぞり返るような性格の両名ではないが、昨年より生き地獄のような辛酸をなめ続けた結果、旧臣の丁重さを額面のとおりに受け取れぬ、用心深さが自然と身に着いてしまった。


 その心の中で身構えるかつての主家に対して、


「一国の王だった身が酷薄な扱いを受け、その苦しい心中は察するに余りあるというもの。せめて、その御心がわずかでも軽くなりますよう、側仕えの方々をすぐにでも釈放いたしましょう」


「それを聞いて安心した。あやつらを早く牢から出してくれ」


 父親だけではなく、娘もホッと安堵の息をつく。


「直ちに取り計らいます。ただ、今回は初犯であり、また剣などで殺傷しておらず、領民との和解が成立したゆえに釈放いたしますが、次はこうカンタンに話はすまないと思ってください」


「心しよう。あやつらにもよく注意しておくゆえ」


「そう言っていただけるなら、間違いはないでしょう。アーク・ルーンのバカどもと違い、陛下は希代の賢君。聡明なる陛下は、アーク・ルーンのような愚行に走ることは万に一つとてありますまい」


 その平凡な容姿に不釣り合いなほど、確信に満ちた力強い声を発する。


 演技かも知れないが、しかしナターシャが見る限りは、本当にアーク・ルーンを愚かと考え、父親を敬っているように感じられた。


 フォーリスならばマフキンを利用し、底の浅い計略を考案しただろうが、


「マフキン卿。国が滅びてなお、父を敬ってくれる姿勢には感謝しますが、そのような態度は今日、お互いのためにならぬでしょう。我らは今、互いにアーク・ルーンの臣下であるのですから」


「姫様の言うことは正しくあります。だが、アーク・ルーンがどうしようもないバカで、陛下がこの上なく賢き方であるのも、動かし難い事実。私は王都より離れた田舎にずっといた身ですが、そんな私の耳にも、陛下が民の安寧を常に想われる方だと、聞き及んでおりました」


「だが、私はアーク・ルーンに膝を屈し、国を守れず、民を不幸にした。とてもほめられた王ではない」


 元国王の男爵は自嘲気味に小さく笑うが、マフキンは強く首を左右に振る。


「たしかに陛下を亡国の主君とおとしめる者もありましょう。ですが、陛下は聡明な方であり、私のような愚者はその賢明さを尊敬せずにいられません。僭越ながら、私も陛下の十分の一でも賢い生き方がしとうございました」


「そうか。国を失ってしまったが、そなたは余の統治は間違いでなかったと思ってくれておるのだな」


「いえ、陛下の統治など、アーク・ルーンの統治に比べれば、カスも同然。タスタルなんて国に住むより、アーク・ルーンに治められる方が、民にとっては幸せなこと、子供でもわかることでございます」


 一転してこき下ろされ、タスタル男爵とナターシャはマジマジと田舎貴族の次男坊を見る。


「今回の件でもそれは明らかでしょう。タスタル王国に仕えていた時、バカな貴族が何人かで面白半分に村娘を犯した。別のバカ貴族が村の子供を面白半分で馬で追い回した。そんな話は珍しくなかった。それに比べ、男爵だろうが公爵だろうが、民に暴力を振るえば問答無用で逮捕される。どちらが民にとってありがたいか明らかであり、そんなものもわからぬ陛下のおめでたい頭は、いっそ羨ましいほどですよ、私にとっては」


「……つまりは、父を愚弄するためのサル芝居であったわけですか、先程までの態度は」


「姫様、それは誤解というもの。私は陛下の、民のうわべの姿だけを見て幸せに暮らしていると思い、自己満足に浸れる楽な生き方、それを本当に羨ましく思っておりますぞ」


 心外とばかりに反論してから、


「タスタルの、民が貴族の理不尽にうつむいて暮らす治世の方が、世の当たり前。陛下のように口先だけで民のためと唱え、自分の空想の中だけで民のための政治を行うのが普通であり、当の民衆もそれが当然と諦めている。なのに、アーク・ルーンはわざわざ、多大な苦労を背負い込んでまで、民のうつむいて暮らさずにすむ世を実現させようとしている。これをバカと言わずに何をバカと言われる。いや、バカでは生ぬるい。大バカと言うしかないが、私もその一員となってしまった以上、アーク・ルーンのバカさ加減に苦労するしかないのですよ」


 清々しい笑みを浮かべているにも関わらず、マフキンの凡庸な顔立ちに形容し難い凄味が浮かび、元国王と元王女は元は取るに足らない家臣に圧倒される。


「さて、タスタルの世では、陛下が見たくないものを見ずにすんできましたが、アーク・ルーンの世ではそうはいきません。これより陛下にお心ぐるしいことを申しますが、そのお花畑のような頭で理解するように努めてください。でなければ、まっ、それは言わずとも、さすがに学んでおりましょう」


 たしかにマフキンがレクチャーするまでもなく、負け犬としてさんざんにしつけられたタスタル男爵とナターシャは、首を何度も縦に振った。


 蒼白な表情で。


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