エピローグ6-3
言うまでもなく、イライセンの私怨に基づく今回の処刑を特等席で見ることを余儀なくされたリムディーヌとコハントの顔は、この上もなく不快なものであった。
共に戦場以外で血を流すことと、敗者を棒で打つかのごとき行為を嫌う両名は、可能ならばこの場にいたくなかったが、その立場と今後のことを思えば、不参加を決め込むわけにもいかない。
何しろ、イライセンが、両名の上司たる軍務大臣が七竜連合の最期を見ておくように通達してきたのだが、別段、リムディーヌほどの実力者ならば、それを拒むこともできなくもないのだ。
見なくてすんだイヤなものをあえて見たのは、今後もイライセンの下で働く以上、上司の狂気がどれほどのものか、見極めておく必要を感じたからである。
あのヅガートが頭を下げねばならなかったと聞けば、イライセンの狂気にリムディーヌも戦慄を覚えずにいられない。目を背けた結果、知らず知らずに軍務大臣の逆鱗に触れでもしたら、本当にシャレにならないのを、今、正に彼女は実感していた。
リムディーヌと同じく特等席にいるスラックスも、さすがに七竜連合の凄惨な幕引きに複雑な表情をしており、絶望の底に沈められた負け犬たちの哀れな姿に同情を禁じ得ないが、
「スラックス閣下。あの者らにした仕打ちを悔いておられるのですかな?」
「いや、可哀想だと思うが、ここまですれば連中も逆らうこともなければ、どんな命令にも従うだろう」
「逆らえば、自分たちがしたことが我が身にふりかかると思っていましょうからな。命令に従わねば、家族の首がカンタンに飛ぶことも理解できたでしょうし」
「ああ、そのとおりだ。これで連中のアーク・ルーンのために働くこと、ネドイル閣下のお役に立つことの重要性がわかり、私情でそれを妨げる愚かさもまたわかったであろう。その点を思えば、イライセン閣下の指示と提案も有益なものであったな」
「そのとおりでございますが、喉元をすぎれば熱さを忘れると申します。今、心に刻んだ教訓も、いつかは色あせてしまうでしょう」
「その時は仕方ない。再び、いや、教訓を忘れる度、何度でもネドイル閣下のお役に立つ重要性を刻むだけだ」
スラックスの断固たる口調に、リムディーヌとコハントはぎょっとした表情となり、シダンスは満足げにうなずく。
つまり、ティリエランらの忠実さがいささかでも衰えが見えたなら、本日のような悲哀を何度も味合わせると明言したのだ。
「シダンスよ、これでいいのだろう。言っておくが、このスラックス、ネドイル閣下からお受けした大恩、常に胸に抱いて忘れたことなどないぞ」
「これは失礼いたしました。どうか、わしの無礼を許してくだされ。これもネドイル閣下に忠実に仕えんえとしてのことでございますじゃ」
頭を下げようとするシダンスを、スラックスは片手で制して、
「いや、ネドイル閣下の御為の行動ならばとがめるどころか、私が礼を言わねばなるまい。一時の感傷に流され、ネドイル閣下の恩義に報いるが疎かとならぬよう注意してくれたこと、感謝させてもらうぞ」
忠臣ふたりの会話に、その同僚ふたりはその姿勢を見習う気になるどころか、逆におぞげが走るほどだった。
リムディーヌがネドイルに従っているのは、時流に従った結果でしかない。
一応、賊軍との戦いおいて、アーク・ルーン軍の救援に駆けつけてくれたおかげで、息子と弟が危ういところで助かった恩義はある。ただ、その一方でアーク・ルーン軍との戦いで、リムディーヌは兄を失っているので、アーク・ルーン帝国に対する感情は複雑だ。
もっとも、祖国ミベルティンが滅んだ以上、アーク・ルーン帝国に対抗のしようがない。ミベルティンの大臣や高官よりも、ネドイルが民のことをちゃんと考える人物であった点も、リムディーヌがおとなしく臣従した理由の一つと言えよう。
目の前の惨劇を含め、アーク・ルーン軍のやり口についていけない点はあるが、それはミベルティン軍にいた時も同様であった。
ミベルティン軍では、上官が部下の手柄を横取りしたり、兵士の給金を着服するのが当たり前のように行われていた。何より、兵士による民への略奪、暴行、強姦といった蛮行も当たり前のものとされていた。
無論、リムディーヌは手勢にそのような蛮行を絶対に許さなかったが、友軍の蛮行は権限的にどうしようもない。
リムディーヌはミベルティンの民がミベルティンの賊徒に奪われ、犯されて、苦しむことをどうすることもできず、またミベルティンの民がミベルティンの兵士に奪われ、犯されて、苦しむこともどうにもできなかった上、軍隊の醜悪さを思い知らされた。皮肉にも、ミベルティンの民から奪わず、犯さなかったのは、侵略者たるアーク・ルーン兵のみであった。
政略的な見せしめもすれば、サムやヅガートのような例外もあるが、アーク・ルーン軍は立てた功績は正しく評価し、兵士への給金もピンハネされず、民衆を害する行動も固く禁じている。ミベルティン軍の中でその下劣さと理不尽さを味わってきたリムディーヌからすれば、規律を重んじて敵と戦うのに全力を尽くせるアーク・ルーン軍の方がまだマシに感じられ、敵を倒すための非道な手段も、それゆえに何とか我慢できていると言えるだろう。
複雑な感情と何とか折り合いつけ、侵略行為に渋々と協力しているリムディーヌに対して、
「宦官として何十年と先達であるシダンス殿には今さらのことでしょうが、我ら宦官は男でもなければ人でもなく、バケモノであると言われております。そんな私を、何の実績もない私なぞに、宦官として朽ちていく以外の生き方をネドイル閣下は与えてくださったのです。こうして、一軍の将として胸を張って生きられるのは全てネドイル閣下のおかげであるならば、才略、武勇、忠義、我が全てを以て報いる以外の生き方しかないのは心得ていますよ」
ミベルティンの女将軍として名高いリムディーヌと違い、下級の宦官という小間使いでしかなかったスラックスは、元来ならば将軍どころか、士官にすらして取り立ててもらえるものではなかったのだ。
無視されて然るべき無名の自分を、自分でも気づいていなかった将才を見出だしてくれ、己の名を遺す機会を、家族にも世間にも誇示できる地位を、何より生きがいのある人生を与えてくれたのは、ネドイルなのだ。
まだ若いスラックスだが、宦官がどれだけ侮蔑され、偏見の目で見られるか、苦いほど思い知っている。もし、ネドイルが見出だしてくれねば、ミベルティンの後宮という職場を失った後、マトモな身体ではないスラックスはマトモに働くことができず、病弱な母や幼い妹弟を抱えたまま、家族と共に野垂れ死にしていただけではない。
ネドイルは侮蔑や偏見などを一切、見せずにスラックスを優れた部下として遇してくれている。宦官ということで、男でも人でもないといった色眼鏡で見ることなく、一個の人物としてメドリオーなどと同じように扱ってくれるのだ。
まあ、これはスラックスに限った話ではなく、魔法生物であるベルギアットにも、他者と態度を変えるところがないが。
「宦官である私は男でも人でもなく、万人からバケモノのように見られても仕方ない存在。そのようなバケモノを、ネドイル閣下は人として扱ってくれた。その一事だけでも、私の心は救われ、我が全てで報いるべき大恩であるのだ。だから、私はネドイル閣下の御為ならば、いかなることも行う所存だ」
「なるほど、そうでございますか。スラックス閣下はお若くございますな。宦官というものはちゃんと理解しておられぬ」
「……どういうことだ?」
穏やかで上品な笑みを浮かべているにも関わらず、それがどうしようなく不気味なものに感じ、スラックスは副官の想念を問う。
「いえ、大した話ではございません。宦官は男でも人でもないのはそのとおりですが、わしらはバケモノなどという上等なものでもないということです。わしらは主が、宿主がいなければ生きていけぬ、ただの寄生虫にしかすぎませんて」
老宦官は男でも人でもない我が身を嘲るように笑う。
「宿主という仕えるべき者がおらねば生きていけぬ我が身ながら、わしら宦官という寄生虫はタチが悪いらしく、宿主を、国を食い散らかしてしまうようでしてな。実際に宿主たるミベルティンが滅びてしもうて、寄生虫として真っ当に生きられのうなってしまった」
ミベルティン帝国は宦官によって滅びたわけではないが、滅亡の一因が宦官にあるのも事実である。
皇帝の側近くで仕える宦官は、皇帝の威を借りて私服を肥やし、国に害を成すことが多々あった。
スラックスやシダンスは関わっていないが、リムディーヌが未亡人になったのも、宦官にワイロを要求された夫がそれを断り、無実の罪で投獄された直後、獄中で急死したからだ。
最も酷かったのは宦官がミベルティンの実権を握った時で、その暴政は十戸の内、七戸が子供を売り払わねばならないほどであった。
ミベルティン帝国の終日にもシダンスら宦官は暗躍し、新たな支配者に取り入るため、賊を帝都に手引きして宿主の破滅に貢献した。
だが、旧き宿主を内から腐られた寄生虫の一匹は、罪悪感どころか、内から溢れんばかりの歓喜に震える声で、
「じゃが、皮肉にも、いや、国が滅びたからこそ、ミベルティンを滅ぼすほどの宿主にようやく巡り会えましたわい。ネドイル閣下はわしら寄生虫がいくら巣食おうが小揺るぎもせん、正に理想の主ですわい。あのような弱き者を平らげ、ネドイル閣下はますます強大となられるじゃろう。ああ、わしは、わしはようやく寄生虫としての生を全うできるのじゃ」
誰よりも侮蔑する寄生虫としての生き方を全うできる、最低の生き方さえできずに終わらずにすむ老宦官は、バケモノじみた凄絶な笑みを浮かべて喜ぶ。
リムディーヌやコハントのように、ネドイルに仕方なく従っている者がいる一方、スラックスやシダンスのように、己の全てをかけてを全てをネドイルの役に立つようにしようとする者もいる。
そして、ネドイルに逆らえぬ前者に、後者の忠勤を妨げることはできない。
だから、今日、負け犬たちが生き地獄のフルコースを完食させられたからといって安心はできない。
スラックスのような者が敗者の忠実ぶりに疑問を抱いたなら、今日までの惨劇は何度でも起こり得るのだ。
いや、それだけではなく、何の落ち度もなくとも、ザゴンのような者に目をつけられたなら、面白半分で生き地獄のフルコースを口に詰め込められるかも知れないのだ。
負け犬にはエサを選ぶ権利はない。あるのは、アーク・ルーンの投げ与えるエサを拒み、家族と共に餓死する権利だけである。
敗者は勝者の理不尽を飲み下さねば、生きることすら許されぬゆえに。
これにて滅竜編は終了し、物語もようやく折り返し地点です。次の落竜編は四、五日ほど空いての開始となります。引き続き、お付き合いを願えれば嬉しいです。




