エピローグ6-2
在庫一掃処分。
魔法帝国アーク・ルーンのバディン領ベッペルの郊外にて、総勢三十万以上の軍勢によって、引き取り手のいなかった捕虜が一斉に処分されようとしていた。
もっとも、在庫品の数は一千に満たず、三十万人が総がかりの必要はなく、実際に在庫の処分に当たるのは、全体の百分の一ほどで、後はその見せしめを教訓とするためにこの場にいるのだが。
処理作業はその日の朝食後に行われ、まず元ロペス王、元シャーウ王、元タスタル王、サクリファーンの四人が、鎖で縛られた腰の部分を隠しただけの、全裸に近いバディン王に、手にする短剣を突き刺さしていくが、四本の短剣はどれも急所を避けてあり、ただちにその命を奪うことはない。
ただし、短剣にはどれも毒が塗られており、刺した所からバディン王のヒフが変色を始めていて、いずれ死に至らしめることになる。
その余命の中、老人や幼年、病弱という理由で売れ残った、バディン、ワイズの王族・貴族が、バディン攻略時に常に本隊の先陣を務めさせられた、五人の元王女を除く竜騎士と、騎士・兵士らの手で処分されていく。
「……止めろ! なぜ、こんな非道なマネをする!」
かつての同胞が血の気が失せた顔で、最後までつき従った同胞の命を奪っていくさまに、クラウディアは檻車の鉄格子をつかんで叫び、制止を呼びかけるが、ドラゴンも祖国も失った王女の声がどれだけ大きかろうが、そこにはもう何の権限を有していない。
「まっ、イライセン殿を怒らせたからだろうな」
制止には応じないが、イリアッシュと共に檻車の側にいるフレオールは、疑問には答える。
「どういうことだ?」
「ワイズを征服された直後、あんたら、ワイズの民を煽動して、オレらに刃向かわせただろ。で、その際にワイズの民にいくらかの犠牲が出た。それを主導したのがバディンとワイズの連中である以上、イライセン殿が両者を処刑するように命じるのは、当然のことだ。だから、あそこにゼラントの連中はいないわけだ」
バディンに亡命したゼラントの王族・貴族は、ワイズの民を煽動に関わっていないので、特段、イライセンに恨まれておらず、アーク・ルーンの軍務大臣は現地の判断に任せると、スラックスに丸投げしている。
ゼラントの虜囚も皆殺しにしても問題はないが、特に殺しても益のない面々なので、アーク・ルーン軍の第五軍団長はその処置をミリアーナに丸投げした。
バディンやワイズの王族・貴族への処断が苛烈なものであるだけに、父が見捨てた家臣たちをどうするか、娘は大いに悩んでフレオールは相談した結果、
「身ぐるみをはいで放り出せばいいんじゃないか。もちろん、うちに逆らわないって口約束させた上で」
軽い口調で殺さなくていいと明言するが、実のところアーク・ルーンは貴族の命などに重きを置いていない。
貴族を病的に嫌うヅガートだが、ワイズを征服した際、別段、ワイズ貴族を大量虐殺したわけではない。ただ、屋敷や財産を奪い尽くしたので、結果的にその大半が野垂れ死にしただけである。
征服した国の王族・貴族の没収した資産は、新たな征服戦争の活動資金となるだけではなく、新たな領土の再整備にも用いられ、新たな民の支持を得るのに使われる。
さらに王族・貴族の特権を廃止し、より良い社会を築いていけば、資金も権限もない王族・貴族が挙兵したところで、民はそれに同調するどころか、新たな支配体制を守るために古い支配者と対立してくれる。
旧来の支配体制が復活すれば、自分たちを苦しめてき特権も復活するのだから、民の多くが祖国復興に難色を示すのは当然だろう。
「おのれ。国から受けた恩を忘れ、侵略者にこびへつらうか」
自分たちの正当な権利な取り戻すための聖戦に協力しない民衆を恩知らずと罵るほど、民衆はかつての支配者をうっとうしく思うようになる。
さらに旧来の支配者らがその恩知らずに罰を与えると称して危害を加えたならば、民衆の心理は失った祖国の復活を望まぬ方に傾いていく。
長年、民が従うのは当然と生きてきた王族・貴族は、民の反抗に過敏な反応をしてしまい、それが自分の首を絞め、アーク・ルーンの統治を固める結果をもたらすのだ。
だから、ミリアーナが命を助けたいと考える下らぬ連中を殺さずとも、アーク・ルーンが目くじらを立てることはない。わざわざ殺す手間が惜しいし、何より下らぬことをしてくれた方がありがたいからだ。
バディン王などの下らぬ人間をこんなに手間をかけて殺すのは、イライセンの目くじらを立てさせたからである。
「仕方あるまい。キサマの侵略を阻むため、ワイズの民にも戦ってもらう必要があったのだ。ワイズの民が決起してくれたからこそ、タスタルやフリカは防備を固めることができた」
七竜連合は同盟国との国境の守りは、極めて甘い。タスタル王国とフリカ王国も、ワイズ王国との国境はさして防備が整っていなかった。
それゆえ、タスタル王国はカッシア城を中心に強固な防衛戦を築き、フリカ王国も西の国境の防備を固めたが、それができたのもワイズの民が反乱を起こしたからである。
ヅガートも後々、厄介なことになるのがわかっていたが、ワイズの内乱鎮圧に手一杯で、タスタルやフリカが国境の守りを固めるのを邪魔できなかったので、ワイズの民を煽動したのは、アーク・ルーン軍への牽制策としては有効ではあったが、
「ならば、イライセン殿の処置に否はあるまい。イライセン殿はワイズの民を守るために、バディンやワイズの連中を殺すのだからな。自分たちのためにワイズの民の命を用いるのはいいが、ワイズの民を守るために自分たちの命を使われるのはイヤという話は通らんだろ」
ワイズの民を謀略に利用しようとすれば、どれだけの代価を支払うことになるかを示し、ワイズの民を再び煽動しようと考える者をいなくするだけではない。
アーク・ルーンとて、ワイズの民を犠牲にする政策を、これで取れなくなった。特にスラックスやリムディーヌは、百のタスタルの民を助けるためにワイズの民を一人、見捨てることも軽々にできないであろう。
「では、どうすれば良かったというのだ!」
「そりゃあ、ヅガート将軍のように謝れば良かったんじゃないか」
煽動されて決起してワイズの民を鎮圧する際、ヅガートは兵になるべく殺さずに捕らえるように指示を出したが、あくまで『なるべく』でしかない。
命のやり取りをしている以上、アーク・ルーン兵にも余裕があるわけではなく、あまり不殺を意識させすぎると、兵に余計な犠牲が出るとヅガートが判断したからだ。
もちろん、それでアーク・ルーン兵の死者が少なくすんだ分、やむ無く死んだワイズの民が増えたのだが、それに対してはヅガート自身が何度も帝都に転移して、何度もイライセンに頭を下げて理解を求めた。
兵を無為に死なせるヅガートではないが、イライセンの異常性や危険性も看過するほど甘くない。
一見、頭を下げて殊勝な態度に見えるが、その実、ヅガートは伏せた視線からイライセンを牽制して、その狂気を抑えにかかっているのだ。
狂気を宿しつつも、冷徹な計算力が鈍っているわけでもなければ、優れた洞察眼もくもっていないイライセンは、兵を守るためなら相討ち覚悟で牙をむくヅガートの危険性を見抜き、現地の最善の努力を理解することとした。
つまるところ、ヅガートほどの男が命がけで頭を下げて、事なきを得たのだが、その一方でイライセンとて話せばわからないということはない。こうした事態を避けたければ、バディン王やクラウディアなど、この場で処刑される面々は、帝都まで足を運んで形振り構わずに総出で土下座すれば、イライセンとて穏当にバディン王家の根絶やしですませてくれたかも知れない。
病的な貴族嫌いなヅガートが頭を下げねばならないほど、危険なイライセンに何もせずにいたのだから、もはやこの悲劇と見せしめは避けようがなかった。
粛々とイライセンの企図した悲劇と見せしめは進行し、在庫品の大半は肉塊と化して、残るはクラウディアの祖母、兄、弟、叔父、姪がいよいよ引き出され、青ざめた顔のミリアーナ、シィルエール、ナターシャ、フォーリス、ティリエランの出番となる。
ちなみに、処分された在庫品の中にクラウディアの母親や義姉など、肉親の一部が見当たらないが、彼女たちは引き取り手があり、命だけは助かっている。
イライセンは皆殺しにしたかったが、その一部を恩賞として用いれば経費削減となるので、彼女たちが死ぬより辛い思いをするであろうことで妥協したのだ。
クラウディアにしても、フレオールの所有物となることで、こうして処刑を免れている。
もっとも、フレオールはクラウディアが舌を噛み切るようなマネはしていないが、他の引き取り手の大半は文字どおり物のように扱われている。
だが、彼女たちは所有者に飽きられない限り、誇りや心身はズタズタにされようが命だけは残り、わずかなものでも希望は残る。
しかし、殺された者たち、これから殺されていく五人は命が残らず、一切の希望が失われる。
処刑執行人である五人の元王女は、かなりためらった挙げ句であったが、強制されるままにクラウディアの肉親の殺害に着手していく。
「……ハアアアッ!」
フォーリスはクラウディアの叔父の心臓をフランベルジュで一突きにする。
「叔父上! 叔父上! 出せ! 私をここから出せ!」
叔父の死を目の当たりにし、狂ったように暴れ出したクラウディアだが、今の彼女の言葉には何の力もなく、鉄格子をねじ曲げる力さえない。
どれだけ叫ぼうが、どれだけ暴れようが、まだ小さい弟の腹がナターシャの矛で突き破られ、まだ乳飲み子の姪の小さな頭が、ティリエランの打棒で割られ、
「……ああ、ああ、イリアッシュ! いえ、イリア先輩! せめて、祖母と兄だけは助けてください……そう父君にお願いしてください」
「え〜、いやですよ。そんなことを言ったら、私が父に殺されるじゃないですか」
父親だけではなく、とうに狂っている娘は、朗らかな声でクラウディアに絶望を与える。
「ハアアアッ!」
止めてくれる者がいない以上、ミリアーナもフレイルを振り回し始め、せめて三人の先輩のように一撃で楽にしようとし、
「あら、ミリィちゃんじゃないの?」
認知症気味のクラウディアの祖母は、状況が理解できていないらしく、上品に微笑んだまま、フレイルに頭部を粉砕されて倒れる。
ミリアーナも、フォーリス、ナターシャ、ティリエランと同じようにガタガタと震え出すが、彼女たち四人はアーク・ルーンの命令をともかくまっとうした。
が、シィルエールだけはガタガタと震え、助けを求めるように周囲を見渡すばかりであった。
バディンの王太子は叔父と同様に静かに座し、黙然とシィルエールのレイピアを受け入れようとしているが、フリカの元王女はついに半泣きになってしまう。
「仕方ないのう」
やれやれと言わんばかりにため息をついたジダンスは、すぐに小娘の尻を叩く準備を始めさせる。
手際のいいアーク・ルーン軍はほどなく用意を整えると、上空に一つの映像が映し出される。
「……母様……」
シィルエールのつぶやくとおり、映像の中にはフリカの元王妃の姿があった。
正確には、二人の男に押さえつけられ、処刑用の斧を振り上げた男の側で頭を垂れさせられている母様の姿がそこにはあった。
「シィルエール殿。十を数える間に執行してくだされ。でないと、ご家族が大変なことになりますじゃ。ひとーつ、ふたーつ……」
カウントが始められるが、シィルエールは幼い頃に遊んでもらったバディンの王子様を殺す決断がどうしてもできず、
「とおー」
数え終わるや、斧が振り下ろされ、映像の中で母親の首が飛ぶ。
「母様っ! 母様っ!」
シィルエールは叫び、フリカ勢を中心に兵の一部がざわめき出すが、映像の中で首無し死体がどかされ、血に濡れた斧を振り上げた男の側に、二人の男に引っ張られて母親と同じ体勢にさせられた、シィルエールの妹の姿が映し出される。
「ひとー……」
「ハアアアッ!」
シダンスの再カウントが始まるや否や、シィルエールはレイピアでクラウディアの兄をめった刺しにする。
「ハアアアッ! ハアアアッ!」
すでにこと切れているバディンの王太子に、シィルエールは必死の形相でレイピアを突き立てる。
正しくバディンの王太子の全身が穴だらけして、ようやく手を止めたシィルエールは、
「……あれは幻術、母様は生きている……あれは幻術、母様は生きている……」 虚ろな目でそんなつぶやきを繰り返す。
多少の遅れは出たが、バディン王は自分の最初の息子の死を見届けてから、全身に回った毒で白目をむいて動かなくなり、目の前で身内が殺されていくのをどうすることもできなかったクラウディアは、檻車の中でうなだれて号泣する。
当然、泣きわめくだけの戦利品と、逆らう気力などカケラも残っていない負け犬たちには、無力な傍観者となるより他なかった。
死んだ在庫品を、五十頭ほどのドラゴンが胃袋で処理するのを。




