エピローグ6-1
自滅した怪物から噴き出した障気はかなりの量であったが、王都の外に流出することもなければ、夜明け前には四散して消え失せた。
もちろん、そのかなりの量の障気で大量のゾンビが発生したが、その処理は大した手間のかかるものではなかった。
ドラゴンの亡骸の翼を全て壊してベッペルから退き、外からアース・ドラゴンやアイス・ドラゴンの能力で、城壁の壊した部分と城門をふさぐと、ゾンビたちは王都の中を無秩序に歩き回るだけのものとなった。
そして、一騎も欠けることなく、ベッペルの外で集結した竜騎士たちは、しばしの休息の後、ゾンビの駆除に向かい、これまた一騎も欠けることなく動く死体を動けなくしていった。
まず、ドラゴン・ゾンビや魔甲獣ゾンビを、竜騎士たちは上空から一方的に攻撃し、再びただの死体とする。
次に竜騎士たちが王都の各所に降り立つと、知性も恐怖もなく、生者への憎しみしかないゾンビたちは、巨大な生体反応に惹かれ、人とドラゴンの前に次々と姿を現してきたところを、圧倒的な力で叩き潰し、これでゾンビの大半は腐った肉片となった。
後は二十万以上の兵がベッペルの隅から隅まで探査し、ゾンビを徹底的に駆除して安全を確認してから、避難していた王都の民を帰宅させたのだが、彼らの約半数は帰るべき家がガレキの山と化していた。
キメラ、狂いしドラゴン、竜騎士らの大混戦で家を壊された市民は、バディン王宮や貴族たちの屋敷での雑魚寝で当面は我慢してもらえるよう、シダンスなどが手配や説得をした。
ちなみに、家を失った市民に仮の住居として提供された建物の元の所有者たちは、わずかな荷物を手にどこへともなく逃げ去ったか、アーク・ルーン軍に捕縛されて虜囚となったかのどちらかである。
その内の後者でも、クラウディアのような王族は檻に入れてもらえているが、バディン貴族たちは広場などに縄でつながれて野宿をさせられている。
予想以上に荒廃したベッペルの現状に、スラックスは兵と民を動員して、ガレキと死骸の撤去に着手すると共に、タスタルにいるトイラックと早々に連絡を取った。
「タスタルの復興政策を後任に引き継がせたら、すぐにそちらに向かいます」
バディン王国、正確には魔法帝国アーク・ルーンのバディン領の窮状に理解を示したトイラックから、そのような返事をもらえたスラックスは安堵すると共に、未来の親類が赴任するまでにできる限りのことをしておかねばならない。
差し当たり、バディンへの支援物資を手配するのはもちろん、むだ飯食いの処理を早急に行うことにした。
ゼラント王やガーランドは逃したが、スラックスはバディン王やワイズ王を始め、バディンの王族や貴族、バディンに亡命していたゼラント貴族やワイズ貴族を、ベッペルにおける攻防戦の大混乱の中にも関わらず、大量に捕らえることに成功したが、いくら処刑場に送る者たちだからといって、その前に餓死させるわけにもいかない。
妻や子と一緒に殺される予定のワイズ王は帝都に転移してあるが、バディン王らはバディン領に残されており、バディンの食料事情の悪化に貢献している。
ベッペルの復興作業と並行して、スラックスはバディン王らの処刑の準備も急いで進めているが、それは何も食費をケチってのことだけではない。
バディン王らの処刑で一先ず負け犬たちに対する踏み絵が完了する。そうなれば、負け犬たちの兵馬を故郷に戻せるし、第十二軍団を次の任地に向かわせられる。余計な軍事費を省くこともできるのだ。
ただし、それはクラウディアの肉親の命日が急速に迫っていることも意味する。その命日に死ぬバディン王族のみならず、貴族たちの中にも、ティリエランらは顔見知りはいくらでもいる。
ナターシャにとってクラウディアの弟コーラルは、自分を慕う弟も同然の存在だが、このような例はいくらでもあり、それだけにアーク・ルーン軍が行おうとしている大量処刑は、しかしティリエランらの予想をはるかに上回る悲劇的な内容であった。
その日、シダンスにバディン王宮の一室に呼び出された、ティリエラン、ナターシャ、フォーリス、シィルエール、ミリアーナは、アーク・ルーンの悪魔よりも悪辣な脚本を渡され、そのことを思い知ることとなった。
呼び出された彼女たちは、甘いことにこれを一つの機会と考え、クラウディアの肉親の助命を願い出ようと思っていた。
「お待たせしましたのう。処刑の準備に色々とやることがありましてな。ご勘弁、願いますじゃ」
一応、頭を下げながら部屋に入って来たシダンスの言うとおり、ティリエランらは一時間以上も待たされている。
当然、元王女とされた五人は、もはや一介の副官にも文句を言える立場ではないので、愛想笑いを浮かべて相手の謝罪を受け入れる。
敗者が勝者に頼みごとをするのだから、シダンスの機嫌を損ねるわけにもいかないし、向こうの用件より先に切り出すわけにもいかないが、
「そういうわけで、わしも忙しい身なので、手短に言わせてもらえば、バディン王の処刑執行人はあなた方の父兄に頼むとして、バディン王の身内はあなた方の手で殺してもらえますかのう」
「ちょ、ちょっとお待ちください、シダンス殿」
対岸の火事でなくなった途端、慌てふためく亡国の王女たちの中で最も愕然となったのは、バディン王家との交流が最も深いナターシャであった。
ライディアン竜騎士学園の最後の年、その入学式の日にフレオールが口にした「コーラルを自らの手で殺す」という言葉が現実のものとなりかねない事態に、
「我々はバディンの王室とは、長年、家族ぐるみのつき合いをしておりました。どうか、その点をご考慮いただけないでしょうか?」
「なるほど。では、当日、タスタルの王族がバディンの王族に殉じられるように取り計らうといたしましょうかのう」
「何でそうなるのですかっ!」
ナターシャがヒステリックに叫ぶのも無理はないだろう。
親友の家族を殺さねば、自分の家族が殺されると告げられたのだ。気が狂わんばかりの選択肢を突きつけられ、五人の元王女の表情蒼白となり、その肢体が小刻みに震え出す。
その中でも最も心中が穏やかなものではないナターシャは、
「シダンス殿。我々はこれまでバディンの王室との関係を考え、配慮をしてもらいたいと言っているだけなのです。そもそも、なぜ、このような酷き仕打ちをされるのですか?」
「こちらこそ、なぜ、抗弁なさるのか、わかりませんのう。アーク・ルーンの敵を殺せ。それだけのことに従わぬのですから、反逆者として処断されるのは当たり前ですわい」
シダンスは穏やかに微笑みながら、あくまで残酷な選択肢を強要するだけではない。
「最初に言うたが、当日、殺すだけのそちらと違い、わしはそれまでの準備に何かと忙しいんですわい。この程度のこと、ささっと決めてもらえんかのう」
クラウディアの家族を殺すか、自分たちの家族も共に死ぬか。それを早々に決めろと言ってくる。
唯々諾々と応じることのできない役割をこなすように迫られ、
「……私たちを甘く見るにも、度がすぎていると思いませんこと? ご自分の口にしていることと状況がわかっていまして?」
クラウディアをおもんばかってというより、あまりになめきった態度を取られ、プライドの高いフォーリスはシダンスを睨みつける。
負け犬たちが今さら牙をむいたところで、今日までの忍耐、そして明日からの己と身内の人生が無に帰するだけの話だ。だが、無計画に激発してもうまく不意を打てれば、彼女たちの命日は変わらないとしても、葬式の数は増やすことはできるだろう。
不意を打たれても、スラックスならば反撃の態勢を整え、牙をむいた負け犬たちを討ち取ってのけるだろう。ただ、反撃の態勢が整えるまでの間に、いくらかの犠牲が出ることは、スラックスの手腕でも避けられるものではない。
少なくとも、護衛も連れずにここにいるシダンスは、亡国の王女が激発したならば、カンタンに八つ裂きにされてしまう。
侮られていることへの憤りはあるが、怒りつつもその一方でフォーリスは起死回生の公式も算出していた。
フォーリスが自暴自棄の軽挙に出れば、シダンスを殺すことができる。そう相手に思わせれば、シダンスが命惜しさに敗者に対して退く、と計算したのだ。
護衛を連れずに訪れた軽率さにつけ入ろうとするフォーリスを、ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナ、シィルエールは止めるどころか、無言でシダンスを睨んで無言の脅迫に加担する。
アーク・ルーンの命令にうなずいてばかりでは、この先もこのような理不尽な扱いを受け続けることになる。ここで拒否権を確保しておかねば、それこそ人ではなく犬畜生として生きていかねばならなくなるのが明白と判断し、フォーリスの計算に他の四人も便乗することとしたのだ。
歯を食いしばって睨みつけてくる五人の小娘に対して、シダンスはそれを微笑んで受け流しているが、本当のところは必死に苦笑をこらえていた。
数多の修羅場を潜り抜けてきた老宦官の目には、小娘の底の浅い計算は明らかなのだ。それでもその程度の公式にすがる愚かな小娘の眼光など、束になったところで笑止なものでしかなかった。
フォーリスは最後まで睨み続けはしたが、結局、シダンスが笑顔のまま小揺るぎもしなかったので、小娘たちは己の敗北を悟ってうつむいていく。
「それでは、バディンの王族の処理。お願いしましたぞ」
「……はい、しかと承りました」
代表してティリエランが処刑執行人を引き受けることを受諾し、他の四人もそれに異を唱えなかったが、それで用事を終えたシダンスはすぐに立ち去らなかった。
「しかし、この程度のことでこんなに時間がかかろうとはのう。まったく予定が狂ってしまいましたわい」
この独り言を装った内容だけでも、ティリエランらの神経を充分に軋ませているというのに、
「おまけに、人様に迷惑をかけておいて謝りもせんとは、七竜連合では一体どういう教育がされているのであろうなあ」
暗に謝罪を要求さえしてくる。
王女として他者にかしずかれる人生を送って来た五人の元王女は、
「……申し訳ありませんでした」
屈辱に身を震わせながら、ひざまずいて深々と頭を下げる。
「ふむ。どうやら、人の言葉を理解する程度の知能はあるようだのう。なら、頭にハチミツでも詰まっているような、その甘ったるい思考でも理解できよう。一国の王女ならば、国という後ろ盾をこちらも気にせねばならんが、そなたら一個人にこちらが気を配る価値は、ありゃあせんわい」
ひざまずいて深々と頭を下げる五人の身体の震えが大きくなる。
「じゃから、今後はもっと口のきき方に気をつけるか、フレオール卿かリムディーヌ閣下などが横におる時にしゃべるか、どちらかを心がけた方がよいぞ。少しでもしゃらくさいことを口にすれば、そなたらを反逆者として処断するのはわけないことだて。クラウディアなる娘の今日が、明日の自分であるかも知れぬと心得られよ」
恐ろしいまでの忠告を残し、用事と言うべきことを終えたシダンスは、足早に次の予定へと向かう。
クラウディアの肉親を含む、かつての味方を殺すために準備に勤しむ今の味方を、血の気が失せた顔で見送るしかできない五人の小娘をその場に残して。




