滅竜編168-6
王都の民が外に避難するのを、スラックスは妨げないどころか、その誘導と保護を命じた。
戦場となる王都から逃げることができなければ、戦いに巻き込まれて多くの民が命を落としていただろう。何より、生き残った民から不用な恨みを買うことになり、それを避けるという点ではスラックスの判断は正しい。
ただし、デメリットもある。何しろ、三十万近くという大群衆が一斉に動くのだ。その中に民に扮したバディン貴族がいても、とても探し出せるものではない。それはバディン王も同様であり、彼は側近らと共に変装して、無事に王都より脱出している。
その点にスラックスも気づかなかったわけではない。だが、バディン貴族を捕らえるのに民の避難を妨げ、余計な犠牲を出すのをいとったのだ。
バディンの王侯貴族がどれだけ落ち延びたところで、彼らの決起に民が同調せねば何事のこともない。タスタルでの事例が再現されるか、野垂れ死にするだけである。
百人の貴族の怒りより一万の民の怒りの方が憂慮すべきもの。その当たり前の道理をわきまえているスラックスからすれば、バディン王らに重きを置く必要はないが、さりとて完全に放置したわけではない。
もっとも、万全を期したわけではなく、うまくいけばいい程度のものだが、クラウディアが捕らえられている檻車の側に、イリアッシュだけを残し、他の者は遠ざかるように指示を出した。
運次第の罠ゆえ、スラックスは大して期待をしていなかったのだが、衰勢にあるバディン王国は、とことん運気に見放されたようだ。
王と共に脱出した者の内、三人のバディン騎士は平民の格好をし、秘かに王女を探した結果、不運にも檻車の存在に気づいてしまい、クラウディアの居場所を突き止めてしまった。
王都の周囲に展開するアーク・ルーン軍の数は、ベッペルの人口に近い。その中から囚われの王女を探し出すなど、元来は無理な話であったが、バディン騎士らはたまたまイリアッシュの乗竜たるギガの巨体を見かけ、試しにそちらに行き、檻車の中にいるクラウディアを姿を目にした時、その三人はしばし神に感謝をしたが、
「神様も中途半端なマネをなさる」
すぐに見つけただけでは意味がないことに気づく。
平民の格好をしているので、バディン騎士らの武器は隠し持っている短剣だけだが、相手が普通の女ならば男三人で取り押さえるのはわけはない。
しかし、その女性が自国の竜騎士の誰よりも強いイリアッシュであるならば、三人どころか三十人でも返り討ちにあうだけだ。
冷静に考え、イリアッシュをどうこうする手立てがない以上、その三人はそのまま引き下がるべきであったが、せっかく見つけた囚われの王女を助けることがどうしても諦め切れず、
「そこにいるのはイリアッシュ殿ではありませんか? 我らの顔を存じぬでしょうし、このような格好であるのでわからぬでしょうが、我らはバディンの騎士にございます」
進み出てひざまずく。
ワイズ王国が健在なりし頃、国務大臣の令嬢たるイリアッシュは何度もバディン王国に訪れており、三人の騎士は宮中でその美しき姿を目にしているし、王女たるクラウディアと楽しげに談笑している光景も目にしている。
この期に及んでその旧交にすがって何とかしようとしたバディン騎士らは、
「イリアッシュ殿。バディンがアーク・ルーンと敵対しているとはいえ、かつては味方であったことを思い出してもらいたい。無論、裏切って我らと共に戦って欲しいとまでは言いません。ただ、クラウディア殿下を解放するのを見てみぬフリをしていただきたいだけです。どうか、この一時だけ、お目こぼしをしていただけぬか?」
深々と頭を垂れて慈悲を乞う。
「ハアアアッ!」
言うまでもなく、無慈悲にも敗者の懇願を無視し、勝者たるスラックスの言われたとおり、ドラゴニック・オーラを発現させて二丁のトンファーを抜き、それで二人の首筋を打って気絶させる。
「イリアッシュッ!」
残る一人と檻車の中の一人が異口同音に叫ぶが、その内の一人は二丁のトンファーを先ほどと異なり、本気で振るって頭部を砕く。
「ガアアアッ!」
その直後、ギガに合図の咆哮を上げさせ、
「さて、引き取りに来るまで見張っていますか」
罪悪感のカケラもない声音でつぶやき、淡々と自分の仕事をこなそうとする。
「キサマ、その者たちをどうする気だ!」
乗竜を失い、檻から出れぬほど無力なクラウディアは、無駄を承知でイリアッシュにそう問わずにいられなかった。
あるいは、それを無視されていたなら、絶望を先送りできたかも知れないが、
「あなたのお父上がどこにいるか、聞くだけですよ。まあ、場合によっては、自白剤を使うことになるでしょうが」




