ワイズ騒乱編1-3
「すでに知ってのとおり、西では百万の聖十字軍の反撃にあい、第一、第七軍団が敗走を繰り返しています。南も第三、第八軍団が精霊戦士らに大打撃を受けている模様。ただ、北に関しては、第二、第四軍団が巨人大同盟を下し、もはやアーク・ルーンを撃退するのは不可能な状態にあります。もっとも、巨人大同盟の領域は広く、あくまで抵抗する巨人たちも少なくないゆえ、アーク・ルーンが北の地を完全に制圧するには、最低でも二年の月日を要するでしょう」
第一連休明けの初日、祖国から戻ってライディアン竜騎士学園に通学、通勤したその日の夜、八人の女性が寮に戻って休むことなく、学園の一室で七竜連合の今後について話し合っていた。
言うまでもなく、その八人とは、学園長ターナリィと七竜姫の面々である。
七竜連合の王族として臨む、何度目か会議は、これまで通りティリエランが情報と資料を読み上げていく。
「アーク・ルーンの遠征軍百二十万の内、五十万が東、つまり我々との戦いに配置され、その偏りが西と南の劣勢を招いたものと思われます。それゆえ、その二方面の劣勢が続けば、ワイズにいる五個軍団をそちらに動かす事態も期待できます」
無論、それが希望がふんだんに織り混ざった推測であるのを、この場にいる八人は充分に理解している。
よほど深刻な事態にならない限り、東の戦力が西や南への援軍となることはないだろうし、
「もちろん、援軍とするなら、すでに決着が見えた北の軍を先にするでしょう。北にいる二個軍団の内、どちらかが援軍とされ、それでも戦況が好転しない事態となってから、我々の敵が減ると考えるべきでしょう。我々が何もしていなければ」
そこで言葉を切ったティリエランは、視線をフォーリスに向ける。
ロペスの王女だけではなく、他の六人の視線が集中するシャーウの王女は席を立ち、
「皆さんに吉報を伝えさせていただきます。我が国はアーク・ルーンの第四軍団の将サムに内応を約束させ、その旨を誓約書として認めさせました。サム将軍に兵を挙げさせ、それを第二軍団のみで対処できなくなれば、ワイズにいる兵を割くことは必定。これで決戦の際、我々がずっと有利となりましたわ」
悪魔を主力とする第二軍団だが、北の地ではサムの将才に遅れを取り、武功を第四軍団にほぼ独占されている。この両軍が激突した場合、悪魔が元農夫に退治されるのは明白というもの。
フレオールのライディアン竜騎士学園への入学を認めることで、その存在を政治的にも戦略的にも利用することを主張したのはシャーウ王国である。
が、実際には調理されるべきフレオールが、シャーウ王国の思惑に反して、調理場をメチャクチャにしてくれたせいで、シャーウ王国とフォーリスの面目は丸潰れとなってしまった。
その失地回復のため、シャーウ王国はアーク・ルーン軍の内部をかく乱せんと躍起になり、サムに裏切りを誓約させたことで、何とかメンツを回復することに成功し、フォーリスはやっといつも通り自信満々に振る舞えるようになったのだ。
「ただ、サム将軍を内応させるために、金貨三万枚を支払うことを約束しました。これだけの額になりますと、我が国だけでは苦しいので、勝利のあかつきには、その代価への協力をお願いしますわ」
七竜連合の中で最も豊かなシャーウ王国ゆえ、前払いの金貨三千枚は自腹を切れたが、その十倍となると、用意できないわけではないが、他の予算に影響が出るほどの支出となる。
特に、去年から増大する軍事費のために、七竜連合の六ヵ国は増税しているくらいなのだ。
「敵将の寝返りはありがたいが、フォウ、あの六人の切り崩し、そちらは無理だったのか?」
クラウディアが問うた六人とは、ワイズの地にいる五人の将軍とトイラックのことである。
強欲なことで知られるサムは、たしかに買収し易いが、その任地は遠く北である。それよりも、ワイズにいる敵将や高官を味方にする方が、もっと直接的に戦況が好転する。
もちろん、クラウディアが指摘するようなことは、シャーウ王国も最初に試みており、
「言われるまでもありませんわ。その六人にはとっくに使者を出し、金貨を百枚ずつ渡し、受け取りましたのに……」
フォーリスが顔を歪ませるのも無理はないだろう。その金貨六百枚は、アーク・ルーン兵の酒代になったのだから。
シャーウ王国もたった金貨百枚で裏切ってもらおうなどと、むしのいいことを考えていたわけではない。金貨百枚はあいさつみたいなもので、相手がそれを受け取れば、もっと金を積んで本格的に抱き込む算段だった。
それがシャーウ王国が拍子抜けするほど、六人ともワイロを受け取ってしまい、選択肢が多くてむしろ対応に困ったほどだ。
が、敵将らを抱き込む金を、各国との共同出資の元、シャーウ王国がさらに用意しようとした矢先、トイラックら六人はワイロを持ち寄り、足りない分は身銭を切って、五十万の将兵に酒を振る舞った。
「最高の美酒とは、敵の金で飲む酒だ」
ヅガートは兵らの前で堂々と放言したので、酒代の出所は知れ渡り、当然、六人が敵からワイロを受け取ったことが、ネドイルの耳にも届く。
このことを知ったネドイルは、直ちに経理に命じ、六人が身銭を切った分を経費で落ちるようにして、損失補填を計った。
ワイロを敵兵の英気を養うのに使われ、シャーウ王国は憮然としつつ、眼前の敵将らを買収するのを諦めた。
フォーリスの目算では、ヅガートとトイラックは現状に不満を抱いていると考え、そこから切り崩せると踏んでいた。
ヅガートはこの方面の司令官であったのに、後から来たスラックスが司令官に、フレオールの父親が副司令官に任命されたのだ。
トイラックにおいては、ワイズ代国官と東方軍後方総監を兼任している。
代国官とは、アーク・ルーンというより、ネドイルが設けた制度で、征服した国を統括する代官で、実質的に国ひとつを任されるほどの高官だ。
後方総監も、その軍の補給などの後方支援を一手に担う高官で、行政と軍事の高官をその身ひとつで二つも兼ねているのだが、トイラックの前職は内務大臣である。
大臣職は大宰相に次ぐほどの高職であり、それに比べれば代国官と後方総監など、二つも三つも劣る地位でしかない。
ヅガートは降格され、トイラックは左遷されたので、フォーリスはそこが狙い目と見たのだが、結果はシャーウ王国がコケにされ、恥をかかされたのみ。
もっとも、トイラックらに恥をかかされたゆえ、怒りに我を忘れて、シャーウ王国はサムに金貨三千枚をぶち込み、メンツの回復を計ったと言えるが。
トイラックらへの買収が不調に終わったことは、クラウディアらも知っている。が、七竜連合としては、遠くのサムより近くのトイラックらを味方につけることの方が望ましく、バディンの王女も「何とかなんない?」と希望を口にしているだけだ。
「どうともなりませんわ。それよりも、決戦に向けて、味方をどうにかした方がいいのではありませんこと?」
矛先をかわさんと、シャーウの王女は、ワイズ、タスタル、フリカの王女に、順に視線を向ける。
その視線を受け、ウィルトニアは憮然とし、ナターシャとシィルエール、そしてクラウディアはバツの悪い表情となる。
「タスタルとフリカの物資の流入、何よりワイズ兵の脱走。敵よりもまず味方を何とかすべきと思われますが?」
アーク・ルーン軍との対峙が長引くにつれ、戦わぬ内から、フォーリスの指摘する点が、七竜連合としては見過ごせぬ問題として浮上して来ている。
現在、ワイズに駐留するアーク・ルーン軍は五十万を数える。それだけの数の兵をワイズのみの生産量で食わせることは物理的に不可能である。それゆえ、アーク・ルーンは方々から食料を調達し、その中でタスタルとフリカ産の食料がけっこうな割合を占める。
アーク・ルーンというより、後方総監のトイラックは商人らに手数料を払って買い付けをさせ、民間の取り引きを装ったので、タスタルもフリカも国内の食料が値上がりするまで、自国の食料がアーク・ルーン兵の胃袋を満たしているのに、最近になるまで気づかず、そして気づいた時には手遅れとなっていた。
トイラックはタスタルやフリカの食料の買い付けに、何人もの商人を仲介させ、二重三重の契約と取り引きを経て、食料が手に入るように仕組んだ。
仲介業者が増えれば、その手数料の分だけ食料が高くなり、直に買い付ける方が安くすむ。しかし、トイラックは意図的に前者の手法で食料を入手し、タスタルとフリカの経済を混乱させた。
敵への食料の流入を、当然、タスタルとフリカの両国は快く思わず、その全面禁止を布告し、何人もの商人を破産させ、首をくくらせた。
買い付けを依頼された商人らは、二重三重の契約に縛られており、アーク・ルーンに食料を届けねば、契約の不履行による違約金が派生し、手数料を高くしてまでその取り引きに噛ませ、保証や仲介させた商会や豪商によって、契約を守らざる得ないようにされていたのだ。
守らねば豪商すら破産するトイラックの策に、タスタルとフリカのみならず、七竜連合は何の対抗手段も取れず、一方的に引っかき回され、その混乱は日ごとに増大している。
商人らは禁令を破って、ワイズに食料を密輸するようになり、豪商らは親しい貴族らに禁令の撤回を嘆願しているが、この問題の根本はタスタル、フリカの食料が大量に国外で消費されていることにある。
国内の食料が少なくなれば、食料は当然、値上がりする。が、よりマズイのはそれで危機感を抱き、人々が食料を買い占めたことにより、食料は一時期、値上がりですまないレベルの高級品と化した。
幸い、タスタルとフリカの両国は、バディン、シャーウ、ロペス、ゼラントからの食料援助により、食料市場は再び安定を取り戻したが、決戦前でこの有り様である。決戦時に必要となる、三十数万人分の食料の調達を思えば、六人の王は暗然となった。
さらにもう一つの大問題、
「我が国の兵がバディンに身を寄せて、もう半年以上となるのだ。故郷や家族を想い、その元に戻ろうとするのは仕方ないだろう。それを止めるには、ワイズに兵を進め、アーク・ルーン軍を追い払うしかない」
これもトイラックの策による部分もあるが、アーク・ルーンとの睨み合いが長引けば、いつかは起きてしまっただろう。
ワイズ兵の家族はワイズの地で暮らしているのは言うまでもない。トイラックは彼らをアーク・ルーン兵の家族と同じに扱い、食料を配給するなどして生活の補助に務め、その怒りと憎悪をいくらか和らげ、信頼を多少なりと得てから、バディンにいるワイズ兵への手紙を書かせた。
バディン王国にいるワイズ軍は三万に及ぶ。一度にそれだけの手紙を集め、運ぶのは無理なので、千通ほど集めた時点で、トイラックはバディン王国に使者を出し、ワイズ兵に家族からの手紙を届けさせ、この時からワイズ兵が脱走するようになったが、問題は次の千通が届けられた時の対応だった。
バディン王の命令で、アーク・ルーンからの使者を痛めつけ、追い払ったまでいいが、あろうことか手紙を焼いてしまい、怒り狂ったワイズ兵たちがバディン兵らに襲いかかり、双方、百人以上の死者と千人近い負傷者を出した上、それから脱走兵の数が増えに増えた。
ワイズ軍の減少を食い止めるため、バディン兵が見張りにつき、脱走者を見つけ次第、殺すようになると、ワイズ兵も五十人、百人と集団になり、見張りのバディン兵を殺して逃げるようになった。
かくして、戦うことなくワイズ軍は二千の兵を失い、しかもこれといった解決策がないため、二千が三千、四千と、バディン兵を道連れに減っていく一方だ。
「ウィル、たしかに我が国の対応が悪かったのは認める。が、今すぐ決戦を挑むのが無理な以上、そちらで兵を抑えてもらわねば困る」
「これも言いましたが、戻りたい兵がいれば、自由にさせればいい。なまじ引き止めようとするから、争いが起きる。バディンの兵だけではなく、民も害した点は詫びます。が、無理に兵を引き止めれば、味方同士で争うのがわかったのなら、無理に引き止めない方がいい」
脱走したワイズ兵は、当然、バディン兵に追われることになる。ゆえに、ワイズ兵は山や森に逃げ込み、道なき道を進んで故郷を目指さねばならないが、地理も良くわからない異国で、そんなルートで帰郷できるものではない。
それで後悔しても、もう味方の元には戻れない。武器を手にする彼らは、賊となってバディンの民を襲い、糧を得るようになり、アーク・ルーン兵よりも憎まれるようになっていった。
そのような大問題を起こし、この場で最も立場が弱いはずなのに、国を失い、兵も失いつつある王女の、うつむくことのない態度がしゃくに触ったか、
「アーク・ルーンと戦うのに一兵でも惜しいのですよっ! もう少し真剣になられてはどうなんですの!
だいたい、ワイズの兵が逃げるのは、あなたのお父様が……いえ、何でもありません」
激情に駆られ、思わず禁句を口走りそうになったシャーウの王女は、さすがに自重してそれ以上は言わぬようにする。
最も触れられたくない部分に触れられかけ、ウィルトニアの瞑目し、表情を殺す姿に、
「皆、国から戻ったばかりで疲れているだろう。今日は少し早いがこれまでとしよう」
国を失い、心を安らげる場所も失った王女を気遣い、クラウディアは一同に解散を告げた。