滅竜編138-1
南から攻め上がるアーク・ルーン軍二十八万は、順調に進撃を続けながらも、その圧倒的な兵力と優勢にも関わらず、四百近い兵を失っていた。
もっとも、アーク・ルーン兵の損失はなく、死んだ約四百名は敗残者ばかりであり、しかも戦死した者は一人もいない。
その日も五人のシャーウ兵がシャーウ兵によって殺された。正確には、処刑されたと言うべきだろう。
アーク・ルーンはバディンの王侯貴族にはナニをしても構わないとする一方、民の殺害・暴行・略奪を固く禁じているが、こうした軍法はアーク・ルーンだけのものではなく、たいがいの国でそう明記はされてはいる。
それは七竜連合を含めてこの一帯の国々も同様だが、実際に兵士による略奪や暴行は起きており、現実問題として放置されてきた。
戦の矢面に立たされる兵士の待遇は、命がけの仕事のわりにはそうよろしいものではない。アーク・ルーンはその辺りを色々と改善したが、他の国々は慣習である略奪や暴行の黙認という役得とガス抜きで、兵士らの不平を抑えて戦場に駆り立て続けた。
そのため、軍隊は上も下も略奪を当然のことと考え、被害者である民衆にしても諦めている風潮さえあり、社会的にこの悪習は仕方ないものとされている。
もちろん、リムディーヌのように配下に略奪を許さない将軍がいないわけではないが、彼らが何人かいたところで、一部の民が被害を免れるだけにすぎず、社会全体にこの悪習ははびこり続けた。
ただ、略奪を許さないのが数人の将軍ではなく、一人の独裁者となってくると、話も社会も違ってくる。
民を苦しめる悪習を改めるべく、ネドイルは民に害を為した兵を必ず処罰することを徹底させているがゆえ、シャーウ、タスタル、ロペス、フリカ、ゼラント、ウェブレム、クーラント、ダムロス、バルジアーナ、モルガールの兵が合計四百人ほど、戦わずに死ぬことになったのだ。
今日も略奪などを働いたシャーウ兵十名が処刑され、連日、これまで黙認されてきた権利を理由に、味方が味方の手で減っていく勝者のやり方と方針に、八万人の敗者が戸惑い、日に日に動揺を強めていた。
言うまでもなく、処刑された兵士たちは一様に命乞いをしたし、その兵たちの上官や同僚らも助命や減刑を嘆願したが、アーク・ルーン側は一切、それに応じることはなかった。
助命や減刑を嘆願したのは、竜騎士たち、そして五人の元王女も同様で、部下に泣きつかれた彼女たちは、
「死罪ではなく、更正の機会を与えてもらいたい」
そう談判されたフレオールだが、あくまでも厳格に軍法を執行した。
非は罪を犯した者にあるとはいえ、助命や減刑の訴えを無視されたこともあり、兵たちがアーク・ルーンの容赦ない処置に動揺し、不満を強くしている事態は、直接、兵を率いているティリエランらからすれば、放置できるものではなく、フレオールも突き放していいだけの問題ではないので、シャーウ兵らの処刑後、双方は天幕の一つに集って話し合いの場を設けた。
話し合いの場である大きめの天幕には、フレオール、イリアッシュ、ベルギアットに、ティリエラン、フォーリス、ナターシャ、シィルエール、ミリアーナが一人ずつ竜騎士を伴い、計十三名が論議するというよりも、負け犬たちがアーク・ルーンの厳罰方針を和らげてもらいたいという申し入れに、明確な返答を与えるという方が的確だろう。
こうした場を設けた時点で、勝者が敗者に譲歩したようなものであり、負け犬たちもいくらかの期待を抱いていたが、
「情報によれば、バディンは全軍を以て、こちらに向かっているそうだ。数の上ではこちらが有利で、万に一つも勝利は揺るがないように思えるが、敵は劣勢であるがゆえに窮鼠と化す可能性もある。今のような規律の甘さでは、醜態をさらして余計な被害を出す恐れがあり、兵を引き締めよとスラックス閣下は訓戒されているが、それにはオレも賛成だ。特に、軍の最前列であるこの部隊がこんな状態では、バディンとの決戦時に思いやられる。早急に、全将兵の規律と統制を一から見直すように」
さらに厳しくせよとの通達に、敗者たちは顔色を失う。
今でさえ不満を抱いている兵士をさらに締めつければ、暴発する恐れがあるし、そこまでいかずとも反発を買うのは目に見えている。
それを何とかするための場と誤解したままの敗者らは、
「お言葉ですが、フレオール卿。今でさえ厳しさに耐えかね、陣中には不満がうずまいています。ここで兵との不和を大きくするのは、敵に利するところではありませんか?」
代表してティリエランが抗弁する。
が、元教官の主張に、フレオールはいかにも下らんといった白けた顔と声音で、
「民を害した者を罰して、それに不満を抱くならば、兵たちが反省をしていない証拠だ。だからこそ、こちらはさらに厳しくしろと言っている。軍法を守るのは全ての基本だ。もし、軍法を守らずとも黙認されると兵が考えれば、いざという時に勝手に動く者が現れ、味方の不利を招きなねない。規律や命令に従う。戦意や武勇などというものは、この基本ができてからのものだ」
正論であり、非は基本を守らせることのできない側にあるので、反論の余地はない。
だが、反論の材料はなくとも、
「ですが、貴軍のサム将軍やヅガート将軍の振る舞いは、どうお考えになられていますの?」
「その二人だけじゃなく、リムディーヌ将軍もよく抗命罪を犯すぞ。ただ、その三人に限らないが、命令違反しても、自分でケツをふけるなら、ネドイルの大兄は不問とする。もちろん、命令違反をして、被害を出したら、そのツケは払ってもらうがな」
フォーリスの揚げ足取りを、軽くいなすフレオール。
サムやヅガートは軍規に反して、略奪を行う。リムディーヌの場合は逆に、軍の命令であっても、民家や田畑を焼いたり、女子供を殺傷することは断固として拒否する。
この三将が軍法や軍命に反する罪に問われないのは、その功が罪を上回るからであり、罪による害を才で何とかしてしまうからだが、
「だから、スラックス将軍の訓戒を無視して、兵を引き締めを行わなくとも良いし、兵の略奪を容認してもいい。それに見合うだけの才と功を示せすか、自分と家族の命を差し出せばだが」
自信過剰なフォーリスですら、さすがに自分と家族の命をチップに、己の才を試そうと思わない。
いかに彼女でも、アーク・ルーンの将軍の凄みに及ばないくらいは思い知ったし、降伏してからの扱われ方で、シャーウの王族なんてものが免罪符にならないことも理解している。
そして、それは、アーク・ルーンに逆らえばどうなるかを思い知らされているのはフォーリスだけではなく、この場にいる負け犬たちは教え込まれている。アーク・ルーンの命令と方針にはシッポを振って、お手でもお座りでも殺戮にでも応じなければ、元王族だろうが全頭処分は免れぬだろう。
負け犬の中でもいくらか優遇されているロペス勢とて、アーク・ルーンに逆らえば保健所、もとい、処刑場行きとなるのは明白だ。
実力も実績もない身が何を言っても無駄。フレオールがこの場を設けた意味をやっと悟った一同は、当初の論議をいくら重ねても無益なのは理解したが、
「フレオール卿。バディン軍が出撃してきたなら、軍の再編をすべきです。今の兵の配備では、敵が窮鼠と化さなくとも、我らの数では対抗できません」
ナターシャの申し出は当然のことだろう。
バディン軍の正確な数はわからずとも、数万はいることは疑いようはない。自軍の総数が二十八万を数えようが、彼女たちの部隊は四千でしかなく、再編というよりも、兵を他から回してもらわねば、バディン軍の総攻撃に出た際、格好の好餌になりかねないという危惧は、決して間違っていなかった。
が、見識そのものは正しくとも、視点そのものが異なる点を失念しているナターシャに、
「その意見はスラックス閣下に上申してはおくが、オレ個人の見解では、このままの陣列でバディン軍が迎え撃つことになるだろう。勇名の高き竜騎士がこのまま活躍せずに終わったのでは面目が立つまいと、スラックス閣下はお考えだろうからな」
遠回しに使い潰すつもりと言われて、負け犬たちは十倍のかつての味方を食い破る以外に活路はないという現実に、イリアッシュ以外の竜騎士は愕然となる。
降伏してもアーク・ルーンと戦った過去が消えないという当たり前のことに気づいた敗者らに、
「これもオレ個人の見解だが、去年の時点、こちらが気を遣うくらいの国力を残していれば、ベネディアなどの国と同列に扱われただろうに、余力のない状態で降るから、こんな扱いを受けるんだ」
余力があれば反抗による害が大きくなるので、敗者とはいえ勝者は慎重な対応が必要となってくる。だが、反抗されても大した害とならない敗者は、遠慮なく使い潰せる。
「……けど、これだと私たち、全滅する……」
「したくなければ、苦境をはねのけて勝てばいい。こういう事態になるのがイヤなら、一年以上も前に、オレが忠告にうなずいていればいい。自分が勝てると思った戦いに負けたんだ。そんなお粗末な判断力しかない低能、これ以外の使い道はないよ」
見ていて哀れなほどへこむシィルエールだが、忠告もしたし、自らの意志で戦った結果な以上、同情のしようがない。
もちろん、使い捨ての道具、さらに低能と言われた側が怒気をみなぎらせる中、
「けど、それこそ、そんな扱いされたら、ボクたちは反抗するしかないんじゃないかな? どうせ死ぬならってことで」
「だから、前にオマエらだけを立たせている。矛を逆さにして、まず内通した連中、次にウェブレムなどの兵が立ちはだかっている間に、我が軍が迎撃の準備を整える。さて、その時、家族の命を盾にされて、何人そちらに残るかな?」
何かを諦め切った表情のミリアーナの問いに対するこの返答は、負け犬たちの反抗の意志をくじくのに充分なものだった。
もし、四千の兵が命を捨てる覚悟を決めても、その決死の刃はまず自分たちと同じ負け犬の血で染まる。例え負け犬同士の噛み合いに勝ったところで、反逆者の故郷を支配下にあるアーク・ルーン軍は、その家族を実質的に人質として確保している。
家族の命を助けたればと呼びかければ、自分の命は惜しまずとも肉親の命を惜しむ者が出るのは避けられないだろう。
反逆者の中に反逆者が出て、再び負け犬同士で殺し合うだけの話となる。
それ以前に、逆らわずに戦い、それで死ねならば、少なくとも家族の命を助かるのだ。
負け犬たちはアーク・ルーンの言われるままに噛みつく以外の生き方がないのも思い知り、竜騎士たちは次々とミリアーナに倣っていった。
全てを諦めた表情となって。




