ワイズ騒乱編1-2
連休明け初日だが、短縮授業ということもなく、いつもの時間まで勉学と訓練に励み、何事もなく放課後を迎えた瞬間、ライディアン竜騎士学園で八人の女性が、ほぼ同時に安堵の息をついたのも当然だろう。
授業中にトラブルが生じることがなかったのだから。
その八人の内、生徒会長のナターシャ、副会長のウィルトニア、会計のフォーリス、書記のシィルエールとミリアーナは、放課後、生徒会室に集い、生徒会の今後の方針について話し合おうとした矢先、フレオールがやって来たために、会議は始まる前に中断してしまう。
何か問題か、と身構える五人に、イリアッシュや、朝よりずっと硬い表情のクラウディアと共にやって来た呼吸するトラブル・メーカーは、四通の書状を取り出し、学園外の問題をこの場に持ち出さんとする。
「これはトイ兄からの手紙だ。タスタル、シャーウ、ゼラント、ワイズの姫たちに渡してくれと頼まれた」
指名された四人の王女は顔を見合わせてから、ナターシャが代表して問う。
「あなたのお兄様の一人ですか?」
フレオールには、ネドイルを含めて十人以上の兄がいる。その全員の名を、ナターシャらは一応は知っているが、愛称で言われては誰のことかわからない。
「いや、違う。ワイズにいるトイラックのことだ。ネドイルの大兄に拾われ、うちに預けられたからな。オレが五つの頃から一緒に暮らしたから、そう呼んでいるんだが……ふむ」
姫君たちのいぶかしげな反応はこれまでに何度も目にしたものなので、
「あんたら、何か誤解しているようだが、オレの母とネドイルの大兄は仲がいいぞ」
ネドイルは家督を継げなかったどころか、家から追い出されている。しかも、庶子とはいえ、侯爵家の生まれにも関わらず、地方の下士官という低い地位しか与えられていない。これでネドイルが実家と仲が良く、拾った子供を預けるほど信頼していると言われてもうなずけるものではなかった。
「オレが生まれる前だが、聞いた話では、父はネドイルの大兄に家を継がせる気だったそうだ。子の中で最も優れていたからだが、同時に大兄が家から出るようなことがあれば、殺す腹積もりだったらしい」
「殺すっ!」
「そうだが、何を驚く。我が父の目は節穴じゃないぞ。ネドイルの大兄を野に放てば、どれだけ世間様に迷惑をかけるかが、何となく想像がついたのだろう」
一人の人間に全ての責任を求めるわけにはいかないが、ネドイルがその時に殺されていれば、世界の有り様は今とはまったく異なっていただろう。
殺されずにすんだ命、滅びずにすんだ国がいくらでもあるのは確かだ。
ワイズ王国が滅びたのは、ヅガート将軍の侵攻、ベルギアットの謀略、イライセンの裏切りのせいだが、それらを命じたのはネドイルである。
命令に応じた側に非があるとしても、命令を下した者の非に比べれば小さなものだろう。
「だが、オレの母は、父の方針に反対した。大兄の大才を思えば、家に縛りつけるのは可哀想。むしろ広い世界で、その才を活かせるようにしてやるのが一番だ、と」
ネドイルがこの世界で一番になりつつあるのだから、家から出すという計らいは、当人に対しては決して間違ったものではない。
もちろん、ネドイルが一番になるために、踏み台された数百万人は、違う感想を抱くだろうが。
「例え自分の産んだ子でなくとも、この家の子供は全て自分の子供。我が子を見殺しにしては母親ではない。子を殺すなら、母を先に殺せ。大ゲンカの末、そこまで言われて、父の方が折れたらしい」
血のつながっていない子供に対して、そこまで言えるのだから、フレオールの母親の振る舞いは立派なものではある。
ただ、そう思いつつも、現在、ネドイルの踏み台にされつつある王女たちからすれば、素直にほめる気にはなれない。
その時にフレオールの父親が、非情な決断してくれれば、死者は二人ですんだのだ。去年のワイズ王国のみで、六万人以上が死んでいることを思えば、ネドイルが親元を巣立ってからの二十五年で、どれだけの血が流れたか、その量はカンタンに想像も計算もできるものではなかった。
「だから、ネドイルの大兄は母を恨むどころか、感謝している。何よりも信頼しているから、自分が拾ったトイ兄とその妹さんの養育を、母に頼んだ。母もそれに応えて、自分の家の子供として立派に育て上げた。そう言ってもいいだろう。トイ兄が、経験を積めばネドイルの大兄以上になる、という評価を受けていることを思えば」
四年前、トイラックは十七歳で、毒で倒れたネドイルが復帰するまで間、その代理として政務を見事にこなした他、大規模な内乱も手際良く鎮圧している。一時的とはいえ、ネドイルと同じことをやってのけたのだ。ヅガートやサムといった将軍たちや、諸大臣が舌を巻くほどの力量と見識を示したのだから、高い評価を受けない方がおかしい。
「さて、前置きが長くなったが、オレも同じ家で育った仲だから、頼まれればメッセンジャーくらい快く引き受けた、というわけだ。あくまで私信なんで、どうするかは自由だ。ただ、返事をくれとまでは言わんが、できれば受け取って読んではもらいたい」
私信とは、個人が個人に手紙を送ることだ。つまり、トイラックはアーク・ルーンの要職にある立場としてではなく、一個人として四人の王女に手紙を送った扱いとなる。
公式なものならば、ナターシャたち四人は両国の関係を考えた上で対応しなければならないが、私信ならば王女としてではなく、自分個人の判断で対処できる。
指名された四人の王女はもちろん、七竜姫の中でトイラックと面識のある者はいない。
いかに一昨年まで偽りの友好関係にあったとはいえ、王族同士が気軽に訪問できる七竜連合とは信頼関係の度合いが違う。あくまで使者の往来が活発であっただけで、アーク・ルーンの高官が七竜連合の領土に踏み入ったのは、軍事行動という形のみである。
「まあ、読むだけでしたら……」
警戒し、ためらいつつも、ナターシャがそうつぶやくと、他の三人の姫もうなずいたので、
「それでは、先にウィルトニア姫以外の三人に。内容は同じものだから」
フレオールが三通の手紙を三人の王女にそれぞれ渡していく。
ナターシャ、フォーリス、ミリアーナが渡された手紙を開封し、中に視線を走らせ、
「……そんなバカなっ」
三人の王女は目を見開き、信じられないといった表情で、何度も手紙を読み返す。
やがて、衝撃の余韻の残る強張った表情のまま、同じ表情の二人の王女と目を見合わせてから、ナターシャはフレオールをきっと睨み据え、手にする手紙の内容に憤然と抗議する。
「このようなこと、とても信じられません。我が国の兵が、ワイズの民に害を成したなど。とんでもない言いがかりです」
「クラウディア姫と同じ反応をする。害を成した、という点はどこの兵も一緒だ。ワイズの兵とてワイズの民を殺し、奪っている」
「なっ! 何だ、それは!」
ウィルトニアが驚くのも当たり前だろう。フレオールの口にした内容に、シィルエールの表情も驚愕に染まる。
「やれやれ、戦場の常識も知らんのか。兵が民を害し、奪い、犯し、殺す。こんなことは当たり前のことだぞ。ゆえに、将は敵を倒すのみならず、味方を御する手腕も求められる」
「ワイズの民に害を成したのはそちらではありませんか!」
「ヅガート将軍が略奪を兵に許すのは、一定の期間だけで、その時も民への暴行は固く禁じているぞ。父を含む四人の将軍は、略奪さえ許さん。無論、去年、ヅガート将軍はワイズの民を殺しはしたが、それも武器を手に襲いかかってきた連中だけで、そいつらもなるべく殺さぬように努めた。無秩序にワイズの民に害を成した、そちらの兵と一緒にせんでくれ」
「よくも抜け抜けと! 命がけであなた方と戦った我が軍、いえ、我々の兵を侮辱することは許しませんよ! そもそも、ワイズを守るべき兵たちが、なぜ、ワイズの民に害を成したというのですか!」
「敗走時の食べ物を確保するためだな」
七竜姫も丸っきりバカでもなければ、軍事の素人というわけでもない。すでにやり込められたクラウディア以外の姫は、これで略奪の原因を察したが、フレオールはもっと詳しく説明してやる。
「連合軍の食料はワイズの王都に集められていたんだ。その王都はイライセン殿に制圧された。ヅガート将軍に敗れた連合軍は、王都に再集結できず、タスタルかフリカのどちらかに逃げ込むことになったが、さて、その間の食料をどうしたか。数日分とはいえ、十五万人以上の食料だ。ワイズ西部の民衆からしたら、一度に数十万食を持ってかれれば、自分たちが飢えて死ぬ。だから、逆らい、味方に殺された者は、百や二百ではきかん。そして、あんたらの兵は殺し、奪うだけではなく、正気を失った娘や、父親のわからない子を身ごもった娘が、十や二十ではきかんほど出たそうだ」
ナターシャを含む五人の王女は反論の言葉もなく、クラウディアと同じような表情となる。
フレオールの言い分を否定するには、連合軍が敗走時の食料をどうしたか、その点に答えねばならない。が、ワイズの王都からタスタル、フリカの国境までの距離を思えば、軍規を守っていた場合、餓死する兵が大量に出ていないとおかしいのだ。
「ただ、加害者らを弁護してやれば、我が軍から逃げるのに必死で、心理的な余裕を失っていたのだろう。戦いに際しても一つにまとまれない、お粗末な指揮系統だったのだ。逃げる際、もっとお粗末な行動となるのも仕方ないだろう」
暗に連合軍の司令部を非難するが、姫たちは屈辱に身を震わすのみで、これにも反論できずに押し黙る。
この場にいる五人の王女、フォーリスまでもがすまなさそうに顔を見せたので、ワイズの王女は味方に対する激情を抑えて、
「……で、トイラックとやらが、ナータ先輩らに手紙を寄越したのは、その点についての非難か」
「ワイズの民が受けた損害については、我が国が見舞金を出し、食料も配給して、餓死者が出ないようにした。だから、公的な処置は終えてはいる」
「そうか。では、キサマらに礼を言わねばならないのかな、私は」
「我が国は我が国の新たな民に対する責任を果たしただけだ。ただ、できるならば、ワイズの民を助けるために、ワイズの王女の口添えがもらえると助かる」
「アーク・ルーンを助けるために力を貸せ、と。私をどう利用するつもりだ?」
「タスタルが三人、シャーウが五人、ゼラントが二人、敗走の際に娘をさらっている。彼女たちの安否を確認し、無事ならば身柄を引き渡してもらいたい」
さすがにウィルトニアは真顔になり、三人の王女はバツの悪い顔になる。
「これがトイ兄の個人的な頼みごとだ。私信という形で三ヵ国に打診したが、返答がない。この件にアーク・ルーンとして動けぬ以上、王女たちに頼んで、それぞれの国に働きかけてもらうしかないんだ」
「……何で、アーク・ルーンとして、動けないの?」
「被害者が少なすぎる」
シィルエールが小首を傾げ、当たり前の疑問を口にすると、フレオールは渋い表情で苦々しく答える。
「少数だから切り捨てるのか、と非難されても仕方ないが、トイ兄らの目下の優先課題は、新領土ワイズの安定と、七竜連合との決戦に向けての準備だ。その二つにいくらでも人員と労力がいる現在、十人ほどの案件では、どうしても後回しにするしかない」
連合軍が敗走の際の被害者を救済するのは、人心掌握に効果があると同時に、被害がわりと広く、被害者の数もそれなりにいたので、国家として対処できた。
が、さらわれた娘らは少なく、この問題に人員と労力を用いれば用いるほど、全体に遅滞が生じてしまうのでは、国家として対処を後回しにするしかなかった。
「トイ兄も責任のある立場だから、公人としては大のために小を切り捨てねばならない。が、被害者の家族たちの苦しみを見聞きして、それを放置できる人でもないから、個人的に何とかしようとして、オレにメッセンジャーを頼んだわけだ」
「トイラックという方の意図はわかりました。その話が本当なら、立派な方だと思いますし、私たちの国に非があるでしょう。ただ、トイラックという方に公的な立場があるように、私たちにも一国の王女として、軽はずみなマネのできない立場にあります」
「別段、この手紙を読んだだけで、あんたらが非を悔いて、こちらの要請に応じてもらえるなどとは思っていないよ。まっ、手紙を読んでくれただけでも感謝する」
心苦しげなナターシャの返事に、フレオールがことなげに応じる。
トイラックの私信に応じて動くということは、自軍の不名誉を認めるということだ。敵方の一方的な言い分でう呑みするには、あまりに不名誉な内容ゆえ、向こうが慎重になるのも当たり前の話だ。
解決につながらなくても、加害者らの王女に話が伝わっただけでも良しとするしかないだろう。
今後の交渉の窓口のとっかかり程度でも、あくまで国としてではなく、私信であることを思えば、三通の手紙で得た成果は大きいのだ。
「ウィル、すいません。もし、このことが真であるなら、わたくし、ナターシャは、ワイズの民に対して責任を取り、償いをさせてもらいます。決してこのような非道、看過せぬことを約束しましょう」
「その時は頼みます、ナータ先輩。今のワイズには、民に何もしてやれませんので」
民も土地も失ったワイズの王女は、自嘲気味に力なく笑う。
銅貨一枚の税収もない、形ばかりの国には、他国の支援と資金を当てにしなければ、何もできないどころか、亡命政権を維持することさえできないのだから。
「さて、ウィルトニア姫にもトイ兄からの手紙がある。こちらはさらに個人的なものだ。まあ、ラブレターの類ではないので、安心して読んでもらえたら幸いだ」
フレオールが残る一通を差し出すと、ウィルトニアは無言でそれを引ったくるように取り、乱暴に開封して、中身に視線を走らせ、何とも言えない微妙な表情となる。
「……こんなものを私に読ませて、何を企んでいる?」
「それに何か企む余地があるわけがないだろう。単に、そういうことだから、その竜騎士に伝えてもらいたいだけだ」
「残念だが、オドリーグは去年、戦死している」
「そうか。なら、姫の判断に任せるが、家族がいるなら、伝えてもらえるだけ伝えてもらいたい」
「弟は私の先輩で、家族はバディンに身を寄せているが、こんなことをなぜ私にわざわざ頼む。調べればわかるし、連絡とて直に取れよう」
当たり前の疑問を口にする。
アーク・ルーンには優秀な密偵が多い。彼らが動けば、七竜連合の王たちのディナーの献立とて、カンタンに調べ上げられる。オドリーグが戦死したこと、その家族が健在であることを調べ、ウィルトニアが手にする手紙を遺族に渡すことなど、密偵の一人で造作もなくやってのけられるだろう。
「公務ならそうだが、これはトイ兄が個人的にやっていることだからな。とにかく、公私の区別をハッキリさせる人だから、手渡した手紙も、書くのに用いたインクも、全て自分で買った物なんだよ」
この場にいる八人は身分が高いから、公的な書類を書くことがいくらでもある。その際の紙やペンは、国の金で買った物を用いても問題はない。が、それを私事に用いれば、私的流用となるが、現実的にそんなことを気にする者はほとんどいない。
公用と私用でいちいち紙やペンを使い分けていたら面倒なので、たいがいはそんなことを気にせずに使うが、トイラックは分けて使う極少数派なので、紙切れ一枚、インク一滴とて私物化することがない。
それゆえ、密偵を使う権限があっても、トイラックは今回のような私用に密偵を動かさなかったので、死者への手紙を書くことになったのだ。
「調べられなかった理由はわかった。しかし、こんなプライベートな話を持って込まれても困る。そもそも、これは真の話なのか? オドリーグは妻子がいるのだぞ?」
「妻子がいても関係ないぞ。オレの兄や姉が何人いると思っているんだ」
「たしかに、そうだ。そうした風聞も耳にしたことはなくはないが、ただ、それだけで決めつけるわけにもいかん」
「こっちもそうと決めてかかっているわけではない。あくまで当人がそうと言っているだけだ。オドリーグ卿が戦死したなら、確認のしようもない。だから、姫がバカバカしいと、ここで話を終わりにしてもいい。去年、父親を失い、母子家庭となった者はいくらでもいる。そうした者らと同じよう、施設に行ってもらえば、生活は何とかなるだろう」
「……どうなるかわからんが、一応はオドリーグの弟に話してみよう。明日の放課後、返事をさせてもらう」
しばし考え込んだ末、ウィルトニアは家臣のプライベートに踏み込み、
「まあ、協力してもらえる分には、ありがたいと言えばありがたいか。トイ兄に代わり、礼を言うべきかな」
「いや、礼は不用だ。私の方も協力してもらいたいだけだ。捕虜となったワイズ騎士たちを解放してもらうのにな」
利用することとした。




