滅竜編74-1
餓死者が出ているからといって、その国の食料がまったくない、ということにはならない。
富める者が腹を満たし、貧しき者が腹を空かせるという図式もあるが、食べ物を得られる者と得られない者の違いは、それだけではない。
都市部や山間部の者にとって、農村部からの作物の供給がライフラインである。例え冷害で収穫量が少なかったとしても、大雪で流通が途切れねば、餓死者の数はずっと少なくすんだだろう。
ワイズにおいて死者が極端に少なかったのは、不足分の食料などを輸入でまかなったこともあるが、雪で道が使えなくなる前に、必要な量の食料や物資を行き渡らせることができたからである。
大寒波による爪痕が最も小さいワイズの地は、特段の復興政策を必要としないほどで、それゆえに爪痕が最も深いタスタルにトイラックが、次に深いフリカにゾランガが赴任できたと言える。
特に損害と惨状が抜きん出ているタスタルの地は、トイラックくらいの手腕がなければ、とてもではないが復興などできるものではなく、実際に彼の政策で絶望的な状況が改善されつつあった。
ナターシャからすれば、どうすればいいのかわからないほど、荒れ果てたタスタルの地に対して、トイラックは第十二軍団と連携を取り、まずは実態調査と治安の回復に着手した。
もちろん、不足する食料や物資をその際に行き渡らせてもいるが、農村部なら種籾を与えれば、それで農作業に従事できるが、都市部には他の手立てが必要だ。
現在、タスタルの元王都は、小規模ながら市場が再開され、活気や賑わいを取り戻しつつある。
何度にも渡る暴動で、荒廃した元王都を、市民に清掃の仕事を与えてキレイにした結果、方々から人や物が集まるようになったのだ。
食べ物を与えるだけでは、人はそれを消費しておしまいとなる。だが、仕事を、稼ぐ手段を与えれば、その手元には金が残る。その金を目当てに、商人が食料や日用品を運ぶようになれば、経済の連鎖が起き、それが様々な雇用が生み、アーク・ルーンの配給に頼らずに暮らせる民を増やしていく。
今のタスタルは何もかも足りない。人々が足りないことに絶望している内は、何も起こらないし、変わることもない。しかし、人々が足りないものを埋めようと努力を始めれば、いかなる状況でも変化が生じ、そこから好転していくものだ。
「それには、アーク・ルーンが民に信頼され、その統治に安心を覚えてもらう必要がありますがね。そうした土台を築けさせすれば、後は希望を照らすだけで、人は勝手に良くなっていくものですよ」
魔法のような復興策を実施した青年は、何人かに問われた際、そうコメントしている。
もちろん、ようやく一歩を踏み出したばかりの状態であり、まだまだ問題は山積みであるが、
「正直、もうタスタルはどうすることもできないと思っていました。こんな風に民に笑顔が戻る日はこないものだ、と」
それに関わることのできないナターシャは、馬上からかつての姿を取り戻そうとする旧王都を眺めながら、複雑な表情でつぶやく。
ワイズでもそうだったが、トイラックは現場で実務にたずさわっていた官吏や役人を主に用い、新たな統治体制から王族や貴族を省くので、タスタルの復興政策に関わらせてもらえずにいる。
「それは私にも覚えがあります。賊をいくら討っても、食い詰めた民が新たな賊になり、絶え間ない争乱に、明日の光明が信じられなくなる辛さ。絶望とは、ああいう状況のことを言うのでしょう」
ナターシャの隣で軍馬を歩ませる、普通の女性よりいくらか背が高く、やや険しい顔立ちをした、少し白髪の混じった長い黒髪を結い上げる四十代半ばすぎの女性、魔法帝国アーク・ルーンの第十二軍団の軍団長リムディーヌは、過去に思いを馳せたか、遠い目をしながらうなずく。
一応、旧王都の巡回という名目で、リムディーヌは五人の部下を従えているのみならず、ナターシャと軍馬を並べ、清掃が行き届くようになった街路を歩んでいるが、彼女というよりアーク・ルーンの本当の目的は、タスタルの旧勢力を手なずけることにある。
だから、元王女であるナターシャの面倒を見ているのは、何も公務という理由だけではない。
一つは、ナターシャがしゃしゃり出てくると仕事の邪魔になるので、トイラックが押しつけたから。
もう一つはリムディーヌの性分として、敗者と亡国の悲哀に加え、家族の問題も抱えるナターシャを心配してのことだ。
「ナターシャ殿は、ミベルティンの最後を聞き及んでおられるか?」
「ええ、多少は。リムディーヌ閣下は、その際に活躍されたとか」
「活躍ですか。ええ、たしかに多くの賊を、民を殺しました。わずかな民を守るため、救わねばならない民を殺し続けている内に、ミベルティンという国は滅んでいきました」
ミベルティン帝国は、魔法帝国アーク・ルーンの侵略というよりも、内から自壊するように終わったようなものだ。
アーク・ルーン軍からの国を守るためにかなりの戦費をついやしたのも、滅亡の一因と言えるだろう。
だが、それ以前に腐敗と不正がはびこり、そのツケが全て民にいき、アーク・ルーンに侵略される前から散発的に反乱が生じていた。
重税に苦しむ民は、アーク・ルーン軍の侵攻による戦費増大のツケも押しつけられ、これがミベルティンの悪循環を確定させる。
不平を爆発させた民衆が決起し、彼らが賊となって国土を荒らし回って、国力を低下させる。賊を討つために必要な軍費が増税という形で民衆を追い詰め、それが新たな賊徒を発生させていく。
賊が増えるほど民が減り、増えた賊を討つ軍費が減少する民のさらなる負担となり、マトモに働いても食えない民が、食うために賊となるという際限の無さだ。
正規兵より劣る農民兵でも、十倍、百倍の数となれば、官軍を打ち破るようになる。
ミベルティン帝国は帝都を賊軍に囲まれ、皇帝が自死し、国として終焉を迎えたが、それは中央のことでしかない。
地方、リムディーヌのいる西の山岳地帯も賊徒にあふれ、倒しても倒してもきりがない情勢の中にあった。
飢餓や貧困が原因の土台である限り、武力だけでは解決することはない。リムディーヌも自分の任地を守るのが精一杯で、根本的に事態を解決できぬ内に、進出してきたアーク・ルーン軍というより、ネドイルの手によって食料不足が解消され、経済も立ち直っていった。
「ネドイル閣下もアーク・ルーン軍も、ミベルティンの民の害となるどころか、民が真っ当な暮らしに戻れるよう、尽力してくれた。だから、ミベルティンの民はアーク・ルーンの民になっていき、私もミベルティンの再興ではなく、アーク・ルーンに従うことを選んだ。無論、侵略者に膝を屈することに、わだかまりがなかったわけではありませんが」
細部は異なろうが、リムディーヌがかつて体験したそれは、ナターシャの共感できる部分は少なくなかった。
「リムディーヌ閣下の故郷はアーク・ルーンの支配下に入り、何か不都合はありませんでしたか?」
ナターシャが真に問いたいのは、これよりアーク・ルーンの統治を受けるにあたり、タスタルがどうなっていくか、である。
ザゴンを筆頭にアーク・ルーン軍に酷い目にあわされてきたことを思えば、アーク・ルーンの統治が公正明大で、民を害することはないと言われても、にわかに首肯できるものではない。
「ミベルティンの民は総じて平安に暮らせています。もちろん、私の故郷も同じように平和なもので、ミベルティン末期の争乱は、もはや遠き出来事となったほどです。アーク・ルーンは民をしいたげ、敵に回すようなマネすることはないから、その点は安心しなさい。ただ、さすがに逆らう者を許すようなマネはしないので、これ以上、無用な血を流したくないなら、この地の者を反抗させないようにしなさい」
「つまり、アーク・ルーンとの戦で死んだ者の遺族が武器を手にするようなことがあれば……」
「ミベルティンでも、彼らは反逆者として討伐されました」
アーク・ルーンがどれだけ善政を敷こうが、父親を失った息子の、兄を失った弟の悲しみがカンタンに癒えるものではない。
家族を失ったやり場のない怒りに突き動かされ、彼らが新たな支配者に武器を向け、それが侵略者を追い払うきっかけになった例も歴史的にはある。
だが、それは戦死者の怒りに、侵略者の理不尽な支配に対する怒りが呼応し、多くの民が決起したからだ。アーク・ルーンの統治は民の反感を避けるように心がけているので、多少の不平不満を抱く者はいても、戦死者の遺族らほどの深刻な怒りに大半の民は応じず、ミベルティンでは小規模な反乱がいくつか生じただけで、それらは即日、叩き潰されて終わった。
タスタルでも、いや、アーク・ルーンの領土が増える度に、同じようなことが繰り返されていくだろう。だが、抑えきれぬ怒りを抱えた彼らに、他に身の処し方がないのも事実だ。
「たしか二万五千の捕虜、彼らも……」
「すでに聞き及んでいると思いますが、あの異常気象でいかんともしがたく……」
見殺しにしたことなどわかりきった上で、ナターシャもリムディーヌも沈痛な面持ちで語り合う。
だが、敗者であるナターシャは、抗議できる立場ではない。
また、権限的に、捕虜を切り捨てる決定に関われないリムディーヌにもどうしようないことであり、彼女ができるのは、
「……ただ、弟君はワイズの者と共にいられるようにはしました。それと、弟君の手紙もこのように」
アーク・ルーン帝国の皇宮には、ナターシャの弟妹だけではなく、ウィルトニアの母親と弟もいる。彼らを解放することはできずとも、せめて顔見知り同士が共にいられるよう、リムディーヌが手配したのだ。
さらに女将軍は弟からの手紙をナターシャに渡し、
「ありがとうございます、リムディーヌ閣下」
「いえ、私にできることはこの程度です。妹君のことはいかんともしがたく……」
ナターシャの妹はアーク・ルーンの総参謀長の手の内にあり、いかな将軍であるリムディーヌの手でもどうにもならない。
敵中にあってワイズの王妃に面倒を見てもらえ、エクターンと遊べる弟と違い、妹はアーク・ルーンの悪名高き変態軍師によって、完全な隔離と管理下に置かれている。
馬上で弟からの手紙を豊かな胸に抱き、ナターシャの流す涙は、妹の身の上を思えば嬉しいだけのものではないだろう。
弟からの手紙を、父親のいる王宮では渡すこともできない元王女を不憫に思うからこそ、
「私が言うのも変な話かも知れないが、色々と納得できないことがありましょうが、それでも自分を抑えるように努めなさい。さもなければ、私はあなただけではなく、ご家族も討たねばならなくなりますから」
「はい、わかっております。アーク・ルーンに勝てぬこと、また逆らうことの愚かさ、重々にわきまえております」
フレオールの勧めた降伏に従わなかった結果、家族を失い、または引き離され、祖国を無茶苦茶にされ、生き地獄のような日々を送り続けたナターシャは、実に神妙な顔でうなずく。
自分の無力さをさんざんに思い知らされている元王女には、一片の反抗心も残っていないが、
「姫様! ちょうどリムディーヌ将軍もおられるか。いったい、アーク・ルーンはどういうつもりなのですか! 我ら伝統あるタスタルの名家をないがしろにするなど!」
十人ほどの、だいぶ汚れてはいるが絹の装束をまとう男たちが、剣呑な雰囲気もまって、女将軍と元王女の元へと駆け寄っていく。
同行するアーク・ルーン兵らが前に出ようとするのを、リムディーヌは片手で制しながら、
「タスタルの貴族の方々か。何やら我が国の処遇に不満があるようにお見受けられるが、それをこちらに言われても詮なきこと。その手のことはトイラック殿に言われるがよかろう」
「あのような若僧では話にならん!」
タスタル貴族が怒声を張り上げる場所は、言うまでもなく天下の往来だ。
当然、そんな所で大声を出せば、市民らが何事かと足を止め、たちまち周囲にひとだかりができていく。
だが、心理的にも経済的にも追い詰められているタスタル貴族らは、周りの目を気にしている余裕もなく、
「壊れた我らの屋敷を直そうともせず、奪われた我らの財貨を取り戻そうともしない。アーク・ルーンは我らタスタル貴族を軽んじるにもほどがありましょう!」
幾度にも及ぶ暴動と大寒波の到来で、タスタル貴族の多くは死んだが、しぶとく生き残った者たちはいる。
そして、しぶとく生き残った上に厚かましい連中は、敗者とは思えぬデカイ態度で、タスタルで受けていた特権を、アーク・ルーンにも求めたが、そんなものにトイラックが応じるわけもなければ、リムディーヌにも取り合う気は毛頭ない。
トイラックが彼らを相手にしないのは、タスタル貴族を軽く見ている以前に、相手にするだけの価値がないからであり、リムディーヌもその点は同感である。
もちろん、勝者であるリムディーヌは敗者らをいくらでも無下に扱おうが問題はない。仮に、このタスタル貴族らがそれで不平不満を抱いて決起したところで、アーク・ルーンも第十二軍団も小揺るぎとてせず、身のほど知らずの愚か者を討てるだろう。
ただ、無能だからといって無価値とは限らず、使い途がないということにはならない。
その使途にリムディーヌは嫌悪感を覚えないではないが、アーク・ルーンの方針と利益を考えねばならない立場であるがゆえ、
「タスタルの地はいずれタスタルの者たちに治安を守ってもらうことになります。タスタルの兵を再編すれば、それを指揮する者が必要となりますし、役人たちをまとめる官吏も必要となるのは言うまでもないでしょう。それに伴って登用した者には、相応の地位と待遇を与えることになります。このようなマネをせずとも、あなた方が己の才に自信があるなら、近日中にこちらから声をかけますよ」
別段、相手にする価値のない者を相手しないために、適当なことを言っているわけではない。
ワイズでもその治安や行政に携わるのは、現地で採用した者が主に担っている。これはワイズのみならず、これまで侵略してきた地でもそうであり、これより侵略していく土地でもそうしていく予定だ。
侵略による混乱を鎮め、そうして治まった土地を現地採用の者らに引き継がせるのが、トイラックやリムディーヌの役割である。実際にワイズでトイラックは、ヅガートと共にそれを成した。
トイラックもリムディーヌも、現地採用する者たちのリストアップは終えているが、彼らに自分たちの仕事を引き継がせるだけの手抜き作業をする両名ではない。
タスタルを安定させる者を選定するだけではなく、不安定にさせる者を排除する作業にも手抜かりはなかった。
それゆえに、リムディーヌは心ならずも、無能な者たちに希望を持たせるような物言いをしたのだから。




