滅竜編50-1
「……どうして、どうして、このようなことになったのですの?」
自分の現状が、ひたすら理解できずにいるのは、シャーウ王国の王女フォーリスのみならず、彼女と共にいる約三百人の大半が、同じ疑問と現実逃避を抱えているだろう。
王都から他の都市へと遷都し、そこを拠点に狂ったドラゴンを討伐し、安全となった王都に帰還して、シャーウ王国を立て直していく。
フォーリスが描いた構想を見聞きしたアーク・ルーンの高官らは、口を揃えてこう指摘するであろう。
「戦力だけを移せば悪くない手だが、それに遷都という名目をつけたなら、失敗して当然だ」
王都の守備を最低限のものとし、可能な限りの戦力を他の都市に移し、そこを拠点に狂ったドラゴンを討伐していく。守備に戦力を割かない分、純軍事的には有効な手立てではある。その部分だけなら、フォーリスの着眼点も間違ったものではない。
ただ、シャーウの王女は狂ったドラゴンを討つことにばかり目を向け、そのための環境、主に味方に対して何の手も打たなかった。
散発的に狂ったドラゴンの襲来する王都に、竜騎士を初めとする戦力の大半がいなくなる危険は言うまでもない。そのような危険な場所に父王を残すわけにはいかないための方便として、遷都という名目で玉座を動かしたのだ。
つまりは遷都といっても、本格的に王都の機能を他の都市に移すわけではなく、狂ったドラゴンを討伐するまでの間、一時的に王が危険な王都を離れる理由づけでしかないので、フォーリスは自分たち一部の王族と軍隊だけで動くつもりであったのだが、そんな危険な場所に残りたがる者がいようはずもない。
王族や貴族の大半が何やかやと理由つけ、家族と家財を伴い、シャーウ王と共に危険な王都を離れたのだが、それがいかに危ういことか、その時のフォーリスには想像もできなかっただろう。
遷都先の都市を治める領主には事前に使者を送り、その城館を仮の王宮とする準備は整えてあったので、これでフォーリスらが到着すれば、ただちにシャーウ軍が狂ったドラゴンの討伐に取りかかるはずであったが、
「姫様。我らの屋敷はどこですかな?」
勝手についてきた王族や貴族は、当たり前のように新居を求めてきたが、当然、そのようなものはシャーウの王女の構想にも予定にも策略にも含まれていない。
元から勝手について来た面々の住まいなど用意していないフォーリスは、予定外の要求を当たり前のように突っぱねたが、それでおとなしく野宿してくれるほど、王族や貴族の聞き分けは良くなかった。
王族は言うまでもなく、フォーリスのみならず、シャーウ王にとっては親類に当たり、一部の貴族も遠縁に当たる者がいる。他の貴族にしても、竜騎士の親類や遠縁となる者も少なくない。また、血縁でなくとも、家や個人での交流やつき合いでのつながりもある。そうした政略結婚や社交界での活動で培ったコネやツテを総動員すると、遷都における住宅問題は放置できなくなり、フォーリスもシャーウ軍を狂ったドラゴンに向けるよりに先に、家づくりに取り組ませねばならなくなった。
資材を方々からかき集め、それで兵士だけではなく市民らも動員して、王族や貴族が満足するだけの仮設住宅の建築を、昼夜問わずの突貫工事で行わせたが、庭付き一戸建てを何百とカンタンに揃えられるものではない。
しかも、仮設住宅が完成する度に、
「こんなみすぼらしいもの、家ではない」
「庭園が貧弱すぎる」
というクレームが上がり、増改築の追加工事が必要となったのはそれだけではなかった。
「いかに仮の王宮とはいえ、この程度の城館では、一国の王たる余が住むにはふさわしくない」
シャーウ王も増改築を命じ、土木工事はこうして長引いていき、そして冬が、否、大寒波が到来した。
大雪で何もかもが埋もれると、建築資材どころか、食料も物資も届かなくなったが、当然、新たな王都の食料庫に充分な備蓄はない。
気候と気温的に野営などできないので、竜騎士や騎士のみならず、シャーウ兵も民家に避難させたので、兵の大半は餓死や凍死せずにすんだ。
もっとも、そのしわ寄せは新たな王都の住民にいき、凍死や餓死で人口の約二割が失われ、その骸は皮も残らず、骨だけのモノも少なくなかった。
辛うじて冬を生き延びたシャーウ軍だが、戦うだけの気力は残っていない。
いや、それは誰もが同じで、自信家であるフォーリスもシャーウ王も、大寒波による惨状に言葉も活力もなくし、どうすればいいかわからない状態だが、それは未来のみならず、過去にも言えることだ。
フォーリスの作戦の致命的な欠点は、遷都を行ったことだ。より掘り下げれば、父王を王都に残さなかったことである。
狂ったドラゴンの討伐には軍隊のみを動かす。当然、守りが薄くなった王都は危険だが、そこにシャーウ王が残るからこそ、味方に対する重しになるのだ。王が逃げねば、内心はどうあれ、家臣らも逃げられるものではない。
父王を危険を承知で味方の押さえに回さなかったのが、フォーリスの策の致命的な部分なのだが、シャーウ王が危険な役割を引き受けてくれる人物でない以上、欠点に気づいても策はうまくいかなかっただろうが。
そして、自分たちの策が失敗したことが明らかだというのに、次にどうするべきかわからないフォーリスやシャーウ王は、呆れたことにすっかりと雪が溶けた今も、ずっと動かずに無為の時を何十日とすごし続け、フリカ軍とロペス軍の挟撃を受ける事態を招いた。
シャーウ王国の南の国境には竜騎士を配置し、充分に守りを固めているが、他の国境は長年の同盟国であるため、その守りは薄く、竜騎士を先頭に攻められればひとたまりもない。
一応の守備隊は配置しているので、敗れた彼らは王都にフリカとロペスの裏切りを伝えたが、そこにはシャーウ王どころか、後を任された王族や貴族もおらず、すっかりと狂ったドラゴンのエサ場と化していた。
結局、フリカ軍とロペス軍が遷都先の都市に接近するまで、フォーリスらは両国の裏切りをに認識できず、そして認識した時には遅かった。
当然、シャーウ王はかつての味方に使者を出したが、
「我が国は魔法帝国アーク・ルーンに降伏した。貴国も早々に降るがよかろう」
ロペス王とフリカの国王代理サクリファーンは、同盟国に翻意を促す使者にそう答えただけではない。
「我ら両国のみならず、タスタルも降伏に応じている。ゼラントもアーク・ルーンの支配下におさまりつつある。それだけではなく、マヴァル以外の国々、ベネディア、リスニア、フェミニト、ゼルビノ、カシャーン、ウェブレム、クーラント、ダムロス、バルジアーナ、モルガールの十ヵ国もアーク・ルーンの降伏勧告に同意している。タスタルには第十二軍団、フリカには第十軍団が展開し、このシャーウにも第五軍団十万が来ている。ワイズとの国境には残る第九、第十一軍団がひかえている。この点も伝えられるがよかろう」
使者を通して情報と情勢をシャーウ王に伝えようとした。
使者の報告を受けたフォーリスらは、あまりの事態と戦況の悪化に、大いに驚いているところに、
「一部の貴族が反旗をひるがえしてございます」
内通者らの反逆という凶報も飛び込んでくる。
フリカ軍とロペス軍の進軍と裏切りをもっと早くに知っていれば、外の守りを固めつつ、内の反逆者らへの対処もできたかも知れないが、もはやそんな時間もなければ、そもそも兵士に戦意はもうなかった。
シャーウ王が決断を下せぬまま翌日になると、スラックスの指示でフリカ軍とロペス軍は攻撃を開始するが、ほとんど戦いにならなかった。
シャーウ、フリカ、ロペスの竜騎士は、味方であったがゆえにほぼ睨み合ういに終始した。フリカ兵とロペス兵は味方であったがゆえ、戦意は乏しかったものの、戦意がなくカンタンに逃げ散ったシャーウ兵よりはかなりマシで、やる気のない戦いは、シャーウ軍の敗北で終わり、逃走の始まりであった。
兵がほぼいなくなったシャーウ王は、竜騎士や騎士らに守られ、王族やまだ裏切っていない貴族たちと共に、味方だった敵の手からひとまず逃れることはできた。
シャーウ王と共に敗走する王族や貴族は、自らの家族、つまりは多数の女子供、さらには老人を伴っており、それでいて裏切り者から逃げることができたのは、それだけかつての味方だったフリカ軍とロペス軍の追撃が甘かったことを意味する。
だが、フリカ軍とロペス軍も敵を見逃すほど甘くはなれない。否、それを背後の第五軍団が許せなかったというべきか。
「逃げる敵を追い立て続け、物心両面から追い詰めよ。追い詰めるだけでよく、貴殿らは攻撃を仕掛けずともいい」
スラックスの甲高い声での命令に、当初はフリカ軍もロペス軍も胸を撫で下ろしたものだが、彼らの胸中に苦味が満ちるのにさしたる時を必要としなかった。
女子供を含むシャーウ軍を一定の距離を置いて追い回すのは、そう難しいものではない。
そして、追い回される側は、女子供がいるので振り切れるものではないので、落ち着くこともできなければ、食料や物資を手に入れることもできるものではなかった。
着の身着のまま敗走したシャーウ軍は、たちまち飢えと朝晩の冷え込みに苦しみ、それに耐えられずに逃げ出した者には、更なる苦しみが待ち構えていた。
シャーウ王を見限って、夜中、妻子と共にアーク・ルーン軍の陣地に駆け込んだシャーウ貴族は、アーク・ルーン兵に家族分の武器を渡され、
「それで一人につき、敵の首を一つ取ってこい」
シャーウ軍に妻子を連れての殴り込みを強要される。
もちろん、素人の腕で竜騎士や騎士がどうこうなるわけがない。何人かを除いて裏切り者は女子供も含めて殺される。
だが、数人の捕虜からアーク・ルーン軍の投降のための条件が伝わると、シャーウ軍は飢えと寒さに加え、疑心暗鬼にも苦しめられるようになった。
ただ、投降しても武器を持たされて戦わされるが、味方の首を持参すれば、アーク・ルーン軍は投降を受け入れてくれる。それは味方がいつ自分の首を狙ってくるかわからないことを意味するということだ。
実際に、王子の一人がシャーウ貴族に刺されて負傷し、フォーリスも五人のシャーウ貴族を返り討ちにしたが、その内の二人は彼女よりも若い少年少女であった。
シャーウ軍の中では、シャーウ貴族がシャーウ貴族に襲いかかることが珍しくなくなり、襲われたシャーウ貴族が首なし死体で発見されたり、襲う側が返り討ちにあい、どちらにしろシャーウ軍の数は味方同士によって減少する一方であった。
加えて、その一因にシャーウ王の処刑もある。
アーク・ルーン軍に投降する際、最も高い価値があるのがシャーウ王の首である。当人もそれを自覚しているどころか、過剰に警戒してしまっているため、家臣に挙動が怪しい感じただけで、その者を家族ごと処刑するようになってしまうほど、精神のバランスを崩していた。
今日もシャーウ王の命令と直感によって、子供を含む五人が処刑された。そうして無実を訴えながら殺された者の数は五十人を越した今、疲れ切った表情の家臣たちは皆、顔を伏せて主君たる王と目を合わさないように努め、少しでも怪しまれないようにしている。
「……いったい、どうすれば、どうすればいいのですの……?」
父王の命で転がる五つの死体のみならず、転がる五つの首を物欲しそうに見る家臣たちの姿を眺めながらつぶやくシャーウの王女の声は、とても小さく弱々しいので、誰の耳にも届かなかっただろうが、仮に届いても答える術を持つ者は一人とていないだろう。
彼女に指示できることはただ一つ、
「姫様。村が見えてきました」
「そうですか。では、手はずどおりに食料と燃料など補給しなさい。できるだけ手早く、迅速に」
フリカ軍とロペス軍、そしてアーク・ルーン軍に追撃されながら、村落に向かうシャーウ軍の目的が、食料と物資の入手であるのは言うまでもない。
もちろん、あの大寒波をどうにか乗り越えた小さな村落に残っている食料など、微々たるものだろうが、それでも食料が底をついているシャーウ軍には、他に選択肢はなかった。
食料がなければ、食って生き延びねば、これからどうするか、考えることも迷うこともできないのだから。




