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滅竜編40-1

「それでは、タスタル王国は我がアーク・ルーンに降伏し、タスタルの全てをアーク・ルーンに譲り、それを以てタスタルの王権はその役割を終えるものとする。以上の点において、何かおっしゃりたいことはございますか?」


「ございません。余に、いえ、わしにタスタルの民を救うことができぬのは、充分に理解しておるつもりです。アーク・ルーンの意に逆らうところはありませぬゆえ、なにとぞ、タスタルの民の苦しき現状をお救いくださいませ」


 差し出された書面にサインをしたタスタル王、否、その瞬間から元タスタル王となった亡国の主は、ソファーに対面したアーク・ルーンの使者に深々と頭を垂れ、王の心を失っていないことを示した。


 春となっても残っていた雪がかなり溶け、道はぬかるんでこそいるが、充分に通れるようになったのを見計らったかのように、正式な降伏に関する交渉のために、魔法帝国アーク・ルーンの使者がやって来たので、元タスタル王は肩の重荷が下ろせて安堵しているが、その隣に座る元王女ナターシャは、これまでがこれまでだっただけに、とても気をゆるめることができずにいる。


 日に日に荒廃の度合い進むタスタル王宮の応接間に迎えたアーク・ルーン帝国の使者コハントは、四十をいくらかすぎた辺りの、冴えない風貌の小男だが、第十二軍団の副官でもある以上、外見どおりの人物ではないとナターシャは目しているが、それは間違いではなくコハントは正に歴戦の人物である。


 そもそもコハントの亡き祖国ミベルティンの末期は、賊徒の絶えない酷い情勢であり、内乱と無関係に生きるのは不可能に近かった。特にコハントの故郷は一時、反逆者の支配下に置かれ、その際、賊徒の目を盗んで単身、脱出し、険しい山中を越え、リムディーヌの元にたどり着き、彼女の軍勢を先導して反逆者を討って故郷を救ったのを皮切りに、アーク・ルーン軍が進出してくるまで数多の賊徒と戦い続け、故郷を守り続けた。


 間違いなくミベルティン帝国の末期に活躍した武人の一人であり、


「百難に屈せず万民のために戦い続けた」


 その軍事的な手腕はもちろん、どれだけ苦しい状況でも民を守るために粘り強く戦い不屈の精神は、高い評価を得ている。


「ここまでの道程のみですが、タスタルの現状が聞きしに勝るものであるのは、理解しておるつもりです。また、天のもたらす災いには、人と人が協力しあわねばならないことも理解はしているつもりです。これは戦の勝敗や国の興亡を論じ合う以前の話でございましょう」


 勝者の傲岸さを感じさせないどころ、敗戦国の気遣う態度を見せるだけではなく、


「とはいえ、国という仕切りが世にあるのも事実。タスタルとの国境では、我が第十二軍団が戦の準備のみならず、民への支援物資も用意してすでに待機している。我が国の降伏勧告に応じてくれたこと、それを私が連絡すれば、ただちに進軍する手はずとなっている。ただ、それだけでは不充分であるので、現地の者たちの協力を仰ぎたい。我らに対して思うところはあるだろうが、貴公らには現地との仲立ちをお願いしたい」


 道理をわきまえ、敗者を命令がましく従わせる姿勢を見せることもなかった。


 どれだけ周到に調査しようが、その土地に関する知識は現地の人間にかなうわけがない。


 タスタル王国の信望が地に堕ちている現在、現地協力者を得るのは難しくないが、それで満足していては万全を期したとは言い難いのだ。


 どんな状態になろうとも、忠臣というのは必ずいる。いくらその数が少なくとも、邪魔な存在ではある。


 だが、元タスタル王らを取り込み、忠臣らを協力させるか、無力化させられれば、新たな支配地を収め、そして治めていく困難さが軽減する。


 もちろん、一日でも早いタスタルの地の混乱の終息と治安の回復を求める元国王は、


「そのようなお話であれば、いくらでも協力させていただきまする。ただ、情けない話ではありますが、当方には充分な人数を揃えるのは難しいのが実状でして……」


「協力してもらうのは、数人でけっこう。ただ、その中に王族の、それもなるべく地位の高い方を一人はつけていただきたい。それと、タスタル王の直筆の、我が軍に従うように命じる詔書、これを何枚かいただきたい」


 フリカの時のように、一軍を出してもらい、危険地帯の調査を担当してもらうのが理想だが、フリカよりも国力も人口も低下しているタスタルには、もう数千の軍勢を動かす余力はない。もちろん、アーク・ルーン側の方が立場は圧倒的に有利なので、無理強いすればタスタル側も無理に無理を重ね、兵を集めるしかないのだが、勝者の側が配慮を示してくれたので、敗者の負担はありがたいほど小さなものですませてくれる。


 アーク・ルーン軍というより第十二軍団の方針が、ある程度の協力を得られれば良く、無理をさせるつもりはないというのは伝わってくるが、


「一つお聞きしたいのですが、我が国の担当は貴国の第九軍団と聞き及んでおります。にも関わらず、第十二軍団が動かれているというのはどういうことでしょうか?」


 様々な屈辱的な扱いと残忍な振る舞いを思えば、第九軍団というよりも、ザゴンの動向に神経質にならざるえないというもの。


 ナターシャの問う意味と心中を理解したか、


「先の第九軍団の行いに度の過ぎたる点があったこと、私も耳にはしています。同じアーク・ルーン軍として恥ずべきことであったと、私もリムディーヌ閣下も思っております」


 不快感もあらわに、味方を非難する言葉と態度、何よりその心中に、元タスタル王と元タスタルの王女が偽りを見出だせなかったのは、別段、二人の目が節穴というわけではない。


 ずっと弱き民のために戦ってきたコハントからすれば、弱者をいたぶって喜ぶザゴンの思考はとうてい理解できず、その異質さには嫌悪感しか覚えない。


「結論から申せば、タスタルの攻略担当は我が第十二軍団に配置替えとなりましてな。そして、その裏側を申せば、これには我が国の総参謀長の意向が働いております。だから、ザゴンは引き下がるしかなく、我々は元より非道な振る舞いをする気はありませんが、この配置替えと同じ理由で、第九軍団のようなマネはしたくともできないのです」


 ナターシャは膝の上で拳を強く握り、沸き上がる情けなさや申し訳の無さを、どうにかこらえ、やり過ごす。


 総参謀長となれば、アーク・ルーン軍の中では軍務大臣に次ぐ地位であり、ザゴンやコハントの上司であるフィアナートやリムディーヌにとっても上司に当たるほどだ。


 その地位と立場からすれば、コハントやリムディーヌのような良識人に担当替えさせることは充分に可能である。


 これで祖国タスタルがザゴンのオモチャにされることはなくなった。だが、その代わり、その代償として、妹が総参謀長のオモチャになっているのだ。


「気持ちは察するが、総参謀長閣下は変わった嗜好の持ち主だが、暴力を振るわれる方ではないぞ」


 むなしさを承知でフォローするコハントは、当然「おとなしく従う限りで」などと余計なことは言わない。


 だが、その程度の気遣いでナターシャの表情も心も晴れることはない上、


「そうですか。総参謀長殿の配慮には、感謝してもしきれません。余が、いや、わしがお礼を申していた、そう伝えていただきたい」


 深々と頭を下げる父親の姿に、遠くの身内だけではなく、近くの身内にも問題を抱える娘は、表情をますます沈痛なものとし、コハントもいぶかしげな顔となる。


 四十三年も生きていれば、人間のクズと会うこともあり、その中には娘に体を売らせた金で平然と暮らす者もいたが、そうしたクズらが見せる卑しさが、元タスタル王からは感じられない。


 権力者である総参謀長に対して、媚びて取り入ろうという風でもなければ、十に満たない娘への後ろめたさもなく、率直に礼を述べているだけという印象が、コハントに違和感と、何より異常さを覚えさせた。


 そして、四十三年の人生でつちかってきた洞察力は間違っておらず、下げていた頭を上げた元タスタル王は、


「もちろん、お礼を、言葉を述べだげではなく、タスタルの幕引きに、可能な限り協力させていただく。そちらの軍に協力させる王家の者として、このナターシャを遣わします。本来なら、ネブラースも同行させたいのですが、あやつはアーク・ルーンに良くない感情を抱いており、そちらに迷惑をかけることにもなりかねません。親として恥ずかしい限りだが、どうもワガママに育ててしまったようだ。まったく、困ったやつです」


 困ったと言いつつ、息子への愛情を感じさせる口ぶりで、コハントはその精神状態を察した。


「いえ、王族の方は一人でも同行してくれれば問題はありません。そして、少しでも早く動くために、今後の打ち合わせをナターシャ殿としますので、貴公にはその間に詔書をお願いしたい」


 この申し出で、元タスタル王が応接間から出ていくと、コハントが問うよりも先に、


「……父には、父にとっては、家族は皆、ここにいるんです。誰も死んでいなければ、誰も行方不明になっていない。誰も連れ去られてはいないんです。それが正しくなくとも、わたくしにはそれがどれだけ辛いことか、わかる……だから、この辛さと父が無縁であるなら、その間違いを正そうとは思いません……それが間違いであったとしても」


「そのような問題に口をはさむ権利は、当方にない。私が口にするのは、汝がここを離れられるかどうか、という点だ。父君の状態が状態ゆえ、無理ならば我らも無理強いをひかえさしてもらうが?」


「…………」


 アーク・ルーンの無理強いをずっと強要されてきた元王女は、にわかに信じられないという顔となるが、そんな反応に問うた側は憐れみ情を覚えずにいられなかった。


 フリカにおける、ロストゥルとフレオールによる役割と手法と同じものだ。


 一方が強硬な姿勢で追い詰め、もう一方が救いの手を差しのべる。追い詰められて弱った心は、助けてくれた相手に過剰な感謝と、依存に近い心理状態となる。


 コハントの配慮は当然のものなのだが、そんなことにさえ、ザゴンになぶられて弱り果て、平静さを欠くというより、心のバランスを崩しているナターシャは、


「いえ、協力を約束した以上、それに務めさせていただきます。幸い、母の体調は回復してきているので、父のことは何とかなりますゆえ」


 父親の元をあまり離れたくはないが、絶望の底に垂れてきた一本のワラをつかまされた娘は、自発的に記憶障害を起こしている父親を放置してしまう。


 仲間に傷をつけさせ、その傷口に薬を塗って感謝される。アーク・ルーンのやり口のあざとさは、コハントも好んでのものではない。当人としては、敗者に当然の対応をしているだけなのだが、だからこそ第九軍団の後に第十二軍団をもってきたとも言えよう。


 だが、不快であろうとも、コハントにもリムディーヌにも選択肢は他にないが、それはアーク・ルーン軍に属しているからだけではない。


 ミベルティン帝国の最後も酷いものであった。経済も流通も治安も破綻し、そこに重税と過度の労役、兵役を課せられた民衆は、貧困と飢えに常に苦しみ、黙って餓死するか、わずかな食料を奪い合って生きるかしかなかった。


 パン一切れ、ジャガイモ一個のために、人が当たり前のように人を殺す。コハントが何年も見てきた生き地獄が、足を踏み入れたタスタルの地で再現されているのだ。


 路地に、餓鬼のように腹が突き出た子供の死体がいくつも転がる。そんな痛ましいが懐かしい光景は、今のタスタルでは珍しいものではない。その光景が、人が当たり前のようにパンとジャガイモを食べられるようになったのは、ミベルティン帝国が終わった後のことであった。


 ネドイル自らが陣頭指揮をとり、ミベルティン再建に取り組み、飢えと絶望にうちひしがれていた民の顔が上を向き、笑えるようになっていった光景も、コハントには忘れられないものである。


 だから、トイラックの作成したタスタルの再建案を目にしているコハントにも、同じ経験をしているリムディーヌにも、選択肢は他にないのだ。


 タスタル王家の現状はたしかに不憫なものだが、彼らの口にはパンも肉も入るので、悩むことができている。


 だが、タスタルの民の多くはパンも何も口にできず、悩むことどころか、なぜ、こうなったかすらわからぬまま苦しみ、そして死んでいるのだから。



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