滅竜編20-1
「フリカ王国の王女、シィルエールに、ございます……兄、サクリファーンの命により、兵を率いて、馳せ参じました……アーク・ルーンの方々、何とぞご指示を、お願いします……」
竜騎士八騎を含むフリカ軍約一万を率い、北西の国境地帯に来たシィルエールが、溶けかけた雪でびしゃびしゃの地面に膝を突き、頭を深く垂れる相手は、言うまでもなくアーク・ルーン軍に他ならない。
正確には、魔法帝国アーク・ルーンの第十軍団の軍団長から一兵卒に加え、第九軍団から戻って来たフレオール、イリアッシュ、ベルギアットを含む約十万に対してというべきであろう。
アーク・ルーン側は兵卒さえ立っているというのに、フリカ側は王女さえ含め、全員が雪泥の上にひざまずいているのは、勝者と敗者の埋められぬ絶対の差によるところである。
大寒波が去り、春と共に軍事行動を再開したアーク・ルーン軍は、まずフリカに改めて降伏の使者を送り、それにフリカ王国国王代理である王太子サクリファーンが応じたが、それで即日、フリカ王国が魔法帝国アーク・ルーンの新領土となるわけではない。
今度はこれまでと違い、フリカ王国の完全な併合を目的とした軍事行動である。
フリカ王国の攻略を担当するロストゥルは、まず北西部の鎮定に着手し、サクリファーンにフリカ軍を寄越すように要請した。
もちろん、要請という形を取ろうが、勝者の言葉は敗者にとって強制に等しい。
異常気象によって、フリカ王国も五十万人以上が凍死ないし餓死していると目されている。目されているというのは、フリカ王国がまだ自国の被害を完全に把握していないからだ。
降り積もっていた雪が春の陽光に溶け出し、交通が回復を始めると、王都にいるサクリファーンの元に、連日、各地から悲鳴混じりの救援を求める声が届き、その被害の大きさは王太子や重臣一同の心を打ちのめした。
七竜連合の中で南側にあるフリカは、例えばタスタルに比べれば降雪量が少なく、またアーク・ルーン軍というより、ザゴンの策略でさんざん痛めつけられたタスタルに比べれば、まだ国力的にはマシではあったが、それでも冬が去った後に待っていたのは、タスタルに次ぐ死体の数であった。
アーク・ルーンとの戦いに負け続け、国力が大幅ダウンしたのは、七竜連合のどの国も同じだか、フリカの場合、ゾランガの画策によって内乱が起こされている。
内乱そのものは、フリカ王の不慮の死によって終息したが、それで王派と王太子派に分かれた国内はすぐに一つに戻らず、そうしたしこりと不協和音が不充分な大災害対策に拍車をかけることとなった。
さすがに、大寒波が去った今、王派だの王太子派だのと睨み合う者はいなくなったが、サクリファーンを初めとするフリカ首脳部の悩みの種は、冬を越したら越したで、春には新たな悩みが芽吹いていった。
さしたる食料の備蓄もなく数百年来の冷害に見舞われた七竜連合の民の中には、飢えをしのぐために食べてはいけないものを食べた者は少なくない。そのような窮状であるので、種もみなどとっくに食い尽くしており、雪が溶け始めた今、各集落からは食料や物資だけではなく、新たな種もみを強く求めている。
種もみが無ければ、種まきができず、それが農村にとっても国にとっても、凶作以上にシャレにならない事態を招くのは、考えるまでもない。
サクリファーンもそれはわかっているのだが、フリカにそれを手配する余力がないゆえ、アーク・ルーンの降伏勧告に飛びついたのだ。だが、降ったからそれで責務から解放してもらえるほど、アーク・ルーンという国は甘くはなかった。
今のフリカは一万の軍勢を動かすのも困難な状態にある。当初、サクリファーンは、アーク・ルーンの要請にそう答えたが、その上で強く「要請」されては、断れるものではない。
アーク・ルーン軍が王都まで来て、フリカの統治を引き継いでくれるまで、国政の処理をせねばならぬサクリファーンは動けないので、妹のシィルエールに一万の兵を率いさせ、ロストゥルの「要請」に応じた。
苦しい情勢と乏しい国力で一万の軍勢を整え、動かして、それでロストゥルの要請は終わりではない。かき集めた兵糧で、北西部の国境まで来たフリカ軍一万に対して、
「敗者にしては頭が高いのう」
ロストゥルは労いの言葉もなく、王女たるシィルエールにさえ平伏を求めた。
正に屈辱的な対応だが、負け犬に牙をむくことは許されるものではなく、新たな飼い主の命じるまま、一万人が伏せの姿勢を取らされる。
地面の雪は、曲げた膝を埋めるくらいには残っているが、平伏させられるフリカの将兵が身を震わせているのは、寒さばかりのせいではないだろう。
「さて。この一帯でドラゴンが暴れているのは知っておろう。だが、我が軍はこの地のことは良く知らぬ。そこで地理に明るいそちらに調査をしてもらいたい。とりあえず、五日ほどで調べてもらいたいが、調査報告は一日ごとにするように。また、調査が不充分と判断すれば、引き続き、調べてもらう。では、我が軍は陣地に戻るゆえ、後は頼むぞ」
調査というが、狂ったドラゴンらにフリカ軍をぶつけようとしているのは、明白である。
もっとも、ようやくアーク・ルーン軍の意図を知ったフリカ軍は、
「待たれよ、ロストゥル殿。我が軍にはドラゴンと戦う装備もなければ、陣中に兵糧がほとんどありもうさん。お恥ずかしい話であるが、とても貴国の役に立てる状態ではないのだ」
シィルエールの傍らで平伏する竜騎士が、面を上げて告げる内容は、情けなくも偽りのないものだった。
一万のフリカ軍の武装は全体的に貧弱で、竜騎士以外でドラゴンの硬い鱗を砕けるような武器を手にしている者は大していない。
加えて、かき集めた兵糧は往路でほとんどなくなり、アーク・ルーン軍から兵糧をわけてもらわねば、帰路もおぼつかないほどだ。
情けないフリカ軍の実状に、しかしロストゥルは情け容赦なく応じる。
「兵糧がなくば、送ってもらえばよかろう。それと、戦わずとも調べればいいだけだ。では、健闘を祈るぞ」
「いや、待たれよ、ロストゥル殿っ!」
「全軍、後退」
今度は引き止める声を無視して、退却命令を下すと、十万のアーク・ルーン軍は整然と自陣へと行進を始める。
「おのれ、アーク・ルーン! 我らをコケにするにも、ほどがあろうっ!」
怒りに二十代前半であろう若い竜騎士が立ち上がり、
「ガアアアッ!」
後方にひかえさせていた、乗竜であるフレイム・ドラゴンを羽ばたかせる。
そのフレイム・ドラゴンはまっすぐアーク・ルーン軍へと向かい、充分に引きつけられたところで、二隻の魔道戦艦が砲撃を放つ。
「ガアアアッ!」
第一射は炎の壁で防いだが、間髪いれず第二射、第三射と食らい時間差三連砲撃で撃墜される。
墜落したところに、第四射、第五射が撃ち込まれ、一頭のフレイム・ドラゴンと、それに巻き込まれたフリカ兵も五十人ほどが動かなくなる。無論、フリカがまた竜騎士を失ったのは言うまでもない。
わずかな時間で手際良くドラゴンを仕留めた手勢を背景に、
「フリカがアーク・ルーンに従うと誓った以上、命令に逆らうことは許さぬ。逆らうならば、ただちに討ち滅ぼす。命令に従わずに逃げれば、サクリファーンにキサマらを討つように命じる。サクリファーンがキサマらを、そして妹を裁けぬと申せば、反逆者として処断する。アーク・ルーンに従う以上、逆らうことは死ぬことと考えよ。とりあえず、キサマらがアーク・ルーンに従うつもりなら、反逆者の首をはねよ。できぬなら、キサマら全員を、反逆者として討つ」
ロストゥルがレクチャーしてくれたおかげで、魔法帝国アーク・ルーンに降伏することをシィルエールらが理解した時には、もはや退路はなかった。
もちろん、その精強さを見せつけられた今、十倍の敵に一方的に討たれ、勝ち目がないのは明白だ。
勝ち目がない戦いを挑むということは、うつむいた顔を蒼白にして、平伏する小さな身を激しく震わす王女の命を危うくするということであり、家臣としては唯一の生路を選ぶしかない。
三人の竜騎士が顔を見合わせてうなすぎ合うと、立ち上がって剣を抜き、竜騎士でなくなった同胞を三本の刃で刺す。
一応の忠誠心を行動で示すと、アーク・ルーン軍は後退を再開して、整然と行軍で今度こそ立ち去る。
心の牙を完全に折られた負け犬たちの前から。




