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滅竜編5-1

「王宮も、国土に負けず劣らず酷いありさまでございますな」


 魔法帝国アーク・ルーンの使者として、荒れ果てた上に雪に覆われた祖国の地をたどり、同じく荒れ果てた上に雪で覆われた王都に至り、やはり荒れ果てた上に雪で覆われた王宮に戻って来た元タスタル貴族は、通された応接室でかつての主君らに対し、尊大な態度と嘲る口調で臨んだが、その口にした内容のとおり、タスタル王国の国土と王宮の荒れようは、どう言われても否定できるものではなかった。


 異常気象による大寒波の到来で、この一帯の国々はアーク・ルーンの領土を除いてどこも数万ないし数十万の凍死者や餓死者が出す中、タスタル王国はおよそ百万人の民を冬の間に失ったと目されている。


 後に政情が安定し、戸籍を再調査した際、タスタルの人口が三分の一ほど減っているのが判明したが、今の時点では具体的な数字を調べるどころか、一国の使者を迎えるに際して、荒れ果てた王宮をとりつくろうことすらできないのが、タスタル王国の偽りなき実情だ。


 なだれ込んだ暴徒を排除したとはいえ、その際に王宮は荒らされ、何より数百できかぬ死者を出している。壊された所は放置され、死体こそ片付けたものの、血の跡はそのままの状態だ。


 ただちに修繕にかかるべきなのだが、兵も民も、貴族の大半すらそっぽを向いたタスタル王家に、王宮の全面改修を行う余力はなく、竜騎士や一部の貴族、騎士、兵士、使用人が片付けて、そのまま今日という日を迎えた。


 迫り来る大寒波を思えば、王宮を直すより先にその対策に手を打たねばならないのだが、アーク・ルーンとの戦争で国力が底をついたタスタル王国には、有効な手立てを講じることができず、国土を雪で埋もれるままにまかせるしかなかった。


 アーク・ルーンというより、ゾランガが手配したように、食料、燃料、防寒具、物資を各集落に備蓄させ、雪と寒さに何十日も耐えられるよう、するべきことはいくらでもあったが、タスタル王国にはアーク・ルーンのような余力も無ければ、ナターシャにはゾランガほどの手腕はなく、有効な対策はおろか各地との連絡もままならないまま、タスタル王国で風雪は荒れ狂った。


 国家レベルの大災害を個人の力で乗り切らねばならないも同然のタスタルの民は、雪で埋もれて全滅した村が十や二十できかず、人が次々と死んでいく一方、そうして失われたモノが生き残る糧になっていった。


 民の救済どころか、自分たちが飢えや寒さをしのぐだけでほぼ手一杯だったタスタル王やナターシャは、当然ながら六十一万枚もの金貨を用意することなどできるわけがなく、暦上の春の訪れと共にやって来た、否、アーク・ルーンの使者として戻って来た元家臣の態度に腹立たしさを覚えるより先に、


「息子と娘は無事なのか?」


 やつれ、肉体だけでなく心も疲れ果てたタスタル王は、国事よりも先に私事について問う。


 一応は片付けられているものの、荒らされた痕跡が随所に目立つ応接室で、タスタル王がアーク・ルーンの使者である元家臣を迎えるにあたり、王女であるナターシャを同席させたのは、心労でマトモに思考が働かなくなっている自覚症状があるからなのかも知れない。


 使者の用向きを聞くより先に自分の子供の安否を問うなど、人の親としては正しいが、一国の王としてはいただけたものではない。が、元は心優しいタスタル王、この難局で王の責務に、正確には王の責務を果たせない自分に耐えられなくなり、すでに彼は王でなくなった王となっていた。


 そして、王の責務から目を背ける父親を、ナターシャが容認し、その現実逃避を何とかしようとしないのは、ワイズ王を、追い詰めすぎた人間がどるなるか、知っているからかも知れない。


 ただ、タイムリミット的にこの使者が妹の首を持ってきていてもおかしくなく、真っ先に問うた父王の心情が痛いほど理解できるのも、ナターシャが父親をたしなめない理由の一つだ。


 前の飼い主の問いに、使者は卑しい笑みを浮かべ、


「そのことについては、お喜びください。めでたくも、姫君はアーク・ルーンの、いえ、我が国の総参謀長閣下に見初められましてな。万事よろしく計らってくれるそうですぞ」


「どういうことですか? 妹はまだ九つですよ」


「だからこそ、総参謀長閣下はお望みになられたのですよ。まだ九つながら聞き分けが良く、兄や父たちのためならと、健気なことを申されておりましたぞ」


 使者の笑みがますますイヤらしいものとなる。


 世にそうしたシュミの男性がいることを知らぬ両者ではなく、小さい頃からあまりワガママを言う性格でなかったことも知っているので、目の前で異母兄の、あるいは遠い故郷の家族の命を盾に取られたなら、男の下劣な欲望によくわからぬまま応じることになるだろう。


「総参謀長閣下には、感謝なさることですな。何しろ、金貨六十一万枚で姫君を買ってくれたのですから」


 アーク・ルーン帝国の強盛と請求額を前に、何も言うことのできなくなったナターシャに対して、


「頼む。息子と娘を返してくれ。金なら何とかする。どうか、頼む。妻は子らを心配するあまり寝込んでしまったのだ。頼むから、息子と娘を返してくれ」


 まだ九つの娘の境遇に、我を忘れたタスタル王は身を乗り出し、わめき散らして我が子の身柄の返還を求める。


「父上。落ち着いてください」


「ナターシャよ。早く国中から金貨を集めてくるのだ。ああ、娘が、まだ九つの娘が……」


 下の娘の近況を知り、精神の均衡が崩れ出した家族想いなタスタル王は、上の娘の言葉が届かなくなる程度の狂態ですまず、


「……取り戻さねば、我が子らを……そうすれば、また七人で仲良く暮らしていける……」


 身を乗り出したままブツブツとつぶやき出したタスタル王は、行方不明と思っている長男はともかく、殺された第二夫人を数に含むほど、正常な記憶力を働かなくなってしまう。


「……すいませんが、そちらの用向きはわたくしがうかがいます。できれば、手短にお願いできませんか?」


「ええ、いいですよ。しかし、殿下も大変でございますな」


 父王の精神状態にも、忍び笑いをもらす元家臣にも、自制心を総動員してナターシャは耐える。


「用件は至ってカンタンなこと。紆余曲折があったが、我がアーク・ルーンは以前に貴国が申し出た降伏に応じることが決まりました。ただ、だいぶ時が経ちましたので、タスタルの方針が以前のままか、確認に参った次第です」


「……それならば、我がタスタルの考えは変わっていません。アーク・ルーンが求めるなら、今日にでも降りましょう。それでいつタスタルをお納めてくださるのでしょうか?」


「そんなことは知らぬ。いずれ正式な使者が来るから、そちらにたずねるがいい」


「なるほど。わかりました」


 うなずいたナターシャはこれで、目の前の元家臣がアーク・ルーンの威を借りて尊大に振る舞っているだけの、しょせんは使者とは名ばかりの使い走りでしかない点を見抜いた。


 自ら正規の使者ではないと気づかず暴露し、使者というよりもタスタルの様子見に使われただけの小者とまでわかったのは、トイラックやザゴンと相対し、イビられ、何より彼らの凄味を肌で感じた経験が血肉となった結果であろう。


 冷静に考えれば、初春とはいえ、大寒波のために雪はまだまだ残っており、七竜連合の中でも北側の国々は、残雪で交通が完全に復旧していない。それゆえ、雪が少ない南側の国々を先に攻略し、残雪が無くなってからタスタル、バディン、ゼラントの攻略にかかるのが順当な順序というもの。


「ただ、我がタスタルは実質的にアーク・ルーンに降伏したのですから、民のためにも食料支援をしていただけないでしょうか?」


「そうでございますな。生まれ育ったタスタルのことゆえ、そうなるように働きかけるのはやぶさかではございませんぞ。へっへっへっ」


 再び卑しい笑みを浮かべ、元家臣が伸ばして来た手をかわすように手を引き、


「もし、そうなりましたら、こちらも誠意ある対応をされていただきます。それでは、ご用向きは承りましたので、ご使者殿はこの辺りで退散をお願いいたします。わたくしとしては、父を早く休ませたいと思いますので」


 相手が小者と見極めたナターシャは表面こそ丁重な形で一礼し、無言で早く去れとうったえる。


 一方、アーク・ルーンの名で相手が萎縮しなければ、大して中身のないその元タスタル貴族は、悔しげにくちびるを歪めながらも、あしらわれるような形で一礼して退室していく他なかった。


 元家臣を追い払ったナターシャだが、それでついた安堵の息が極めて短いものなのは、使者に言ったように、父親を早く休ませる必要があるからだ。


 母に次いで父までも病んだ王女に、気を休めるヒマはもはやないのだ。


 両親ばかりではなく、重態の祖国の面倒も見ねばならなくなったのだから。


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