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エピローグ5

「良いか、民を一人として死なせてはならんぞ」


 魔法帝国アーク・ルーンの皇宮での急きょ、執り行われた会議は、大宰相ネドイルのその第一声で開始された。


 さして大きくない会議室に集められたのは、アーク・ルーン帝国の大宰相と各大臣、それと他二名と、少数というより、人数をしぼったものであった。


 緊急会議の議題は、東部戦線における異常気象への対応である。


 併合したワイズのものに加え、ベネディアなどの国々からの提供された資料もまとめたものを、すでに会議の出席者は全員、目を通し終わっている。


 かなり古い資料ゆえ、不正確な点や欠損がいくつか目についたが、概算で五百万が死ぬかも知れないの大災害を裏づけるほどの内容であり、列席者は皆、緊張した面持ちを議場に並べている。


 そして、その古い資料を元に対策を講じていかねばならないほど、出たとこ勝負の状況ゆえ、ネドイルは東部のみの問題とせず、アーク・ルーン全体の問題とし、アーク・ルーンという国を挙げて対応する体制を築こうとしている。


「当初の計画は、東の国々を晩秋までに併合し、冬の間に統治を固めるものであったが、これを全面的に撤回し、併合は春以降に順次に行うものに修正する。異議のある者はいるか?」


 当初、ザゴンはいたぶるだけいたぶってタスタルを、ゾランガも謀略でフリカをただ降伏させるだけではなく、一片も抗う心が残らぬほど服従させる予定であった。


 その後、ロペスに降伏勧告を行い、それに応じたら、タスタル、フリカ、ロペスの残存戦力でシャーウを攻めさせる。


 ロペスが応じぬ時は、タスタルとフリカの残存戦力でシャーウを攻め、これを攻略した後、ロペス、ゼラント、バディンと攻めさせるつもりであった。


 もちろん、弱体化したタスタルやフリカの軍ではシャーウ軍に勝てないかも知れないが、別段、それはそれでかまわない。元同盟国と戦い、弱体化したシャーウ軍にウェブレム、クーラント、ダムロス、バルジアーナ、モルガールといった南の国々の軍勢とぶつけ、それで勝てない時に、初めてアーク・ルーン軍が動けばいい。


 が、今からそんな軍事行動を取らせれば、戦は完全に冬場にもつれ込むが、だからこそのアーク・ルーン軍がなるべく動かずにすませる作戦であったとも言える。


 その作戦も、大寒波の到来で白紙となった。いや、もはや軍事行動どころか、野外に陣地を築いていられる状況と環境でなくなるのだ。


「兵は冬が、いや、雪が降る前に、屋内に避難させるか、クラングナより西にへと退かせよ。異論はないか、イライセン卿?」


「あると申しても、通らぬならば、是非はない。ただ、タスタルとフリカでの掃討作戦を行う点はお忘れなく」


「わかっている。国境に見張り小屋くらいも残す」


 五十万のアーク・ルーン兵よりワイズの民ひとりの命を重んじるイライセンだが、それをわきまえる程度の理性と現実感覚はある。


 もっとも、わきまえているだけで、軍務大臣の奥底にある狂気を知る大宰相は、一応の妥協案を提示して、それが表面化しないように鎮めている。


 ワイズ領内の冷害対策は当たり前のことだが、アーク・ルーン軍の撤退で最も危うくなるのが、東の国境一帯にいるワイズの民である。


 アーク・ルーン軍がいなくなっても、タスタル、フリカの両国に軍を西に進める余力はない。だが、元々、アーク・ルーン軍が東の国境線に南北に長い陣地を築いていたのは、狂ったドラゴンからワイズの民を守るためであった。


 そのアーク・ルーン軍が東の国境より去れば、狂ったドラゴンが襲来した際、ワイズの民は食われ、殺されることになるが、自然の猛威の前にはいかな魔道の大兵団も為す術はない。


 ただ、さすがに無為無策で放置するようなマネはしない。防寒設備を整えた見張り小屋を国境沿いに建て、狂ったドラゴンへの防衛体制は放棄しても、警戒体制は維持はする。


 さらには撤退する前に、五十万の軍勢を総動員して、タスタル南西部とフリカ北西部の狂ったドラゴンを可能な限り狩り、ワイズの東の国境の安泰をなるべく計ろうとしている。


 冬が間近に迫る今、長々と狂ったドラゴンを追い回してはいられないので、完全に狩り尽くす時間はないが、


「イライセン卿。故郷を思う貴殿の気持ちは察して余りあるが、掃討作戦が想定した成果を挙げれば、ワイズの防衛はまず心配はないはずだ」


「そうですとも、軍務大臣閣下。もし、我が作戦に不安があるのなら、何なりとおっしゃってくだされ」 ネドイルの言葉に続いて発言したのは、四十絡みでボサボサの髪型をした、かなり風采が良くなく、何より吐く息がやたらと臭い、小汚ない小男、魔法帝国アーク・ルーンの総参謀長であった。


 長きに渡って覇道に貢献してきた魔竜参謀ベルギアットを降格させ、ネドイルがその才幹を上と認め、総参謀長に抜擢した人物であり、イライセンも外見や口臭で判断する愚をおかさないどころか、


「いや、作戦に不安要素も修正すべき点も見当たらない。ただ、こちらが故郷のことであるがゆえ、神経質になっていただけだ」


 ぐうの音も出ないほど、アーク・ルーンの軍務大臣からしても、総参謀長の作戦の立案・予測の能力はバケモノじみていた。


 もちろん、この会議室にいるバケモノは彼一人だけではない。


「軍事面はそれで良いであろう。だが、それよりも重要なのは、東部全体を統括し、此度の異常気象を乗り切ることだ。当然のことだが、それを推進する責任者を定めねばならない。オレはそれにトイラックを推すが、異論のある者はいるか?」


 総参謀長以外で、大宰相でも大臣でもなくこの場にいるもう一人の名を挙げる。


 この会議室でヴァンフォールに次いで若いトイラックだが、アーク・ルーンでにその能力に疑念を抱く者はいないが、


「異論はないが、質問はある。トイラック殿が東部全体を統括し、その異常事態の対応を一任するのは、能力的には問題のない人選だ。ただ、トイラック殿はワイズの代国官であり、それを兼務した状態では、その身ひとつでは足りぬのではないか?」


 司法大臣が口にする疑問は、単なる人事上のことだけではない。


 東部全体の統括するとなれば、ワイズの代国官のようにワイズ領の面倒を見るだけの業務に留まらない。ゼラントのマードックらの支援、マヴァル帝国との交渉、ベネディアなどの国々の対応、死に体とはいえ七竜連合の動向もまったく無視できるものではない。


 さらにクラングナ以西の各部署と連携し、大寒波を乗り切るために食料、燃料、防寒具などを手配し、それらを不足している所に行き渡らせねばならない。


 これだけのことをたしかにトイラックならやってのけるだろうが、その上でワイズの代国官もこなすのは無理という、司法大臣の見解も間違っていない。


 人間、身が一つしかない以上、どれだけ優れた者でも限界がある。イライセンがアーク・ルーン軍との戦いに敗れた原因も、前線と後方への対応を自身のみでできなかったからである。


 大宰相ネドイルは何かと非常識なわりには、この手のことに思慮を欠くことはなく、


「その通りだ。だから、ワイズの代国官は一時、ゾランガなる者に代行させる。これにクロックとザゴンを補佐につければ、トイラックのオーバーワークは避けられるだろう」


 外見に反し、ザゴンは事務仕事もかなりできる。本来、文官であるクロックに比べれば大きく劣るが、それでもヘタな文官よりはずっと役に立つ。


 ゾランガとは面識のない司法大臣だが、それを理由に否を唱えることはない。それは彼だけではなく、ネドイルの人材を見抜く眼力を知っていれば、イライセンですら例外ではなく、その人事に反対できるものではなかった。


 ドラゴンであるベルギアットの謀才を、メドリオーの副官であったシュライナーの将才を、浮浪児であったトイラックの大才など、とにかく例を挙げればキリがない。


 加えて、ワイズの民のことになると、狂気的なまでに神経質になるイライセンがネドイルの方針に反対しないのは、ある種の信頼感があるからだ。


 その眼力と同様、優れた部下に対する配慮に怠りはない。イライセンの存在がある限り、ワイズに対して出来る限りのことはしてくれる一方、


「ワイズと言えば、あそこにはタスタルの捕虜が二万人以上いましたが、彼らはどうするのですか?」


「オレは最初に言ったはずだ。アーク・ルーンの民を一人も殺すな、と。二万人が冬を越すための食料と防寒具があるならば、ワイズの地にいる我が国の民が一人でも多く助けるのに用いるべきであろう。民あっての国であり、民の税あるからこそ、国を維持できるのだ。アーク・ルーンの戸籍台帳にない二万の名がこの世から消えても、アーク・ルーンの税収は銅貨一枚とて変わらぬ。トイラック、我らが守るべきものを間違えるんじゃないぞ」


「はっ、わかりました」


 ネドイルの冷徹な判断に眉をしかめる者はいないではいが、肝心のトイラックが眉ひとつ動かさず、その冷徹さを受け入れたことに、イライセンは心中で安堵の息をつく。


 彼にとって、タスタル兵二万五千の命は、ワイズの民ひとりの命と比べるまでもないものなのだから。

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