暴竜編90-2
サンダー・ドラゴンとギガント・ドラゴンでは、前者の方が飛行速度が速い。だが、それも背に乗っているのが、乗り手のみであればこそだ。
タスタル王宮に暴徒の群れが侵入してしまい、父王や家族を乗竜の背に乗せ、王都より脱したナターシャは、乗竜を長々と飛ばすことができなかった。
竜騎士ならば、自らのドラゴンを曲芸的に飛ばそうが、その背中から落ちることなどまずない。が、タスタル王らは普通に飛んでいるドラゴンの背にしがみつき、どうにか落ちないようにするのが精一杯という状態であり、その姿勢を長時間、維持するのはどう見ても不可能であった。
だから、王都から少し離れた場所に着陸しようとしたナターシャの判断は間違ったものではないし、そこを狙って捕縛にかかったザゴンの指示も的確だったと言えよう。
アーク・ルーン側の唯一の懸念は、ナターシャが全力で逃走した場合、追いつく手段がない点だ。
魔道戦艦も魔甲獣にも飛行能力はない。ギガント・ドラゴンの飛行速度はお世辞にも早くない。
ベルギアットも飛行能力はあれ、飛行速度はさして速い方ではないサンダー・ドラゴンと大差のない程度である。
もし、ナターシャが二人の母親と妹を蹴落とし、両手でしっかりと父王と王太子をつかんで、全力で逃走を計れば、アーク・ルーン軍は見捨てられた王妃と第二夫人、第二王女を拾うしかなかったが、ドラゴンを駆って接近するフレオールとイリアッシュに気づくと、タスタルの第一王女はライトニングクロスを着陸させ、逃走を断念した。
近づけば、ナターシャにとって足枷となる家族が勢揃いしているのがわかっただろうが、それでもフレオールとイリアッシュは相手を挟み込むように接近する。
観念した表情のナターシャ、恐怖をこらえるタスタル王と、こらえ切れずに青い顔で震える王妃たち四人の反応を見て取れる位置まで、イリアッシュと共に接近したフレオールは、
「月並みで悪いが、おとなしくしてくれ。抵抗しなければ、死体と葬儀の数は少なくすむだろう」
そう降伏を呼びかけられた五人の内、最も激しく表情を変えたのは、タスタルの第一王女であった。
降伏すれば葬儀の数が少なくすむということは、抵抗しなくても家族の誰かが殺されるということを意味する。
だが、抵抗したところで、ナターシャらに逃げ切る術はない。フレオール、イリアッシュ、ベルギアット、ギガだけでもどうしようもないのに、五隻の魔道戦艦と二十頭の魔甲獣と三百のアーク・ルーン兵も新たに包囲するように近づいて来ているのだ。
「念の入ったことですね」
大げさな敵の対応にナターシャは皮肉を飛ばすと、フレオールは無言で肩をすくめる。
フレオールからすれば、別段、大げさな対応をしているつもりはない。
たしかにナターシャらのみなら、これだけの戦力を動かす必要はない。だが、王宮から脱したタスタルの竜騎士が王の元に参じるかも知れないし、狂ったドラゴンが来襲する可能性もある以上、用心に用心を重ねておくべきだ。
実際、これだけの戦力を用意されると、数騎の竜騎士が駆けつけてくれても、返り討ちにあいかねない。
しかも、アーク・ルーン軍にとって、ナターシャらに差し向けたのは戦力のほんの一部でしかない。王都の包囲・封鎖のために兵力を分散しているとはいえ、ここよりさして離れていない第九軍団の本陣には約四万の兵がいる。
つまりは、フレオールが手札が足りないと判断すれば、そこからいくらでも応援を呼べるのだ。
抵抗してもカンタンに制圧されるとわかっていても、降伏することが家族の死につながるとなれば、ナターシャも手にする血まみれの矛を捨てられずにいたが、
「気持ちはわかるが、おとなしく従わないなら、力ずくで従わせるだけだ。この数で一斉に取り押さえにかかれば、余計なケガをさせるアクシデントも起きかねん。もちろん、おとなしくしないなら、女子供でも手足の一、二本もへし折って、おとなしくさせるが、それでいいか?」
「……わかりました」
家族の誰かの首がへし折られるのは、もはや逃れようのないことだ。抵抗しても余計に手足がへし折られるだけと言われ、フレオールの淡々とした脅迫に屈する。
苦渋に満ちた顔で矛を捨てたナターシャは、
「もし、タスタル王家の中で首が必要であるのなら、わたくしの……」
「あいにく、そうした要望を言われても、それを決めるのはザゴン殿だ。オレに何の権限はない」
皆まで言えず、しかもアーク・ルーン側で最もイヤな名前を出され、タスタルの第一王女の表情は絶望的なものとなる。
ナターシャよりもザゴンの性格と性質を知り、何よりタスタル王家の処置を推測できるので、フレオールも不快感な隠しようもないが、
「……とにかく、おとなしく従うと決めたなら、早々に陣地の方に向かってもらおうか。こちらはもう撤退の準備に入っている。時間がそうないんで、急いでもらいたい。急げないなら、強制的に足を動かしたくなるようにするが?」
真紅の魔槍の穂先を、人の家族に向けるほど、今のフレオールに、否、アーク・ルーン軍にゆとりはないのだ。
足踏みし、時を無駄にすれば、東方軍五十万が全滅しかねない。それほどの脅威が迫りつつあるのだから。




