暴竜編86-1
「ガアアアッ!」
咆哮と共に、タスタル王国の王女の乗竜が放った雷撃が薙ぎ倒すのは、粗末な武器を手にしたタスタルの民らであった。
「我が国は……タスタルは、どうなるのですか……」
ライトニングクロスの背でナターシャが呆然とつぶやく間にも、彼女の乗竜は王宮の正門の前に立ち、押し寄せる暴徒に爪と牙、尻尾を振るい、タスタルの人口を減少させている。
タスタルの王女がタスタルの民を殺さねばならない。タスタルの王都の、タスタルという国はそのようなありさまにまで至っていた。
現在、タスタル王国の王都は魔法帝国アーク・ルーンの第九軍団によって実質的に包囲・封鎖の状態にある。
無論、王都の周辺では未だ狂ったドラゴンらが暴れ回っているが、この時期になると王都の通じる街道でどこが比較的に安全かわかるようになり、そこからそれなりに人と物が往来するようになっていた。
特にそうした街道の先には、王都に運ぶために地方から集めた食料と物資の集積所がある、いや、あったというべきだろう。
フィアナートは兵をいくつかに分け、全ての集積所を攻め、全てを奪い尽くした後、全てを徹底的に破壊して、王都をこれまで維持していた生命線というべき流通網を絶った。
王都のような大量消費型の都市で流通が途絶えればどうなるか。想像するだけで顔面蒼白となったタスタル王やナターシャらは、何度もアーク・ルーン軍の元に使者を送ったが、
「背信行為の首謀者たるネブラースの身柄を引き渡せ。それが為されぬ限り、帰国と話し合うべきことはない」
タスタルの使者は門前払い、そう言われて追い払われ、フィアナートやザゴンに会うどころか、陣地の中に入ることすらかなわなかった。
アーク・ルーンの返答に、タスタル側は困惑するより他にない。何しろ、要求するネブラースの行方はわからず、身柄を差し出す以前に、身柄を捜す段階にあるのだ。
もちろん、フィアナートやザゴンは、ネブラースの死を知っているし、ガレキの下にあった死体を引きずり出し、山中に捨てたのは二十日ほど前のことだが、タスタル王らはネブラースの亡骸が野生動物に食い荒らされていることを、当然、知らない。
第九軍団と戦い、大敗したタスタル軍は、何も全滅したわけではない。八万二千の内、戦死者は一万強で、七万人以上が生き残っている。
元から無理に集められた兵ゆえ、敗残兵の多くは散り散りになったが、一部は王都までたどり着き、その中には竜騎士が五騎ほどいた。
その竜騎士らから、ネブラースがノルゲンと共に落ち延びたことを聞いたが、その後のことはわからない。だから、タスタル側はネブラースが行方不明であることを訴えたが、そんなことはわかっているアーク・ルーン側は、聞く耳をもたないふりを続けている。
包囲と封鎖で何も入ってこなくなった王都では、当初、食料の不足による奪い合に狂奔していた民衆が、さしたる時を置かずに徒党を組むようなり、暴徒と化して商人や貴族の館を襲うようになったが、王都の騒乱はその程度ですまなくなっていった。
これまでも飢えから民が強盗や暴徒と化すことはなくはなかったが、それらが今回ほどの大規模な騒乱に至った理由は、王都にいるタスタル兵の減少が大きい。
暴徒が貴族や商人の館を襲っても、タスタル兵がすぐに出動して鎮圧してきたからこそ、これまでは一時的な騒乱でおさまってきたのだ。
それがネブラースら主戦派の暴走で、竜騎士や兵士という抑止力が激減してしまい、これまでのように止められることがなくなった暴徒は、その数と勢いを急速に増やし、ついには王宮に押し寄せるほどの規模にまで膨張した。
大群となり、勢いに乗る暴徒らは、何も不平不満だけで王宮に押し寄せているわけではなく、
「ネブラースという王子を渡せば、またアーク・ルーンが食べ物をくれるそうな」
そんなうわさに踊らされ、暴徒らは完全に反逆者となるほど、タスタル王国の権威と信用は失墜していた。
もっとも、暴徒がいくら押し寄せようが、王宮の周囲はナターシャら竜騎士が守りを固めているし、王宮だけには充分な兵を配備している。
竜騎士の圧倒的な力の前に、押し寄せた暴徒の群れはあっけなく蹴散らされ、何十という亡骸の残して去って行く。
見事に暴徒を追い払ったナターシャだが、その表情に勝利を喜ぶ色は微塵としてない。
今日も追い払えたとはいえ、明日も押し寄せて来るのは明白だ。根本的な解決が為されない限り、ずっとタスタルの王女は、いや、他の竜騎士、さらに騎士も兵士もタスタルの民と戦い、その手で殺めねばならない状況に変わるところはない。
いや、変わらないどころか、押し寄せる暴徒の数は日に日に増しており、王都の、いや、タスタル王国の情勢は悪化し続けている。
「……民を苦しめぬように努めてきたつもりなのに……なぜ、民を殺しているのか、わたくしたちは……」
乗竜の背で、ナターシャがどれだけ深刻な顔と暗い声音でつぶやこうとも、思い悩むばかりで、答えも解決策も見出だせぬ以上、酷な現実に翻弄されるしかなかった。
「グルルルッ」
不意にライトニングクロスが唸り声を上げる。
竜騎士には乗竜の心の動きがある程度、伝わって来るので、ナターシャはライトニングクロスの空腹を感じることができた。
目の前には血のしたたる新鮮な肉の塊がいくつも転がっているのだ。それに食欲を刺激された乗竜を、本来なら制さねばならないのだが、
「……食べなさい、ライトニングクロス」
主の許可が下りるや、サンダー・ドラゴンは長い首を伸ばし、タスタルの民の骸を丸のみにし、その肉体を噛み砕いて胃袋へとおさめていく。
ドラゴンとて腹が空く。だが、今の状況では山野にエサを探させることはできない。また、残り少ない食料を、ドラゴンのエサにもできない。
死体を放置するのも衛生的にマズイ点もあり、骸とはいえ民をドラゴンのエサにしていることにナターシャはさらに暗い表情となるが、イヤな思いをしているのは彼女だけではない。
ナターシャの周りにいる騎士や兵士らの半数も、顔に嫌悪感をあらわにしている。
だが、より救い難いのは、少ない兵糧を切り詰めているがゆえ、満足に食事が配給されていないこともあり、残る半数が人を食べる光景に喉を鳴らし、よだれを垂らしていることだ。
そして、このような状況が、アーク・ルーン軍の包囲と封鎖が続けば、いずれドラゴンだけではなく、人も人を食わねばならなくなる事態さえありえるのだ。
餓死しないためには。




