暴竜編65-5
「殿下にこのようなものをお出しするとは何事だっ!」
木の器に盛られた、野菜がわずかに入った麦粥を前に、平伏する村長に対してノルゲンは声を荒げる。
タスタル王国の竜騎士であるノルゲンは、当然、その地位にふさわしいだけの領地は持っている。
ただ、彼の領地はタスタル国内に点在する形にあるのは、ノルゲンが古くからの名家の出ではなく、彼一代の成り上がりであるからだ。
父の代までは一介の騎士にすぎなかったが、ノルゲンはタスタルの先王に気に入られ、竜騎士に取り立ててもらった際、賜った新たな領地は、旧来の領地と離れた場所にあるが、これは仕方ないことだろう。
家臣の恩賞用にストックされている領地が、たまたまその家臣の領地と隣接しているなどまずはない。新旧の領地が離れている方が当然なのだ。
魔法帝国アーク・ルーンの第九軍団に大敗した戦場より、さほど離れていない場所にあるこの山村もノルゲンの領地の一つだが、この山村と隣接している土地は、他のタスタル貴族の所領である。
敗軍の将たるノルゲンがネブラースを連れ、この山村にとりあえず身を落ち着けた理由は、彼の領地である他にもう一つ、ここが山の中にあるからだ。
この山村からふもとへと伸びる山道は、大軍や魔道戦艦が通れるものではない。
ネブラースの乗竜はサンダー・ドラゴン、ノルゲンの乗竜はダーク・ドラゴンであり、共に翼を有する。航空戦力を有さぬアーク・ルーン軍に万が一、捕捉されても、ここならば逃げられるという計算がある。
ただ、ノルゲンにとって計算違いの一つは、さして豊かではない山村ゆえ、王子に出す食事が質素というものではすまない点であろう。
麦粥というセレクトに問題はない。戦場からここまで何も食べずに来たネブラースらはかなりの空腹で、重い食事は胃に良くないからだ。ノルゲンが不満を覚えたのは、粥にした麦の質がさほど良いものでもなければ、具材も滋養のあるものではない点だが、これは無理な注文というもの。
このような山村に、王族の口に合うような質の良い麦や、滋養のある食材を用意できるものではない。特に、食料や流通の事情がかなり悪い今のタスタルで、それだけの食材を手に入れるのはかなり難しい。
平伏する村長も、
「申し訳ありません。これがこの村でお出しできる精一杯のものにございます。あらかじめ来訪がわかっていれば、もう少し何とかなったのですが……」
この抗弁で、ノルゲンは一転して気まずい顔となる。
先触れもなく、いきなり落ち延びてきたのだ。このような山村で、何の準備もなく王族の満足する食事を用意できるわけがないのに、遅まきながら気づいたのだ。
「ノルゲン、良い。せっかく温かい食事を用意してくれたのだ。ありがたくいただこう」
「はっ、殿下がそうおっしゃられるなら、私からはもう申すことはありません。すまなかったな、村長。色々と無茶を言った」
「いえ、このようなものしか用意できず、こちらこそすいません。量だけはありますので、お口にさえ合えば、いくらでもお召し上がりください」
平伏したまま安堵の息をもらす村長がそう言い終わる前に、ネブラースは器を手にし、
「ノルゲン、オマエも腹が空いていよう。遠慮せずに食べるがいい」
ただ一人となった家臣を気遣うや、手にする麦粥をかき込み出す。
空腹は最高の調味料という言葉がある。出された麦粥を口にしたネブラースの舌は、まずいと感じたものの、味など二の次なほど高まっていた食欲が、たちまち器を空にする。
ノルゲンの方は味にさしたる不満はないが、十代の王子ほど食欲は旺盛ではないので、ゆっくりと麦粥を口にして空腹を満たそうとする。
「ふう、人心地ついた。すまんが、おかわり頼みた……」
空になった器を置き、二杯目を求めたネブラースの顔が、不意に紫色になっていき、床にうつ伏せに倒れる。
「なっ! ど、どうなされましたか、殿下……」
倒れた王子の姿に目をむいたノルゲンも、急速に身体から力が抜けてゆき、床に倒れ伏す。
二人が倒れる一方、平伏していた村長がゆっくりと顔を上げ、再び安堵の息をつき、まるで慌てる様子を見せない。
「き、きさま……アーク・ルーンと通じて……」
真相に気づいたノルゲンだが、弱々しい声での糾弾は途中で途切れる。
乗竜の耐性を発現すれば、竜騎士がいかなる毒にも耐えられたのは去年までの話だ。竜騎士である自分たちが毒殺されようとしているということは、領民がアーク・ルーンと通じている、否、抱き込まれたと見るより他ない。
「……なぜ……」
「殿下。あなた方を殺せば、アーク・ルーンはたくさん食べ物をくれるのです。子供たちに腹一杯、食べさせてやれるのです」
血と泡を吐きながら問うたネブラースだが、村長の答えを全て聞き終わる前に意識を失い、二度と目覚めぬ眠りにつく。
領主、いや、元領主の弱々しい呼吸も止まったことも確認すると、村長は立ち上がり、毒殺した二人の首を切り落とすため、村の男衆を呼ぼうとした矢先、
「ガアアアッ!!」
屋外からドラゴンらの咆哮が轟き、愕然となる。
村の責任者として驚いてばかりもいられず、何が起きているのか確かめるべく、二つの死体をそのままに自分の家から飛び出した村長は、二頭のドラゴンが暴れている光景を目にする。
「そ、村長! き、急にドラゴンらがわしらに攻撃をしてきました!」
何人かと共に駆け寄って来る村の男の一人が、見ればわかるような報告をする。
ネブラースとノルゲン、二人が最後に抱いた無念の想いを受け、二頭のドラゴンがそれぞれの主を仇を討つべく行動を開始したのだ。
正確には、主を先に殺されたドラゴンがどう動くか、フレオールがしたその点の報告を共有する一人であるザゴンが、その情報を用済みとなった凶器の後始末に利用したのである。
無論、そうした情報も真相も知らない、後始末を待つだけの生きた凶器たちは、
「とにかく、逃げよ! いや、子供たちだけは何としても逃がすのだ!」
不可能なことを悟りつつも、村長の張り上げた声に反応したか、ノルゲンの乗竜たるダーク・ドラゴンが、逃げ惑う村人や家屋を蹴散らしながら、まっすぐ主を殺害した実行犯へと向かう。
そして、距離を詰めたダーク・ドラゴンは、首を伸ばして毒の息を吐き、
「……子供たちを……」
その側にいる村人らと共に、主と同じく村長を毒殺すると、そのダーク・ドラゴンは、ネブラースの乗竜だったサンダー・ドラゴンと、山村にいる者を根絶やしするべく暴れ続ける。
真犯人の思惑どおりに。




