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暴竜編65-3

「タスタル軍、後退を始めました」


「向こうには、小知恵の回る者がいるようだな」


 一目瞭然なその報告に対して、魔法帝国アーク・ルーン第九軍団の軍団長フィアナートは、口の端に浮かべた笑みを、小さなもので抑えるのに苦労した。


「だが、肝心なところがわからん程度の知恵か。おまけに軍の質も低い。ただ後退するだけで、あそこまで隊列が乱れるとは、話にならん。よくこれで戦おうという気になったものだ」


 遠望するフィアナートにも一目でわかるほど、偽りの後退を演じるタスタル軍の軍列に、偽りとは思えない乱れが生じていたが、半数以上が民兵であるのだから、マトモに前進も後退もできなくて当然というもの。


「とはいえ、向こうもこっちもせっかく立てた作戦だ。無駄にする必要はない」


 口の端に浮かべた笑みを消し、近くにいた兵を伝令に走らせ、敵の思惑に乗るように命じる。


 前進より後退の方が難しいとはいえ、陣形を乱して下がるタスタル軍に比べ、アーク・ルーン軍は斜線陣を維持したまま進み出す。


「全軍、停止! 突撃に転じよ!」


 釣られるように前進を始めたアーク・ルーン軍の動きを見て、後退から突撃に転じるよう、ノルゲンから発せられた指示は、タイミングとしては間違っていない。


 問題は指示が正しくとも、それに応じるだけの、少し変則的な命令をこなすだけの練度が今のタスタル軍にない点だ。


 後退するにつれ、陣形の乱れが大きくなっていたタスタル軍は、停止命令を受け、前進へと転換する際には軽い混乱状態に陥ってしまう。


「まずは落ち着いて周りを見よ! 無用に騒ぎ、動くな! 隊列を整えるのだ!」


 タスタルの騎士や正規兵が声を張り上げ、新兵らを整列させるのに躍起になる。

 陣頭に立つ竜騎士らも、後続の兵が突撃態勢を整えない限り、ドラゴンの足を動かせないということはなかった。


「ガアアアッ!」


 タスタル軍の竜騎士の三分の一以上は見習いである。中には、ドラゴンと契約したばかりの十歳の見習いもいる。


 そうした見習いらは、後ろの混乱と歩調を合わせることなく、乗竜を前進させて行く。


「ガアアアッ!」


 先走る見習いらを放置することも引き止めることもできず、竜騎士たちも仕方なく突撃を開始する。


「右翼停止! 中央前進継続! 左翼全速前進!」


 フィアナートの命令というより、あらかじめされていた作戦内容に従い、アーク・ルーン軍は一糸、乱れぬ動きで、右翼部隊に向かうタスタルの竜騎士らの側面に、左翼部隊が回り込み、


「右翼砲撃開始! 中央および左翼停止し、順次砲撃を開始!」


 突出したタスタルの竜騎士らは、正面、右斜め前、右側面から魔道戦艦と魔砲塔の砲撃を食らうだけではない。


「右翼の弓隊、敵左側面に移動せよ」


 アーク・ルーン軍の右翼部隊から三百人ほどの弓隊が、竜騎士の左側面へと移動し、矢の雨を降らせる。


 正確には、毒矢の雨を。


 ドラゴンをも殺す猛毒が矢じりに塗られた矢を射たれ、


「ハアアアッ!」


 タスタルの竜騎士らは乗竜の足を止められ、守りに専念しなければならなくなるが、どうにかドラゴニック・オーラを展開して防ぐ。


 ただし、竜騎士は、だ。


 ライディアン竜騎士学園を卒業し、いくらかの実戦を経験した竜騎士は、苦しいながらもアーク・ルーン軍の半包囲射撃を辛うじて防げはしたが、学園を卒業どころか、入学もしていない見習いは、際立って腕の立つネブラースを除いて、次々に砲撃と毒矢に倒れていった。


 竜騎士らは見習いをカバーしてやりたいが、そんな余裕はない。それどころか、見習いを射倒されるほど、竜騎士らはより多くの砲撃や毒矢を向けられることになり、苦しい状況がますます苦しくなっていく。


「耐えよ! 後方の味方が来るまで、とにかく耐えよ!」


 声を張り上げて味方を励ますノルゲンの言葉は、決して間違っていない。


 後方の味方が前進してくれば、アーク・ルーン軍も砲撃を竜騎士にばかり集中できなくなる。


 ましてや何人かのタスタル騎士は、隊列の乱れを放置し、手近な兵を集め、突出した竜騎士の援護に向かおうとしたが、さらに拡大した混乱によって、彼らの動きは封じられた。


 四十隻の魔道戦艦の突入により、先ほどよりもはるかに酷い混乱状態に陥った民兵たちによって。


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