暴竜編49-3
「勝った! 勝ったぞっ! アーク・ルーンに勝ったのだ!」
勝ちどきを上げるタスタル軍が狂ったように騒ぐのも無理はないだろう。
開戦以来、これまでタスタル王国は、否、七竜連合は魔法帝国アーク・ルーンに連戦連敗だった。それが初めて勝つことができたのだ。タスタル軍が狂喜乱舞するのは当然というものである。
もっとも、正確にはタスタル軍の全員が勝利を喜んでいるわけではない。狂ったように喜んでいるのはネブラースやノルゲンら竜騎士と、タスタル騎士や一部のタスタル兵だけで、大部分のタスタル兵は自軍の勝利に戸惑っていた。
そして、困惑どころか、タスタル軍の勝利に喜びの色など一片もない、強張った表情と声音で、
「ネ、ネブラース! このようなことをしでかし、あなたはどう責任を取るつもりです! とにかく、わたくしと共にアーク・ルーンの陣地に行きましょう」
「姉上、心配ならさないでください。アーク・ルーンの陣地には行きます。軍を率い、アーク・ルーン軍を打ち破りに、ね」
「バカなことは止めなさい。アーク・ルーンに勝てると思っているのですか?」
「現に我らは勝ちましたぞ。この大勝利をご覧ください」
「騙し討ちで勝ったことがそんなに誇らしいのですか! 我々は降伏の約束を破ったのですよ!」
「卑怯な策略で勝利をかすめ取ってきたのはアーク・ルーンの方です! 卑劣さなら奴らが非難されるべきでしょう!」
「本当に、そんな言い分が通じると思っているのですか?」
ネブラースの言にノルゲンらがうなずくのを見て、ナターシャの声から力が失われる。
アーク・ルーン軍は策略を用いて勝ってきたが、それは戦場の駆け引きによるものだ。有り体に言えば、引っ掛かった方が悪いのである。
だが、タスタル軍の勝利は違う。降伏を申し出てアーク・ルーン軍を呼び寄せたところに、その約束を破って襲いかかったのだ。完全な背信行為であり、政治、外交、信義の面で大変にマズイ。
「それに、これを勝利と呼べるのですか? 倒れている者はタスタルの者ばかり。アーク・ルーンの者がどれほどいるのですか?」
「違う! 奴らは裏切り者です! 討たれて当然の連中だ!」
姉が言い、弟が言い返すとおり、タスタル軍が討ったのはタスタル兵などばかりであり、アーク・ルーン兵の死体は大して、いや、ほとんどない。
ザゴンの国辱的な振る舞いに、ネブラースらは怒り狂い、アーク・ルーン軍に襲いかかりはした。が、アーク・ルーン軍の大半は王都の外にいるので、ザゴンらが空間転移で去った後、身近な敵に襲いかかっていった結果、ネブラースらは多くの裏切り者らを討てた反面、アーク・ルーン軍の大部分は無事に敗走している。
位置的に、まずネブラースは王宮内の内通者らから片づけ、次に王都の市街地各所にいる寝返った連中を討ち終えた時には、騒乱を察したアーク・ルーン軍はすでに撤退を始めており、乗竜を駆るネブラースらはその後背を若干、追尾することしかできなかったが、
「姉上はあの無様な敗走を見えていないから、そうおっしゃるのです。慌てて逃げた奴らは兵糧を捨てねばならぬほどでした。何より、この魔道戦艦の残骸をご覧ください。これを大勝利と言わずして、何と言われるか」
誇らしげに言い放つとおり、アーク・ルーン軍の陣地跡には、五隻の魔道戦艦の残骸が転がっている。
タスタル軍の強襲に不意を打たれたのか、慌てて逃げ出したアーク・ルーン軍は、大量の兵糧や物資を遺棄したのみならず、五隻の魔道戦艦すら放置するほど、無秩序な敗走を見せた。
もっとも、ネブラースら竜騎士が放置した魔道戦艦の破壊に躍起になり、タスタル兵が遺棄された兵糧などに群がったため、アーク・ルーン軍は逃げる時を得ることができたのだが。
「これまで一隻たりとて破壊できなかった魔道戦艦を、五隻も沈めたのです。この大戦果こそ、マトモに戦いさえすれば我らが負けぬという、何よりも証明ではありませんか」
「マトモに戦う力が、我が国のどこに残っているのですか」
「戦いには無理を承知で戦わねばならない時があります。それが今であるのです。今、無理を押して戦わねば、タスタルは滅びるのですよ」
「そのために民を犠牲に、巻き添えにすることをいとわぬというのは、あまりに無道ではありませんか。先ほどの戦いのように、民を踏みにじるマネを繰り返す気なのですか?」
アーク・ルーン軍は、正確にはフィアナートの指示で投降したタスタル貴族は、タスタル兵にタスタルの民への炊き出しをさせていた。
「まったく、これでは我らの武勇を見せる機会がないではないか」
そう不平をもらしながも、アーク・ルーンの指示に従っていた面々は、その言葉どおりに武勇を見せることなく、乗竜を駆ってやって来たネブラースらに皆殺しにされた。
当然、彼らの殺害現場には炊き出しを求めて、タスタルの民が長蛇の列を成していたため、ネブラースら竜騎士の振るう強大な力に巻き込まれる形で少なくない死者が出ただけではない。
市街地でドラゴンのような巨大な生き物を運用すれば、当たり前だがその周囲の民家に被害が出ないわけがなく、数十軒もの家が竜騎士の強大な力の余波によってガレキの山と化している。
タスタル王国はそれら民への謝罪や弁済に取りかからねばならないし、ネブラースも立場的にその点に頭を悩ませておらねばならないのだが、タスタルの王子の頭にあるのは民に更なる犠牲を強いることであった。
国力がどん底であり、国庫が空に近いタスタルが戦争を続けようとすれば、民から税を、いや、糧を搾り取ることになるのは明白だ。
「先の戦い、我らはその不意を突いて追い払ったにすぎず、アーク・ルーン軍に致命的な打撃を与えたわけではありません。次の戦いに勝てるとは限らず、仮に勝てたとしても、その次の戦いに敗れれば、我が国はそれでおしまいとなるばかりではなく、民を無用に苦しめることにもなるのですよ」
「だが、アーク・ルーンのあの仕打ち! とうてい、許せるものではありませんっ!」
激しい怒りを露に吠えるネブラースの言葉に、ノルゲンらは大きくうなずく。
ナターシャとて、弟たちの心情と激怒は理解できなくもない。ザゴンの前代未聞の振る舞いへの怒りは同様であり、激情の赴くままにアーク・ルーンを討たんとする心中は察して余りあるが、
「それはわたくしも同様です。できれば、アーク・ルーンの行いに対して、報いをくれてやりたい。ですが、我々には上に立つ者としての責務があり、軽挙に走ってはならぬ立場にあります。短絡的に兵を用いようとせず、アーク・ルーンの非礼に抗議し、まずは謝罪を求めるのが正しい手順でありましょう」
「あれだけの屈辱を受け、話し合いの余地がどこにありますますか! アーク・ルーンに我らタスタルの誇りがいかなるものか、思い知らせてやるより、他に道はありません!」
「殿下の申すとおり! 先王の、いえ、歴代の王が座した場を汚されたのです! この怒りを抑えるなどは無理な話!」
「汚辱にまみれて生きることに何の意味がありましょう! 死しても守らねばならぬ誇りがあると、小官は愚考します!」
「そうだ! 命を賭しても、タスタルの誇りを示そうぞ!」
「ああ、もはやアーク・ルーンの頭を下げさせることに意味はない! アーク・ルーンの首を取るより、他に方策があろうかっ!」
「タスタルの意地がいかなるものか、それを示さずに終わるなどできようかっ!」
「最後まで戦い抜き、タスタルを侮ったこと、アーク・ルーンに後悔させてやろうぞっ!」
理性的に言葉を尽くしておさめようとしたナターシャだが、ネブラースやノルゲン、タスタルの竜騎士や騎士たちはもう、怒りで完全に理性が吹き飛んでいた。
もはや、怒気と戦意にみなぎるネブラースらに、タスタルの王女は言葉が届かぬことを悟らざる得なかった。
絶望的なまでに。




