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暴竜編48-1

「姉上。姉上は奴らをこのままのさばらせる気ですか?」


 抑え切れぬ怒気をたぎらせる弟の様子に、タスタルの王女はそっとため息をつく。


 タスタルの王都の周りで狂ったドラゴンらが暴れ回っている状況は相変わらずだが、その数は当初よりだいぶ減っている。ナターシャらが倒したのもわずかながらいるが、それよりも他の地に去った個体の方がずっと多い。


 狂っていようが腹は減る。王都周辺は壊滅的な状態にあり、新たなエサ場を求め、飛び去ったドラゴンがいる一方、残り少ない生き残りをついばんで生きている個体もある。


 理性を失っているドラゴンらは、竜騎士から見れば不可解な行動を取っている個体は多いが、それでも日数がこれだけ経つと、ある程度のパターンが読めるようになり、だからこそナターシャらは何度も王都の外から食料や物資を運び込めていると言える。


 フィアナート率いるアーク・ルーン軍も、ナターシャの先導でうまく狂ったドラゴンを避けることができ、王都の西門に無事にたどり着いたが、そこをすぐにくぐるようなマネはしなかった。


 方々に散った狂いしドラゴンがけっこういるとはいえ、王都は時折、まだその襲来を受ける。軍の移動や展開がままならない市街地にいては、ドラゴンの襲来に対処できないので、西門の側に陣地を築いているというのは、建前にすぎない。


 市街地では兵の移動や展開が難しいが、それ以上に門を押さえられれば逃げ道を失うし、街路を封鎖されるとカンタンに分断される。何より、周囲の建物を利用しての奇襲も容易ならば、民に隠れてのゲリラ戦術でもやられたらたまったものではない。


 用心のためにすぐに王都に入らなかったフィアナートだが、食料だけは王都に運び込んだ。


 正確には、ザゴン率いる五百のアーク・ルーン兵が、内通者たちと共に大量の食料を運び込み、それをアーク・ルーンの旗の元、王都の各所で五千以上のタスタル兵に炊き出しを行わせた。


 王都に至るまでに何人ものタスタル貴族が二千四百の兵と共にアーク・ルーン軍が降った。そこに王都にいる何人ものタスタル貴族も私兵を率いて祖国を裏切り、アーク・ルーンの人気取りのために働いた。


 侵略者からすれば民の反抗ほど厄介なものはない。タスタル王が降伏を申し出ようが、それに民が納得しておらねば、新たな領土は火薬庫も同然だ。ザゴンもその辺りを心得ているので、まず人心の掌握に務めている。


 炊き出しそのものはタスタル王国もやっていたが、アーク・ルーンのそれは量が違った。これまで薄いスープ一杯で一日をすごすことが多かったタスタルの民は、具も入った一日三杯のスープによって、新たな支配者の名がその胃袋に刻まれていった。


 民心の安定を口実に王都の実質的に掌握していくアーク・ルーン軍、それに進んで協力する裏切り者たち、さらに食べ物でカンタンに新たな支配者を受け入れる民の姿は、ネブラースを苛立たせたが、彼の怒気の主な原因はそれだけではない。


 タスタル王国の降伏に際してのアーク・ルーン軍の態度である。タスタル王は本来、自ら王都の西門に出向き、アーク・ルーン帝国皇帝の代理たるフィアナートに頭を垂れ、王位を退き、タスタルの全土を譲るつもりだったが、それにアーク・ルーン側が待ったをかけた。


「おいおい、降伏を決意したのは昨日か今日か? こんな状態で国を渡されてもこっちは困るんだよ。最低限、スムーズな引き渡しができるようにしておけよ」


 ザゴンのバカにした言いぐさにより、父王の決定と覚悟が変更になったことに、タスタルの第一王子はハラワタが煮え繰り返るほど怒りを募らせたが、一方で彼とてバカではないので、敵方の言い分も理解はできている。


 タスタルの王都の混乱は小康状態とはいえ収まったわけではない。そこに祖国の滅亡だの、アーク・ルーン軍の進駐だのが何の準備もなく加わったならば、更なる混乱が起こり、収拾のつかない事態となってもおかしくない。


 そうした混乱が起きないよう、タスタル王は何らかの手を打っておくべきであり、それを怠ったは非は、アーク・ルーン側の言うとおりだ。


 そして、タスタル王がするべき、降伏がスムーズにいくための手配をアーク・ルーン軍が、正確にはザゴンが手早くやってのけている点は、腹立たしいがネブラースとて認めていないわけではない。


 それよりもネブラースが真に怒り狂っている原因は、ザゴンのもう一つの発言である。というよりも、その発言が元で生じたウワサというのが正確なところだろう。


「ちょっと渋ってやったら、あの女、こっちの言われるままに服を脱ぎやがった」


 個人名なしの、ぼやけた表現での、そんな一言を発した途端、信じられないほどの早さと下劣さで、タスタルの王女を羞恥で、タスタルの王子を怒りで真っ赤になるほどのウワサが蔓延した。


 ナターシャの美しさは言うまでもない。タスタル貴族の男たちからすれば、どれだけ欲望を刺激されようが、相手が王女である以上、自制と自重をせねばならなかった。


 これまでは。


 だが、タスタルという国がなくなるのであれば、ナターシャは王女でなくなる。普通ならば、ここで自分たちも貴族でなくなると考えるものだが、彼らはそのままアーク・ルーンの貴族として遇されるという、実に都合のいい想像をしているだけではない。


 一部のタスタル貴族の妄想は、祖国が滅びた後なら、ナターシャを好きにできるとまで膨らんでいた。


 アーク・ルーンが先に味見してから、うまくすれば自分たちもおこぼれにあずかれると、そんな勝手な未来図を口にし、期待と情欲に満ちた視線を、ナターシャの身体に無遠慮に投げかける。そんなタスタルの王家の怒りを買うマネが平然と行われる状況に、父や姉からなだめられておらねば、ネブラースの怒りはとっくに爆発していただろう。


 もちろん、こうしたウワサが増長される一因が、降伏交渉の際の環境が、誤解を招き易いものであったのは言うまでもない。


 何しろ、天幕の中でザゴンを含む数人の男とおり、しかもそこから出る際のナターシャは顔を真っ赤にしていて、着衣が少し乱れていたのだ。


 加えて、そこにフィアナートが、大事な話し合いの場に将たる者がいない点も、憶測を呼ぶ一因となっている。


 もっとも、下劣な誤解がどんどん過激な内容となっている最大の要因は、そうしたウワサを立てても恐れる必要がないほど、タスタル王家の権威が失墜しているところにある。


 特に、アーク・ルーンに早々に降ったタスタル貴族らは、かつての同胞どころか、王家の者の耳目があろうが堂々とタスタルをおとしめるよう内容を大声で話し、それをとがめられたなら、アーク・ルーンの名を出して相手を黙らせるほどだ。


「姉上。このままアーク・ルーンや裏切り者らに侮辱されたまま終わる気ですか? このまま降伏すれば、あのような者らにこれから一生、頭を下げていかねばならないのですよ」


「我々が抗議しても、アーク・ルーンが裏切り者たちの言い分を是とすれば、何を言っても無駄にしかなりません。いえ、無駄どころか、我々の立場が悪くなり、より苦しい事態を招くことになります。我らは降伏を選択した以上、ただ耐えるしかないのです」


 弟をたしなめているナターシャだが、アーク・ルーンの配慮の無さについては、ネブラースと同じ心境である。


 敗者とはいえ、王族への遇し方というものがあるはずだ。このように礼儀を欠き、屈辱的な扱い方されては、血の気の多いネブラースでなくとも暴発してもおかしくないというもの。


 たしかにタスタルにはアーク・ルーンに勝つ力はない。だが、戦う力くらいはある。特に、眼前のアーク・ルーン軍は二万、魔道戦艦も五隻しかない。これならば、見習いも含めれば十数騎と竜騎士といる王都の戦力で充分に可能だ。


 誇りを重んじ、勝算を度外視すれば、目先の勝利は得られる。しかし、その後、どうなるか、想像するだけで恐ろしい。


 すでに降伏を申し出ている以上、今の時点で仕掛ければ、タスタルは騙し討ちをしたことになる。それがアーク・ルーンの徹底した報復を呼ぶのは目に見えている。


 仮に、この場で二万を全滅させたとしても、アーク・ルーン軍はまだ四十八万といるのだ。その半分にでも攻勢をかけられれば、タスタル軍は全滅、それでアーク・ルーンの怒りがおさまらねば、タスタルの民がどれだけ犠牲となることか。


 タスタルの矜持を踏みにじるかのようなアーク・ルーンの対応は、たしかに許し難い。しかし、勝者であるアーク・ルーンと違い、敗者であるタスタルには怒る権利はないのだ。


「ネブラース。わたくしたちはアーク・ルーンに敗れたのです。まず、そのことを理解しなさい」


 重ねて、姉は弟を諭すが、


「た、たしかに、敗北はしました。百歩ゆずって、それを認めたとしても、連中の振る舞いは許せません。奴らに頭を垂れるなど、誇りを捨てて生きるということではありませんか。そんな生に何の意味があるのですか!」


「では、己の誇りのために、弟や妹を巻き込むつもりなのですか?」


「……それは……」


 下の弟妹のことを持ち出され、ネブラースも言葉に詰まる。


「今の屈辱は耐え難い気持ちはわかります。わたくしとて、可能ならアーク・ルーンに膝を屈した生より、タスタルの誇りを保った死に方がしたい。ですが、アーク・ルーンに一矢を報い、わたくしが満足して死んだならば、一矢を報いられたアーク・ルーンがその損害をどこに求めるか、考えるまでもありません。今のわたくしたちより苦しい思いを弟や妹が味わうことになる。それを避けるには、ただ耐えるしかないのです」


 ナターシャの言葉に、ネブラースは奥歯を強く噛み締め、悔しげな顔となるが、喉元まででかかった反論を辛うじて飲み込む。


 さすがに必死に現状に耐える姉の姿を前に、ネブラースとて自分を抑えるくらいの分別はあるのだが、


「……わかりました。アーク・ルーンの我がタスタル王家を軽んじる態度には腹は立ちますが、姉上の忍従に倣わせていだたきます」


 弟の言葉に、しかしその性格を知る姉は、安堵の息をつくことができなかった。


 ウソや誤魔化しを口にする弟ではないが、その沸点の低さを思えば、どうにも安心することはできない。当人が我慢する気であったとしても、その我慢がどれだけ保つか、身内であるがゆえ、ナターシャはいまひとつ信用が置けない。


 それでもナターシャは姉としてネブラースを信用した。怒りっぽいが曲がったことが嫌いな、まっすぐな性格も理解しているからだ。


 もっとも、そうした意味では、ナターシャよりも、策の標的としたザゴンの方が、ネブラースのことを見抜いていたと言えよう。


 理不尽な仕打ちにどのような反応をするかにおいて。



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