暴竜編33-2
本当に、本当に父の命を保証してもらえるのだな?」
人払いした部屋で、フリカ王国の王太子サクリファーンは、アーク・ルーンからの密使に対して、そう念押しを繰り返した。
七竜連合の情勢は相変わらずである。狂ったドラゴンらによる直接・間接の被害はまるで改善されていない。狂ったドラゴンの爪牙は、七竜連合の人口を減少させており、この日の朝方にフリカの王都に襲来したドラゴンを、フリカの竜騎士らが撃退する、一進一退の状況も相変わらずだ。
王都が国の中枢として機能せず、自国の把握ができないのも変わらず、これにタスタル、フリカ、ゼラントは、内乱による混乱が加わる。
混乱の持続は治安を悪化させている一方、収まる気配のない混乱が続いたせいか、七竜連合の民は混乱を前提とした生活を送るようになり、犠牲は出続けているが、過度に乱れ騒ぐことのない、小康状態のような情勢にもなっている。
だが、それも今が収穫期であるから、小康状態ですんでいる部分が大きい。
善政の基本は、飢えず、食っていけることにある。とりあえず、手元や市場に食料があり、民は不満や不安があろうが、食べていける内は無用に騒ぐことはないだろう。
しかし、収穫量が少なく、流通網と統治機能が充分に働いていない現状のままでは、いずれ七竜連合の食料事情は悪化、否、最悪の時を迎える。
本来なら、すでに収穫量と食料の備蓄量を調べ、不足分の食料を手配し、流通網も復旧させ、充分な食料が全体に行き渡る処置に着手せねばならないのだが、それを七竜連合の中で実行しているのは、マードックらの勢力のみである。
凶作などの凶報はサクリファーンの耳に届いているし、それらへの対策を怠れば、民と民が少ない食料を巡って殺し合う凄惨な事態となるのも理解しているが、フリカの王太子にはアーク・ルーンの支援も、マードックらのような才覚もない。
タスタル王の性格と思考に近いサクリファーンは、抗戦を断念し、アーク・ルーンに降伏することで、今の苦境よりフリカの民を救おうと考えている。
七竜連合はどの国ももう自力で自国をどうにかするだけの国力は残っておらず、アーク・ルーンに降るより他に手立てがない。それを悟っているのはサクリファーンだけではなく、七竜連合の多くの者は、祖国の敗滅が不可避であるのを理解している。
その多数にバディン王、タスタル王、ロペス王に含まれているゆえ、この三国は降伏を選択した。一方、シャーウ王とゼラント王は含まれていないゆえ、この二国は抗戦を選択した。
サクリファーンの父たるフリカ王は、表面的にはまだ負けていないと息を巻くゼラント王に近い態度を見せているが、内心はロペス王のように敗北に怯えている。
ティリエランに比べてサクリファーンが不幸な点は、共に敗者の末路に恐怖しつつも、ロペス王は一国の統治者としての責務を果たそうとしているのに対して、フリカ王は己の一命を国の命運よりも優先させている態度だ。
息子として王太子として、サクリファーンは再三、アーク・ルーンに降伏してフリカの混乱を鎮めるべきと進言したが、
「とにかく、何とかしろ」
父王はそんなセリフをひたすら繰り返して会議を踊らせるばかりで、フリカ王国はアーク・ルーン帝国に対し、降伏とも抗戦とも明確な方針を決められずいた。
言うまでもなく、フリカ王の本心は「とにかく、自分が助かるようにせよ」というものだが、サクリファーンは子として父が猜疑心の強い小心者であることを知っている。仮に、アーク・ルーンからフリカ王の助命を約束させても、当人が信じなければどうにもならない。
そして、そんなフリカ王の性格を家臣、正確には元家臣であり、
「しかし、父を捕らえ、そちらに引き渡すなど……」
「ですが、それ以外に方法はありますか?」
ためらうフリカの王太子に、アーク・ルーンの臣となったゾランガよりの密使は、そうたたみかけるように言った。
アーク・ルーンの手の者に助けられ、そのままアーク・ルーンの臣となった、元フリカの臣であるゾランガから送られた、降伏を促す非公式な使者がサクリファーンに提案したのは、クーデターであった。
王都にいるフリカの家臣の中には、すでにアーク・ルーンに通じている者はいくらでもいる。彼らとサクリファーンの直臣が協力すれば、フリカ王を捕らえ、フリカの実権を奪うことも可能である。
強引な手立てでも父を排さねば、フリカ王国はずるずると自壊していき、民をイタズラに苦しませることとなる。フリカ王のみならず、その子供の性格を知るゾランガの用意した論法は、確実にサクリファーンの心を動かしていた。
「サクリファーン殿下。他にフリカの民を助ける手立てがありますか? ゾランガ殿は祖国と同胞の苦しみを見ておけぬという思いは殿下も同じであろうと、私を遣わしました。また、父君に手を出すことで、親子関係は一時ギクシャクなさるだろうが、時が経ち、命が永らえれば、フリカ王も殿下の真意を理解なさる時もきましょう。ともあれ、王と国、何よりも民を助ける方策が他にございますか?」
魔竜参謀ベルギアットが高く評価するほどの謀才を、ゾランガは有している。知能が低いわけではないが、世間知らずな王子様を丸め込むなど造作もなく、
「……わかった。父に恨まれることになろうと、国のためにまず自分の責務を果たそう。その後で、子として父に対する責務を果たせばいいだげだ」
ためらい、迷った挙げ句であったが、サクリファーンは元家臣の織り成す謀略の糸に絡め取られる。
「では、殿下が承諾された旨、ゾランガ殿にお伝えします。無論、私の他に工作員はおりますので、クーデターの方は仲間に進めさせます。殿下も準備の方、頼みましたぞ」
「承知した。それと、報告に戻られるなら、ゾランガにすまないことをした、と私の詫びの言葉を伝えて欲しい」
「わかりました。必ずお伝えします」
ゾランガの才略と憎悪に接しているその密使は、内からわき起こる笑いをこらえながら、うやうやしく頭を下げ、サクリファーンの元から立ち去る。
密使が退室すると、
「そういうわけだ、シィル。全ての責任は私が取る。だから、フリカのより良い終わりに力を貸してくれ」
王太子は部屋の一角で、青ざめた顔で立ち尽くす妹に声をかける。
君は君たらずとも、臣は臣であれ、という言葉がある。
フリカ王の我が身かわいさな態度に呆れている家臣は多いが、それでも王は王だ。主君の命令に従う者も少なくないだろう。だからこそ、自分の直臣のみでは挙兵できないサクリファーンは、アーク・ルーンの支援のみならず、妹の協力をとりつけるのも忘れない。
数が激減したとはいえ、いや、激減したからこそ、七竜連合においては竜騎士の存在は大きい。少なくなったフリカの竜騎士は、王の側につく者もいれば、王太子の側につく者もいるだろう。
クーデターを成功させるためには、竜騎士の掌握は不可欠であり、その中でも見習いとはいえ実力の抜きん出たシィルエールの存在は大きい。
極論すれば、シィルエールを味方につけた方が、フリカを制することになるゆえ、
「……けど、兄様……」
「オマエの言いたいことはわかる。だが、頼む。これしか方策がないのだ。私は子として、父に生きてもらいたいし、父の名が堕ちていくのを見たくないのだ。だから、父の命と名誉のため、力を貸してくれ。それと、後で派手な親子ゲンカをするだろうから、その際は、私があまり父に殴られないようにしてくれるとありがたい」
「……わかりました、兄様……私も、頑張る……」
「ありがとう、シィル」
真っ青な顔でぎこちなくうなずく妹に、ぎこちない笑顔で礼を述べる兄。
サクリファーンもシィルエールも、真剣に国民と、何より父王を憂いている点に嘘偽りはない。
もっとも、だからこそ、一層に際立つと言えるだろう。
ゾランガが憎悪の絵筆を振るって描いた、どぎつい復讐劇が。




