暴竜編33-1
「……アーク・ルーンは正気か……」
バディン王の絞り出すような声が響き渡るほど、その信じ難い報告によって謁見の間は静まり返っていた。
七竜連合の盟主国バディンは、シャーウ、タスタル、ロペス、フリカ、ゼラントの同盟国に複数の使者を送った。どの国にも何人も使者を送ったのは、それだけ七竜連合の治安が悪化しているからだ。
狂ったドラゴンの被害が比較的に少ないバディンだが、王都が、国の中枢がマトモに機能しなくなった影響は、確実に地方の混乱という形で出ており、それはバディンのみならず、七竜連合の全体で、安全な旅路を難しいものとしていた。
数が激減した竜騎士を使者として用いることができず、何人かのバディン騎士に同じ書状を持たせる手間をかけたので、五人の王は全員、バディンの意向を知ることができ、バディン王も五人の王の返答を知ることができた。
同盟国からの返答は、タスタルとロペスは降伏に同意を示し、シャーウとゼラントは強い反対を表明、フリカは保留と、どれも予想どおりの答えを複数の国書にしたため、アーク・ルーンに何人も降伏の使者を出した。
治安の乱れというより、内乱状態にあるタスタルで、半数の使者が行方知れずになったが、北のフェミニト、リスニア、ベネディアを密かに通った使者らは全員、無事にアーク・ルーンからの驚くべき回答を持ち帰り、
「……真に、真に、アーク・ルーンはそんなことを言っているのか……こちらは潔く敗北を認め、降伏を申し出ているのだぞ? なのに、降伏の条件に、ワイズ王と貴族全員、そして我がバディンの王侯貴族の全ての首……そんなバカげたことを、本当にアーク・ルーンは言っているのか?」
愕然と確認するクラウディアが口にする内容は、この場にいる全員の心中を代表するものだった。
敗戦国が戦勝国に厳しい条件を突きつけられるのは当然だが、アーク・ルーンのそれは明らかに常軌を逸していた。
王の首を求めるのは、すでに君臣一同、覚悟の上のことだ。
王族を皆殺しにするというのも、後顧の憂いを断つ意味で、歴史的に前例はある。
だが、貴族まで殺し尽くすなど、そんな無茶苦茶な話はさすがにない、というより、有り得ない。そんな要求を突きつけたところで、かなりの貴族が反対して話がまとまらないのは目に見えている。
実際、アーク・ルーン軍の陣地から戻って来た使者の報告、自分たちの生死に関わる降伏の条件を聞かされ、絶句していた貴族たちも次第にざわめき出す。
「へ、陛下!」
「皆まで言わずとも良い。とにかく、落ち着け。カシウスよ、アーク・ルーンの出した条件に対して、まさか何も言わなかったわけではあるまいな?」
動揺が収まりきっていないやや震える声で、激しく動揺して声どころか全身を震わす家臣らを制しつつ、バディン王はアーク・ルーンへの使者を務めたバディン騎士カシウスに問いかける。
王よりのご下問に、その御前で片膝を突くカシウスは面を上げ、
「はっ、もちろん、アーク・ルーンの条件に対して再考を求めました。ですが、シダンスなる副官は、この条件は将軍たちの協議によるものではなく、軍務大臣が定めた条件であると申すのみにございます。条件の変更や撤回を求めるなら、軍務大臣か大宰相、どちらかと話し合ってもらうしかない、そう繰り返すばかり。奴らの無礼さに腹は立ちましたが、私の権限ではどうすることもできず……」
「いや、ご苦労であった。これ以上は我々が考えるべきことだ。そなたは任を果たしている気に病むな」
バディン王の口にする労りの言葉どおり、カシウスら使者に交渉の権限はなく、バディンが降伏の意向を伝えるのが、その役割である。
バディンの降伏の申し出に対し、アーク・ルーンは条件を出す。そして、使者が持ち帰った条件を元に、本格的な降伏に関する交渉に入るのだが、
「陛下。この話が本当なら、アーク・ルーンは礼儀をまるで心得ていませんぞ。こちらが条件の再考を求めた時点で、向こうが軍務大臣や大宰相に使者を出すべきでしょう。カシウス卿もよく我慢なされた」
怒りに猛った声を上げるその貴族の言うとおり、降伏に関する条件はアーク・ルーン側の問題だ。普通ならば、アーク・ルーン側がバディンの再考や抗議を受けた時点で、それを前線から帝都に伝えるように動くべきだ。それを、バディンの方で何とかしろというのは、一国に対する礼節を欠いている。
そのバディン貴族の指摘や怒りは当然のものだが、そもそもアーク・ルーン側に常識的な対応をする気があるのなら、バディンとワイズ亡命政権の支配者層の一掃などを条件とするわけがない。
「しかし、アーク・ルーンの軍務大臣と言えば、イライセン卿でござろう。あの御仁がこんなバカげた条件を口にするとは思えません。アーク・ルーン側が勝手にイライセン卿の名を使っているのではないか?」
国を失ったワイズ王が逃げ込み、亡命政権を作るほど、バディンとワイズは親しい間柄であるので、バディン貴族の中に元ワイズ王国の国務大臣イライセンと親しい者は少なくない。
彼らからすれば、イライセンがこんな非道かつ非常識な条件を出すなど、とても信じられるものではない。バディン王にしても、イライセンの名前を勝手に使っているという方が、納得できるものだ。
クラウディアもイライセンの人柄を思えば、父王に考えは近いのだが、彼女の場合、変わり果てたイリアッシュを知っているので、娘と同様、父親の方も何かあったのでは?という疑念もなくはない。
「陛下。たしかに、イライセン卿の性格からすればこのような条件はおかしいですが、それよりも深刻なのは、アーク・ルーンにおいてイライセン殿が名前を一方的に利用される立場にあるのではありませんか?」
的外れな王太子の指摘に、バディン王を含めて多くの者が苦い顔となる。
アーク・ルーンの侵略とワイズ王国の滅亡、何よりバディンの第三王子ゲオルグの戦死で実現しなかったが、イリアッシュがバディン王家に嫁いでいれば、バディン王らはイライセンと親類関係になっていた。
だが、ゲオルグとイリアッシュの政略結婚が成立せずとも、バディンの王侯貴族の多くがイライセンと親しい関係にある。だから、アーク・ルーンに降伏する際、敵国の軍務大臣に仲立ちなり口利きなりをしてもらおうと考えていた者も少なくないが、イライセンの発言力が弱いと誤解した面々は、その計算に自らの命運を託すわけにはいかなくなった。
降伏を申し出て、あまりにも厳しい条件を出された場合、イライセンに口利きしてもらうと秘かに思案していたバディン王も、落胆を心中に留め、表情には出さなかったものの、アーク・ルーンと交渉する手札が尽きた点に変わるところはない。
そして、アーク・ルーンが出した条件にとても応じられるものではなく、
「カシウス。キサマは先ほど、シダンスなる副官は、と言っていたが、敵将たるスラックスなどはどう言っていたのだ!」
「はっ、ガーランド殿下。気が動転しておりまして、それについて報告すること、失念しておりました。実は無礼千万にも、スラックスを含めアーク・ルーンの将軍らは、会う必要はないと申し、私はシダンスから条件を告げられると、すぐに追い払われるように、立ち去ることを余儀なくされました」
これでバディンの方針は確定した。
「父上! 一国の使者をあしらうようなこの態度! 我が国をバカにするにもほどがあります! このような恥辱にも頭を垂れ、我ら全員に首を差し出せと言われるかっ!」
ガーランドの怒号は、別段、不当なものではない。
使者というのは、その国の君主の言葉を届けに来ているのだ。それを将ではなく、副官に応対させている、しかも何かしらの理由もなく、だ。これはアーク・ルーンがバディンの王と国を軽んじていると見なされ、礼節を欠くと思われても仕方ないものである。
「ガーランド殿下のおっしゃるとおりです。いかにアーク・ルーンに敗れたりとはいえ、我が国を侮るにもほどがありますぞ」
「これだけの屈辱、このままにして終わるつもりでございますか、陛下」
「アーク・ルーンに一矢、報いる機会をお与えください」
「奴らが死ねというのなら、それに従ってやりましょう。アーク・ルーン兵を一人でも多く道連れにして、死んでやろうではありませんか」
「どうせ、助からぬ命なら、最後まで抗うよう、我らにお命じください、陛下」
「皆で剣を取り、勇敢に戦い、バディンの滅びを忘れられぬものにしてやりましょうぞ」
降伏しても助からぬ命と知り、謁見の間に居並ぶバディン貴族は口々に気勢を上げ、一様に徹底抗戦を唱えるのも当然であろう。
どうせ死ぬならば、可能な限り抗おうとする心理が大半を占めているが、一部は徹底抗戦に活路を見出だそうとしているのだ。
無論、どう戦おうが、もはやバディン王国、否、七竜連合に勝ち目はない。だが、粘り強く戦い続け、アーク・ルーンの手を焼かせれば、降伏する際の条件が良くなるかも知れない。
どのみち、徹底抗戦するより生き残る道がないとなれば、王侯貴族の大半は最後まで抵抗をし続けるだろう。そうせねば、自らのみならず、家族の命も失われるのだ。少なくとも、剣を捨てねば、誇りを抱いて死ねるのだから、選択の余地もないのである。
そのような心理の家臣に、降伏を、いや、死を命じたところで多くは従わぬであろうし、バディン王も家臣全員と無理心中を計る気はなかった。
ガーランドや貴族らが叫ばずとも、アーク・ルーンによって整えられた舞台は、負け犬に選択の余地のある甘い脚本や演出ではなく、
「皆の意志はわかった。皆の思い、まずはアーク・ルーンに言葉として届けよう。だが、愚かにもアーク・ルーンが我らの言葉を理解しなかった時は、剣によって皆の思いを届かせよう」
「うおおおっ!」
バディン王の宣言に、ガーランドと大部分の家臣が拳を振り上げて応じる。
静かな終幕を求めていたバディン王の思いに反し、バディン王国は凄惨な終わりを演じさせられようとしていた。
イライセンが振るう憎悪の絵筆によって。




